1979年
渡辺監督は就任三年目で、チームづくりは一応完成した。とくに一年の時からの杉永(右、上手投げ)と馬場のバッテリーは仕上がっている。大会屈指の右腕、杉永は13勝3敗、防御率1.58。速球でぐいぐい押していく本格派で、カーブやスライダーも身についた。スタミナ不足と、投球内容の単調さにやや不安は残るが、バックに「2点以上取られることはない」と信頼が厚い。
1980年
今、体作り。145㌔の速球が見られるのは三年後か。
1984年
5年生の右腕投手・杉永政信。57、58年のイースタン・リーグで登板したのが、わずかに1イニング。それもこれも、フォームを上手投げから横、下とくるくる変えて矯正をはかってきたためだった。そして昨年、槍投げの練習をした効果がやっと見え始め、投球の際、右腕をかつぎ過ぎる悪い癖が消えた。「やっと自慢のストレートが蘇ってきました。去年、おととしと、ネット裏でスコアラーとして、野球の分析をしてきました。ことしこそ勝負ですよ」
久保、前泊の一軍昇格で苦しくなった投手陣の救世主は杉永政信だ。55年、鯖江高からドラフト1位で入団したが、昨年まで投球フォームを崩し、ファームでも登板数が少なかったが、ことし、やっと本来のフォームを取り戻した。今季はまだ3試合、7イニングながら、自責点は1。防御率1.29。驚くのは、ストレートのスピードだ。昨年の最高125㌔からことしは一挙、140㌔までにアップ。山根監督は、「1年間で5㌔アップすれば御の字だが、15㌔増だからね。やっと彼の素質が開花したようだ」と満足げ。「スピード云々より、フォームが安定していて、コントロールがついたのがよかったのでしょう。とくに、スライダーは投げるのが楽しいですよ」ニワカさんのあだ名を持つ男は、そういってニッコリ。いままでの苦労が身になり、長い冬眠からもようやく覚めたようである。杉永の今後が楽しみだ。