プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

デービソン

2024-06-08 23:27:44 | 日記
1998年
ロッテは18日、5人目の外国人選手としてスコット・デービソン投手(27)=パドレス=の獲得を発表した。契約金、年棒合わせ推定30万㌦(約3800万円)背番号は未定。ビザが取れ次第来日する。2年目のデニスが制球力不足で開幕2軍が確定。リリーフエースが左腕・河本1人という現状から中継ぎ、抑えのできる右投手の獲得を目指していた。江尻編成部長が2月に渡米しパドレス、メッツ、ダイヤモンドバックスのキャンプ地を訪れ調査。近藤監督ら首脳陣とも検討を重ね、最終的にデービソン投手の獲得を決めた。同投手は150㌔を超す速球にチェンジアップ、スライダーが武器。近藤監督は「95マイル(約152㌔)を今年のオープン戦で記録したと聞いている。来日して、実際見てからでないとわからないが、中継ぎ、抑えができれば」と話している。


デービソンは1995年にマリナーズで大リーグデビュー。通算2年で8試合に登板、勝ち負けはなく、計13回1/3を投げ12奪三振、防御率8・10。速球、スライダー、チェンジアップが武器でロッテでは中継ぎ、抑えとして期待している。


デービソンは最速150㌔の直球が武器の本格派右腕。招待選手としてパドレスの春季キャンプに参加しており、オープン戦での好投がロッテ関係者の目に留まった。右ヒジを手術して昨シーズンを棒に振ったが完全復活。近藤監督は守護神・河本との「Wストッパー」構想を描いている。4月4日の開幕までに来日予定となっている。


開幕直前の3月29日、チームでは五人目の外国人選手となるデービソン投手が来日。31日に入団発表を行い、背番号「22」のユニホームを着て早速初練習。ブルペンで約50球を披露した。チームの秘密兵器とあり、近藤監督は、テレビカメラがブルペンに入るのを拒否、写真撮影も許さなかった。他球団の資料となりうるものをすべてシャットアウト。すぐに一軍入りさせるという。

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松林和雄

2024-06-08 22:13:35 | 日記
1980年
広島が3位指名した松林和雄外野手(18)=柳井商=の入団が二十八日決定した。同日午後三時、柳井商を訪れた野崎取締役は三好野球部長、山県監督に入団交渉に入る旨のあいさつを済ませ、引き続き同五時から山口県玖珂郡玖珂町千束の自宅に本人と父・守彦さん(41)=建設業=母・静江さん(40)を交え役時間入団交渉、契約金1千八百万円、年棒二百四十万円を提示、本人、両親がこれを了承、入団が決まった。ドラフト指名両リーグを通じ契約第一号。


松林選手の話 小さいころからカープにあこがれていたし、最高にうれしい。山本浩さんを目標にがんばりたい。


父・守彦さんの話 親とすれば進学という気持ちもあったが、本人の意思をくんでカープにお世話になることにしました。入団するからには努力して立派な選手になってほしい。


野崎取締役の話 本人、両親ともカープというチームに魅力を持ってくれ、スムーズに話し合いが進んだ。将来のチームの中心となる素材だと思う。

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真鍋勝己

2024-06-08 22:02:04 | 日記
1986年
真鍋は「川鉄で野球をやる」と意思を固めていた。そこへ阪神が指名権獲得のニュース。小さいころは阪神は好きな球団。プロでやりたい気持ちは胸の片隅にある。指名は光栄、だが、ノンプロへ進む道を決めた。さあ、困ったー。こういうのを寝てる子を起こすという。この日夕方、真鍋は倉敷市田ノ口七丁目の自宅へ帰る途中、松原洋野球部監督(30)の家へ寄った。何はともあれ、今後どうすべきか、18歳の少年は「川鉄でやりたい。いまはこう言うしか」と言う。145㌔前後の速球の持ち主。

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高橋昌也

2024-06-08 21:57:23 | 日記
1986年
「プロで力を試したい」指名を待ちこがれていた高橋にとって阪神の指名はうれしい。「地元(愛媛)にも近い」と願ったりかなったりだ。185㌢の長身から繰りだす速球とスライダーを武器に通算22勝。「向こう気が強い」(村上監督)という性格はまさにプロ向きで、少々のことではへこたれない。「打のチーム」というのが高橋の持つ阪神のイメージ。目立たなくてもキチンと仕事をやる鹿取、加藤初(ともに巨人)のような投手が好みで「打たれ強いピッチャーになりたい」と地味ながらしっかりした考えの持ち主だ。

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ロバーツ

2024-06-08 16:45:59 | 日記
2000年
4月29日の西武対ロッテ4回戦。ロバーツは好調西武打線に対し、左腕から繰り出すスライダー、カーブ、チェンジアップなどでタイミングを外し、見事に7回を4安打無失点に抑え勝利投手に輝いた。「今日はオレ1人じゃなく、全員の勝利だ」と初勝利の喜びを表した。

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ピータース

2024-06-08 16:40:25 | 日記
1982年
左腕投手不足に悩む大洋は球宴明けから外野手ピータースに投手転向指名を出した。二軍での投手として登板を開始。高校時代は、投手だったというピータースも「1年でも長く日本でプレーしたい、可能性があることには挑戦する」と意欲的。190㌢の長身、長いリーチで黒人特有のバネを利しての球は145㌔もあり、「ブレーキのいいカーブもあるし、コントロールもまずまず」と山根二軍監督が話していたが、1ヶ月もすれば大洋での初の黒人投手のマウンドが見れるかもしれない。

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ウィッテム

2024-06-08 16:32:45 | 日記
1999年
ウィッテムは初登板で黒星を喫した後は5連勝。粘り強い投球で白星を重ねている。チェンジアップ、シンカー、シュート、スライダー、カーブと多彩な変化球が持ち味。走者を出しても低めの変化球で併殺打に打ち取る場面も多く、テンポの良い投球が野手にリズムを与え、打線の援護を受けるケースも多かった。上田監督は「ランナーを出すが、安定しているし粘り強い。とにかく真面目だね」と成績は勿論だが、内面的なものも評価している。

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クロフォード

2024-06-08 16:27:30 | 日記
1998年
ロッテの新外国人、ジョー・クロフォード投手(27)=メッツ=が火ダルマになった。前日登板の11日、阪神戦(甲子園)で5回2安打無失点の好投を見せたが左腕が一転、5回7安打5失点の乱調。本当の姿はどちらなのか。先発ローテーション入りを期待される男に?マークがついてしまった。190㌢、102㌔の大きな体が小さく見える。オープン戦3度目の登板で初の同一リーグの相手、ダイエー打線にクロフォードがつかまった。「直球ばかりを続けたり、攻め方に問題があった」(中村投手コーチ)とはいえ130㌔台のストレートとカーブ、チェンジアップ、スライダーを右方向中心に運ばれた。「ランナーを出したんで、けん制の練習になった」という言葉も悲しいジョークにしか聞えない内容だった。


左腕不足に悩むチームは先発ローテーション入りを期待。その期待通り、4月5日の開幕2戦目の対近鉄(大阪ドーム)は打線の援護がなく、黒星デビューになったが、8回を投げ切って4安打2失点の好投を見せた。ストレートは140㌔そこそこだが、スライダー、チェンジアップなど多彩な変化球を武器に、緩急で勝負するのがクロフォードの持ち味だ。


クロフォードは立ち上がりの悪さと四球の多さに問題があった。走者が塁に出れば再三の牽制攻め。にもかかわらずライオンズには1試合で6盗塁を許すという意味のなさ。マルティネスにも悠々と盗塁を許してしまうのだから、お手上げだ。近藤監督は「今度、同じピッチングをしたら、二軍に落とすぞ」とカミナリを落としたのだ。6月3日のダイエー戦で4敗目(6回9安打7四球6失点)を喫した後だった。「アメリカでは立ち上がりは悪くはないし、そんなに四球を出すタイプでもなかった。どうしてもこうなってしまったのか分からない」と本人は首をかしげていたが、ストレートのMAXは140㌔台前半。スライダー、チェンジアップ、フォークを武器にする。外国人投手には珍しい変化球投手のクロフォードに対し、メジャー以上にビデオ研究を重ねる日本の球団は、簡単に攻略法を見つけた。特に西武は完全にクロフォードのフォームを盗んでいた。

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嶋尾康史

2024-06-08 15:44:57 | 日記
1986年
「びっくりしました。2位なんて…。もううれしいだけです」2位指名の東洋大姫路・島尾は声を弾ませる。実家は国宝姫路城のすぐ近く。周りに住んでいる人はみな阪神ファン。小学校四年のとき阪急の弓岡も所属していた軟式野球チーム野里ビクトリーに入りグラブを持つと同時にタテジマのユニホームに、自然とあこがれていた。名門・東洋大姫路に進学。187㌢、82㌔の姫路城並みの体格と地肩の強さを梅谷監督に認められ二年生の五月から投手に転向。めきめき力をつけ、今年の夏の甲子園では3試合すべて抑え役。秋の国体ではついにエースの座について4試合に先発し、わずか1失点。どこまで伸びるか本人も「分からない」という将来性を阪神も高く評価した。「昨夜、阪神から指名の連絡を受けました。3位くらいかなと思ってたら2位。ほんとに光栄です」甲子園で142㌔を計時した快速球にカーブ、シュート、フォークも投げる。社会人野球の三菱神戸に就職が内定しているが、上位指名の場合はプロへ、という意思は伝えている。「池田さんのように強気の投球をする投手になりたい」という大器・島尾の夢は早くも甲子園に飛んでいるようだ。

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五島裕二

2024-06-08 15:29:36 | 日記
1994年
「うちのチームは五島のチーム」と、指揮官が絶大な信頼を寄せる大黒柱・五島の成長とともに、「チームも大人になった」(鈴木監督)疲れから腰を痛め、しばらく調子を落とした五島だったが、今では完全に復調。180㌢、80㌔から繰り出す威力のある速球に加え、最近は「ずっと練習してきた」カーブにも磨きがかかった。


投手陣は五島、清水の二本柱。ともに180㌢、80㌔を超す大型右腕。投げ下ろす速球にカーブ、フォークを持つ。五島はきれいなフォームから140㌔のストレートを投げる。

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豊原経久

2024-06-08 15:26:40 | 日記
1977年
「江本さんを目標にがんばります」阪神は九日午前、大阪・梅田の球団事務所でドラフト6位指名・豊原経久投手(18)=日大藤沢186㌢、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背が高く、足も長い。エース江本とスタイルがそっくりさんで昨秋までは捕手をしていたという変わりダネ。球団側では「江本といわず、目標はもっと高くもってもらいたい」と将来性を高く買っている。契約金七百万円、年棒百五十万円(推定)ドラフト入団第一号。まるでバスケットボール選手のように背が高い。ジャンボ工藤より1㌢高く、江本には2㌢だけ及ばないというノッポさん。体つきも江本そっくりで、これで捕手をやっていたというから驚きだ。「足の使い方とか、腕の振り方は江本さんのピッチングを見て勉強しました。ハイ、江本さんを目標にがんばります」ちょっぴり緊張の入団発表。詰めエリの側にくっついた二つの耳が赤く染まった。代わりに胸を張ったのが小林チーフスカウト。「腕のバランスが非常にいい。本人は江本を目標にするといっているが、もっと望みは大きく持ってもらいたい。二、三年先、うまく育ってくれれば相当な選手になる素質がある。下半身をみっちり鍛えると楽しみですよ」中央球界では無名の存在だが、ロッテ、ヤクルトあたりも触手を伸ばしていたという。投手転向の理由がふるっている。昨秋のある日、バッティング投手をやっていたところ、二十分以上も投げていてケロリとしていたとか。その間他の投手は二人、三人と交代。当時の監督は改めて地肩の強さを再認識。急きょ投手転向を命じたものだった。現在はストレート一本やり。粗削りには違いないが、それだけに未知の魅力を秘めているといえるだろう。

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