プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

塩月勝義

2011-10-29 16:52:53 | 日記
オーバースロー

巨人の2年生投手・塩月が6月27日・大洋6回戦「巨人多摩川」でイースタンリーグ5人目のノーヒット・ノーランを達成した。

「低めにシュート、スライダーがよく決まった」という塩月は、5回ごろから記録を意識、9回の1死1塁も4番の小金丸を三ゴロ併殺

に退けて、大記録を達成した。投球数122球で内野ゴロ7、内野飛球5、外野飛球7、三振7で四球の走者を5人許しただけだ

った。心臓の強さではチーム一といわれるだけあって、塩月は「みんながベンチでワイワイいうんだから意識しますよ。大洋のバッターも

いつもと違う出来すぎにビックリしたでしょう」とケロリ。開幕から一ヶ月ほど一軍にいたが、風疹にかかってファーム落ち。しかし、これで

4連勝と土つかずで勝ち星を伸ばし、防御率も1・20とチーム一となった。「先はまだ長いけど今度は一軍入りを目指します」という

塩月。課題といわれる太りすぎに注意しさえすれば、後楽園登場も時間の問題といえそう。

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国岡恵治

2011-10-29 16:52:16 | 日記
阪急のルーキー国岡「徳島・鴨島商」がウエスタン・リーグ西鉄戦に初登板、完投で初勝利を挙げて首脳陣を喜ばせた。

左腕からのストレートが威力を発揮、7安打を奪われたが、三振8個を奪い1点に抑えた。国岡は、阪急がドラフト2位で

獲得しただけに、未完の大器と期待されるにふさわしい投球内容だった。ベテラン梶本の左手親指の負傷回復が、長引くと

わかっていたときだけに野口コーチも「一日も早く一人立ちさせたい」とこの左腕のホープに、おおいに力を入れている。

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谷山高明

2011-10-29 16:50:59 | 日記
1972年・・・・イースタンの教育リーグの日程が11月20日に終了し「収穫が一杯あった」・・・中尾二軍監督・・という巨人の

若手組。投手では谷山が挙げられる。最終戦のロッテ戦「巨人多摩川」では2番手で登板。5回3分の1を4安打に抑える好投。

「ウチには珍しいシュートで勝負する投手に成長するはず。もう少しコントロールさえつけば、来年は一軍でも十分通用する」と

中尾二軍監督も太鼓判を押すほどだった。


・日本ハム移籍後は打撃投手から再び一軍のマウンドに返り咲いた。

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豊田憲司

2011-10-29 16:49:56 | 日記
西鉄の島原キャンプで、大物ルーキー加藤初をしのいでメキメキと腕を上げている伏兵がいる。首脳陣も評論家も、さらに同僚までもが即戦力間違いなしと予測する豊田憲司がそれ。河村コーチ自伝の「カミソリ・シュート」で一段とピッチングに磨きをかけようという楽しみな秘密兵器である。その豊田もいざシートバッテイング初登板ともなると緊張するものである。しかも、あこがれで入ったプロでの、とにかく初めての腕試し。豊田はバッグハンドからスリークォーター気味に振りかざした右腕を思い切りスローした。相手は阿部。打撃陣中、最も仕上がり好調をみせる阿部のスィングは、さすがにシャープな振りをみせていたがハジキ返された打球は詰まった鈍い金属音しか放たれなかった。続く若手の甲斐のバットからも快打は出ない。一息入れた豊田だが、ベンチの稲尾監督、河村コーチら首脳陣がヒザをのり出した。打席に榎本を迎えたときだった。この安打製造機の異名をとる榎本は、すでに前二回のシート打撃を故障欠場しており、これが初めての実戦テスト。また注目される豊田の腕の見せ所でもあったからだ。だが勝負はあっけなくついた。フトコロへのストレートを詰まって一塁ゴロ。おまけにベテランに似合わず「あれッ」と奇声まで発する不本意な打撃で一本取られてしまった。榎本はこのあと二度目に対したときも中飛。豊田の完勝だった。「打てないオレが悪いのだが、あいつには、どうもタイミングが合わん」榎本は豊田と代わった望月には痛烈な右前打を放っているのだし、言葉通り、榎本の苦手なタイプに属するのであろう。豊田は、この日、結局、三十四打者に対して十三安打を浴びて決して誉めるべき成績ではなかったが、首脳陣も打者も豊田に失望するどころか、今後に一段と期待する声ばかりであった。まず、その投球が非凡であるという。「速くはないが、それでいて打球が飛ばない」・・・竹之内・・・・この豊田のタマが重いということは、キャンプイン数日してから、すでに注目されていた。まず河村コーチが目にとめたのだ。粘っこいフォームから速くは無いが鉛のような重い球が捕手のミットへ吸い込まれていく。フィ二ッシュも、少し腰くだけになるような典型的変化球向き投法。河村コーチは「しめた」と喜んだという。「マスターするには困難だが、豊田なら、いとも簡単に教え込めるのではないかとね」かくして豊田は島原キャンプでは隣の投手が山なりのボールを投げているころからシュートを懸命に投げ続けていた。芝工大の同期で女房役だった片岡が、そんな豊田のクセをあかしてくれた。「いまのところ加藤初より先に即戦力になる予測だ。おもしろい投手ですよ」「ピンチにはシュートが一番有効なのだ。それがわかっていながら西鉄の投手は投げない」と評論家時代、ネット裏で地団駄踏んでいた河村コーチが、懐に転がり込んできた豊田には一目ぼれしている。

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横山小次郎

2011-10-29 16:49:56 | 日記

・横山は今季初白星

このところロッテのスタートは快調だ。この夜も初日に池辺がプロ入り百号2ランを打って先制、二回には相手の凡ミスとスクイズで2点を加えた。ロッテの先発横山は、切れのいい直球とカーブで力投、四回まで1安打に押え、五回ジョーンズ、六回野村に本塁打されて木樽と交代したが、味方の先制攻撃に助けられ今季初勝利。


・ロッテの7年生投手、横山が6月1日、イースタン・リーグ史上4人目のノーヒット・ノーランをやってのけた。東映・多摩川グラウンドで行われた対東映2回戦。カーブの切れ、制球力ともよく、7回1死までは完全試合。このあと猿渡に2-2から四球を与え、8回1死から代打・八重沢を遊ゴロ失で出塁させた二人だけ。131球の横山の投球内容は三振5、四球1、内野ゴロ14、内野フライ2、外野フライ5.この快記録で今季5勝目を飾った横山は「記録を意識したのは6回ごろから。カーブがよかった。しばらく登板してなかったので多少バテ気味だったけど、自分のピッチングをしょうと心がけたのがよかった」この横山、43年には一軍で4勝を挙げた実績もあり、体「1メーター72」は小さいがまとまりのある投手と定評がある。やられた東映コーチ陣は「あんなピッチャーを一軍で登板させるなんて勿体無い。ウチなら一軍でバリバリやってるよ」と羨ましがっていた。

・6月16日の南海戦で横山投手が43年9月29日の東映戦以来、実に3年ぶりの勝ち星を挙げた。プロ入り7年目のベテランも「3本柱」ががっちりそろったロッテでは、ピッチングスタッフからはみ出し、今シーズンは5月末の九州遠征で一軍ベンチ入りしたが一度も使われず帰京するなりファーム落ち。ところが、6月1日のイースタンリーグ・東映戦でノーヒット・ノーランを達成「一気に乗ってしまって・・・」一軍入り。短いイニングがほとんどだったが、この日、木樽をついで5イニングを投げて失点2の内容で一勝目。「やっぱりうれしいですね。今日はカーブがよく決まった。ボクの投球はカーブが悪いとダメなんですよ」と控えめだが「最近は阪急戦や、きょうのような同点のケースに使ってくれるのでありがたい。がんばらなくては・・・」と、やっとつかんだチャンスに意欲満々だ。

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桜井憲

2011-10-29 16:49:11 | 日記
「ニックネームがこんなところで役立つとは・・・」笑いが止まらないのが桜井バッティング投手。5月26日の「ダービー」だ。

「そう詳しいことはわからないが、出馬表をながめていたら、インターとつく馬が二頭いた」インターグットと、インタージャンボ。

「実はボクが入団した頃、インターが、あだ名だったんです。インターナショナルという時計をもっていたので・・・。グットにジャンボ。

これはいい名前だ」と買った2-5馬券が的中。野球選手が背番号で買うというのは多いが、ニックネームで的中というのは

珍しい。「でも桜井、いつもそうとはかぎらない。競馬もホドホドに」とは某コーチ。

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瓜生秀文

2011-10-29 16:48:53 | 日記
東映の今季の秘密兵器といえば瓜生秀文投手だ。紅白戦で好投し松木監督の目に止まり、3月5日、佐世保で行われた大洋とのオープン戦では救援ながら初登板。2回投げ6人の打者に対してノーヒット、三振2を奪う好投を見せ、3日後の広島球場でのダブル第二試合では先発で5回投げ19人の打者に対し許したヒットはわずか3本、与えた四球2個、三振4を奪い、6回からは金田のリリーフを仰ぎ、78球で、プロ入り初勝利。さらに、13日、和歌山での阪神戦にも先発で登板、4回バレンタインに三遊間を破られ、オープン戦11イニングス目で初失点という大変な活躍ぶりである。入団したときはドラフト7位指名選手。1月16日、多摩川での自主トレ初日にグラウンド10周で走らせてみると、4周目から他の選手に50メートルも離され、7,8周目のころはダウン寸前。「これじゃあ、とてもプロの選手としては無理」松木監督は、思ったそうだ。それが伊東キャンプで投げさせてみると、重いストレートに加えて、金田も顔負けのブレーキ鋭いカーブを決めて、一躍チーム1の鈍足男は脚光を浴びるようになった。

1971年
・東映の2年生投手・瓜生が調子を上げている。5月16日の巨人、4回戦「西武園」で湯口と投げあい、打線の援護もあって9対4の勝利投手。完投で2勝目を挙げた。この瓜生、向上高から昨年東映入りした右の本格派。昨年は1軍にもかなり起用され、ショート・リリーフ中心に12試合ほど登板。近鉄25回戦では初先発するなどルーキーとしてはかなり恵まれたシーズンで2年目の台頭を期待されている有望株だ。入団当時は「特別スピードがあるわけでないしスタミナが心配」といわれていたが、最近は完投ペースも覚え自分のピッチングが出来るようになった。「変化球の切れもよくなった。体も肩も調子がいいから今年は去年以上に頑張ります」と瓜生は大張りきりだが、期待されていた杉田、桜井、片岡ら若手の右投手が揃って伸び悩んでいる時だけに明るい材料。1メーター78と上背もあり、体も去年よりひと回り大きくなっており、これからどこまで腕を上げてくるか楽しみである
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川内八州男

2011-10-29 16:48:14 | 日記
1971年7月10日

巨人4-3中日 

試合開始の午後七時現在、後楽園球場の気温は31・2度もあった。満員に近い込み具合。当然起きる人いきれが場内をいっそう暑苦しいものにしていた。試合はいわば熱帯で行われた。こんな気象条件のもとで、人間の思考能力が低下しないわけがない。古来、世界的な高度の文明が、熱帯圏に栄えたためしはあまりない。
こんなとこには頭が「さえてる」が、気力が充実している人間のほうが、活躍できるに決まっている。そしてスコアが示す通り、ほんの幕切れ寸前までは、中日の方がなかなかさえた頭をみせていた。
人を食ったような川内の投球ぶりが、まず試合中盤までの主役だった。五回二死まで巨人はノーヒット。三ゴロ失の堀内が一塁に出ただけで、ほとんど無音。平松(大洋)にしても、江夏(阪神)にしても、最近の巨人戦でこんな完璧に巨人打線を押えた投手はいない。
川内の投げたタマはカーブ、スローカーブ、スライダー、シュート、シンカー、それに直球と、たしかに多彩ではあった。だが、狙いダマをしぼればどれも打てない球ではなかった。それがどうしても打てない。「前半は川内のタマを漠然と打っていたようだ。どっちつかずのバッティングだった」という試合後の国松コーチの話。そして長島の「すーと抜けるスローカーブにすっかりやられた」という話からすると、巨人打線はジャンケンのとき、相手の次の出方を考えすぎて、結局わわからなくなったようなものだったらしい。中日が攻撃面でもさえたところを見せたのは七回表の一死一塁。同点にしたあと、ミラーの打球が二塁後方へあがったときである。ハーフウエーまで走った一塁走者の大島が森下コーチの指示で一塁から14㍍も離れたところで打球の落下を待った。打球を追った二塁の黒江と右翼才所のどちらが捕球しても大島はアウトになり、併殺が成立しただろう。それは冒険だった。落下点から一塁までは20㍍あまりしかなかったからだ。だが、偶然か故意か、この大きな離塁が野手二人の譲り合いーテキサス安打という結果を招いた。気落ちした堀内はこれをキッカケにさらに2点を失って、巨人は敗戦のがけっぷち。しかし、すべたは伊藤久が上田に投げた8球目のカーブのために、いっぺんにひっくり返ってしまった。名誉回復の為に気力を奮い起こして2打席連続ホーマーの離れ業を演じた上田の気力勝ちということもできよう。巨人打線の中でこの上田と
吉田の二人だけが終始「カーブにねらい」をつけて打席に立ったことを中日バッテリーが頭においていれば、この失投はなかったはずである。試合は、最後の場面でさえていた上田のおかげで、巨人が笑うことになった。




熱心さ実った川内投手の一勝
・「なんとかして、早く一勝が挙げられるようにしてやりたい」と大島コーチが気を使っているのは、近鉄から移籍した川内投手。開幕以来、ほとんど毎試合のように中継ぎや締めくくりに登板。大きく割れて落ちたり、小さく曲がる3種類のカーブを使い分けて、投手陣の大きな戦力になっているからだ。「もちろん、早く勝ち星はあげたいです。だけど、それより試合にこうして投げられるのは幸福ですよ。近鉄から中日へ移った甲斐があります」という川内の目標は、先輩の田辺に追いつき、追い越すこと。このまじめさは去る4月27日の対広島戦で実が結んで水谷寿の救援はあったが、7回まで投げて初勝利を得た。

・川崎球場の大洋戦で2試合連続、火消しに出て、難しい切り札役をつとめ上げた川内投手に向かってスタンドから「いいぞ、川内。新しい8時半の男の誕生だ」の声がかかった。また、この川内をネット裏からじっと見ていた大洋・森球団代表も「中日さんは、いい投手に目をつけたものだ。とにかくセオリーを忠実に守って投げてるのがいい」とうらやましそうに話していた。近鉄から移籍した一年目の川内はプロ在籍7年生。近鉄ではファームでくすぶり続けていたのが、中日入りしてようやく芽をふいた。ちょうど昨年、近鉄から移籍した田辺がすい星のように飛び出して、エース小川なきあとのマウンドで活躍したのと、そっくり同じである。由来、中日はかっての柿本をはじめ小川や小野にしても、他球団ではダメだったのが、見事に息を吹き返しているという不思議なチームだ。入団当初の川内を見て「カーブはいいが、あのスピードでは昨年の田辺のようにはいかぬだろう」と見る向きも多かったのに、シーズンが進むにつれて切り札にのし上がった。それどころか、巨人に完投勝ち「11節」までやってのけ第12節の終了時で22試合登板、3勝1敗、防御率は2・70で投手15傑にも顔をのぞかせている。「何勝挙げようなんて気持ちはありません。とにかく信頼されて使ってもらえるだけ幸福なんです。それがチームの勝ち星につながれば、しあわせです」下積みの長い間の苦労が、こんな言葉にもにじみ出ている。「あのカーブはいやだ。つかみどころのない打ちにくい投手」と長嶋にいわれるのも「彼はデータを守って、その通り投げている。コントロールがいいから、それが出来るんだ」・・・江崎スコアラー。・・・こんなところに「新・8時半の男」の秘密があるようだ。

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飯田敏光

2011-10-29 16:45:19 | 日記
「太平洋クラブ時代」大洋から江藤監督とともに移籍してきたのが飯田敏光投手で身長がなんと192センチ。平和台の合同自主トレでも地元ファンの注目を集めているが、大男ぞろいの選手たちさえ見上げるような巨漢のくせに、いたっておとなしく、ベンチでは、いるのかいないのか分からないくらい。この飯田、ジャンプでは連日一等を取っているが他の選手からハンデがあり過ぎるとクレーム。そのたびに「オレのせいじゃないよ。でもごめんね」と苦笑いしている。

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高田博久

2011-10-29 16:45:19 | 日記
アンダースロー
球種は、シュート、スライダー、カーブでストレートの球速は135キロ程度。

1986年入団時の自主トレの段階での、高田投手の記事がありました。・・・・・高田が長田捕手を相手に40球のピッチングを

はじめると、大石コーチ目がクギ付けとなった。「欠点かない。山田「阪急」に似ているね。低いクラスではなく高いクラスと争えそうだ。

年齢的にいっても津野以上の期待ができる」と驚きの声をあげた。

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水谷茂雄

2011-10-29 16:43:38 | 日記
フォームは右オーバーハンド、シュート気味のストレートが持ち味。

・1980年・入団当初
投手難にあえぐ南海に希望の星が誕生した。今季、四日市工からドラフト4位で入団した水谷茂雄だ。この水谷、高校に3年半通っている。「オレも甲子園の土を踏みたい」志を立て名門・三重海星高に入学した。しかし半年で退学、水谷の目指す「野球」とは大きくかけ離れた部に対して失望したからだ。翌年、迷うことなく四日市工に再入学、元来、野放図な性格の水谷、すべてにおいて型破りが好きである、ところが高校3年時、19歳だった水谷は年齢制限で試合の出場資格を失った。ショックだった。こんな水谷にナインは「監督をやって僕たちと一緒に野球をやろう」と勤めてくれた。予期せぬ言葉に嬉し涙が出た、喜んでナインの気持ちを受けた・・・現在、中モズ道場では連日のハードな練習が行われているという。「オレはやる、後輩たちと交わした約束は守らないと・・・」
水谷はプロでの活躍を誓った。

・プロ入り初勝利
1980年・9月17日・西武ー南海、後期9回戦「平和台球場」観衆3万3千・試合時間・3時間19分・
勝ちー水谷、セーブ・金城・負けー松沼弟・・本塁打、門田37号、新井6号、長谷川3号、メイ22号
南海100020221・8
西武000010100・2

・若タカ・ルーキー水谷が混パの主役・西武から大金星、プロ入り初勝利をあげた。「アガることなんか全然なかったですよ。この前のときは6回で崩れているから、きょうは、なんとかそれ以上投げたいと思ってました。とにかく勝てて、こんなに嬉しいことはありません」
5回、長谷川に5号ソロを浴び1点、7回1死3塁から金城の助けを借りるまで、西武打線を4安打に抑える好投。ゲームが終わると
先輩・金城に何度も頭を下げるあたりにルーキーらしさがのぞいていた。

水谷投球内容・・・6回3分の1・被安打4・奪三振2・四死球5・自責点2

・自己最高の成績を残した1981年のチーム別成績、この年は抑えの金城が戦列を離れていたため、ストッパーに使われることも
多かった。
対・日ハム戦・10試合・0勝0敗・1セーブ・8回3分の2・・防御率9・00
対・阪急戦・・10試合・1勝0敗・2セーブ・7回3分の2・・・・・・・・9・00
対・ロッテ戦・・8試合・・0勝1敗・3セーブ・7回3分の1・・・・・・・・5・14
対・西武戦・・7試合・・0勝0敗・3セーブ・6回3分の1・・・・・・・・・1・50
対・近鉄戦・10試合・・1勝0敗・1セーブ・14回3分の2・・・・・・・1・80

・その後の水谷投手は故障やスランプに泣かされ、1985年に中日に移籍するが登板機会に恵まれず、この年限りで表舞台から、
ひっそりと姿を消した。

・1軍戦・ラスト登板・・・1984年・8月24日・日ハム22回戦「平和台球場」
3番手で登板・3分の2イニング・被安打5・三振0・四球1・自責点6
最後の登板が奇しくもプロ初勝利を飾った平和台球場だった。

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高垣義広

2011-10-29 16:41:53 | 日記
球種・・・伸びのあるストレートが最大の武器。メンタル面に課題があり実力を発揮できない。
その他、シュート、カーブ。

フォームについては資料を探しても出てこないのですが変則投法ではないはずです。


現役ラスト登板
1978年・9月3日・日ハム後期11回戦
4番手で登板・2回・被安打5・三振2・四死球2・自責点1

1978年・最終年棒320万・・・家族構成・ルミ子夫人、1女

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竹口昭範

2011-10-29 16:41:00 | 日記
スリークォーター
現役最後の1987年の資料によると球種は、カーブ、ストレート、シュート、スライダーで、ストレートは135キロ程度

です。評価は球威はもう一つで、ワンポイント・リリーフが精いっぱいか。

・竹口投手は穴吹監督時代の1985年に期待され、オープン戦にも重点起用されてた記憶があるので、この時の成績を掲載
します。

1985年・3月5日、近鉄戦「大阪球場」6イニング・被安打1・自責点0
・竹口はストライクゾーンからボールになる低めの球が効果的で近鉄打線をほんろう、制球力にも成長の跡がうかがえた。

3月10日、中日戦「浜松球場」2イニング・被安打2・自責点1

3月16日、阪神戦「甲子園球場」1イニング・被安打1・自責点0

3月18日、近鉄戦「日生球場」9イニング・被安打6・自責点1
南海の貴重な左腕・竹口が完投勝利1番乗り、緩急をつけ慎重に低目をつく見事な内容で投球数もわずか104球だった。

3月24日、阪急戦「湯浅球場」4イニング・被安打7・自責点6

3月30日、阪神戦「大阪球場」1イニング・被安打1・自責点0

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近藤重雄

2011-10-29 16:35:14 | 日記
スリークォーター気味の投球フォームからスライダー、シュートを投げ分けた。

・1971年のドラフトでオリオンズ入団決定第1号が近藤重雄投手、このときの年齢29歳は当時のドラフト指名・史上最年長で

あり、すでに結婚していて1女をもうけていたそうです。入団の動機は会社「日本コロムビア」の業績が思わしくなく、野球部も休部し

、そのうえ会社側が出した1200人にものぼる希望退職勧告の中に自分の名前を見つけ、ギクッ!として真剣に将来のことを

考え、そんな意気消沈の近藤のところへ来た通知がロッテから指名されたという夢のような知らせ、契約金もドラフト5位ということで

、500万・年俸150万だが「契約金?ボクには過分です」と謙虚な姿勢を見せていた。

初勝利は1972年5月10日、西鉄戦「東京球場」先発・成田を6回からリリーフして以後の4回を2安打0点に抑え、打線の

大量援護にも恵まれた。その喜びの言葉は「1964年に久慈賞をもらったときより嬉しい、早く女房や娘に報告したい」と感激してい

た。

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半田実

2011-10-29 16:32:37 | 日記
フォーム・・右サイドスロー
球種・・・決め球はシュート
・・・半田の投球フォームは元・阪神、中日で活躍した柿本実に非常に似ていて、顔までソックリだった。

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