プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

成田幸洋

2018-10-18 22:16:17 | 日記
1984年

昨年、イースタンで個人防御率6位とまずまずの成績。しかし完投が1試合もなかったのはさびしい。しかし、ことしは一軍の中継ぎ候補にあげられている。シュート、シンカーなど変化球を持っているのが強味。
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石崎正勝

2018-10-16 16:17:01 | 日記
1955年

ユニオンズに入る前にノンプロの播磨造船に就職が決っていたそうだ、それをけってユニオンズに飛び込んだ動機自体に今年のホープとしてよく望まされる所以がある。岡山工高出身で過去に華やかな球歴を何も持たない本当の無名の新人である、五尺九寸五分、十九貫という巨体、しかし十八歳という若さにはまだ童顔去りやらぬといったところだ、六人兄弟の長男に生れ、家を継ぐ手前、彼のプロ入りは両親からきつく反対されたが、それを押して自ら新人採用試験を受験したという徹底振りも野球に対する魅力、しかも同じやるなら職業としての野球をと腹切ったからだ。「プロ野球に入りたいと思ったのは小学校四年生のとき、それ以来プロを目ざしてがん張った」と野球に対する情熱をもらす。好きこそものの上手なれと世にいうが好きな上に素直な性質と来ている、ブルペンでの彼は名コーチ若林氏の意のままハイ、ハイと投げている、若林コーチの定評を受けているアウト・コース低目の速球は目も止まらぬ速さだ、カーブの切れも鋭く、側にたたずむ若林氏を楽しませる、川田(足利工高)と並んで剛球派の最右翼としてその名はすでに知れわたっている、真向から大きく振りかぶってググッと入る腰とその切れから投じられる速球はユニオンズの待望していた投手である「とにかく無我夢中でやっています、いままでは一人天下の学生時代その安易さに比べたらプロ野球の世界は冷汁が出るくらい恐ろしいです」とはっきりと自覚している。十八歳という若さに似ず「練習はとても辛い、だがこの一年ミッチリ基礎を教わるべくのんびりやって行きたい。そうすることが私にとってもよいことでしょう、何しろ文字通りの一年生ですから若林さんのおっしゃる通り投げるだけです」と一人前の自覚、反省も持っている、野球に対する燃えるような情熱、素直な性質、あらゆることを何とかして学びとろうとする意欲ーそれをそのままよい方向に伸びて行くなら必ず頭角を現してくるに違いない。

若林コーチ談 アウト・コース低目に入る速球はとてもいい、それにカーブもなかなか味があるし私も楽しみにしている。第一素直な性質が特徴だ、これはどの新人投手にでもいえることだが何のクセも持たない素直な選手は私がいうことをその通り吸収して実行してくれる、それに日一日と成長が目に見えるようだ、彼の場合現在持っている速球とカーブをそのまま思い切り伸ばし、その上に球の種類を覚えさせれば必ず立派な投手となる、ペナント・レースに入って徐々に出場の機会を与え、かけ引きなどを会得すれば一年とかからずに一流投手となるだろう。
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松井武雄

2018-10-09 18:25:09 | 日記
1955年 高校時代

優勝候補高松商を破った殊勲の若狭高、その勝利の立役者は松井武雄投手だ。三回二点先行され、八回山地に本塁打された苦しい試合をつかむことができたのは崩れそうで崩れなかった松井の落着いた投球による。攻めても彼は八回自ら一死走者一人おいて1-0のカウントから外角球を右翼線に二塁打しこれがとどめの一撃となった試合後ダッグアウトで・・・「なにしろ甲子園は初めてなのでアガりました。ブルペンでは普通の調子なのにマウンドに上ると不思議に肩がこわばってしまっていつもの速球が出ません。それでも三回高松に二点取られてからかえって気が楽になり、四回一点を返した時、これならいけそうだと思うようになった。九回裏はイヤだったです。こんな大観衆にワァワァ騒がれると血が頭に上ってしまって・・・。だからぼくは先攻が嫌いなんです。一回よけいに守らされるような気がして・・・。ぼくはカーブでカウントをととのえ直球で勝負する型なので、内角のシュートが生きたことは幸いでした。八回二塁打した時は嬉しかったですね名門を破った気持はなんといってもいいものです」去年の大会では同じ北信越の飯田長姫高が強豪浪商を破って優勝をかちえた。その長姫の後をうけて出場した若狭高である。松井投手のもとには長姫高から学んだ光沢投手から三日前に選抜大会必勝虎の巻なる手紙がとどいていた。自分の経験から光沢は甲子園の心得をくわしく書いて激励したのである。まず第一球は必ずストライクを取ること、食物に注意すること、外出しないこと、よくねむること、など・・・。松井投手は「前の晩十一時間もねむって、これは光沢さんの教えどおりですが、第一球にストライクがよくきまらなかったのは申しわけない」と残念がっていた。福井県小浜市堀屋敷に住み六人兄弟の末っ子、家業は鉄鋼業。阪急村上前代表は「五尺七寸五分二十貫の体格は申し分はなく、上手から伸びるのと低目にナチュラル・スライドする速球がよく、将来有望な投手」といい、前川八郎氏も「その重い速球は高校ではA級」とほめている。
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村田勝喜

2018-10-08 17:31:03 | 日記
1989年

吉田豊とともに活躍が期待される二年目の成長株。伸びのあるストレートが持ち味で、本人も速球で勝負のできる投手を目指すと意欲を見せている。決め球に大きく落ちるフォークボールも持っている。昨年痛めた右ひじの回復も良好で、プロ初勝利もそう遠くない。
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滝沢一博

2018-10-08 16:21:14 | 日記
1955年

このチームの方針が、無名の選手を養成してスターを作るということになっているので、有名選手は皆無。これらの中からどんなスターが現れるか。滝沢一博(丸子実業)は昨夏、春の選抜大会で優勝した光沢投手を持つ飯田長姫高を県予選で敗かして、ちょっと名をあげた。体もあり、シュートがいい。
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小倉薫

2018-10-08 15:25:51 | 日記
1953年

観音高のワンマン投手、シュートが武器、26年国体で優勝し、27年入団、昨年は九回出場
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谷野彰

2018-10-08 15:23:48 | 日記
1958年

無名の選手だが、ドロップが大きく球速のある新人投手。南海入りした東の後輩だが、東以上の好投手として、早くも大きな期待を集める働きぶりが見物だ。
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佐藤公男

2018-10-08 15:21:09 | 日記
1953年

全国鉄道野球大会で仙鉄を優勝に導いた、コントロールよく、アウドロ、シュートが武器。
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北野勉

2018-10-08 10:50:18 | 日記
1957年

高校三年のとき、はじめて投手になったのだから、カーブはいいが何んとしても経験の不足が致命的である
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永射保

2018-10-08 08:35:39 | 日記
1989年

永射が博多に帰ってきた。太平洋クラブ、クラウンライターと4シーズンを福岡で過ごしただけに、再び雄姿を見せたいと張り切っている。左のサイドスローから繰り出すキレのあるボールは、左打者をきりきり舞いさせる。今年はフォークボールもマスターしただけに、中継ぎ、ワンポイントにと出番は増えそうだ。タイミングをはずした、頭脳的プレーを見せてくれるはず。オリックスへ移籍した門田との対決も楽しみだ。
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金城信夫

2018-10-08 08:31:30 | 日記
1985年

昨シーズンからアンダースローに改造、ファームで3勝をあげたが課題はさらに球威をつけること。ドラフト1位入団から4年目。ファイトを燃やしてチャンスをものにしてほしい。
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大久保学

2018-10-08 00:20:13 | 日記
1983年

57年夏の甲子園では畠山投手と投げ合った。体力、ガッツ、ともに恵まれた本格派の好素材。こんどはホークスのエースの座をはげしく争ってほしい。

1984年

昨季新人投手の中で、ただ1人だけ勝ち星を記録した。幸運にも恵まれたとはいえ、2勝1敗という成績は大したもの。仲の良い畠山にもピッチングでは負けたくないとファイトを燃やす。表面にあらわれるガッツと大きなカーブ、コースにきまる速球、そして連投に耐えられるタフネスさが身上。静岡出身の山内(和)につづいて、今年は先発投手として1本立ちしたいと夢は大きい。

1985年

入団1年目で2勝を上げ、同期生のトップを切ったが、昨年は肩の故障に泣いた。その遅れを取り戻し、藤本修、畠山に追いつこうと、今季はファイトまんまん。武器は大きなカーブとコースにきまる速球だ。

1983年

大久保(静岡高出)がパ・リーグの高校出ルーキー投手の中で初めて勝利投手になった。竹口をリリーフして三回に二番手として登板。ゲームは終盤、もつれにもつれたが、1点差で逃げ切り。「最後の最後までハラハラして、胃が痛くなった。ラッキーな1勝です」ライバル・畠山より一足先に白星がこぼれんばかりの笑顔だ。
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陳義信

2018-10-07 23:37:53 | 日記
1989年

登録名は「ヨシノブ」。親日家の両親は幼少のころから、同じ日本語読みで呼んでいたという。輪仁大卒で郭源治の後輩に当たる。社会人の名門チーム「兄弟大飯店」に在籍、台湾ナショナル・チームのエースとして君臨した。昨年5月の世界選手権では、優秀選手賞に輝く実績を持つ。過去、日本チームとの対戦では3試合、18回1/3を投げ3失点、防御率は1.47という抜群の成績を残す。柔軟な右腕から投げこむ速球とスライダーの切れ味は、十二分にプロでも通用するだろう、との見方が強い。常時、145㌔のスピードを出し、やがては150㌔台も夢ではない。俳優を思わせるハンサムなマスクだが、シンは太い。「後半戦から一軍で投げるのが目標」という言葉にも、強い自信がのぞく。日本のプロに、いかに早く馴れるか。それが差し当たっての課題だろう。
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原田賢治

2018-10-07 23:08:16 | 日記
1989年

門田とのトレードでオリックスから移籍してきた右の本格派。長崎県・対馬から初めて生まれたプロ野球選手である。原田の加入で、層の薄かった中継ぎに厚みが増し、先発組も楽になるはず。社会人時代を過ごした福岡の地で、いいところを見せたいと燃えている。決め球はフォークボール、先発に回っても十分通用する。
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高木孝治

2018-10-07 22:37:23 | 日記
1983年

昨年のプロ入り10年目で貴重な初勝利を記録した。事実、竹口、平沢、川本といった左腕のなかでは、カーブ、ナックル、チェンジアップと変化球の多種多様性では、高木の器用さに軍配があがるのかも知れない。要はその変化球をより効果的なものにするための速球の使い方だろう。
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