明日は同窓会

2006年08月14日 | 健康・病気

明日は中学のときの同窓会がある。
そのために私は茨城に行く。

同窓会やクラス会が私は好きだ。
10月には高校のときのクラス会がある。
むかし同じ時間を過ごした仲間と会って話したい。
できるものなら過去にいた会社の同僚と会ってみたいものです。
10社以上転職している私にとって、沢山過去の同僚たちがいる。
未来のない私は、過去を振り返ってばかりです。

前回の中学のときの同窓会は5年前の正月にあった。
そのときのことは2001年1月4日の九想話「初恋のひと」に書いた。 
あのとき初恋の人と書いてしまったが、ちょっと違うな。
淡い想いは抱いていたが、恋ではなかった。
小学3年のときでは恋心はなかったと思う。

私のほんとの初恋は小学6年のときのY子さんだ。
中学2年まで恋していた。
バレー部に所属していて私は用もないのに、
バレー部の練習をよく見ていました。
そのあとブラスバンドでクラリネットを吹いていたK代さん。
そして同じクラスのH枝さんとかわった。
みな片想いでした。カ ナ シ イ ナ …。

明日は誰と会えるかな?
明日、同窓会現場から報告したいと思います。

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義母の携帯電話

2006年08月13日 | 健康・病気
義母(はは)が今週16日に引っ越してくる。
そのための準備を私たちは着々と進めている。
義母が持ってくる物(箪笥、書棚など)を置けるように、
わが家の物をいろいろ処分した。
2つの所帯が一緒になるということは、重なるものが多い。
どちらの物が新しいか、などを基準にして古い物を処分している。
台所も女房より背の低い義母が使いやすいように棚などもつけた。

いろいろな連絡をとるために義母に携帯電話を持ってもらおう、
と私が提案すると、
「お母さんはいらないっていうよ」と女房はあっさりいった。
ところが、先日義母にケータイのことを話すと、
まんざらでもない顔をしていた。
後日女房が私にいった。
「びっくりしたわ、お母さんケータイ欲しかったみたい」
私の思惑が的中した。
今住んでいる都営団地の同年配の人たちは多くが持っているようだ。

今日、台所の棚を買った帰りに、ヤマダ電機に寄った。
「年寄りが使いやすい携帯電話はどれですか?」と店員に訊くと、
「FOMAらくらくホンII」というのが、
いろいろオプション契約をして1円だった。
私たちがドコモのFOMAなのでそれがいいかな、と思った。
しかし、その場では買わずに家に戻ってから、
パルコや駅前の携帯電話の店を見てみた。
ノジマ電機にも行った。
駅前の店は12,360円、ノジマ電機はオプション契約をして2,000円。
パルコは若者向けしか置いてなかった。
それで再びヤマダ電機に行って契約をした。

この値段の違いは面白い。
知らなければ高くても買ってしまうかも知れない。
明日、無理矢理つけられたオプションを全部解約しよう。
これをしないと結局高くつく。
去年私たちが買ったとき半年ほっておいたら、
結果的にバカみたいなお金を払っていたことに気づいた。
知らないということは恐ろしい。

お義母さんにプレゼントといっても、
1円で買ったものでは恥ずかしいな。

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明日から夏休み

2006年08月12日 | 健康・病気
15日に中学のときの同窓会があるので、
15、16日と休みの希望を出していたら、
13日から16日まで休みになり、予想していなかった夏休みとなった。

作業所に勤めて初めての長い連休です。
(2年前にそけいヘルニアの手術で入院したとき以外では)
正直うれしい。

今日、家に帰ったのは7時すぎだった。
女房の作った夕飯を食べ、いつしか食卓の横で寝てしまった。
10時に目が覚め、テレビで「男はつらいよ」を観た。
終わってから、連休の前という心の高ぶりのせいか、
家にいる気がせず楽家に行った。

楽家には陶芸仲間のSさん夫婦、エステティック経営のチーちゃん、
コンビニ経営のAさん夫婦がいた。
12時前にはAさん夫婦が帰った。
12時に店を閉め、楽家のママとSさん夫婦、チーちゃんと、
もんじゃ焼きに行った。
どうでもいいことを話して楽しかった。
こういう時間がいい。

このメンバーは、先日の狭山の七夕祭りに来ていた。
S夫婦の奥さんと女房は話し、気心があったようだ。
奥さんが女房のことを褒めていた。
女房も「あの奥さんはいい人だ」といっていた。

さあ、明日から4連休だ。
いつも思っていることだが、有意義な休みにしたい。
今書いている小説を書き上げようと計画している。
だけど、いつも休みの終わりには“自己嫌悪”なんだよな。

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雷様(らいさま)

2006年08月12日 | 健康・病気
今日の雷は怖かった。
昼前から雨が降り始め、午後1時頃には本降りになった。
冷蔵倉庫の片付けをしようと通所者を5人行いかせた。
稲光が走り雷鳴が轟く。
私はフォークリフトに乗って行く途中、恐怖を感じた。
雷が落ちたら死ぬ。
そんなことを想像させる雷だった。
最近、木の下で雷に打たれて亡くなった人がいた。
通所者を作業所に戻らせた。
建物の中に居れば安心だ。

私の生まれたところでは、雷を雷様と呼んでいた。
雷様が来ると、親は部屋に蚊帳を張りその中に子どもを入れた。
そして仏壇から線香立てを持ってきて、縁側で線香を焚いた。
私はその線香の煙を蚊帳の中から不思議な気持ちで眺めていた。
雷様は怖かった。
今でも恐ろしい。

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年金見込額試算2

2006年08月11日 | 健康・病気
昨日、家に帰ると、
「社会保険庁 社会保険業務センター 中央年金相談室」
というところから封筒が届いていた。
(なんだろう?)と思ったが、7月25日に九想話に書いた
「年金見込額試算」かなと考えた。
封を切って中を見ると案の定そうだった。
女房も興味津々に顔を突っ込んできた。
「年金見込額のお知らせ」という標題が書いてあった。

厚生年金保険
60歳 特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分)789,478円                                                                       合計    789,478円
------------------------------------------------------------------------------
厚生年金保険
65歳 老齢厚生年金(報酬比例部分)          789,478円
                 (経過的加算部分)          3,601円
国民年金    老齢基礎年金            770,600円
                                 合計  1,563,700円
------------------------------------------------------------------------------

このような金額が書いてあった。
この下に、<注>がいくつか書いてあるが、
よく分からない日本語で書いてあるので私にはあまり理解できない。

これでいくと、私は65歳で月に 13万円ほどしかもらえない。
なにがなんでも65歳まで働かなくてはならず、
それ以後、月に13万円で暮らしていけということだ。
私の未来ははっきり暗いものとなりました。
長い間払っていく年金の結果がこれでは、
年金を払ってない若い人に「払ったほうがいいよ」なんていえない。

これとは別に、「年金加入記録のお知らせ」というのもあった。
ここには、昭和47年3月1日からの私の加入記録が書いてある。

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阪神、“誤審”に泣く

2006年08月10日 | 健康・病気
1点リードの5回2死二、三塁の場面で安藤のフォークがワンバウンドとなったが、
振った石井のバットに当たりバックネット方向に転がったように見えた。
しかし有隅球審は「バットに当たっていない」とし、ボールの判定。
矢野が猛抗議する間に二塁走者まで生還、逆転を許した。
このとき、矢野は手で球審の胸をつき、退場処分を受けた。

ビデオを観ると、バットに当たっていると思う。
だからこれはファールだ。
後味悪い判定だった。

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うるさいパソコン

2006年08月09日 | 健康・病気
それにしても、今使っているパソコンがうるさい。
ファンの音です。
CPUを冷やすためなのだがこの音はたまらない。
こんど買うときは静かなものを買いたいと思うのだが、
それまでこの騒音に耐えなければと考えると気が遠くなる。
私はほとんど深夜にパソコンを使っているので、
よけい気になる。
今、水冷式パソコンに憧れる。

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ベーゴマ

2006年08月08日 | 健康・病気
チャンネルをNHKにすると、画面でベーゴマが回っていた。
「にっぽん夏紀行 」(20:30~20:55 NHK総合 )
「燃えろベーゴマ対決・大阪」という番組だった。

大阪市大正区の立ち飲み店で、
酒を片手にベーゴマを回している男たちの姿があった。
会社員や町工場の社長、焼鳥屋のおやじなど職業はさまざまだ。

私は子どもの頃、ベーゴマのことではちょっとうるさかったです。
買ってきたベーゴマをいつもヤスリで削っていた。
あのベーゴマを削る音が好きだったな。
買ったままでは弱そうなものでも、削ると強く見えた。
実際、きっちり芯を出して削ると回転が速くなり、
他のベーゴマをよくはじき飛ばした。

生家の庭は、ベーゴマをやる子どもらがよく集まった。
樽の上に厚手のゴムガッパをかぶせ、紐で結ぶ。
それを少したるませ、そこに水をたらす。
これを“とこ”と呼んでいた。

ベーゴマを回す紐にも私はこだわった。
友だちはたいがい駄菓子屋で買った白いのを使っていた。
私は、手拭いを裂いてそれで縄を編む要領で紐を作った。
(既製品の紐を買う金もなかったのが正直なところです)
ベーゴマにその紐を巻いたとき、しっくりとした。
当然、その紐は水でしめてある。

あ…、ベーゴマを回したくなったな。

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息子がいない

2006年08月07日 | 健康・病気
Uが土曜日に引っ越してしまって、
心に小さな穴があいてしまったようです。
1時間もかからない所に住んでいるのだから、
何を感傷的な、とぶん殴られそうですが、
これが正直な現在の私の気持ちです。

Kが家を出たときは、まだUが残っていた。
Uが朝、いつまでも寝ていると、
女房に「早く起こせ」なんていったり、
女房が夜、フラメンコの練習などでいないとき、
晩飯の用意を私がしていた(弁当を買ってくるだけですが)。
深夜の0時になっても会社から帰ってこないと、
仕事が忙しいんだな、身体は大丈夫か、なんて心配した。

ほとんど息子と口はきかなかった。
家に帰ってきてもUは自分の部屋にこもっていた。
台所などに出て来ても、
“話しかけないでオーラ”を振りまいていた。
それでも月に1、2度は“通りすがりに”会話を交わした。
それも、もう今となっては出来ないことになってしまった。

Uは酒が好きだ。
私が買ってくる第3のビールを嫌がらずに飲んでいた。
息子の給料だったら“本物”のビールだって飲めたはずだ。
たまに息子の部屋にそれがあった。
私の給料は、息子たちより少なくなってしまった。

女房も同じような気持ちになっているようだ。
あいつらが生まれてから、息子たちのことだけ考えてきた。
26年間、私と女房は息子たちの方を見つめて暮らしてきた。
これから女房だけを見つめてなんて、
とてもじゃないがたまらない、ごめんこうむる。

しかし、こんな気分も今だけかも知れない。
来週には、お義母さんが来る。
息子が去った感傷なんかに浸ってられないぞ。
“波瀾万丈”になるかも…。

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狭山七夕路上ライブ

2006年08月06日 | 健康・病気
今日も暑かったですね。

私は朝から部屋の整理をしていた。
息子が家を出て、私がその部屋に移動することになった。
それまでの私の部屋に女房が入る。
正直なところ、昨日は途方に暮れていた。
いったいこの荷物をどう納めたらいいんだ、と。
午前中、がんばってそれなりに片付きました。

午後、いざ狭山市の七夕祭りへ。
なんの気まぐれか女房も「見に行こうかな」となった。
午後1時50分ぐらいに着いた。
Sさんの事務所の中には楽家、ブロックヘッズの常連たちがいた。
沢山の料理、ビール焼酎などのアルコール類があった。

2時半、Sさんの息子さんの歌からライブは始まった。
ギターを弾きひとりでやっていたので、
途中から私がカホンで参加した。
写真はそのときのものです。

そのあと、地元のバンドがブルースをやった。
Sさんがブルースハープで参加した。

そして私もケーナを吹いた。
はずだが、よく覚えていない。
その頃には酔っぱらってしまいました。

最後は、キムさんのアルトサックスでのジャズだった。
Sさんの事務所は七夕祭りの道路から10メートルほど外れるのですが、
夕方にはすごい人だかりになっていた。

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