あいつはウソをつかなかった。
いい奴だった。
素直ないい人間だったな。
生まれたての赤ちゃんのようなうぶな感性を持っていた。
龍彦が死んで、おれの人生は終わったと、23歳のとき思った。
そのあとの人生はついで、だと…。
1年ほど、魂の抜けたように生きていた。
それほど、大切な龍彦だった。
女房の家に泊まるとき、私は団地の駐車場を借りてもらう。
24時間500円です。駐車場は、自治会が管理している。
今回は、今日の12時まで借りてもらった。
だけど、高速道路の通勤割引を使うには3時頃清瀬を出なければならない。
それで、映画を観てから軽井沢に帰ろうということにした。
この前、「アバター」を観たシネプレックス新座は、
女房の家から車で10分で行ける。
駐車場に停めて映画を楽しめる。
ここには9つのスクリーンがある。
新所沢パルコのように水曜日が1000円なんていう割引がないのがつらいが、
設備としては満足している。
60歳になると1000円で入れる。私はあと2年ちょっとでそうなる。
13時10分からのに入った。
いくつかの映画の予告編を観せられてから「おとうと」が始まった。
この「おとうと」は純文学でしたね。
面白いストーリーの展開などなかった。
ただ、“お姉ちゃん”と生きることの下手くそな“おとうと”を淡々と描いてた。
私は、寅さんを観てもそうだが、
この“おとうと”を観ていても23歳で死んだ龍彦を思う。
あいつは人のいい奴だった。そしてバカだった。
私は龍彦からいろいろ迷惑をかけられた。
ひとつのエピソードを書くと、
龍彦は、私と同じ会社で働いてプロボクサーになった。
しかし、人を殴るのが怖くなりプロデビューの1週間前にボクシングをやめた。
そのあと、会社も辞めた。そして関西に旅立った。
それから半年ぐらいで東京に帰ってきたり、また関西に行ったりした。
何回目かに東京に帰ってきたとき、私のギターを貸してくれというので貸した。
そのギターを返さないままにまた関西に旅立った。
明日、関西に行くというときに龍彦と酒を呑んだ。
そのとき、私のギターが質屋にあるから流したくなかったらここに行け、
と質札を私にくれた。
私は、自分のギターを引き取りに2万ほどもって質屋に行った。
私のギターは、昭和47年に4万円で買った手工品です。
そのとき私の給料が4万でした。
高校を出て手工ギターの工房に弟子入りしてしまった私は、
大量生産のギターの音では我慢できなくなってしまったのです。
そんなことばっかりです。
でも私は、龍彦といることが楽しかった。
彼が、22歳のとき萩に焼き物をやるんだと東京を旅立った。
それ以後のことは以前にも何度か書いたのでやめます。
でもあいつはバカだったな。
龍彦が東京で呑む酒代は、かなり私が払った。
それでも彼といるのが楽しかった。
あいつのことは憎めなかった。
あいつが死んだときは、私の人生も終わったと思いました。
そんなことを思い出させてくれた映画でした。
私は、「男はつらいよ」を観ていても、いつも龍彦を思って観ていた。
寅さんが、龍彦とダブるんです。
鶴瓶のやった“おとうと”も龍彦だな…。
「プロフェッショナル・仕事の流儀」(NHK総 22:00 ~ 22:50)
「こんな先生がいたんだ・定時制高校の熱き教師▽
暴走族の子が大学へ・子供とはこう向きあえ」を観た。
素晴らしい教師がいる。
一緒に観ていた女房がいう。
「ひさしクンには、ゼッタイ教師はできないね」
「おれもそう思うよ」