お~い龍彦

2010年02月13日 | 健康・病気
彼は、真っ正直な男だった。
あいつはウソをつかなかった。
いい奴だった。
素直ないい人間だったな。
生まれたての赤ちゃんのようなうぶな感性を持っていた。
龍彦が死んで、おれの人生は終わったと、23歳のとき思った。
そのあとの人生はついで、だと…。
1年ほど、魂の抜けたように生きていた。
それほど、大切な龍彦だった。
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おとうと

2010年02月12日 | 健康・病気

女房の家に泊まるとき、私は団地の駐車場を借りてもらう。
24時間500円です。駐車場は、自治会が管理している。
今回は、今日の12時まで借りてもらった。
だけど、高速道路の通勤割引を使うには3時頃清瀬を出なければならない。
それで、映画を観てから軽井沢に帰ろうということにした。

この前、「アバター」を観たシネプレックス新座は、
女房の家から車で10分で行ける。
駐車場に停めて映画を楽しめる。
ここには9つのスクリーンがある。
新所沢パルコのように水曜日が1000円なんていう割引がないのがつらいが、
設備としては満足している。
60歳になると1000円で入れる。私はあと2年ちょっとでそうなる。
13時10分からのに入った。
いくつかの映画の予告編を観せられてから「おとうと」が始まった。

この「おとうと」は純文学でしたね。
面白いストーリーの展開などなかった。
ただ、“お姉ちゃん”と生きることの下手くそな“おとうと”を淡々と描いてた。

私は、寅さんを観てもそうだが、
この“おとうと”を観ていても23歳で死んだ龍彦を思う。
あいつは人のいい奴だった。そしてバカだった。
私は龍彦からいろいろ迷惑をかけられた。
ひとつのエピソードを書くと、

龍彦は、私と同じ会社で働いてプロボクサーになった。
しかし、人を殴るのが怖くなりプロデビューの1週間前にボクシングをやめた。
そのあと、会社も辞めた。そして関西に旅立った。
それから半年ぐらいで東京に帰ってきたり、また関西に行ったりした。
何回目かに東京に帰ってきたとき、私のギターを貸してくれというので貸した。
そのギターを返さないままにまた関西に旅立った。
明日、関西に行くというときに龍彦と酒を呑んだ。
そのとき、私のギターが質屋にあるから流したくなかったらここに行け、
と質札を私にくれた。
私は、自分のギターを引き取りに2万ほどもって質屋に行った。
私のギターは、昭和47年に4万円で買った手工品です。
そのとき私の給料が4万でした。
高校を出て手工ギターの工房に弟子入りしてしまった私は、
大量生産のギターの音では我慢できなくなってしまったのです。

そんなことばっかりです。
でも私は、龍彦といることが楽しかった。
彼が、22歳のとき萩に焼き物をやるんだと東京を旅立った。
それ以後のことは以前にも何度か書いたのでやめます。
でもあいつはバカだったな。
龍彦が東京で呑む酒代は、かなり私が払った。
それでも彼といるのが楽しかった。
あいつのことは憎めなかった。
あいつが死んだときは、私の人生も終わったと思いました。
そんなことを思い出させてくれた映画でした。
私は、「男はつらいよ」を観ていても、いつも龍彦を思って観ていた。
寅さんが、龍彦とダブるんです。
鶴瓶のやった“おとうと”も龍彦だな…。
 

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あ…新所沢

2010年02月11日 | 健康・病気
昨日、清瀬の女房の家に着いたのが午後7時半頃だった。
軽井沢の家を出るのが遅かった。

昨日、まず私の眼鏡を買いに佐久に行った。
今かけている眼鏡は、買って5年ほどたっている。
プラスティックのレンズなのでキズがかなりひどかった。
佐久の眼鏡屋に行き、買った。

そのあと、佐久の道の駅に五郎兵衛米を買いに行った。
秋に、女房の母親に買ってあげたらおいしいというので、
女房は買っていくことにした。
そこから小諸の「あぐりの湯」に行った。
帰って家で寝たら、出発が5時前になってしまった。

軽井沢は霧がすごかった。
碓井軽井沢インターチェンジまで行くのが大変です。
7、8メートル先が見えなかった。
こんなのは初めてでした。

いつもだったら東松山で降りるのだが、
昨日は、所沢インターチェンジまで行った。
新所沢の肴やに早く行かなければ、肥さんが帰ってしまう。
東松山までは、ETCの割引で1300円です。
所沢で降りたら、2100円だった。
なんの割引もなかったら3300円です。
高速道路が無料になるのはいつなんだろう?

結局肴やに着いたのが、8時過ぎだった。
行くと、肥さんがいなかった。
マスターの熊さんが「もう、帰ったよ」という。
シンちゃん夫婦がいた。
陶芸に行っているのかと思っていたら、
こんどの日曜日に釉薬を塗り、本焼きをするので
「今日は、作陶はなくなった」といっていた。
ちょっぴり羨ましかった。
私は最近、職場で陶芸の電気窯の設定をして
スイッチは入れているが、作品は捻っていない。
そろそろ陶芸をやってみたいな、と思っている。

久しぶりにシンちゃん夫婦と話した。
いろいろ楽しい話をしているうちに、
浜さんが来た。
こうして「肴や」に来ると“友人”に会う。
これがいい。幸せだ。
カラオケ「としくん」に、
おっととNパパがいるという。
それから私たちは行きました。
上りの電車がある10時35分まで私はいた。
3曲ぐらいうたったのだろうか?

昨日も肴やに行って楽しかった。
1月に行ったときも、昔のバンド仲間がいて盛り上がった。
私にとっての新所沢は、なんといったらいいのだろう。
まだ住んでいるような不思議な街なんです。

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女房は軽井沢が大好き

2010年02月10日 | 健康・病気
女房は、日曜日に軽井沢に来た。
私は、日曜、月曜、火曜日と仕事だった。
そんなわけで彼女は、3日間1人で社宅にいた。
女房にとって軽井沢は最高で、1人でいても楽しいという。
当たり前だが、軽井沢にいるということは、
女房は仕事が休みです。
その開放感もあるらしい。
社宅にいて、私の布団を干したり、洗濯したり、
ツルヤまで湯川ふるさと公園を散歩して買い物に行ったり、
ということが楽しいらしい。

東京に家がなくても、軽井沢に別荘は欲しいとあの人はいう。
軽井沢の中でも中軽井沢がいいらしい。
現在、社宅にいるが、それじゃなかったら住めない中軽井沢。
私はあと何年、軽井沢にいられるのだろう?

思えば12年前、私は、山梨に単身赴任をしていた。
甲府市のとなり町のアパートに暮らしていた。
そのときに女房は一度も遊びに来たことがなかった。
寂しかった。
それが今はなんだ。
月に一度は軽井沢にやってくる。
どう考えても、私に会いに来るというより、
軽井沢に惚れ込んでいるとしか、考えられない。

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寄り添う

2010年02月09日 | 健康・病気

プロフェッショナル・仕事の流儀」(NHK総 22:00 ~ 22:50)
「こんな先生がいたんだ・定時制高校の熱き教師▽
暴走族の子が大学へ・子供とはこう向きあえ」を観た。

素晴らしい教師がいる。
一緒に観ていた女房がいう。
「ひさしクンには、ゼッタイ教師はできないね」
「おれもそう思うよ」

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暖かい

2010年02月09日 | 健康・病気
今日の軽井沢は暖かい。
8時50分の気象情報で最低気温3.9度、最高気温14度とあった。
昼間は職場のある佐久にいますが、ここも暖かかった。
地面に張り付いていた雪が溶けていた。

今、女房といますが、ストーブは消している。
炬燵は電気を入れているが、足を入れていない。
この暖かさはには戸惑います。

でも明日は、今日より8度低いという。
それでも平年よりは暖かい。
このまま春になるとは思わないが、
今年の春は早くきそう…かな?

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立松和平

2010年02月09日 | 健康・病気
「わっぺいさん」惜しむ知床の仲間 立松和平さん死去(朝日新聞) - goo ニュース

むかし、「遠雷」を読みました。
好きでした。
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息子たちのビデオ

2010年02月08日 | 健康・病気
先週から、息子たちの子どものときに撮ったビデオを
パソコンに取り込む作業をしている。
昨年末にパソコンショップで、
画像のキャプチャーエンコード等ができるソフトを買っていた。
なかなか時間に余裕がなくてこれまでできなかった。

そんなことで先週、久しぶりに、
息子たちの子どものときの姿に対面した。
小学3年生の息子たちだった。
私は思わず涙があふれた。
“そうだ、こんなときがあったんだな”
女房はみにくく太っていた。
私は、今とそれほど変わらないアホに写っていた。

昨日、軽井沢に来た女房と89・90年の我が家のビデオを観た。
女房も懐かしがっていた。
今夜は、87年のを観た。
息子たちが幼稚園を卒業して、小学校に入学したときです。
息子たちが可愛い。
こいつらがいたから私は今日まで生きてこられた。
感謝の気持ちでいっぱいです。

女房が、「1日だけ息子たちが子どもに戻ってくれたらどうする?」という。
そうなったら私はどうしよう?
考えただけでも、涙が出てしまいそうだ。

パソコンに取り込んだ動画を、ブログに載せようとしたら、できなかった。
拡張子が3GP、3GP2 のファイルしかアップロードできなかった。
これに変換するソフトを窓の杜で探したが見つからない。
いつの日か、九想話に動画をUPしたいと思う私です。

ついでに書いておきます。
昨日、2月7日は、私たちが東京の豊島区役所に入籍届を出した日でした。
結婚式を挙げていない私たちにとって大切な日ですが、
なんのお祝いもしなかったな。
ま、息子たちの子どもの頃の姿を、
夫婦2人で一緒に観たということはよかった。
いい入籍記念日だったかも知れない。


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怒鳴られる

2010年02月07日 | 健康・病気
今、気持ちよくパソコンの前で寝ていたら、
女房に怒鳴られた。
「九想話、どうすんの!!!、早く寝な…」
「ハイ………」

実は、本日…、女房が軽井沢に来ています。
「ひとり暮らしの軽井沢が厭なんです」とか書きましたが、
「1人で暮らす軽井沢が“平和”かな~」
なんて思う今の私です。

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また雪かき

2010年02月06日 | 健康・病気
今朝は、6時半に目が覚めた。
どうしてもラジオ体操の始まる頃に起きてしまう。
外を見ると雪景色だった。
起きてラジオに合わせて体操しようと思ったが、
そんなことより雪かきをしなければと気づく。
急いで着替えてハンドラッセルを持って外に出た。
玄関外に置いてある温度計が-8度だった。
あたりはまだ薄暗い。

誰も来なかった。
1人で黙々と雪かきをした。
体が火照ってくる。
1時間ほどで道路、駐車場の雪かきは終わった。
それから車の雪を降ろした。
食事の準備をして食べた。
冷凍してあるごはんをレンジで温め、
インスタント味噌汁を作り、生卵で食べた。
9時前、車を運転して職場に向かった。

雪は降っている。
道路には雪がある。
へたにアクセルを強く踏んだり、
急ブレーキなどかけるとタイヤが滑る。
道路の雪に逆らわず素直にゆっくり車をあやつる。
佐久市に行くほど雪の降りがすごくなった。
職場に着くと、Kさんが雪かきをしていた。
私も着替えて、また雪かきをした。
1日中雪は降っていた。
今日が、寒波の底だとテレビの天気予報でいっていた。
ほんとだろうか?
現在深夜の0時13分、依然雪は降っている。

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