阪神最下位脱出

2011年05月24日 | 健康・病気

今夜はラジオで阪神西武戦を聴いていた。
ここんところ阪神は連敗しているのでなんか勝つ気がしなかった。
また最下位になっていた。
パソコンでTBSラジオにセットして聴き始めたら、さっそくライオンズに2点入れられた。
絶望的になる。
しかし、新井のソロホームランがきっかけとなって阪神が勝った。
ただ、相手が西武というところが微妙です。
私がパリーグで応援しているのが西武ですから…。
ライオンズを観ていると(今日はラジオで観えないが)所沢を思い出してしまうんです。
私の住んでいた6階の公団の家から、西武ドームが見えていたのです。

西武阪神戦は、毎年西武ドームで観ていた。
私が阪神戦を観ることのできるのは西武ドームだけでした。
私が51歳のとき、甲子園まで観に行ったのに、広島の黒田に負けてしまった。
現在、ドジャースの黒田を私は応援してます。

それはそれとして、今日阪神が勝ったことは喜ぼう。
とりあえず最下位脱出はした。

 

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ジーンズ

2011年05月23日 | 健康・病気

ジーンズの「ボブソン」はいかに再生すべきか?/金森 努(INSIGHT NOW!) - goo ニュース

> ジーンズメーカーのボブソンが5月2日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、6日に手続きが始まった。

ジーンズが売れないらしい。
「従来のジーンズがチノパンなどに押されている」ということもあるし、
1000円を切る商品が乱立していて、従来のジーンズメーカーのものが売れないらしい。

私は、20代のときからジーンズをはいてきた。
その頃は、すその広がったベルボトムだった。
いや、そのときはジーパンといっていた。
私は、スラックスというものをはく習慣がなかった。
職場で作業ズボンをはくとき以外はジーパンだった。
通勤も、家にいるときもです。
20代のときにジーパンを買うのは、御徒町のアメ横だった。
20歳のときは本郷三丁目の会社にいたので、御徒町まで歩いて20分で行けた。
そこをやめて大学生協にいたときもジーパンはアメ横だった。
そのうち東大の本郷キャンパスに勤めるようになり、アメ横がまた近くなった。
アメ横は好きでしたね。

結婚してからもずーっとジーパンをはいていた。
所沢には、ジーパンのアウトレットの店があった。
少し傷物のジーパンが3000円ぐらいで売っていた。
ここ10何年かはユニクロのジーパンを愛用している。

私は、ジーパンが好きだが、7・8000円という価格のジーンズは買ってはいたことはない。
いつも3000円前後のものです。
なにしろ貧しいので高価なジーンズが買えないのです。
現在、仕事に行くときはスラックスだが、プライベートでは絶対ジーパンです。

しかし、中年太りの私には似合わなくなってしまったジーパン。
もう一度痩せて、かっこよくジーンズをはきたいな。

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動けない

2011年05月22日 | 健康・病気

今日、身体が動かない。
腰が痛い。膝がしびれている。肩が上がらない。
頭もボーッとしている。
一日中寝ているような眠っているような…。
食欲もない。
夕方、パジャマからワイシャツに着替えネクタイを締めなんとか出勤。

11時に帰ってニセビールを呑んだら、眠ってしまった。
今、5月23日の2時20分。
明日も仕事があります。
あと2日行けば休みになる。
9日間連続勤務です。
明日もがんばろう!

 

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児玉清さんの葬儀

2011年05月22日 | 健康・病気

児玉清さん葬儀・告別式に660人参列(サンケイスポーツ) - goo ニュース

葬儀に行きたかったな。

それにしてもどうして児玉清さんのことはクイズ番組や俳優のことしか紹介されないんだろう。
私は、この人の仕事の中での一番は、小説を解説してきたことだと思う。
本のことを話している児玉さんは、ほんとうに素晴らしかった。
私は、どんな書評家よりも児玉さんの書評がよかった。
もう、「ラジオビタミン」で児玉さんの本の話が聴けないことがさびしい。

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コンサート終了

2011年05月21日 | 健康・病気

私の職場の創立30周年記念コンサートが無事終わりました。
あ…、この開放感。サイコーです。
正直なところ水曜日(5/18)にはこのイベントはどうなるのかな?と思った。

はじめは、きちんとしたホールでやろうと予定をしていた。
たとえば、軽井沢の大賀ホールなどです。
しかし、施設の創立30周年ということを考えると施設でやるしかないだろう、ということになった。

都響のフルオーケストラメンバーと100人の合唱団がステージにのる。
ステージ造りが困難をきわめた。
合唱団がのるひな壇を何回も造り替えた。
客席は1000席分用意した。当然ですがパイプイスです。
ステージの後ろには、音響を良くするために音響反射板を設置した。
ここのところの夏のような気候。体育館内の温度も心配だった。
もう連日の肉体労働に職員の身体は疲労困憊でした。
私はこの冬、腰痛を再発していてちゃんと働けるのかと憂鬱だった。
しかし、鈍痛はあるが、腰はなんとか動いた。
今日は、ステージが終了してから2時間ほど重い物を運び続けた。
ほんとのところ今日眠って明日起きたとき、起きられるかどうか自信ありません。
明日は午後6時からの勤務なのでどうにか出勤はできると思う。

逃げ出したくなるようなイベントだったが、なんとかやりとげました。
観客は950人も入り、体育館は満員状態でした。
この観客数は佐久市では記録的だと思う。
佐久には、コスモホールという所があるが定員は800人です。
私は本番の演奏は聴けなかった。
でも、ゲネプロのとき「新世界より」を聴いていて胸が熱くなり涙がこぼれた。
昔のことも思い出してそういう気持ちになったが、
このコンサートの準備からのことを思い瞳の奥が熱くなってしまった。
今の施設の仕事をしてきてよかったな、としみじみ思いました。

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誕生日

2011年05月20日 | 健康・病気

当たり前だが、もうすぐ自分の誕生日が終わる。
よう~く考えれば、誕生日だからといってな~んにもないんですよね。
今夜、私は9時過ぎまで仕事をしました。
家に帰ったのが10時、なんとかシャワーは浴びたがあとは何もする気がない。
冷蔵庫にあった厚揚げを焼いてニセビールを呑んだ。

今日、児玉清のお通夜があったとテレビでいっていた。
私は、この人の死にはかなりまいっています。
この人の小説の話を聴くことが好きだった。
児玉さんは、ほんとうに楽しそうに嬉しそうに小説の話をしてくれた。
いつかこの人が読んで褒めてくれるような小説を書きたいと思っていた。
その人が死んじゃった。
なんか「おれも生きていてもしょうがないんじゃないかな」と思う。
私は、児玉清の小説を愛する気持ちが大好きでした。
明日、告別式があるという。
私はできるものなら行きたい。

これを書いているときに、今、誕生日が終わった。
これから先は、21日に書いていることになります。
でも、九想話としては今日寝るまで5月20日です。
申し訳ありませんが、ご了承下さい。

今日、朝6時18分にaikyoさんからケータイにお祝いのメールが来た。
こんなことは初めてです。
そして奥様から九想話へのコメントとしてお祝いの言葉がありました。
ご夫婦から誕生日のお祝いがあったということが嬉しいです。
これまで生きてきて初めてです。
ありがとうございました。

夕方、バッグに入れていた携帯電話を見たら、茨城の幼なじみから着信記録があった。
今週は、朝から夜まで肉体労働なのでネクタイをはずしてTシャツに着替えていた。
なので私はケータイをバッグにいれていたので着信に気がつかなかった。
たァーちゃんからの電話が嬉しい。
また茨城に行ったら呑みたい。

今夜はそこそこに寝て、明日6時半に起きたいと思います。
ここんところ毎朝、ラジオ体操をしています。
五十肩の私としましては、ラジオ体操は続けていきたいと思っています。

 

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新世界より

2011年05月19日 | 健康・病気

私が高校生のとき、1週間に1・2日は吹奏楽部でチューバを吹くSの家に泊まった。
彼の兄は私たちの2年先輩で、彼の家にはステレオがあり、沢山レコードがあった。
私たちの高校の吹奏楽部はこのSの兄さんが作った。
私たちがよく泊まった頃、先輩は家を出て水戸で暮らしていた。
だから私たちは、Sの家に行くといろんなレコードを聴いた。
ラテン・ジャズ・タンゴ・ビートルズなどのロック、そしてクラシックです。

ラテンは沢山聴いた。吹奏楽部でよく吹いたせいもある。
いやスウィングバンドのジャズもアルフレレッド・ハウゼのコンチネンタル・タンゴも聴いた。
でもときどきクラシックも忘れず聴いた。
ムソログスキーの「展覧会の絵」「禿山の一夜」、ラベルの「ボレロ」、
シューベルトの交響曲「未完成」・弦楽四重奏曲「死と乙女」
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」・5番「運命」・6番「田園」・「第九」、
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」・ピアノ協奏曲第1番・バレエ音楽、
この他、ハイドン・バッハ・テレマン・モーツァルト・ショパンといろいろ聴いた。

そして、ドヴォルザーク作曲の「交響曲第9番ホ短調作品95『新世界より』」も聴いた。
それまで第2楽章にある旋律を「家路」という曲として歌ったことはあったが、
それを交響曲の一部として聴いたことには感動した。
そして私はやっぱり第4楽章のあの旋律です。
あの勇壮なメロディが好きでしたね。
20代の頃、東京で何度か生の演奏を聴いたことがある。

5月21日(土)、佐久創造館でスプリングコンサートがあります。
東京都交響楽団がこの曲を演奏する。
私は、仕事ですから聴けませんが、音は漏れてくるでしょう。
それを私は、懐かしく聴くでしょう。

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免許書き替え

2011年05月18日 | 健康・病気

今日は、車の免許証の書き替えのための講習を聞いてきた。
軽井沢で免許証を更新するためにはまず警察署に行って手続きして、
講習の日を決めて、その日に講習を聞きに行って免許証をもらうことになる。
私が講習の日を今日に決めたのは、今日が私の休日だからです。
車の免許の書き替えのためにわざわざ休みたくはない。
私がいわれた講習の日は6月7日だった。
4月22日に手続きをして6月というのはずいぶんだと思った。
なんでこんなに時間がかかるのだろう?
所沢では、警察署に行ったその日に2時間もしないで新しい免許証がもらえた。
軽井沢でのこの方法が理解できない。
免許書き替えのために2日も仕事を休まなくてはならない。

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児玉清さんの死

2011年05月17日 | 健康・病気

「アタック25」児玉清さん、胃がんで死去(読売新聞) - goo ニュース

ちょっとこの人の死は困った。
私は、この人の本の話が大好きなんです。
この人の勧める本だったらなんとしても読みたいと思わせてくれた。
この2・3年では、NHKの「ラジオビタミン」で月一回金曜日に本の話をしてくれる児玉清さんがよかった。
児玉さんの読む小説の幅が広いんです。
このぐらいの人なら年2回ぐらい人間ドッグを受けてないのかな。
胃ガンが見つかったって、そんな、もっと早く見つけられなかったのかな。
この人の死は、私にとってものすごい損失です。

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人間ドッグ

2011年05月17日 | 健康・病気

昨夜、午後11時10分に家に着いた私は、
9時に職場で夕食をすませていたのだが、空腹だった。
今日、胃カメラを呑むので9時以降の飲食は禁止です。
酒も呑めないので短めの九想話を書いて12時過ぎに寝た。
ところが今朝、4時36分に目覚めてしまった。
哀しいことに初老の私は、5時間も続けて眠れないのです。
枕元のステレオのラジオを痛い五十肩を使ってつけた。

人間ドッグの受付は7時55分から8時15分までだった。
私の家から浅間総合病院まで30分あれば着く。
7時40分に家を出た。
なんて細かく書いていくと時間がかかってしまう。
明日は、私の車の免許証の書き替えのための講習を聞きに行かなければならない。
そのために途中を端折ります。
所沢では、警察に行くと写真を撮り、講習を聞いてほぼ2時間弱で免許証がもらえた。
軽井沢では、先日4月22日に警察に行ってきた。
そして明日、講習を受けて、6月7日に免許証が出来てくる。
だいたい1ヶ月半、免許書き替えに時間を要する。
人口の少ない田舎だからしかたのないことなのかな。
なんてことを書いているとまた時間がかかってしまう。

浅間総合病院の人間ドッグは、一般の外来患者の診察の間に入ってやる。
なので治療の患者が呼ばれたり、健康診断の人が呼ばれたりする。
私が以前いた車のウィンドウガラス加工の会社にいたときの人間ドッグは、
錦糸町の人間ドッグ専門の病院に行った。
なのでその病院には病気の治療を受ける人は誰もいない。
みんな人間ドッグを受ける人だけだった。
それでも一度に50人ほど受診する。
でもみな同じことをするので時間が早かった。
今日、人間ドッグを受けた人は10人ほどだった。

浅間総合病院では、なにしろ待たされる。
たとえば耳の聴力を調べるのに、耳の治療を受ける患者の間にまじって調べられるので、
30分は待たされた。
もう、果てしない時間の浪費です。
人間ドッグ専門のところでは待つ所に週刊誌などがおいてある。
しかし、どんどん進むので読んでいる時間もない。
ところが浅間総合病院ではそんなものはない。待つ時間だけは膨大にある。
これが田舎なんだな、と思う。
私のいた茨城でもそうだ。
都会ではこういうことがかなり合理的だ。
いや、山梨に単身赴任していた1997年は、人間ドッグ専門のところだった。
あそこはよかった。石和温泉街の中にあった。

問診の医師がへんな医者だった。
話声が小さく聞こえなかった。
私が何度も聞こえません大きな声でお願いしますといっても、小さな声で話した。
自分の仕事に使命感もなく飽き飽きしている感じだった。
あんな人より、今日昼飯を食べたラーメン屋の若者のほうが、
よほど明るく活き活きしていて仕事に誇りを持っていたことか!!

それが終わってから私は、胃カメラのところに連れて行かれた。
胃カメラはオプションなのでそういう順序みたいだった。
さっきの医者でその日ものすごく厭世的に落ち込んだ私は、
本日、もっとも受けたくなかった内視鏡の診察室に連行されサイコーに憂鬱だった。
肩に痛い注射をされた。
堅いベッドに寝かされた私の喉に白衣の群れは麻酔の液体を注入した。
看護師も胃カメラの技師も女性だった。
それだったら麻酔液なんかじゃなくて〝Love注入〟して欲しかった。
ところがこの胃カメラの医師なのか技師なのか、が良かった。
歳は、30歳をちょっと越えたところという感じだった。
肉感的で女性としての魅力はもうしぶんない。
マスクをしているので顔は分からないが〝可愛い〟感じだった。
話し方が、ヤンキーの風情。
これがいいんですよ。
ハイ、私はなんでもあなたのおっしゃる通りにします。
という気持ちにさせられた。

やはり、胃カメラが喉を通過するときはいやですね。
それからずーっと喉が締め付けられて苦しい。
診察代が高いとしても鼻からの内視鏡を希望したい私です。
鼻から入れるやつは喉の苦しさがないと聞く。
「浅間総合病院には鼻からのはないのか~!!!」
10分ほど胃カメラは私の胃に入っていたのだろうか?
長かった。
早く胃カメラを抜いて欲しかったが、ヤンキー胃カメラ技師は、
丁寧に私の胃のすべての画像をハードディスクの中に納めてくれた。

私が40歳のとき、胆石の手術をする前私の身体の中を調べるために胃カメラを呑んだ。
レントゲン台の上で呑んだ。
胃カメラで胃・胆嚢のあたりを撮影しながら、レントゲンでも身体を撮影した。
30分ほど胃カメラを呑んでいた。
腹腔鏡での手術だったので、医師は私の身体のことを知っていなければミスを犯してしまう。
私は気を失ってしまった。
あのときほど辛いと思ったことはない。

私は、去年もそうですが、「逆流性食道炎ですね」と、
パソコンのディスプレーを観ながら技師にいわれた。
別に治療はしなくていいらしい。
「胸焼けがひどかったら治療すればいいでしょう」とヤンキーぽくいう。
ああ、この女性と別な場所で話したいなと思った。

とにかく人間ドッグは終わった。
尿酸値も基準値以内だったようです。
2・3週間ほどで結果は郵送されてくる。
それから私は、〝鬼〟保健師とのメタボ撲滅の壮絶な闘いが始まる。

軽井沢に帰って、トンボの湯に行った。
雨だったので諦めていたが、3時頃晴れた。
午後の日光が気分良かった。
私は、腰・肩のためなるべく温泉に入りたいと思う。
そして、4時過ぎ職場に出勤した。

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