高齢者の事故、課題多く…歩道突入で5人死傷(産経新聞) - goo ニュース
私は昨年、ツルヤの駐車場でバックしてきた車にぶつけられた。
82歳のおじいちゃんだった。
そのときのことは「事故のこと」という7/29の九想話に書いた。
80歳になったら運転をやめていただいたほうがいいのではないか。
とうぜん、それ以前にやめてもいいと思う。
もし気力体力が車の運転を出来る能力だったとしても、やめたほうがいいでしょう。
それはそれとして、菅総理はいつやめるのだ?
高齢者の事故、課題多く…歩道突入で5人死傷(産経新聞) - goo ニュース
私は昨年、ツルヤの駐車場でバックしてきた車にぶつけられた。
82歳のおじいちゃんだった。
そのときのことは「事故のこと」という7/29の九想話に書いた。
80歳になったら運転をやめていただいたほうがいいのではないか。
とうぜん、それ以前にやめてもいいと思う。
もし気力体力が車の運転を出来る能力だったとしても、やめたほうがいいでしょう。
それはそれとして、菅総理はいつやめるのだ?
私は、冷やし中華が大好きです。
おそらくあなたも好きでしょう。嫌いでしたらごめんなさい。
先週、女房が軽井沢に来たときにリクエストした。
買ったのはツルヤ製の冷やし中華でそれは3食分あるんですね。
その残りが1食あるので賞味期限の17日までに食べようと思っていた。
今日は、私のほぼ定休日の水曜日です。
朝からカッコウが近くの林で鳴いている。
どうも托卵のことを知ってしまってからカッコウが好きになれない。
女房も休みだった。
2・3日前まで「火曜日の夜に行くよ」なんていっていた。
でも、直前で軽井沢行きを中止した。
「行ってすぐ帰ってくるのは疲れるからやめる」だった。
そりゃそうだ。疲れることはやめたほうがいい。
朝9時過ぎ電話がきた。
「ブログ読んだよ。今度から起きてるね」
「いいよ、いいよ、寝ていなよ」
トンボの湯に行った。
入ったときは男湯に8人いた。
内風呂も露天風呂も1人か2人しか入っていない。
身体を洗う人、サウナに入っている人と分散するとこうなります。
このぐらいがいいですね。
私がトンボの湯で好きな入り方は、深さ8センチぐらいの所に寝っころがることです。
人が多いときはこのときに腰にタオルを載っけている。
でも、今日は1人なのでそんな野暮なことはしません。
曇り空だったのが残念でしたが、木々に包まれ空を眺めていることは解放されます。
帰りにツルヤによった。
冷やし中華に入れるキュウリがない。
夜に食べるカツオの刺身と鯵フライも買った。
そうなんです。(何がそうなんですだ)
冷やし中華は昼飯と考えていたのです。
ところが午後寝てしまって、食べられなかった。
それで、昼飯と夕食が合体です。
私は、夕方ものすごく落ち込んでいました。
もう、生きていることが情けなくてしょうがなかった。
こんなことは九想話には書きません。
こんな私だって、九想話に書かないことはいっぱいあります。
九想話が私のすべてだったら、奥行きの小さい人間になってしまう。
と書きながらも、何人かの友人にケータイでメールを書いている。
弱い男です。
ケータイ版九想話です。
さあ、明日から気持ちを新たにがんばって生きよう。
別居していればどうしても夫婦の会話は少ない。
会話は、互いの目と目を見て、同じ空気を吸って話さなければ難しい。
NTTドコモは、家族とは無料で会話できるので助かっている。
しかし、タダだからといってそう話せるものではない。
離れていては、会話も重い。
話そうと思っていたことがらも、話始めるとブレーキがかかる。
うまく前に進まない。億劫になってくる。
ずーっと会わなかったら、そのうち会話はなくなるでしょうね。
うちは、2・3週間に1度は会っているから、
そのときかなりの会話をして別居中の少ない会話を取り戻している。
これまで私は職場から家に戻ったときに電話をかけていた。
この頃女房は、寝ていて出ないことが多い。
11時過ぎなのでしかたないと思う。
女房は残業もあり、通勤時間も長い。翌日早朝に起きなくてはいけない。
可哀想なので最近はメールで「家に着いた」とだけ書いている。
彼女は、私の交通事故を心配しているので、無事家に帰ったことだけは連絡している。
(夜の11時頃の中山道は、トラックばかりが走っていて怖い)
こんなふうなので1日ほとんど話さないことが続く。
こんな暮らしを長く続けていることはよくないと思う。
やはり夫婦は同じ屋根の下で生活しなければ、と考える。
私たち夫婦が一緒に暮らせるのはあと何年先になるのだろう?
一緒に暮らせば暮らしたで、ケンカしてしまうんですがね。
“虎バブル”いつはじける?最下位争いじゃ…「経済効果」意味なし(夕刊フジ) - goo ニュース
何やってんのかね今年の阪神は。
優勝争いをするのかと思って春から期待していたのに、最下位争いをしている。
こんなことでは困る。
もうすぐセ・パ交流戦も終わる。
真弓、なんとかしてくれ!!
私が30代はじめの頃、径書房に1週間に1度ほど遊びに行っていた。
そのとき径書房は水道橋にあった。
私は板橋の電機機器製造会社にいた。
有楽町線の小竹向原駅から池袋駅に出て、丸の内線に乗り換え後楽園駅まで行った。
そして東京ドームの建設工事中の脇を通って水道橋まで歩いて行った。
今、ネットで調べたら東京ドームは1988年3月にオープンしている。
ということはその前の年ぐらいということか…。
24・5年前の話ですね。
私が径書房に行くようになったのはどうしてだろう?
よく憶えていない。
その頃住んでいた埼玉県富士見市(鶴瀬)の団地で、
女房が付き合っていた奥さんが径書房の本をよく読んでいて、
何かのきっかけで代表の原田奈翁雄さんに私を紹介してもらった。
その頃私は一番小説を書いていたときでした。
私は、会社から帰ると息子たちと寝た。
前にも書きましたが、8時頃息子たちに絵本を読んだり、いろんなことを話して寝た。
9時から11時頃まで寝てから女房に起こしてもらって、
それから深夜の3・4時ぐらいまで小説を書いていた。
あの頃、年に1作は原稿を文学雑誌の新人賞に投稿していた。
最初は、書いた小説を原田さんに持っていって読んでもらった。
でもたいがいは、仕事の終わった原田さんや径書房に遊びに来ている人たちと、
1人千円出し合って、近くの酒屋で酒や乾き物を買ってきて呑んだ。
買ってきた酒がなくなると水道橋の呑み屋にみんなして繰り出した。
径書房代表の原田奈翁雄という人を私はあまりよく知らなかった。
私としては、零細出版社の呑んべのヨッパライ社長としてつきあっていた。
誰も帰ってしまって、原田さんと2人だけでよく酔っぱらって語り合った。
残念ながら今となっては何を話したか憶えていない。
だんだんいろいろ分かってきて、出版界ではすごい人だということを知って驚いた。
筑摩書房の雑誌「展望」の編集長をしていたんですね。
筑摩書房が倒産し、退社して径書房をつくった。
径書房でもいい本を沢山出していた。
夏に径書房でキャンプをやり私も参加した。
たしか長野県だったと思うがくわしいことは忘れました。
キャンプファイヤーで歌い、たくさん呑みました。
忘年会にも出ました。
文学的なことはダメでしたが、騒ぐときはいつも中心にいました。
あの頃の私は、ほとんど径書房の原田さんとのことしか思い出にない。
どれくらいたってからだろう?
原田さんが径書房の代表を辞められた。
たしかそのときは娘さんが次の代表になった。
そのとき勤めていた社員が全員退職したように聞いている。
私のその頃の心の中を明かせば、あわよくば径書房の社員になりたいと考えていた。
電機機器製造会社にいるより、小さくてもいいから出版社に勤めたかった。
本を作りたかった。
それを言い出せぬうちに原田さんが代表を辞めてしまった。
それから私は、径書房に行かなくなった。
そのとき勤めていた会社はその後傾いて転職した。
その会社は現在はありません。
それから息子たちは小学校に入り、なにしろ双子だから一度に金がかかり、
私と女房は必死になって働き子育てをした。
小説なんてものから少しづつ離れてしまいました。
今日、私の施設で火・土曜日の夜に練習している吹奏楽団のサマーコンサートが軽井沢の大賀ホールであった。
私は、前からこの吹奏楽団のコンサートには行きたいと思っていた。
でも、コンサートは日曜日の午後2時からです。
私は、まず土日が休日ということはない。
それでこれまで行きたくても行けなかった。
ところが先週、朝8時から夜の10時まで仕事という日があった。
それとの調整ということで今日は夜だけの勤務となった。
それで今日のサマーコンサートには行けることになったのです。
客席はガラガラだった。
ざっと数えてみて200人弱というところだった。
大賀ホールは800人ほどはいることになっている。
もったいないなと思った。
今回、東京都交響楽団の元ティンパニー奏者が客演だった。
1曲目の「オーバチュア 5リングス」(作曲三枝成章)は、
後半ティンパニが活躍する曲で聴いていて鳥肌が立ってきた。
すごい演奏だった。
その人がドラムセットをたたく曲もあったがすばらしかった。
市民吹奏楽団としてはそこそこの水準かな、と思う。
仕事をしながら楽器を吹いていくということは大変です。
私が30歳の頃埼玉のある市民吹奏楽団に入っていたが、1週間に1度しか吹けないというのは辛かった。
1部の最後に「イギリス民謡組曲」(作曲R.V.ウイリアムス)という曲を演奏したが、
これは、私が高校生のときやった曲で私が大好きな曲だった。
トロンボーンで吹くメロディがあるんだが、そこのところを聴いていて涙・なみだ・ナミダだった。
私が高校生のときがよみがえってきた。
これにはまいった。
1ヶ月ほど前だったか、館内を巡回していたときにこの旋律が流れてきたときも
涙がこみ上げてきてしょうがなかったことがあった。
一瞬、もう一度吹奏楽をやりたいなと思った。
今日、久しぶりに大賀ホールに行って驚いた。
池の中央にあった大きな橋がなくなっていた。
なけりゃなくてもいいけど、ちょっとさびしい。
この唄、好きなんですね。
吉幾三の曲の中で一番だと思う。
7月2日(土)に、パンカーラでワイワイガヤガヤコンサートがあります。
私は、この曲をケーナで吹こうと考えています。
なんだか私は、フォルクローレの世界からどんどん遠ざかって行きます。
ホントは尺八で吹きたいところですが、ここ何年も吹いていません。
伴奏をElite1768さんに依頼しました。
Elite1768さんは、アールクルーとしてコンサートに参加している人です。
これからどのように吹くかアレンジしようと思っています。
アレンジなんていっても楽譜には書きません。書けません。
もう1ヶ月もないなァ。
どうなるのでしょう。
津軽平野 吉幾三
第3のビール、4割に…ビールの比率は過去最低(読売新聞) - goo ニュース
> ビール大手5社が10日発表した5月のビール類の総出荷量で、
> 全体に占める「第3のビール」の割合が40・9%と、
> 2003年の登場以降で初めて4割を超えた。
こんなことはどうしょうもない自然の流れですよね。
私なんて発泡酒が出てからビールを買っていない。いや、買えないのです。
発泡酒の税率が引き上げられ第3のビールが登場してからはこれになった。
そして私は現在、第4のビールです。
「その他の醸造酒(発泡性)①」が第3のビール、
「リキュール(発泡性)①」が第4のビールってとこですかね。
それでも、去年ぐらいまではメーカー品を呑んでいた。
たとえばサッポロの「麦とホップ」、サントリーの「金麦」、アサヒの「クリアアサヒ」etc。
でも、これらは350mlの缶24本で2500円ほどの価格です。
現在、九想が愛飲しているのは、カインズホームの「黄金(こがね)」というニセビールです。
これはリキュール(発泡性)①です。
価格は、350mlの缶24本で1850円です。
タイで製造されていますが、なかなかうまいのです。
今、カインズのウェブサイトを見たら「黄金(ビール)」と書いてあった。
これはいけませんね。不当表示です。
「黄金」はビールではありません。リキュール(発泡性)①です。
ニセビールです。
こういうことをしてしまうのは残念です。
私はカインズホームが好きなんです。
「吸汗速乾Tシャツ」は素晴らしい商品です。
それはそれとして、ニセビールがあることが嬉しいです。
私の安い給料では本物のビールは飲めません。
ニセビール万歳!!です。
「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK総合22:55 ~ 23:25)を観た。
「女と男!▽おひとりさま上野千鶴子がまさかのコスプレ▽AKBからセクハラまで一刀両断」
元東大教授の上野千鶴子と爆笑問題が、秋葉原のメイド喫茶でトークバトル。
長年、男性中心社会に疑問を投げ掛けてきた上野千鶴子は、
「男らしさ、女らしさとは何か」「男はメイド喫茶に何を求めているのか」と爆笑問題に質問する。
"もてない男"を自任する太田光と田中裕二は、実体験に基づく本音をいう。
上野千鶴子は、女性の社会進出が進んできた今でも男たちの言動の裏に
男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという思いがひそんでいると指摘する。
私は、上野千鶴子がいうことより、太田や田中のいうことが間違ってないと思った。
6月4日(土)私は御代田中央記念病院に10時前に行った。
職場の人がそこでひどかった手荒れが治ったという。
ところが、30分待たされて診察室に入った私の手を診て医師がいう。
「これはここでは無理だ。佐久のO皮フ科に行けばいい」と勧めてくれた。
それですぐ佐久まで車を走らせた。
土曜日は午前中だけの半日診療日ということで焦った。
私の勤務は午後1時からだった。
11時半にO皮フ科に着く。佐久平駅の裏のほうだった。
駐車場は舗装されてなく建物も新しいものではなかった。
前日に診療逃避したH皮ふ科は、新築の病院で駐車場は舗装されていてきれいだった。
中にはいると沢山の患者さんが待っていた。
私は12時15分に診察を受けた。
私がH皮ふ科でのことを説明すると、
「それはへんですね、佐久には4つ皮膚科の病院がありまして、
Hさんと私は同レベルだと思うのですがね」という。
私の手足を診て医師はいう。
「私もHさんがいうように掌蹠膿疱症のように思いますね」という。
私がもらったパンフレットの写真は症状がひどいものだという。
医師が厚い医学書を開いて写真を見せてくれた。
その写真は私の手と足の症状に似ていた。
「あと、私は、白癬アレルギーかな、とも考えます。白癬症ともいいます。
といっても水虫ではないのです。水虫から派生した病気です」
あとの説明は私には難しかった。
とにかくそれに対処した塗り薬と内服薬を処方してくれた。
そして私の手と足をデジカメで撮った。
10日後に来てくれという。
薬をぬれば1週間後には効果は分かるので見せて欲しいという。
H皮ふ科に比べて、この医師は優れていると思った。
まず私の手足の病気に対して詳しく説明してくれた。
こんなに細かく説明するから1人の患者に対して時間がかかるのだろう。
そのために患者は待たされるが、それはいいと思う。
患者は納得した治療を受ける権利がある。
H皮ふ科は大雑把だった。そして診察して次は1ヶ月後に来いという。
1ヶ月分の薬を買わされたが、ひどくなったので私は1週間ほどで使うのをやめてしまった。
ほとんどの薬が無駄になった。
そして感心したのは、写真を撮ったことです。
考えたら今はデジカメがある。
いちいち現像することもない。それを比べれば一目瞭然だ。
薬をつけ始めて今日で4日目です。
今のところ順調によくなっています。
左手の小指はきれいに治ってギターの弦を押さえても痛くない。
来週、O皮フ科に行くことが楽しみです。
6/5に妻に撮ってもらった手
本日、私が撮影した左手と右手です