今日は冬至、1年で最も日照時間が短い日です。
冬至に食べるものといえば、やはりカボチャですよね。
その点うちの妻が作る昼の弁当のサラダには、
いつもカボチャが入っているので今日も食べました。
冬至の伝統行事といえば「ゆず湯」ですね。
うちも妻にお願いしてゆずを買ってもらった。
仕事から帰って私がお風呂を洗い、給湯器でお湯を入れた。
ゆずを2つに切り、小さなネットに入れてお湯に浮かべた。
それだけのことなのに、なんか豊かな気持ちになりました。
お湯につかり、その2つに切ったゆずを入れたネットを鼻先に持ってきて匂いをかぐ。
入浴剤のような強い匂いはないが、かすかに淡いゆずの匂いがする。
ああ~ゆず湯です。
私は、1年365日の中で冬至が一番好きです。
それは、明日から少しづつ日がのびて行くからです。
なんか希望を感じます。
昨日は、大学病院に行く日だった。
先日受けたCT検査の結果を教えてくれるものだと思って行った。
女房も家にいたので一緒に行ってくれた。
彼女は私の運転するワゴンRの助手席に乗っていればいい。
能天気な2人は、医師から良い話を聞けるのではないかとばかり思っていた。
ところが主治医のいったのは、これからも治療を続けるという話だった。
来週の土曜日にまた診察に行くことになった。
BCGの膀胱内注入療法という治療をやるようです。
膀胱がんの再発を防ぐためだといわれた。
膀胱がんはよく再発するのだそうです。
主治医からそういう説明を聞き、昨日私は正直かなり落ち込みました。
九想話を書く気持ちにもなれなかった。
やはりがんを治すことは、たいへんなんだと思った。
これからどれぐらい病院に通わなければならないのだろう。
ひょっとして完治しないで死ぬかも知れない。
夜、布団に入ってからも、ああだこうだいろいろ考えてしまった。
今朝、とても寒かった。
6時27分に目が覚めた。
ラジオ体操をどうしようかな?と思ったが、起きた。
これまで続けてきたことはやめないでやろう、と思った。
女房は起きていて、ダイニングテーブルに向って坐ってテレビを観ていた。
おそらく皮膚病が痒くて起きていたんだろうと思う。
私は、リビングの雨戸を全開にして、ガラス戸越しに庭を見ながら体操をした。
7時過ぎ、ウォーキングに出た。
快晴の住宅街を歩いているうちに少し元気が出てきた。
落ち込んでなんかいられない。
どんな身体になっても病気と闘って、がんをやっつけてやろう、と私は思った。
毎年1月3日に、この家に息子たち家族が来てやっている新年会ですが、
来年はやらないことにした。
12月初旬の頃はやる予定にしていた。
息子たちも「行くよ」とLINEに書いてきていた。
女房も私も楽しみにしていた。
ところが現在の感染拡大、東京が昨日822人、埼玉で今日201人です。
可愛い孫たちに会えないのはさびしいが、
女房と相談して、来年の新年会をやらないことに決めた。
そしてすぐ女房がLINEでそのことを息子たちに書いて送信した。
新型コロナ感染が少なくなってきたら、夏にだって新年会をやっちゃおう。
いつ、コロナが静かになるのだろう?
来年中はむりかな?
ま、元気でいりゃ、そのうち“新年会”をやれるだろう。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/mainichi-20201218k0000m040267000c
> 例年11〜2月ごろに流行する季節性インフルエンザのワクチンが全国で品薄になり、
>接種したくてもできない人が出ている。新型コロナウイルスとの同時流行の懸念などか
>ら希望者が殺到しているためだ。ワクチンの製造には半年ほどかかるため今シーズンは
>新たな増産が見込めない。現在、流行の兆しはみられないが例年1、2月にピークが訪
>れるため油断できない状況は続く。
本日仕事からの帰り、私の暮らす住宅街のクリニックに行って、
無事インフルエンザの予防接種をしてきました。
今夜は最高! 小松政夫編 製材所ほか
コメディアンの小松政夫さん(享年78)が、12月7日肝細胞がんで亡くなってしまった。
私は、このひとが好きでした。
ネットの記事で、伊東四朗やタモリの小松政夫さんへの思いを読み、共感します。
動画がありましたので、九想話に載せて偲びたいと思います。
小松政夫さんのご冥福をお祈りします。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20201217-567-OYT1T50195
> 新型コロナウイルスの感染者は17日、東京都で新たに822人確認された。
>最多だった前日16日の678人を大幅に上回った。
東京都の感染者数が822人になった。
明日は何人になってしまうのか?と憂鬱な気持ちになります。
妻と私はどうなんだろう、と考えてしまう。
なにしろ妻は都心に、私は東京の手前まで通勤しています。
この年末正月は、家にじっとしているしかないようですね。
今、ネットで軽井沢の天気を調べたら雪は降っていなかった。
天気予報では、北日本の方ではかなり雪が降っているという。
私が軽井沢で暮らしていたときには、雪で苦労した。
今、軽井沢の天気を検索したら17日は、-8℃だった。
私は軽井沢で-10℃を経験しました。
住んでいた会社の家は、防寒対策などしていない建物でした。
隙間風だって入ってくる家だった。
1月、2月は毎日のように朝、雪かきをしていた。
雪かきはしなくてもスタッドレスタイヤだから、少しぐらいの雪は平気なのですが、
会社の家の前に上司が住んでいて、その上司が朝6時ごろから雪かきをする。
小心な私はそれを無視できないのです。
私の勤務は、夜の10時半まで仕事をして家には11時過ぎに帰ります。
朝寝ていたいけど、上司の雪かきの音で目が覚め、しかたなしに起きて雪かきをした。
あれがつらかった。
今日、インフルエンザ予防接種の予約を、家の近所のクリニックに電話でした。
できることなら私は、毎月高血圧や高血糖値を診察してもらっているクリニックでしたかったが、
そこは隣の市なのでインフルエンザ予防接種が無料にならなかった。
なのでまったく行ったことのないクリニックでしてもらうことになります。
私は17時まで仕事なので、19時までやっているところでないとできない。
毎月行っているクリニックは夜遅くまで(21時過ぎぐらいまで)やっているのでいいのだが・・・。
いろいろ難しいですね。
私はこれまでインフルエンザ予防接種をしたことがない。
予防接種などしなくても、私は大丈夫だと考えていた。
しかし、今年は新型コロナがある。
68歳の私は、今年は予防接種をしておこうと思った。
12月18日(金)18時半からやる予定になりました。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20201214k0000m040278000c
>立憲の福山哲郎幹事長は14日夜、「なぜもっと早く決断できなかったか。
>専門家の提言を顧みず、GoToトラベルにこだわったため感染が広がったのは明白で人災と言える。
>責任は大きい」と記者団に語った。
私は、新型コロナ感染拡大が落ち着くまでは“GoToトラベル“をやらないほうがいいと思っていた。
人々が観光をしないと、観光業、飲食業、旅行業の人たちが苦しくなることは分かります。
しかし、他の業界の人々も苦しいのです。
コロナが収束するまでしかたないと思う。
とにかく新型コロナの感染拡大を抑えるために耐えるしかないと思います。
しかし、こんなものが人間の暮らしを脅かすということが意外でした。
私は、おろかなことに人間がこの地球上で一番の存在と勘違いしていました。
こうなってみると、ウイルスのほうが人間より上ですかね。
人間は今、謙虚になって、この地球での生き方を微調整したほうがいいようですね。
今夜は「クラシック音楽館」(NHK総合9:00~)を観ている。
(観ながら、これを書いてます)
>「ベートーベン250 名手たちの饗(きょう)宴」
>ベートーベン250プロジェクト▽アルゲリッチ、ブロムシュテット、ムター、
>ヨーヨー・マ、バレンボイム、ポリーニ▽現代屈指の巨匠たちのオール・ベートーベン特集
>ベートーベンの生誕250年を祝い、80をこえる番組で珠玉の名曲を紹介していきます。
>▽今回は豪華な顔ぶれによるオール・ベートーベン特集
>▽ピアノのアルゲリッチ、バレンボイム、ポリーニ。バイオリンのムター。
>チェロのヨーヨー・マ。そしてN響桂冠名誉指揮者のブロムシュテット。
>現代屈指の巨匠たちによるベートーベンの饗宴▽
>【曲目】1.ピアノ協奏曲第1番 2.三重協奏曲 3.ピアノ・ソナタ第31・32番
(クラシック音楽館 ホームページより)
やはりクラシックはいい。
私の性分としては、カジュアルな音楽が好みですが、たまにはクラシックも聴きます。
さっきは「ピアノ協奏曲第1番」をアルゲリッチのピアノで聴いた。
1941年生まれなので79歳です。
でも演奏している瞬間に見える顔が美しかった。
今は、「三重奏曲」を聴いているのですが、チェロのヨーヨー・マの演奏している表情、
指揮をしながらピアノを弾くバレンボエムの指の動き、バイオリンのムターの姿がいいです。
こんどは、ポリーニが「ピアノ・ソナタ 第31番」を演奏している。
1942年生まれということは私より10歳上の78歳なのか。
私が、大学生協のレコード売り場担当のときに、ポリーニのレコードはよく売れた。
そのときのレコードジャケットの姿は若かったが、
今テレビの中の彼は修行僧のような姿でピアノを弾いている。
ただひたすら他人(ひと)の作った曲を演奏してきた人生、それは素晴らしいことだと思う。
他人が作った曲を演奏することも“創造”でしょう。
そんなことを考えると、やはり“修行僧”の姿を重ねてしまう。
今夜は、久しぶりにクラシック音楽を堪能しました。