見落とされた癌

2021年12月13日 | 健康・病気

元プロボクサー「余命1年宣告」で見た地獄
なぜ2人の医師は見過ごしたのか (東洋経済 ONLINE)

>信頼していた医師たちに振り回され、突然の膀胱がん余命1年宣告。
>夫婦2人で立ち向かい、転移の可能性が高い術後2年の山を乗り越え
>た。率直な筆致で思いや行動をつづったがん闘病記『見落とされた
>癌』を書いた元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二氏に聞いた。

>十数年来懇意にしてたA先生のクリニックで検査してもらったら、
>膀胱炎だと。でもその後改善せず数回検査をしたけど、やはり
>問題なし。秋ごろには排尿時に激痛が走り、年末に報告すると
>「チャンピオンはお酒飲みすぎだよ」とか「チャンピオンは大
>げさだ」と言って、前立腺炎、前立腺肥大と診断されました。

私は昨年8月に頻尿なので前立腺肥大症だろうと軽く考えて、
職場の近くの泌尿器科に行った。
ところがそこの医師がエコー検査をして言った。
「膀胱に腫瘍があります。私には手に負えません。大学病院に行って下さい」
そして大学付属病院への紹介状を書いてくれた。
竹原慎二氏が十数年来懇意にしてたA先生は、何を見ていたのだろう?

>そして大みそか、血尿が出るに至って、総合病院のB先生を紹介
>された。A先生には結果的に1年間放置されたことになる。そして
>B先生の元で尿細胞診を受けたんだけど、その検査結果はほった
>らかしにされていたことが、後々わかりました。

ひどい医師がいるものですね。
そのあと竹原氏は東大病院で治療を受けることになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

膀胱がんのことを調べる

2021年12月12日 | 健康・病気

今日も私は、朝目覚めたときから膀胱がんのことを考えていた。
これから私がどうしたらいいか迷います。
昨日寝るときからずーっと、がんのことを考えている。
ネットで膀胱がんのこと、いろいろ読んでいるけどむずかしいですね。

膀胱癌 東京大学医学部泌尿器科学教室

膀胱癌   筑波大学腎泌尿器外科診療グループ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動注化学療法

2021年12月11日 | 健康・病気

12月2日、膀胱鏡検査で膀胱がんの再発が見つかった。
昨年の9月と11月に手術(経尿道的膀胱腫瘍切除術)をして、
12月からBCG注入療法をしたが、今年の3月に再発して3回目の手術を受けた。
そのあとまたBCG注入療法を8回受けたのですが、12月2日に再発が分かった。
膀胱がんは再発が多いとはネットに書いてある。
そのためのBCG注入療法がある。
しかし、私はまた再発した。
次に手術をして腫瘍をけずり、そのあとBCG注入療法を8回やって、再発は厭だ。
BCG注入療法はつらい。
私はこれまで盲腸、交通事故、胆石、鼠径ヘルニア、下肢静脈瘤、
などで手術や治療をしてきたが、BCG注入療法が一番耐えがたかった。
できることならあれはもうしたくない。
今週の木曜日、茨城のがん友がある治療をする大学付属病院を教えてくれた。
彼は、食道がんでその治療を受けている。
また同じこと(手術→BCG注入療法→再発)を繰り返したくない。
これを繰り返していれば、最後には膀胱全摘が待っている。
がん友が教えてくれた大学付属病院の治療(動注化学療法)を受けたいと思う。
しかし、それにはわが家としては莫大な費用がかかるかも知れない。
(そのことによってわが家の老後生活は崩れる)
その治療を受けたとしても100%治るわけではない。
その大学付属病院のサイトを見ると下記のように書いてある。

>**大学泌尿器科では1995年より150例以上の膀胱温存療法を行ってきました。
>約8割の患者さんでは実際に膀胱を温存することができ、そのうち約8割の方
>は5年生存が得られています(全摘と同じ成績です)。

私としては、セカンドオピニオンを受けてその大学付属病院で治療を受けたいと思う。
しかしそれには、・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街角の水くみ場で

2021年12月10日 | テレビ

今夜、「ドキュメント72時間」(NHK総合22:45~)を観た。
>「 街角東京・小金井の水くみ場で」
>天然の地下水が出る、地域の「水くみ場」が舞台。東京・小金井
>市のマンションの合間、目立たぬ場所だけど、次から次へと水を
>くむ人が来る。ペットボトルを大量に持参する地元の女性。母親
>から頼まれたと片手にやかんを持つ近所の大学生。近くの八百屋
>は、大鍋での総菜作りにここの水を使っている。良質な地下水が
>わくというこの地域。わざわざ水をくみに来るそれぞれの事情は
>何なのか。3日間、街角の水くみ場で耳を傾ける。
                  (番組のホームページより)

街角の水くみ場を管理している所で、500円で水道の蛇口の取っ手を買う。
それがあれば、これから先その水くみ場を利用できる。
多くの人々がその水くみ場を利用している。
その水がおいしいらしい。
私としては、きちんとした水道水ならばどれもうまいと思う。
ミネラルウォーターなどは買ったことがない。
しかし、東京・小金井の水くみ場の近所の人々は、
ペットボトルを持ってきて週に何回か水くみに来ているようです。
私としては、地下水の水と水道水にそれほどの違いはないと思っている。
私は、高校生まで茨城の家の井戸水を飲んでいた。
それはそれとして、「この水はうまい」というみんなの言葉でうまくなっている水。
それはそうだと思う。
おいしい水でしょう。
その水くみ場を利用している人たちは“しあわせ”だと思った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021「ゴッホ展」

2021年12月09日 | Weblog

昨日購入したチケットです。
午後3時15分に美術館のスタッフが「15時30分からの方は並んで下さい」と言う。
私はやっとこの時間が来たのか、と立ち上がり、列に並んだ。
3時25分、並んだ人が「ゴッホ展」の中に入って行った。
私も入った。
入って音声ガイド(600円)を借りた。

[展示構成]
1.芸術に魅せられて:
ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者
2.ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで
3.ファン・ゴッホを収集する
3-1.素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代
3-2.画家ファン・ゴッホ、オランダ時代
3-3.画家ファン・ゴッホ、フランス時代
3-3-1.パリ
3-3-2.アルル
3-3-3.サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
4.ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション:
オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション

今回の「ゴッホ展」は、ヘレーネ・クレラー=ミュラーという女性が、
実業家の夫アントンの支えでゴッホの作品を集めて世界最大の収集家となり、
その彼女が開館したクレラー=ミュラー美術館の作品が展示されたものです。
なので最初のところには、ゴッホ以外の画家の作品も展示されていた。
その中でルドンの「キュクロプス」がよかった。
私はこれまで、この絵を画集などで見ていて、なんか不思議な思いで見ていた。
1つ目の巨人がなんか哀れだった。
ルノワールの絵もよかったです。

ゴッホの絵は、若い頃のデッサンや習作という感じの絵が多かった。
私が好きな絵は、「サン=レミの療養院の庭」と「夜のプロヴァンスの田舎道」です。
特に後者の「糸杉」が好きです。
そういう意味では、2010年に見た「ゴッホ展」がよかった。

昨日の当日券を買ったときからのことを書きます。
私は、当日券を買ったときには疲れてしまっていて、
ロビーのイスにしばらく坐っていた。
さて、これからどうしようと考えた。
「ゴッホ展」の会場に入るまで5時間ちょっとあるのです。
私は昨日、家に眼鏡を忘れていた。
それを取りに家に戻るのはどうだろう?と考えた。
しかし、どう考えても交通費(片道830円)がもったいない。
眼鏡はなくてもほぼ見える。
他のことを考えた。
映画を観に行ってみようかな。
眼鏡がないと字幕が読めないので断念した。
秋葉原や神田を歩いて行ってみようかな、と考えた。
その辺は、私が20代に勤めていた試薬会社で、自転車に乗って集金していたところです。
しかし、雨の降りがひどく歩く気がしなかった。
昼メシも食べる気がしない。
上野公園を出てみようと考えた。
寄席で落語でも聴いてみるかと思い、鈴本演芸場に行ってみた。
しかし、12時から16時までのプログラムには、知っている噺家がいなかった。
私は諦めて上野公園に戻り、傘をさして歩いた。



こんなところを歩いたが、もう他に行くところがない。
午後1時半、東京都美術館に戻った。
ロビーのイスに坐り、持ってきた本を読んでいた。
「星落ちて、なお」(澤田瞳子 文藝春秋社)
膀胱がんの私が何やってんだ、という気持ちだった。
69歳の私が、こんなことをできるのももう最後だな、とも思った。
2016年の5月の「若冲展」のときは4時間並んだ。
昨日と同じ東京都美術館だった。
(2016年05月20日九想話「生誕300年記念若冲展」
午後5時に「ゴッホ展」を出た。
外にはまだ雨が降っていた。
上野駅で山手線に乗り、池袋で東武東上線の急行が出たのが17時39分だった。
そのことを女房にLINEで知らせると、女房は私よりあとの電車だと返事がきた。
彼女は17時半まで会社で仕事だ。
バスを降りて私が西友で夕食の買い物をしてバス停で待っていると、
女房が乗ったバスがきた。
2人で歩いて家に帰る。
朝も女房と一緒に出て、帰りも同じとは不思議です。
いろんなことを考えた1日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴッホ展の当日券

2021年12月08日 | Weblog

昨夜「ゴッホ展」を今回は諦めようと思いながらも、諦めきれなくウジウジしていた。
やはり今日、1人で行ってみようと考えた。
今日、女房には仕事がある。
彼女はそれほど「ゴッホ展」に行きたいという気持ちは少なかった。
女房の出勤する時間に私も出ようと考えた。
すごい雨が降っていた。
いつも女房は6時38分に家を出る。
彼女の会社の始まりは9時です。
いつも8時45分ぐらいに会社に着いているようです。
私も今日、東京都美術館の前に8時50分に着いた。
するとこのように「ゴッホ展」の当日券を求めている人たちが並んでいた。



数えたわけではないが、1,000人ぐらいはいたと思う。
それでもどんどん行列は長くなっていった。
9時20分、行列が前に進んで行った。
しかし、少し進んだかと思うと行列が止まる。
なかなか前に進まない。
10時頃、私は建物の中に入れたので折りたたみ傘を畳んだ。
建物の中に入ってからも、すぐ行列が止まってしまう。
それでも10時15分に私は、当日券を販売する窓口の前にいた。




時間を書いたものの数字のカードを係の女性が交換していた。
15時00分が15時30分に変わった。
私が当日券を買うとき窓口の女性が、次のように言う。
「この当日券は15時30分から16時に入場するチケットになりますが、いいですか?」
私は、愕然としたが「はい」と答えるしかなかった。
バカな私は、10時から入れる当日券を売っているばかりと思っていた。
そして私は、マイナンバーカードを見せて 65歳以上 1,200円の入場券を買った。
私は入場できる15時半まで、どうやって時間を潰そうかな、と考えた。
たっぷり5時間はあるのです。

(今日は疲れたので、続きは明日書きます)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴッホ展」の日時指定予約制

2021年12月07日 | Weblog

今、上野の東京都美術館で「ゴッホ展」を12月12日までやっている。
私の家から遠いので今回は行かなくていいか、なんて考えていた。
しかし、やはりもうすぐ終了と思うと行きたくなった。
私は、2010年に「ゴッホ展」に行っている。
(2010年10月22日九想話「ゴッホ展」
女房と一緒に行こうと思った。
女房が調べると日時指定予約制だという。
それで私が昨日ネットで予約しようと試みたのですが、できなかった。
「チケットの購入/日時指定予約はこちら」というタグをクリックすると、
「予約内容選択」というページに移り、日にちをクリックすると、
「時間を選びます」というページが表示された。
しかし、時間を選んでクリックしてもその先に進めなかった。
最初スマホでやって、4・5回やってダメなので
パソコンで「時間を選びます」をやってみた。
ダメでした。
ネットの予約は終わったのかな?と思った。
だったらホームページに「日時指定予約制は現在できません」とか書いておけばいい。
さもネットで予約できるようにしておいて、予約できない。
これは詐欺です。
ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」のサイトの「開催概要」に、
「※本展は日時指定予約制となっております。」と書いてある。
そこに「現在は予約できません」と書いておけばいい。
毎朝、TBSラジオで「ゴッホ展」のCMを流している。
誘っておいて予約できないとはどういうことだ。
展覧会問い合わせ先に今日電話すると、「現在は、予約を受け付けてません」という。
「それではゴッホ展は、もう見られないのですか?」と訊くと、
「当日券がございます」と女性がいう。
「それでは東京都美術館の窓口に行けば買えるのですか?」と私が訊くと、
「はい。しかし、当日券は少ないです」という。
「朝10時に行けば買えますか?」
「いえ、今日は9時12分に売り切れました」
「そうですか。9時に行けば買えますか?」
「いえ、今日はそうでしたが、明日以降のお約束はできません」
「はい、わかりました」と私は電話を切った。

私の家から上野まで2時間以上はかかる。
今回は諦めよう。

「ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」の動画






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラブラ所沢

2021年12月06日 | 出歩き

今日は女房と所沢に行った。
私たちは1985年から2009年まで所沢に住んでいた。
あのときの住宅公団の決まりでは、たしか子どもが5歳になると1人と数えられて、
息子たちは双子なのでわが家は4人家族となり、3部屋の家に移れることになって、
鶴瀬団地(富士見市)の2DKから、新所沢団地の3Kのテラスハウスに引っ越した。
私たちのテラスハウスは、庭付きの2階建て(1階に1部屋、2階に2部屋)の家が、
6戸つながった長屋のような家だった。
こそに息子たちが中学3年まで暮らして、建て替えになるということで、
駅前の新しく建った5階建てのマンションのような建物の5階に引っ越した。
3LDKの家で、息子たちに1部屋づつ与えられて女房と喜んだものです。
しかしそこは傾斜家賃で、引っ越したときは前の家と家賃はほぼ変わらなかったが、
7年後には15万円ぐらいになってしまうところだった。
結局そんなわけで団地内を2度引っ越したが、私が軽井沢に行くことになって、
女房は1人で清瀬市にあるUR賃貸(旧住宅公団)の1DKに引っ越した。
そのときには息子たちは家を出て独立していた。





今日は本川越駅から西武新宿線に乗り、まず所沢駅で降りた。
所沢駅は大きく変わりグランエミオ所沢というものが生まれていた。
沢山のお店がある商業施設で、駅のコンコースに駅ピアノがあった。
そのときは、調律師がピアノの調律をしていた。
女房と「いつの日かここでピアノが弾けるように練習しよう」と話した。




次は、小手指駅に降りた。
駅前に超高層のツインタワーマンションができていたのには驚いた。
西友小手指店は健在だった。
新所沢に住んでいた頃、よくここに行っては買い物をした。
西友の道を歩いていくと突き当たりにトヨタディーラーがあった。
ここで私は、始めて車を買いました。
そこを左に歩いて行くとホームズ所沢店という大きな店があった。
昔、そのあたりに島忠家具センターという店があった。
それが生まれ変わりホームズ所沢店になった。
広い店だった。
2階の家具売り場に、うちにあるターコイズブルーのソファーが展示されていた。
1年前ぐらいに、島忠家具センターがニトリの傘下になったというニュースがあった。
なのでニトリのソファーが置いてあったのだろう。



それから新所沢のほうに歩いた。
女房とこの辺にあれがあり、あの店があった、などと話ながら歩いた。
私は、息子たちが小・中・高と成長していく姿を新所沢で見てきた。
いろんなシーンがよみがえってきて胸が熱くなった。
今日は、息子たちが通った幼稚園を見てきた。
建て替えで最初に引っ越した7号棟に行った。
5階の手前の家です。
新所沢駅前のパルコに行った。
パルコ新所沢店は、2024年2月29日閉店する。
このことを知ったときはショックでした。
私は、パルコにはお世話になってきた。
パルコの映画館で沢山の映画を観てきた。
所沢にあれだけ商業施設ができたのだから、新所沢には必要ない、ということか…。

今日は、女房と懐かしい所沢を散歩してきた。
(スマホの歩数計のアプリを見ると19,000歩になっていた)
昔のことをいろいろ話ながら歩けたことは、幸せでした。
楽しかったです。


 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学童擁護員が倒れていた

2021年12月05日 | 健康・病気



一昨日、私はいつものように朝7時過ぎにウォーキングをしていた。
家から出て3000歩ぐらいのところにカモが泳ぐ池がある。
その日は西友で買い物をしたかったので、いつものコースから離れた。
(西友は朝5時から営業している)
カモを見てから西友のほうに歩いて行くと、人が倒れていた。
学童擁護員(小学生の登校時に誘導、保護する指導員)をしている人でした。
女性が来て毛布を掛けていた。
「大丈夫ですか?」私が女性に声をかけると、
「救急車を呼んだので大丈夫です」と言う。
私が西友に向かって行くと何人かの男性の学童擁護員とすれ違った。
仲間が心配で見に来たのだろう。
時計を見ると8時になろうとしていた。
その頃には小学生の登校は終わっている。
すると救急車のサイレンの音が近づいてきた。
私の住むこの町の学童擁護員はみな高齢の男性がやっている。
あの方は何が原因で倒れたのか知らないが、
これから寒くなると高齢者には大変な仕事だな、と思った。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜多條忠さん死去

2021年12月04日 | 音楽


神田川」作詞家・喜多條忠さん死去、74歳 吉田拓郎と数々のヒット曲
                                                     (日刊スポーツ 12月1日)

>かぐや姫のシングル「神田川」などで知られる作詞家・喜多條忠
>(きたじょう・まこと)さん(本名同じ)が22日午前6時、肺がん
>のため横浜市内の自宅で死去した。74歳。

喜多條忠さんが亡くなっていた。
12月はじめにこのことを知り、九想話に書かなくてはと考えていた。
私はこの人が作詞してかぐや姫が歌った
「神田川」「赤ちょうちん」「妹」が大好きでした。

駒込で今の女房と同棲していたとき、「神田川」を歌ってよく銭湯に行きました。
大学生協で一緒に働いていて、労働組合活動を熱心にやっていたYという男は、
かぐや姫の「妹」が好きでよく歌っていた。
彼は、奥さんと子どもがいるのに、踏切で電車に飛び込んでしまった。
党や労働組合活動で悩んでいたと友人からあとで聞いた。

喜多條忠さんの歌詞に、20代の私はどれだけ救われただろう。
ー合掌ー




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする