梅雨が明けてからこのところ猛烈な暑さとなっている。自転車の方も、先日尾鷲で軽く乗った時に、登坂時に「ズキン」とTFCCの右手が痛くなった事があったので、少しお休みにしている。治すのが先決というところ。従って、展覧会は無くなったが、油絵の方に注力。また、婆さんが亡くなって色々親父の遺品なども眺めだした。
お盆が近いこともあるが、自分もあの世へいつでも旅立ちそうになると、ご先祖様のことをあまりにも知らないので、色々調べだした。東京の兄もそんな気分になっているようで、情報のやり取りをしている。あの世へ行けば、顔も知らないご先祖様にお会いするわけだから、少しは調べておこうと感じているのかもしれない・・・。
今日は、親父のスクラップに挟んであった二つの新聞のうち、一つめ(写真)昭和16年12月9日、太平洋戦争開戦の翌日紙。 太平洋戦争は戦場が太平洋に広がった、ということで、本来は15年戦争と言われるように1931年の柳条湖事件、満州事変を契機として中国侵略が大々的となっていったので、戦争の仕組みは真珠湾以前から続いていたと理解する。