自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

終戦記念日(3)

2020-08-14 | Weblog

 今日も婆さん宅で油絵作業。作業合間に祖父の事を調べていて、戦争中の資料を見つけた(写真)。
 上は昭和13年の多分、名古屋の社会教育委員会の家庭向け配布文書、もう一つは昭和17年2月に婦人3団体を統合し、新設された大日本婦人会の家庭用配布文書(B4サイズ大で掲示用厚紙)。後者の団体は、20歳未満の未婚者を除く全女性で結成された。昭和20年3月、国民すべてを包括した「国民義勇隊」の結成まで続く。
 中国戦線から、真珠湾攻撃を経て太平洋へ戦線が拡大するとともに、戦局が傾きだして、昭和17年(多分)の文章の内容もシャカリキになってきている。ほとけ様が消え、皇国の神頼みのみとなり、空疎な「光輝を発揚」という文句で結んでいる。余裕のない時は精神論のみとなる見本である。
 現代で言えば、宣戦布告して、日本海の竹島を軍事的に奪還し、韓国の譲歩を引き出そうとするような戦争であった。比島の米、インドネシアの英仏を駆逐したところで、本国は痛くも痒くもないではないか。長引けば負けるに決まっている戦争であった。戦争は外交の一手段であるので、その結果どういう(外交)成果を得るかが大事で、戦争や戦闘自体が目的ではないのであるが、その筋道が立てられない限り、敗戦文書に署名することになる、と思う。

 

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