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自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

乗鞍の朝

2017-10-05 | Weblog
 昨日は、椿神社方面へ乗鞍遠征の疲れをとろうと走りに出かけたが、どうも体は重いな、と思いながらサイクリング。走行48㎞
 今日は婆さん宅で最後の杖を使った散歩練習。先週4回、今週4回と慣れてきて、歩みも少し速くなったし、休憩も少なくなった。どうも自分の来るのを待っているようで、子離れしてもらわないと困るのだが、時々は良いとしてもネ。まぁ今日で卒検とした。
 さて、乗鞍の思い出、書き残したことなど。
(1)乗鞍の秋の朝 霜柱踏んでと書いたが、朝日の当たる前の草葉に降りた霜は綺麗だった。(写真)地を覆うシダ類にも霜が付き、一面銀色に。登り始めた日の光を浴びてキラキラと輝いていた。季節季節にまだ知らない乗鞍の顔があること思い知らされた感じだった。
 この季節(位ヶ原でなく乗鞍高原の紅葉時期も含めて)に毎年とは言わないが、脚のある限り来ても良いかと。
(2)S水氏との2日間のサイクリングだったが、S水氏は今月70歳。つまり二人合わせて136歳のコンビだった。108㎞、2200m以上の累計登坂の翌日に乗鞍登坂はやや重たいものがあったが、そこは距離の短い紅葉見物ポタリングでなんとか無事終えることができた。まだまだ自転車に乗っていられるなと確認できた。 
 
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錦繡の乗鞍

2017-10-03 | Weblog
 乗鞍高原の朝は冷え込んだ。陽が登り始める6時過ぎからS水さんと車で高原散歩に出かけることとしたが、フロントガラスには霜がびっしり降りていて、しばらく車を動かせなかったぐらいだ。
 まず、休暇村の横にある牛留池へ。朝日が当たって金色に輝く乗鞍の山塊と、まだ陽の当たらない水面や木立の暗がりのコントラストが際立っていた。
 次は一ノ瀬園地の前にある「まいめの池」へ。霜柱をザクザク踏んで池の周辺で写真を撮る。背後の山のため、まだ朝日が当たる前なので、草の葉一面に降りた霜が綺麗だ。水面は風もなく鏡のように乗鞍の山容を写している。
 朝食後8時頃チャリで宿を出て、裏道でゆっくりと体を温める。極寒でも対応できる服を背負ってデイパックは一杯だ。しかし、今日は3000mで6度と暖かくなる予報が。朝から雲のない晴天の乗鞍、絶好の天気に恵まれた。
 観光センターを8時半に出て、三本滝までの楽な勾配を楽しむようにゆっくりと登る。三本滝から既に紅葉が始まっているようで、今年は遅いと聞いていたが、そうでもないのかナと思いながら、きつくなってきた勾配を景色を見ながら登る。摩利支天辺りのダケカンバの黄葉はやや色づきが鈍い感じだが、見頃時期。その辺りから、冷泉小屋辺り、赤や黄色の紅葉真っ盛り。綺麗だ。
 位ヶ原山荘前から見る尾根板のダケカンバは完ぺきとは言えないが、午前の陽に映えて綺麗に輝いている。このあとは県境まで、ナナカマドの赤やハイマツの緑ダケカンバの黄色などなどまさに錦繡の乗鞍を随所で立ち止まり写真を撮ったり、眺めたりしてゆっくりと愉しむ。(写真は綺麗な所)
 11時頃に畳平で下山用の服に着替えたが、気温は10度を超えているのではと感じるほど暖かだった(畳平駐車場で9時に9度の表示が)。
 登って見ると少し物足りなく、5月に登ったとき写真を写した桔梗が原までスカイラインを少し降りて、5月の穂高の景色と比べてみる。
 県境からのエコーラインの下りは安全第一。走行54㎞
 秋の乗鞍はこれで3度めだが、今年はやや天候不順の影響を受けて(ナナカマドの赤い葉が終わっていたりしているのが多い)ベストではないが、まぁ十二分に紅葉を楽しめた。
 
 下山後、宿で温泉に浸かり、奈川で蕎麦を食べて、薮原へ出る道で帰途へ。S水さんには車の運転ありがとうございました。
 
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ああ野麦峠

2017-10-02 | Weblog
 この土日は、四日市のS水さんと2人で1泊2日のサイクリング三昧。
 まず、土曜日の一日目を振り返ります。
 四日市を5時に出て、一路、木曽福島へ。駐車場で着替えて、眠たい体を起こすため、自転車で足慣らしとゆっくり駐車場内を回っていたら、ブレーキが効かない。車にぶつかりそうになったので転倒。ちょうどその時地元の方の車が入ってきて、「大丈夫ですか」と声をかけてくれる。「MAXSPEEDの方ですか?佐藤さんとは走っていました」と。チームアームウォーマーをしていいたため分かったようだ。転倒とはお恥ずかしい。
 ブレーキが効かなかったのは昨日後輪を外した時のクイックレリーズの閉め忘れ、公道でなくて良かった。
 8時半にスタートして、まずは境峠をめざす。今日は野麦峠、長峰峠、地蔵峠の1周108㎞獲得標高2200m程度のサイクリング。
 境峠は、中部縦貫で高山まで行けるようになるまでは、乗鞍へのメインルート。いつも車で通過していた峠だが、乗鞍への入り口の峠(分水嶺でもある)として自転車で登って見たかった。休憩などしながら1486mの峠へ到着10時15分。一旦、奈川へ下って、野麦峠(1672m)を目指す。
 野麦峠は40年ほど前の20歳代の頃、山本茂美の「ああ野麦峠」というルポルタージュを読んで印象強く残っていた峠。一度は自転車で越してみたいと思っていたが、今回、念願を果たすことができた。自分の体も年々心臓機能が悪くなっていくので、早めに行かないとと思っていた。
 峠に向かって高度を上げるに従い、木々の色づきも強くなり、ひんやりとした秋景色を味わいながらゆっくり登る。
 旧道が現道から別れる所にある「ああ野麦峠」の碑文を読んだりして、峠まで1.8㎞続くという山道の先を覗いてみる。
 分岐から車道の九十九折れをやりこなすと、平坦な道となり、峠に到着する。峠からはゆったりとした乗鞍の大きな山容が目の前に現れる。(写真)
 峠には「お助け小屋」と「野麦峠の館」があり、野麦峠の館(500円)を見学することに。山本の「ああ野麦峠」の中で取り上げられていたが、岐阜県吉城郡河合村出身の工女、政井みね(20歳)が腹膜炎を患い、諏訪の製糸工場から引き取りに来いとの電報を受け、兄辰次郎(31)が140㎞の距離を2日で夜通し駆け付け、その病女を背板にのせて峠の上まで担ぎ上げ、峠の茶屋で蕎麦がゆを食べさせようとした。「あー飛騨が見える、飛騨が見える」と喜んでいたと思ったら、茶碗を落として、力なくそこにくずれた。という実話である。時に明治42年11月20日午後2時。
 兄はそれから亡骸を背負い4日かけて河合村に運んだという。(兄は松本の病院に入院させようとしたが本人が故郷が見たいと拒んだという。7年間製糸工場で働き、優秀で100円の年俸だった。巡査の初任給が13円(M43年)程度の時代、男中心の給与体系の時代、工女としては良い給料。工女の採用時給金は年俸25円、100円工女は憧れの職)
 館の方から、政井みね(美人)の写真や実家周辺の写真、工場の写真、墓前に座る老齢となった兄の写真などをもとに説明を一渡り受ける。これが良かった。
 野麦峠は高山本線が開通する昭和9年まで飛騨と信州を結ぶ街道として、徒歩で様々な人々が行きかった道である。製糸工場の給金は農村女子の現金収入として大変良く、12.3歳で義務教育を終えると、工場ごとに集団で列をなして諏訪に向かったという。それも明治30年頃からは2月に峠越えをした(それまでは6月)と館の方は話された。
 見学で時間は押してしまったが、野麦峠を下り、寺坂峠(1395m)を登り下り、次の長峰峠(1350m)を経て再度、長野県に入る。
 短いが九蔵峠を登り、御岳を眺めるが午後の逆光でかすんでいる、残念。開田高原のアップダウンをこなして蕎麦でもと考えたが、木曽福島16時到着予定には間に合いそうもなく、断念。しかし小腹がすいて来た。訪れた野菜などを売っている「彩菜館」ではパンはなく、教えて頂いた地元食料品店でパンでも買おうとすることに。
 だが、すぐに目の前に現れた、開田高原ソフトクリームの看板に引き込まれてしまうことに。「コーンミックスをワッフルコーンで食べるのが一番」と前に並んでいるおば様に教えられ大休息。美味しいコーンソフト(395円)で生き返る。
 この後、パンを買うために教えられた松原商店へ。この店は鮮魚に力をいれている高原のお店、という感じの食料品店で、同世代の店主とおしゃべりしながらパンを買い、最後の峠地蔵峠(1370m)へ240mの登坂。
 峠は一定勾配で登りやすく、ほどなく名前の通りお地蔵様のいる峠へ。ただ、お地蔵さんの顔ばかり見ていて、クリートを外し忘れ2度目の転倒。
 後は唐沢の滝など道から見物して、下り道を一気に木曽福島へ。16:15着。走行108㎞
乗鞍高原の定宿「美鈴荘」には17時半過ぎに到着。温泉で疲れを癒す。
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