日米開戦についての城繁幸氏のブログで、前例主義と年功序列の関連性について触れられています。
日本海軍 400時間の証言(Joe's Labo)
年功序列主義の短所については仰る通りと思うのですが、それじゃあそんな年功序列を長年日本社会が選択してきたのは何故なんだろうかと、ふと考え込んでしまいました。
思うに、年功序列が受け入れられてきたのは、長幼の序を尊ぶ日本人の精神性に合っていたとか、そういうことではなく、単にそれが「便利だった」からなのではないか。
年次で序列が機械的に決まるのであれば、個人の能力を掘り下げて評価し判断する必要がない。
要は思考停止。
考えなくていい分、そのためのエネルギーを他に振り向けて高度成長を突っ走ることができた。
山岸俊男氏云うところの「安心社会」と共通した原理。
ところが社会がどんどん流動化し、個人の自律・自立が尊重されるようになってくると、そのような機械的な仕組みの弊害が目立つようになってくる。
そういう軋みが至る所で発現しているのが、今の日本社会なのかも、と。
日本海軍 400時間の証言(Joe's Labo)
年功序列主義の短所については仰る通りと思うのですが、それじゃあそんな年功序列を長年日本社会が選択してきたのは何故なんだろうかと、ふと考え込んでしまいました。
思うに、年功序列が受け入れられてきたのは、長幼の序を尊ぶ日本人の精神性に合っていたとか、そういうことではなく、単にそれが「便利だった」からなのではないか。
年次で序列が機械的に決まるのであれば、個人の能力を掘り下げて評価し判断する必要がない。
要は思考停止。
考えなくていい分、そのためのエネルギーを他に振り向けて高度成長を突っ走ることができた。
山岸俊男氏云うところの「安心社会」と共通した原理。
ところが社会がどんどん流動化し、個人の自律・自立が尊重されるようになってくると、そのような機械的な仕組みの弊害が目立つようになってくる。
そういう軋みが至る所で発現しているのが、今の日本社会なのかも、と。