そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

小説「ノルウェイの森」の想い出

2010-12-26 23:08:17 | Diary

映画「ノルウェイの森」を観てきました。
映画の評価についてはそのうちCinemascapeに書きますが、自分は基本的に映画は原作から切り離して一つの作品として評価すべきと考えています。
が、そうはいってもこれだけの偉大な小説を原作として生まれた映画ですから、やはりちょっと小説「ノルウェイの森」について個人的な想い出なんかをとりとめもなく語ってみたくなってしまいました。

自分が小説「ノルウェイの森」を初めて読んだのは、単行本が発刊されて大ベストセラーとなった当時、まだ中学生の頃でした。
母親が買って家にあったのを読んだのだと思います(母親に勧められたのかもしれない)。

性に関する描写も多いし、思春期の少年にはけっこう刺激的だったように思います。
一方で、性を「ヤラシイもの」としてしか捉えられない幼い認識しかなかった自分にとって、この小説から、性が人間の生きる営みの中に組み込まれているのだという新鮮な理解を得ることもできました。
「ノルウェイの森」は、「桃尻娘」シリーズとあわせて、自分にとって大人への階段を上る過程で出遭ったかけがえのない小説なのであります。

小説の中の場面では、まず、映画でも描かれていましたが、ワタナベの住む学生寮の印象が残っています。
時代や境遇がまったく違うのは分かっていても、中学生の身には、大学生になったら自分もこんな生活をすることになるのかなんて漠然とイメージしていたような気がします。

それから、ワタナベと緑の会話は小説の中でもとてもユニークで楽しくて、映画でもちょっと採り入れられてたけど、一番好きだったのは、緑が「熊と抱き合って芝生をごろごろ転がりたい」とかって話すセリフで、それが映画には出てこなかったのでちょっと残念。

一番強烈な印象を受けたのが、最後にワタナベとレイコさんがセックスする場面で、「皺(シワ)」という表現が出てくるところ。
中学生の自分にはちょっと受け入れ難く、かなりゲンナリした気分になった記憶があります。
この点は、その後自分が大学生になってから、飲み会かなんかで友人と話していて「ノルウェイの森」の話題になったときに、その友人(男性)もまったく同じネガティブな印象をもっていて驚いたことがありました。
それがきっかけで、たぶんもう一度読み返したはずです(つまり、自分がこの小説を読んだのは二回ということですね)。
それもあってレイコさんはガリガリの骨ばった女性の印象です。
霧島れいかではちょっと艶めかしすぎますね。

最初のほうで、ワタナベと直子が長距離を歩く場面、映画でも「駒込」という地名が出てきましたが、確か渋谷から駒込まで歩くんじゃなかったかな。
緑が二階に住んでいる本屋は大塚にあるっていう設定だったような。
駒込とか大塚とか、当時から馴染みのあった地域だったので、途端に身近感を憶えたような記憶があります。
映画では、そういった土着感はまったく感じられませんでしたね。
直子が入る療養所は、映画では京都にあるって設定になってたけど、小説でもそうだったかな?
まあでも基本的に実在の地名が出てきてもあまり現実味はありませんね。
映画版は特にそうです。
ベトナム人の監督だから当然と云えば当然ですが。

自分のように二回しか読んでいなくて、しかも最後に読んでから20年近く経っていても、映画を観ればいろいろと細かいところまで印象が甦るわけですから、改めて凄い小説だと思いますよ。
玉山鉄二演じた永沢さんていうキャラクタはまったく忘れていたけど、観賞しているうちに記憶が再生していきました。

この小説を思春期に読むことができるというのは、自分よりも下の世代にしか不可能なわけですが、村上春樹と同時代を生きた世代の方々にはまた違った思い入れがあるようですね。
内田樹さんも語ってます。
そういえば、映画には糸井重里、高橋幸宏、細野晴臣ら同世代の人たちがカメオ的に出演してました。
彼らって、自分が子供の頃から「大人」としてメディアに出ていた人々なんで、なんというか時の流れをしみじみと感じちゃいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする