大学生の就職内定率が10月1日時点で57.6%と最悪ペースになっているという報道があったことを受け、ネット上で本件に関する言説が賑やかになっています。
内定率が史上最悪なのは馬鹿な学生が増えているから(木走日記)
就活生を救う意識改革(アゴラ・加藤智将)
大学就職難に思う(アゴラ・山口巌)
大学生が多すぎる(アゴラ・池田信夫)
「大卒」という資格の幻想(アゴラ・松岡祐紀)
「就職難は大学生が増えすぎたのが原因」説に対する反論(テラの多事寸評)
日本経済全体がシュリンクしていく中で、中高年の雇用を守ることが優先されて若年層が割を食っている、という基本認識の下、「学生の側にも問題がある。大企業を選り好みしすぎだし、そもそも能力の低い学生が多い」という学生批判説と、「それは問題のすり替えだ」という学生擁護説に分かれているようです。
自分はといえば、どっちかというと後者の擁護説に近いです。
確かに、世間知らずな学生が選り好みしてミスマッチを起こしている現実はあると思いますが、昔の学生だってそうだったでしょ(自分の反省も含めて)。
昔はそれでも何とかなったのが、今は通用しなくなった。
変わったのは学生ではなくて、環境の側。
その責を学生に負わせるのは酷な気がします。
大企業ばかりじゃなくて中小企業にも目を向ければいくらでも口はある、って云うのは簡単だけど、今の日本社会で一旦中小企業に入ってしまって将来の展望を描けるのか。
よっぽどのバイタリティがある人材でもなければ、入口の時点で生涯年収も含めたキャリアパスが制約されてしまう。
そのことが目に見えているからこその大企業ブランド志向なんじゃないでしょうか。
学生が馬鹿になった、という点については、正直よく分かりません(実態を知る環境にないので)。
が、数々証言があるので、そういう事実もきっとあるのでしょう。
ただ、いつの時代も「最近の若いモンは」という言説はまかり通りがちだし、いくつかの実例があるからと云って安易に一般化するのは危険なような気がします。
今の就職難って一時的なものじゃなくって、放っておくとずっと続くんじゃないかと思います。
これからの時代、学生の側の意識改革が必要になるの間違いない。
だけど、学生だけが意識改革しなきゃいけないってのはやっぱり不公正だと思う。
若者だけじゃなくて、中高年も高齢者も等しく「今までの延長線では幸せになれない」という意識改革を迫られるべきだと思うのです。