そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『嫌われる勇気 岸見一郎、古賀史健

2014-08-05 21:38:51 | Books
嫌われる勇気
岸見 一郎,古賀 史健
ダイヤモンド社


Kindle版にて読了。

この本を読むまで、アドラー心理学については何一つ知らず、恥ずかしながらアルフレッド・アドラーの名前自体初耳だったくらいだが、現在42歳の自分が常日頃考えたり心がけたりしていることに、ピタリピタリと怖いくらいはまっていくのでちょっと驚いた。

<原因論ではなく目的論>
行動や感情は何か原因があってそうなっているのではなく、その行動や感情自体を抱くこと自体が目的なのだ。
何か原因があって怒るのではなく、怒ること自体が目的。
怒って自分を示威したい、相手を屈服させたい、といった目的を達成するために怒っている。
家庭でも会社でも、時折そんなふうになっちゃっている自分に、メタ的な自分が気づくことがここ最近多くなってきた。

<自分の問題と他人の問題を仕分ける>
若い頃が人からどう思われているか、嫌われていないか、ということが気になって、思うように行動できなかった。
それが今ではまったく気にならない。
自分自身で正しいと思う行動をすることが自分の問題、それをどう思うかは他人の問題。
そう思えるようになれば楽になる。
他者からの評価を気にしていては自由になれない。

そして、この本の中で一番心に響いたのは以下の一節。

<人は「この人と一緒にいると自由に振る舞える」と感じるときに愛を実感できる>

他者の評価を求めて自らの行動を決定するのは、「自由」を放棄しているに等しい。
逆に、褒めたり叱ったりすることで行動に影響を与えようとするのは、他者に対する「操作」でしかない。
求めるべきは評価ではなく「ありがとう」の一言。
感謝されることで貢献できていることを実感し、自らの価値を感じることができる。

この考え方は、つい忘れがちだがとても重要。
人の親になり、会社で中間管理職となった今ではその大切さがよくわかる。

が、一方で、これはある程度歳をとらないと達せられない境地であるのも確か。
この本に出てくる「青年」の頭の固さには読んでいて辟易させられるが、思い返せばかつての自分もこんなだったかもしれない。
そのギャップをいかに若い人に伝えるか。
それが難しいところであり、やりがいのあるところでもある。
コメント
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