そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

アギーレは五輪代表の監督も兼任するといいと思う

2014-08-11 23:38:59 | Sports
アギーレが来日しました。
記者会見では当然のことながら2018年ロシアW杯の話題が何度も登場している。

5回連続でW杯に出場している日本、1大会おきにグループリーグ惨敗とベスト16進出を繰り返している。
その結果の違いをもたらした要因が何なのかを考えたときに、「アジアの戦いを勝ち抜くこと」と「世界の競合に挑むこと」のギャップに対する備えが指導者(監督)にできていたかどうかが一番大きいのではないか、と個人的には思っている。
アジアでは格上である日本、相手国も引いて守って、それをどう崩すかというのが戦い方の中心になる。
ところが、本番で欧州や南米の強豪国と戦うとなれば、試合を支配することは難しく、全く別の戦い方が求められることになる。
頭では分かっていても、それを実際に経験していないと、ついついアジアの戦いの延長で行けると誤認してしまう面があるのではないか。

思えば、98年の岡田さんは初出場だったから当然のこと、06年のジーコ、今大会のザッケローニとも、世界レベルでの真剣勝負はW杯本番が初めてだった。
一方、10年南アフリカ大会の岡田さんは2度目のW杯采配だったので、アジアの戦いと世界レベルでの戦いの違いを実感できていた。
だからこそ大会直前に戦術やフォーメーションを変える決断が出来た。
そして、02年日韓大会のトルシエは、ホームアドバンテージということもあったが、若い世代の代表監督も兼任して、ワールドユースやシドニー五輪での采配を通じて、アジアと世界のレベルの差を十分に認識していたことも大きいのではないかと思う。

つまり、4年間を代表監督の任期としてしまうと、そのギャップを経験しないままクライマックスにW杯本番がきてしまうのだ。
これを避けるためには、最初から8年間を任期として考えて、W杯のサイクルを2回まわすというやり方がある(そんな長期の受け手がいるかどうかという問題はある)。
もう1つのやり方が、トルシエ方式で、若い世代の代表を兼任させるという方法。
このトルシエ方式の方が現実的なのではないか。
代表監督って、クラブと違ってそれほど試合日程が詰まっている訳ではないので、兼任も無理ではないのでは。
手倉森さんにはスタッフに入ってもらって、もしものときのバックアッパーとなってもらえばよいのではないかと思う。
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『私のなかの彼女』 角田光代

2014-08-11 21:08:39 | Books
私のなかの彼女
角田 光代
新潮社


この本を読んで一番最初に浮かんだ感想は「平凡な人生など無い」ということ。
もちろん、主人公の女性(和歌)の人生は、「平凡」とは言えないものだろう。
なんたって、小説家としてデビューし、一廉の成功をなしてしまうのだから。

もともとそれだけの才能に恵まれていた、と考えるのが普通なのかもしれない。
が、大学生までの彼女は、人生に対して受動的な、どこにでもいる平凡な女子でしかなかった。
それが、いくつかの出会い(知見と刺激を与えてくれる彼氏、実家の蔵で見つけた祖母の著作、九龍城での経験)が、平凡だったはずの彼女に思いもつかぬ人生の展開を与えてくれた。

そしてその人生はけっして甘く幸せなものばかりに溢れていた訳ではない。
思うに任せぬ、苦い思いも数々経験することになる。
が、その一つ一つが「本田和歌」というパーソナリティを形作っていく。

彼女の人生は、彼女にしかないユニークでオリジナルなものである。
だが、一方で、同じような人生の展開を味わうチャンスは誰にでも訪れ得る。
そんなことを感じさせてくれる、豊穣な二十年記である。

主人公の世代設定は、自分よりも少し年上の、著者と同い年くらい。
バブル崩壊や、世相を揺るがした事件、パソコンやメールの普及など、自分も経験してきた時代の変遷が描かれていることも、二十年記に肩入れしてしまう大きな要因にはなっている。
また、ごく個人的な事情だが、自分も90年代の初め、中国返還間際の香港に旅行した際に、すでに退去が始まっていた九龍城を訪れて、その異様な佇まいに戦慄した経験がある。
だからこそ、九龍城訪問を人生の転機とする、主人公の生き様に共感してしまう。
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