線路と川と母のまじわるところ 小野 正嗣 朝日新聞出版 このアイテムの詳細を見る |
「旅する部族」「皮膚に残されたもの」「線路と川と母のまじわるところ」の3編を収録。
3編とも、主人公は日本人の女性ですが、小説の舞台は外国。
「線路と川と母のまじわるところ」のみ地名が明らかになっていますが、他2編もおそらくヨーロッパの先進国を舞台にしていると思われる。
著者の小説を読んだのは初めてですが、文体はかなり独特。
重層的な、時に冗長と思えるほどの比喩表現が特徴的です。
たとえば「皮膚に残されたもの」の冒頭のセンテンスは、こんな感じ。
水をふんだんに吸って雨がやんだあとも銀色の薄い金属の板と化して、太陽の金槌で叩かれるがままに、やかましく光を反射させている水浸しの土のように、皮膚は潤いを失わないどころか、地表のすぐ裏に血管のように張りめぐらされた小さな水の通り道があって、そこから漏れ出した水が、地中に含まれたさまざまな鉱物や有機物と混じりあうことによって作り出していくまったく新しいアロマを大気に放って、わき出してくるようだった。
正直、読んでる途中で嫌になってやめてしまいたくなりそうですが、この文体にも慣れてくると、その世界に引き込まれる感じはあります。
どの部分が比喩でどの部分が事実なのか分からなくなってくる感覚が、現実と幻想を行き交うストーリーと相乗していきます。
3編いずれも「異国人」として生きる日本人女性を主人公にしていますが、その地で、自らの意思で異国に来た彼女たちとは違って壮絶な体験により国を追われ難民となった別の異国人と出会います。
一方で、彼女たちも(「線路と~」の「母」を除き)それぞれに心の「傷」を負っている。
難民たちの「傷」と彼女たちの「傷」が重なることで、小説には息苦しい空気が漂います。
特に「皮膚に残されたもの」は重い。
だけど、そのような人々の深い「傷」に、これらの小説が真に迫っているのかどうかは、自分には判断ができない。
だから何となく、これらの小説がそういった人たちを体のいい「材料」として採り上げて書かれているようが疑念を払拭できなくて、小説との距離を測りかねるまま読み終えてしまった。
そんな印象です。