そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『唐―東ユーラシアの大帝国 (中公新書)』 森部豊

2023-12-25 20:33:00 | Books
唐は、言わずと知れた7〜10世紀にかけて約三世紀続いた中国の王朝だが、多くの日本人にとってまず頭に浮かぶのは遣唐使。遣唐使を通じて、仏教文化や律令制度がもたらされたとのイメージが強い、というかそのイメージしかない。

唐という王朝の通史を切り取った本著を読んで印象を新たにしたのは、唐は中国の王朝といっても漢民族の統一王朝ではないということ。そもそもその前の隋と同じく唐の王家は遊牧民である鮮卑の拓跋部の血を引いており、王朝の歴史においてもテュルク系の騎馬民族やイラン系のソグド人が跋扈する。その版図においては、さらに西方から進出したイスラム教徒やキリスト教徒の集団までを包含する。本著のサブタイトルにある「東ユーラシア」という大きな捉え方に相応しいハイブリッドでダイナミックな帝国であったのだ。

その支配地域も現在の中国の領土に比べると南北に狭く東西に広いイメージ。都である長安や洛陽などの中心都市は、現代の北京・上海よりもだいぶ内陸部に位置し、国家の重心は大陸側に寄っていた。

唐の歴史は周辺勢力との争いの歴史であり、ウイグル王国やチベット王国とは互いに攻め込んで戦い、時に打算的に手を結ぶ。現代の中国におけるウイグル問題やチベット問題はここから繋がっているのだなと考えると興味深い。

しかしこの時代によくこれだけバカでかい版図を治めることができたなと感心する一方、実はきちんと治められていたのは王朝が安定していた一時期に過ぎないことも分かる。外敵防御のために設置した藩鎮が中央に離反して地域勢力化したり、租庸調で知られる税制や塩の専売制も形骸化して地域勢力の既得権益となる。こうして外観すると唐の歴史は無数の内乱・内戦の連続で、中央においても王家における跡目争いや貴族・宦官の権力争いと殺し合いの仁義なき戦いが繰り返されるのである。遺された史料に限りがあるが故に記録に残りやすい争乱の歴史に実態以上にフォーカスが当たる面はあるにしても、よくここまで争い殺し合うことができるものだ、というのが率直な感想。

歴史の流れに応じて人物名を憶えるのは世界史を学ぶにあたっての関門の一つだが、高祖李淵、太宗李世民、高宗、武則天、玄宗、楊貴妃、安禄山、黄巣、朱全忠くらいの名は改めて頭に刻んでおこう。

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