挑戦者 | |
渋沢 和樹 | |
日本経済新聞出版社 |
第二電電の”プロジェクトX”。
電電公社民営化・通信自由化の流れの中、第二電電・日本テレコム・日本高速通信がNCCとして登場した80年代後半当時、中学生だった自分は三社の成り立ちの違いなど正直あまり意識してはいなかったのですが、国鉄が設立した日本テレコム、建設省・道路公団がバックについた日本高速通信と比べると、第二電電は唯一の”純民間”事業者であり、電電公社を含めたエスタブリッシュに取り囲まれた存在であったということを今更ながら認識させられます。
他のNCC二社が、新幹線の線路や高速道路といった基幹ネットワーク敷設のためのインフラを既に保有していたのに対して、インフラを一から構築しなければならなかった第二電電の負ったハンデはあまりに重く、それを克服していく過程こそが本著においてもっともエキサイティングな一場面です。
それにしても役所や国営企業が、本来公的資産であるインフラをあたかも我がもののようにして新事業を展開しようとするという構図自体、前時代的なものを感じます。
本著は、第二電電という会社の歴史とともに、稲盛和夫というカリスマ経営者の信念を描いた本でもあります。
なんといっても印象深いのは「動機善なりや、私心なかりしか」と繰り返し繰り返し自問するという件り。
その他、「値決めは経営である」「対等合併にいい合併は一つとしてない」だとか、きめ細かい管理会計により徹底した部門採算性を求めるなど、稲盛流の経営哲学を窺い知ることができるとともに、ビジネスマンの端くれとしては刺激を受けるところもあります。
第二電電を興した当時50代前半の”若手”経営者だった稲盛氏も今や80歳間近、現在でもJAL再生に力を尽くしているわけですが、時の移ろいに感慨を抱かざるを得ません。
高い志をもって奇蹟的な事業的成功を実現した第二電電も、90年代後半のNTT再編の流れの中、合従連衡の波にもまれながらKDDIとして生まれ変わりますが、このあたりの展開は足早且つ若干綺麗事として描かれている感があります。
KDDというもう一つのエスタブリッシュ勢力と一緒になることで失われたものはなかったのか、そのあたりに興味を持ちます。
また、ノンフィクション小説という形式をとり、序盤では第二電電に集った社員一人一人のキャラクタを結構細かく描いているにも関わらず、会社が大きくなった後半になるとそれがまったく活かされていないなど、一つの作品としてはやや尻すぼみな印象です。