らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

初雪とブーゲンビリア

2008-01-21 | 

今日は二十四節気の一つ「大寒」です。

1月7日の当ブログの「七草粥」にも少し書きましたが、「小寒」から2月4日の立春
までが本格的な寒さの到来と言われますが、その中でも一番寒さが厳しくなる頃と言われています。

この言葉の通り、昨日から本日にかけて全国的に寒波に見舞われ、各地の積雪が報道されています。

西日本各地でも昨日からの雨が雪に変わり、平地でも積雪が観測されているよう
です。

正に暦通りですね。

私が住んでいる大阪南部でも、今年初めて積雪を見ました。



庭や道路の雪は解けていましたので、僅かに残っていた鉢の雪をカメラに残し
ました。




車や屋根の上も白くなっていましたので、我が家の二階から記念に撮影しました。

この地区は比較的温暖なので積雪は珍しく、年によっては全く雪を見ないこともあります。


ところで、この寒い気候でありながら、我が家のブーゲンビリアは今 誇らしげに花をいっぱいつけています。





寒々とした冬の景観の中に、寒さに耐えて元気いっぱいに咲いている姿は、私たち
家族にほのかな温かみを与えてくれています。


 (一言メモ)

 ブーゲンビリアは和名を「イカダカズラ」と言い、原産地は中南米の熱帯雨林地方
 です。

 この花の名前は、1768年にブラジルでこの木を見つけたフランス人の軍人
 であるブガンビルに由来すると言われています。

 花言葉は「情熱」「あなたは魅力に満ちている」です。

 増やし方は挿し木でできます。


 


カレンダーの日数

2008-01-20 | 雑学

最近はいろいろな暦が売り出されていますね。

その種類は多種多様です。
諺を書いているものもあれば。人生における教訓的な内容もあり、またメモが書けるような余白の大きいカレンダーもあります。
日本独特の「福寿暦」もあります。         

それだけ暦を有効に使いたいと思っている人が増えてのでしょうね。

確かに暦の暦注に書かれていることを読んでいると、知らないことが多々あって
興味が沸いてきます。

日頃何気なく使用している言葉の本質がわかったり、新しい諺などを覚える事が
できるなど、少し知識が増えて嬉しい気分になってきます。    

このような知識は日常生活において特別に必要なものではありません。
ですから知らなくても何ら支障を来たすものではありませんが、先人の知恵を
授かったような気持ちから、何となく心が広く、豊かになった気がします。

そのようなことから昨日も「三隣亡」を書きましたが、今日もまた暦について書きたいと思います。

暦には1ヶ月の日数が30日の月と31日の月があり、そして28日の月もあります。
このことに疑問を感じたことはありませんか?

  2月はなぜ28日なのか?      

  30日と31日の月はどのようにして決められたのか?  不思議ですよね。

NHKの番組で「週間子供ニュース」がありますが、ご覧になったことがありますか?

先日この番組で放送していたのでその内容を紹介します。
これを知っても何の得もありませんが「話の種」として最後までお読みください。
HNKの宣伝ではありませんが、知れば「知ってナットク」できると思います。

一ヶ月の日数をどうやって振り分けたかはいくつかの説があるようですが、有力なのは次の説のようです。

現在の太陽暦はローマ時代に採用されました。
ご存知のように1年を365日としていますが、これは地球が太陽を一周する日数ですね。

この時、次の方法で月の日数を振り分けたと言われています。

まず、奇数番目の月を31日とし、偶数番目の月を30日として振り分けました。
そうすると29日の月が一ケ月できます。

では偶数月の2月がどうして29日になったのでしょうか?

この時の暦は、正式には1月から始まっていましたが、これより前の暦は3月から
始まっていたそうです。

なぜかと言いますと、農作業のために暦が必要だったので、温かくなってくる3月を
1年の始まりと言う考え方をしていました。

2月は最後の月だったわけですね。

太陽暦を採用した時もこの慣習は残っていました。
そこで1年の最後の月であった2月で日数調整を行い29日としたそうです。

ちょっと待ってください。2月は28日ではないのですか?

そのことは次を読んでください。

その後、ローマ皇帝のアウグストウスは自分の功績の多かった8月を、自分の名前にちなんだオーガスト言う呼び名に変え、更に日数も2月から1日取ってきて31日としました。

そうすると7月、8月、9月と31日の月が続きますね。
そこで日数のバランスをとるために9月から12月の日数を変更して、9月と11月を
30日に、10月と12月を31日にしました。

8月に1日持っていかれたため、2月は29日から28日になりました。
うるう年もこの月ですが、2月は調整月として利用されていると言うことです。

また8月は英語で「August]い言いますが、その語源はここから来ているのですね。

このときに決まった月の日数が現在まで受け継がれているようです。

ご納得いただけたでしょうか?
お酒の席で「話の種」の一つにでもしていただけたら嬉しいです。


三隣亡(さんりんぼう)

2008-01-19 | 伝統行事

昨年の建築関係の着工件数が前年度比大幅に減少したとの報道がなされています。
これは数年前の「某」一級建築士による耐震偽装により、その後の建築確認申請に相当時間を要するようになったためと言われています。

そのために中小の建築会社では資金繰りに困り、倒産する企業が増加している
との誠に気の毒な状況下にあります。

その建築業界が特に忌み嫌う日として「三隣亡」があります。

そして今日はその「三隣亡」の日です。

「三隣亡」とは「六曜」と同じ様に、吉凶占いの1つです。

建築業界ではこの日を最悪の日とし、この日に普請、造作、土起しなどをすれば
近隣三軒が亡ぶほどの災いがあるとしてこの日を避けるようにしています。

しかし明治以前にはこの言葉はなく、江戸時代には暦に「三輪宝」と書かれており、暦注には「屋立てよし」「蔵立てよし」と言って「吉日」となっていたと言う説もあります。

では「吉日」が何故「凶日」に変わったのでしょうか?

恐らく明治以降のある年に、暦の編者が「屋立てし」「蔵立てし」の「よ」を「悪し」の「あ」と書き違えて、それがそのまま現在に伝わったのではないかと言われています。

読み方も「三輪宝」では具合が悪いので、これと同音の「三隣亡」としたようです。


「なーんだ! それならそれほど気にしなくてもいいのではないか。」と思いますが、慣習とは恐ろしいもので、この業界では現在も厳然と生きています。


三隣亡は干支の「亥」「寅」「午」の日とされています。

そう言えば昨年は「亥」年でしたね。
建築業界の不振は三隣亡の「亥」年の関係もあったのでしょうか。


(一言メモ)
  「三隣亡」は  1月、 4月、 7月、 10月は「亥の日」
            2月、 5月、 8月、 11月は「寅の日」
            3月、 6月、 9月、 12月は「午の日」 となります

 また1ヵ月は暦の月ではなく、二十四節気で計算し下記のようになります。

  1月は立春から啓蟄まで   2月は啓蟄から清明まで   3月は清明から立夏まで
  4月は立夏から芒種まで   5月は芒種から小暑まで   6月は小暑から立秋まで
  7月は立秋から白露まで   8月は白露から寒露まで   9月は寒露から立冬まで
 10月は立冬から大雪まで 11月は大雪から小寒まで 12月は小寒から立春まで

 「六曜」とは暦注の1つで
  「先勝」「友引」先負」「仏滅」「大安」「赤口」を言います。
   (「六曜」については日を改めて書く予定です。)

  これは鎌倉時代から室町時代にかけて中国から伝わったそうです。
  中国では三国時代の武将である諸葛孔明が軍略に使っていたとも言われて
  いますが真偽の程はわかりません。


土用

2008-01-18 | 伝統行事

今日1月18日は「土用」です。   エッ!「土用」は7月ではないのですか?

実は「土用」は年4回あります。

「土用」とは立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を言います。
 立春の前は「冬の土用」 立夏の前は「春の土用」
 立秋の前は「夏の土用」 立冬の前は「秋の土用」 と言います。

従って今日1月18日は立春の前18日に当たり「冬の土用」と言うわけですね。

そして「土用の丑の日」とは、この18日の土用期間中にくる「丑の日」のことで、
年によっては2回来ることがあります。
この場合2度目の「丑の日」を「二の丑」と言っています。

今年の「夏の土用」では「二の丑」があります。
  即ち7月19日が「丑の日」8月5日が「二の丑」となります。


では「土用」はどこから来ているのでしょうか?

今年1月3日の当ブログのカテゴリー「クラフト」にある「干支について(その2)」に
簡単に書きましたが、陰陽五行説からきています。

五行説とは、全てこの世のものは「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素からできて
いると言う古代中国の思想です。
   「木「は燃えて火となり、「火」はその灰から土を生み、「土」は金を形作り、
   「金」からは水ができ、「水」は木を育む。と言われています。

そしてこの5つの要素の「気」を季節に割り当てて
      「春」は木気に(立春)、  「夏」は火気に(立夏)、
      「秋」は金気に(立秋)、  「冬」は水気に(立冬) なった訳です。
季節は4つなので残った「土」に「気」を与えて土気とし、「土用」と呼ぶようになったと
言われています。


「土用」には「禁忌」があります。
    土用に土を犯すことは忌むべき
    丑の日に大根の種をまかない
    葬送は延期する          
などです。

理由は、「土用」の期間は土の「気」が盛んなので、土に触るのはよくないと言われて
      いること。
      また季節の変わり目であるため体調を崩しやすいので農作業のような
      大仕事は慎むべきだと言うものです。

現在では医療も発達し、また農家も機械化が進み、それほど気にしなくても良と
思いますが、季節の変わり目だけは健康に十分注意しましょう。



(一言メモ)

 「土用の丑の日のうなぎ」について
 一説では、江戸時代に夏になると暑くてうなぎが売れず困ったうなぎやが蘭学者
 の平賀源内に相談したところ、「今日は土用の丑の日です」と看板を出すように
 言われ、それを実行したところ大繁盛したのがきっかけと言われています。

 又うなぎにはビタミンAが豊富に含まれており、それ以外にもビタミンB,D,Eや
 たんぱく質、カルシュウム、鉄分などの栄養素があり、夏ばて予防に効果があると
 されています。

 現在では「夏ばて予防」を売り文句に、うなぎが飛ぶように売れていますが、よく
 考えてみれば、今も昔も業者の販売戦略に乗せられているような気がしますが、
 皆さんはどのように思われますか?


地震

2008-01-17 | 時事

家庭菜園のブログでありながら、記事内容が異なって申し訳ありません。

しかし菜園よりも重要と感じた事柄については、簡単ではありますが出来るだけ書きたいと思っております。

さて今日は「阪神淡路大震災」から13年目となる忘れる事の出来ない日です。

あの都市部を襲った直下型の地震は関東大震災以来です。

それまでは関西地方は地震が少ないと言われており、殆どの人が地震の備えをしていなかったと思います。

その関係もあったのでしょうか、いや備えをしていても大差ないと思いますが、被害は想像をはるかに超えるものでした。

被害状況の一部を下記「一言メモ」に書いておきます。
改めて地震の恐ろしさを感じずにはいられません。

昔から日本は地震列島と言われています。

その後も各地で地震が多発して大きな被害が出ている事は既にご存知の通りですが、念のため調べてみましたら、平成8年以降に震度4以上の地震はなんと87回も発生しています。

中でも大きいのは
 平成16年10月23日の「新潟県中越地震」   死者 68名、負傷者 4,805名
 平成19年 7月16日 の「新潟県中越沖地震」 死者 14名、負傷者 2,345名 です。

将来「東南海地震」が起きるといわれていますが、その発生確率は
   10年以内  20% 
   30年以内  60%
   50年以内  90%  と言われています。

昔から怖いものの例えに「地震」、「雷」、「火事」、「親父」と言われていますように
地震は本当に怖いものです。

しかし何の前触れもなく、突然発生する自然災害なので防ぎようがありません。
対策は被害を少なくするように万全の備えをするのみです。

13年前のあの大震災をもう一度思い起こして震災に備えようではありませんか。



(一言メモ)

阪神淡路大震災の被害状況を簡単に書きますと
  犠牲者       6,434  人
  家屋の全半壊   25万 棟     一部損壊   390,506 棟
  被災世帯       46万 世帯    
  住宅全焼      7,483  棟     罹災世帯        9,017 世帯
    被害総額           10兆円 規模
と言われています。

また将来発生が予想される「東南海地震」の被害は
 全壊棟数  381,000棟
 死者数     6,500人
になると予想されています。

そして同時に発生する可能性があるとされる「東海地震」の被害は
 全壊棟数  460,000棟
 死者数     9,200
が予想されています。






 


成人式

2008-01-16 | 伝統行事

大阪の名門料亭「船場吉兆」が今日民事再生法の申請手続きを開始するとの報道がありました。

不正を行い、消費者の信用を裏切ることは、名門企業でさえ倒産の憂き目に会うと言う事ですね。

新しい経営者の方にはその影響の大きさを改めて認識してほしいと思います。


倒産ではありませんが、周りに与える影響の大きさから見れば成人式においてもこれと同じようなことが言えるのではないでしょうか。

善良なる青年たちが大人の世界に入っていくための厳粛な式典において、一部の不埒な若者達が騒ぎ立てる事態がたびたび起きています。

主催した方々、参加している同世代の人々に多大な迷惑をかけていることをなんと心得ているのでしょうか。

誠に嘆かわしいことです。

私の子供の頃は、家庭では勿論、学校においてもまた近所の大人たちまでも
「嘘はつくな!」、「人に後ろ指を指されることをするな!」、「父母を敬え!」
「清く、正しく、美しく、生きよ!」などと指導されたものです。

日本人の良いところは礼節を重んじ、潔い心の持ち主ではなかったでしょうか。

現在においてはこのような言葉は死語なのでしょうか?

  皆さんはどのように思われますか?
  私だけが感じるボヤキなのでしょうか?


 (一言メモ)

 成人式のルーツについて

 昔は成人を祝う儀式として 男子は元服、褌祝(ふんどしいわい)、
                  女子は裳着(もぎ)、結髪      
 などがありました。

 今の形態の成人式は昭和21年11月22日に埼玉県蕨町(現蕨市)で実施された
 「青年祭」がルーツとなっているようです。

 そして昭和23年に公布施行された祝日法により、翌年の1月15日を成人の日
 として制定され平成11年まで続きました。

 平成10年の祝日法(通称ハッピーマンデー法)の改正により、平成12年からは
 1月の第2月曜日に行われることになり現在に至っています。

 このハッピーマンデー法の目的は祝日を月曜日に移動する事により、観光その他
 の個人消費を増やし、景気回復を図る為と記憶しています。

 このほかにも月曜日に移動された祝日は
          「海  の 日」 ( 7月20日 ⇒   7月の第3月曜日)
          「敬老の日」 ( 9月15日 ⇒   9月の第3月曜日)
          「体育の日」 ( 10月10日 ⇒ 10月の第2月曜日)
                                       があります。

 目的に沿って個人消費の増加にご協力ください。



小正月

2008-01-15 | 伝統行事

昔から、1月は「いぬ(去ぬ)」、2月は「逃げる」、「3月は「去る」と言いますが、本当に月日の経つのは早いものです。

先日お正月を迎えたかと思えば今日は早くも15日です。     

そして今日は「小正月」です。           

この言葉は最近あまり聞きませんが、田舎にいる頃は祖父母や父母からはよく聞いたものです。

質問!  それではお正月は1日の「正月」と15日の「小正月」と2回あるのですか?
いいえ、他にもう1つ正月があります。        

それは「旧正月」です。

旧暦の1月1日を旧正月と言い、今年は2月7日がその日に当たりますが詳しくはその時に書きます。


さて本題の「小正月」についてですが、これは1月1日の大正月(おおしょうがつ)に対し15日を小正月(こしょうがつ)と言っています。

昔は月を基準にして1ヶ月を数えていました。そして1ヵ月は満月から満月までとし、
一年の最初の満月を正月としてお祝いしていました。

それが今日の小正月の謂れとなっています。
                                 
地域によっては「二番正月」とも言います。

また「女正月」とも言い、暮れから正月にかけて忙しく働いた主婦を家事から解放してあげよう意味があるそうです。

小正月の行事は 正月飾りを燃やす「とんど焼き」、
             1年の無病息災をお祈りして食べる「小豆粥」
などがあります。

いづれも現在においては余り関心が持たれない行事となっていますが、明治、大正生まれのお年寄りがおられる家庭では今でもこの行事が行われているのではないでしょうか?

核家族化とともに、このような日本の伝統行事が忘れ去られていくのは少しさみしい気がします。
                                   

(一言メモ)

 「とんど焼き」の語源は火が燃える様子を「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃し立てた
 囃子言葉がなまったと言う説、
 どんどん燃える様子から「どんどん焼き」、「どんど焼き」、「とんど焼き」などと言わ 
 れるようになったとの説があります。

 いづれも悪霊払いの行事として平安時代に宮中で始まったのが起源とされていま
 す。 
               
 「小豆粥」は中国でも日本と同様に健康を祈る慣わしとして現在でも残っているそう
 です。


奈良若草山の山焼き

2008-01-14 | 伝統行事

昨日(1月14日)は恒例の奈良若草山の山焼きが行われました。

例年、枯れ草の火が山の斜面に燃え広がり、壮大な火の祭典としてテレビに映し出されますが、今年は数日前の雨の影響で枯れ草が湿っていたためか、例年に比べて火の勢いが弱いように感じました。

地球温暖化問題で二酸化炭素の排出が問題視されている現在、農家における田畑の野焼きは厳重に取り締まられます。

しかし伝統行事のこの山焼きは問題ないのでしょうか? 

少し疑問を感じます。


理屈はさておき、若草山の山焼きはいつ頃からそして何を目的に始まったのでしょうか?

一説によると江戸中期に若草山の山頂にある鶯塚古墳から幽霊が出て、人々を怖がらせると言う迷信があったそうです。
そして翌年の1月頃までに山を焼かなければ不幸な事が起きると言い伝えられ、それによって通行人が放火する事件がたびたび起こりました。
奉行所から放火禁止の御触れが出ても、放火は続きました。
それが「鶯陵」に眠る霊魂を鎮める祭礼となって現在に至っているというもの。

また一説には春日大社、東大寺、興福寺の領地争いを仲裁しようとした奈良奉行が境界をあいまいにするために火をつけたと言う説もあります。

領地争い説には神社、お寺が異議を申し立てていると言われております。

どちらの説にしても、今では全国的に知られた奈良県の観光行事の1つです。

以前は京阪神から多勢の観光客がきたそうですが、テレビの全国ニュースで流れる近年はどうなのでしょうね。

各地の祭事などを見るときにその由来や目的を知っておけばまた別の見方ができて、今までと違う認識が持てるのではないでしょうか。

これからも各種行事について簡単に書いていきたいと思います。

 
(一言メモ)

 鶯塚古墳は5世紀ごろ築造された全国でも珍しい山頂にある全長103mの前方後
 円墳だそうです。

 仁徳天皇皇后の墳墓との伝承があるようですが詳細は不明です。

 名前の由来は、清少納言の「枕草子」に記されている「うぐいすの陵(みささぎ)」が
 この古墳と言われており、そこからこの名前がついたようです。


蝋梅

2008-01-13 | 

今日13日(日)は都道府県対抗女子駅伝がありました。

京都チームが大会新記録で4年連続優勝しました。

2位は兵庫、3位は岡山の順位でした。

正月の箱根駅伝もそうですが、冬の寒い気候の中、一生懸命に走る選手の皆さんには頭が下がります。

全力を尽くされた選手の皆さん本当にお疲れ様でした。感動をありがとう!


さて今日は蝋梅について書きたいと思います。

3年ほど前に知人に頂いた蝋梅が、僅か一輪ですが初めて花をつけました。





僅か一輪のこの花を見ていると、マラソンと同じように、この寒空に懸命に頑張って咲いているような、そんな感じがして心温まる思いです。

そう言えば蝋梅の花言葉は「慈愛」、「温かい心」だそうです。

蝋梅には「素心蝋梅」(そしんろうばい)、
      「満月蝋梅」(まんげつろうばい)、
      「唐蝋梅」(とうろうばい)
       などの種類があるそうです。

一番よく植えられているのは「素心蝋梅」と言われていますので、私の庭に咲いた花も「素心蝋梅」かと思います。

名前の由来は、原産地の中国で「蝋梅」と言われていたので、そのまま和名になったと言う説と、花が蝋に似ていることからこの名前がついたと言う説がありますが、真相はわかりません。

英語では「winter sweet」と呼ばれ、その名の通り甘い香りが漂います。

蝋のようにきれいな花なので、育ててみたい方は挿し木で一度お試しになっては如何でしょうか?

下記の「一言メモに」挿し木の方法を簡単に書きます。


(一言メモ)

 「蝋梅」の原産地は中国中東部の山奥と言われています。
 日本には江戸時代末期に入ってきたそうです。

 増やし方は
   種を蒔いて育てる
   取り木をする
   挿し木をする
 などの方法がありますが、簡単で早く花を楽しみたいならば挿し木がお奨めです。

 私の知人も挿し木で増やされたそうです。

 方法は春先に伸びた新梢を6月~7月頃に2枚の葉をつけて10㎝くらいに切り、
 赤玉土に挿します。

 早ければ3~4年で花が咲くかと思います。


鏡開き

2008-01-11 | 伝統行事

今日11日は「鏡開き」ですね。

正月にお供えした鏡餅を下げて、雑煮や汁粉などにして食べます。

これは正月に神様にお供えした鏡餅を食べることにより、神のご利益を授かりたいと言うことと、今年一年の無病息災をお祈りするとの意味があります。


一方酒屋さんでも「鏡開き」があります。

酒屋さんでは酒樽の上蓋のことを「鏡」と呼んでいます。

祝賀会や竣工式、結婚披露宴などで酒樽の蓋を木槌で割って開き、振舞い酒をしているのをよく見かけますね。

元々は「鏡割り」と言ったのですが、めでたい席で使うことが多いので「割る」をやめて「開き」に改めたようです。

酒屋さんの「鏡開き」は正月のそれから来ているようです。



(一言メモ)

 江戸初期以前は1月20日に「鏡開き」をしていたそうです。

 ところが1651年1月20日に3代将軍家光が亡くなった為、幕府はこの日を忌日 
 とします。

 そして「蔵開き」の日であった11日に「鏡開き」を変更し、それが現在に至っている
 ようです。

 また鏡餅は手や木槌で割って細かくします。決して包丁は使用しません。

 これは、元々この行事が武家社会から広まったと言われており、包丁で切ることは
 切腹を連想するためです。

 また一説には、長期間お供えをしているので包丁が使用できないくらい餅が固くな
 っているので、止む得ず木槌を使用するとも言われております。

 現在では後者の方が当っているのかな?