孫が来ると決まってトランプ遊びをします。
今は子供のカードゲームと言えばトランプですが、昔は「いろはかるた」がありました。
「いろはかるた」 は、「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為(うい)の奥山 今日越えて、浅き夢見し酔(ゑ)ひもせず」(涅槃経)という仏教精神を和文で表わしたと 言われており、 「いろは歌」 47文字と、「京」 を合わせた 48文字を、句の頭において作った 短歌のかるたで、江戸中期に京都で作られ、大阪、名古屋、江戸に広がってきたと いわれています。
この「いろはかるた」の内容は江戸、大阪、京都、名古屋等で各々異なっているようです。
例えば、江戸、大阪、京都では下記のようの内容となっています。
江戸 大阪 京都
「い」 犬も歩けば棒に当たる 一を聞いて十を知る 一寸先は闇
「ろ」 論より証拠 六十の三つ子 論語読みの論語知らず
「は」 花より団子 花より団子 針の穴から天井をのぞく
私の子供の頃によく遊んだいろはかるたは江戸式だったようで、「は」に続いて「に」は憎まれっ子世にはばかる、「ほ」は骨折り損のくたびれ儲けと続いていました。
さて、このいろはかるたの最初の句である「犬も歩けば棒にあたる」の意味をご存知でしょうか?
『犬も歩けば棒にあたる』というこの諺は、二つの意味があるようです。
一つは、【犬も出歩いていると棒にぶつかることもある】、即ち、「出過ぎると、時に災難に遭うこともある」というもので、もともとの意味は、犬がうろうろと動き回ると人が持っている棒でたたかれて災難にあうことから、 でしゃばりすぎると思いがけない災難にあうというものです。
もう一つは、【幸運説】で、「出歩いて行動していれば、思わぬ幸運にあうこともある」とするものです。
これは「当たる」という言葉の印象から、何かをしているうちに思いがけない幸運があると言う、前者と反対の意味で使われています。
江戸時代にはすでに両方の意味があったようであり、その人の価値観や受け止め方で解釈が違っていたようだと言うことです。
先日、畑の近くを散歩していた時、昨年から名前が分からなくて気になっていた花を見つけました。
この花の名前は半年ほど前に偶然にもネットで知ることができ、再びこの花に出会える時期を待っていたところです。
今日はその気になっていた花をご紹介します。
その花は「ハツユキソウ」という花でした。
ハツユキソウはトウダイグサ科トウダイグサ属(ユーフォルビア属) の一年草で、原産地は北米南部 だそうです。
北アメリカ原産のポインセチアや花キリンと同じ仲間で、とっても小さな目立たない花が咲きます。
しかし、このハツユキソウは花を見るよりも葉を観賞する植物のようです。
・白と緑の涼しげな清涼感が漂うハツユキソウです。
ハツユキソウの草丈は1m前後に生長しますが、茎はまっすぐ直立して上の方でいくつかに枝分かれします。
茎の先端近くにつく葉はフチが白く彩られ、夏~秋に白い小花を咲かせます。
科学技術研究所のHPによれば、葉や茎の切り口から出る乳白色の液は皮膚に炎症をおこすことがあると、注意を喚起しています。
・これが余り目立たないハツユキソウの花です。
名前の由来は、薄っすらと雪化粧をしたように見えることから初雪草と名付けられたそうです。
葉の白とグリーンのコントラストが夏には涼しげで、花壇などで楽しむほか切り花にも利用されているようです。
15日~17日までブログの書き込みを休ませていただきました。
今日から再開しますのでよろしくお願いします。
今、甲子園では高校球児たちが連日35度を超える猛暑の中で熱戦を繰り広げています。
この大会の下馬評では、センバツ優勝校の浦和学院や夏の大会連覇を目指した大阪桐蔭高校、センバツ準優勝の済美高校、更には昨年の覇者である日大三校等が優勝候補として有力視されていましたが、いずれも1回戦、或いは3回戦までに敗退してしまいました。
しかし勝敗に関係なく、高校生たちのはつらつとした真剣なプレー、そして彼らの笑顔や涙にはとても感動を覚えます。
この高校野球、現在では日本中を巻き込む一大イベントとなっていますが、始まったのは今から98年前の今日と言うことを御存じだったでしょうか?
高校野球は今から98年前の1915年(大正4年)8月18日に全国高等学校野球選手権大会の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会が開会されたのが始まりです。
そしてこの事が由来となって、今日8月18日は「高校野球記念日」となったそうです。
第1回全国中等学校優勝野球大会は大阪の豊中球場で開会され、大会には地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、京都二中が優勝したのだそうです。
甲子園球場が会場になったのは第10回の1948年(昭和23年)からで、その名称も全国高校野球選手権大会となったそうです。
今年は東日本勢が頑張っているようです。
今大会のベスト8は今日出揃い、22日の決勝戦を目指して激戦を繰り広げることになりますが、どの高校が優勝するのか5日後が楽しみですね。
カケス
春日八郎が歌った名曲に「別れの一本杉」があります。
作詩の船村 徹は“山のかけすも 啼いていた”と詠んでいますが、その歌詞は下記の通りです。
別れの一本杉 歌 春日八郎
〽 泣けた 泣けた
堪えきれずに 泣けたっけ
あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 啼いていた
一本杉の 石の地蔵さんのヨ
村はずれ
この歌に歌われているカケスと言う鳥をご存知でしょうか?
私は名前は知っていましたが実物は勿論、写真も見たことが無かったので調べてみました。
懸巣(かけす)はスズメ目、カラス科に分類される、ハトよりやや小形の鳥で、日本では九州以北で繁殖する留鳥です。
全体がブドウ色をしており、尾は黒色で、翼に白と藍との美しい斑があります。
名前の由来は、カラス同様、巣を木の枝の間に作る、掛けるので、掛ける巣から、カケスと呼ばれるようになったそうです。
また、カシの実を好んで食べたり貯蔵したりすることからカシドリとも呼ばれています。
・これがカケスです(ウィキペディアより)
「お詫び」
いつも当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
誠に勝手ながら、明日15日から17日まで休ませていただきます。
18日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。
ホオズキ
今日から月遅れのお盆です。
月遅れのお盆は今日8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間を言い、この期間に生前過ごした家に帰ってくるとされる祖霊や近親者の霊を迎えて供養するものです。
このお盆に欠かせない花の一つがホオズキで、昔の人はこのホオズキの赤い玉を提灯や霊魂に見立てたりしていたそうです。
「月遅れのお盆」
月遅れのお盆の由来は、日本では7月か8月のいずれかに「お盆」を行うことが多かったのですが、明治初期当時、「お盆」が7月15日では、国民の職業の8割を占めていた農家の人達にとって、もっとも忙しい農繁期と重なり都合が悪いために「お盆」をひと月遅らせ、ゆっくりとご先祖様の供養ができるようにと8月に変更したようです。
・1週間前に漸く色づき始めた畑のホオズキです。
・がくに包まれたホオズキの果実を枝付きで精霊棚(盆棚)に飾り、死者の霊を導く提灯に見立てるそうですが、お盆に合わすかのように赤く色づいてきました。
「ホオズキの名称の由来」
一説に、果実を鳴らして遊ぶ子どもたちの頬の様子から「頬突き」と呼ばれるようになったという説と、カメムシ(古名:ホウ、ホオ、オホ)がこの植物によく集まって吸汁することから「ホオ好き」、「オホ付き」などと呼ばれるようになり、「ホオズキ」と呼ばれるようになったという説がるようです。
閑古鳥
商売などで人が集まらずさびしい様子を「閑古鳥が鳴く」と言いますが、この閑古鳥という鳥をご存知でしょうか?
調べてみると閑古鳥とは「カッコウ」の別名で、「かっこうどり」から「かっこどり」更に「かんこどり」になったと言われています。
そして、カッコウの鳴き声が何故淋しい様子を表しているのかと言うと、「カッコウ」の鳴き声の"かっこう、かっこう..."は人里離れたさびしい山の情景を思わせると言われ、そこから、"寂れている"という意味で使われるようになったそうです。
・閑古鳥の別名があるカッコウです。(ウィキペディアより)
カッコウ(閑古鳥)をネットを調べたところ、上記の写真がウィキペディアに写真が載っていたのでご紹介します。
それによると、カッコウはホトトギス目、ホトトギス科の野鳥で大きさは35㎝くらいの鳥です。
頭部と体の上面は青灰色、尾は灰黒色で胸と腹部は白くて細い黒帯があります。
特徴は尾は長くてくさび形、翼の先がとがっています。
夏鳥として九州以北の原野に渡来し、緑林や明るい林に棲み、主に昆虫などを樹上で捕食するそうです。
鳴き声はカッコウ、カッコウと繰り返し鳴きます。
鳥居
連日、うだるような猛暑日が続いています。
このような時には神社などがある森に行くと涼しくていいですよね。
木立の中でそよ風に吹かれながら、蝉の鳴き声を聞いていると涼しい夏が実感できるのではないでしょうか。
さて、今日は神社にある鳥居と鳥の関係を調べました。
鳥居は、"鳥が居る"と書くので、鳥と何らかの関係があるはずですよね。
調べてみると、鳥居は鶏の止まり木をシンボル化したものと言われているようです。
昔、悪霊は夜にやってきて夜明けとともに去っていくといわれていました。
そのため、明け方に鳴く鶏が悪霊を追い払っていると信じられるようになり、その鶏の止まり木として鳥居を立てたと言われています。
・『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」の外鳥居です。
他の有力な説として、五十鈴神社HPによると、「アマテラス」が天の岩戸にお隠れになった際、「オモイカネ」が「アマテラス」を岩戸の外に出す策を考えました。
その中で真っ先に手配したのが「長鳴鳥(ながなきどり:鶏)」、天の岩戸の外に「長鳴鳥」の止まり木を作り、ありったけの「長鳴鳥」を集めて鳴かせたとあります。
天の岩戸を神様のお鎮まりになるところと考え、その手前の止まり木、鳥が止まる木、鳥が居る木…鳥居…が鳥居の由来と考える説があるようです。
いずれにしても鶏の止まり木が鳥居の由来のようです。
腸の掃除をしてくれると言われている「こんにゃく」は健康によいそうですが、皆さんはお好きでしょうか?
「こんにゃく」は、平安中期に書かれた辞書に載るほど古くから存在し、当時は腸の調子を整える薬として貴族が用いる貴重品だったようで、庶民が日常的に食べるようになったのは江戸時代からといわれています。
嘗ては、「こんにゃく」は生のこんにゃく芋をすり潰して作るため、収穫期の秋から冬にかけてしか作れませんでしたが、江戸時代後期に、こんにゃく芋を粉末にする技術が開発されたことで、一年中作ることが可能になり、様々な形状の物が登場してきました。
その一つがお鍋やすき焼きに欠かせない白くて細い糸状のこんにゃくです。
この糸状のこんにゃくの名称が関東と関西で分かれ、関東では「しらたき」、関西では「糸こんにゃく」と呼ばれているようです。
その由来を調べると、実は江戸時代には、「糸こんにゃく」と「しらたき」では作り方が違っており、それが名称が分かれた要因となっています。
まず、「糸こんにゃく」は板状に固めたこんにゃくを包丁などで細長く糸状に切って作ることから、そのまま「糸こんにゃく」と呼ばれ、一方の「しらたき」は、精製された白いこんにゃく粉を水に溶き、のり状になったものを円筒の小さい穴から湯の中に押し出して作ることから、その様子が水しぶきをあげて落ちる滝のように見えるので「白滝」と名付けられたそうです。
この白いこんにゃく粉は水戸藩が専売していたこともあり、「しらたき」は江戸を中心に流行し定着していきました。
他方、関西では従来の黒っぽいこんにゃくを好んだため、「しらたき」は定着しなかったのではといわれています。
今では作り方や色に区別もなく、「糸こんにゃく」と「しらたき」に明確な線引きはありませんが、昔の名残からか、関西では糸状のこんにゃくを全て「糸こんにゃく」と呼んでいるようです。
毎日健康ジョギングをしている人が多いと思いますが、今年の夏は猛暑が続いているので熱中症には十分注意していただきたいと思います。
夏の日中や寒い冬には冷房の利いた体育館に行ってランニングマシーンを利用するのもいいのではないでしょうか?
近年の健康意識の高まりから家庭用のランニングマシーンであるルームランナーが普及しているようですが、今日はこの由来について調べました。
今では一般的なこのルームランナーは、元々、刑罰のためできた器具だそうです。
ルームランナーは、英語ではふつう treadmill (トレッドミル)と呼ばれています。
言葉の成り立ちは、windmill=風車、watermill=水車と同じで、踏む(tread)製粉機(mill)のことです。
もともとは水車を人が踏んで、これを動力にして製粉したり、ポンプにして水をくみ上げたりしていたものですが、1817年、イギリスのウィリアム・カビットが、刑務所に収監されている囚人がだらけないように、勤勉の心を得るようになど、犯罪者の矯正のためにトレッドミルを導入し、その副産物として小麦をひいたと言うことです。
その後、1954年にワシントン大学のロバート・ブルースとウェイン・クイントンが心臓や肺の疾患を診断するための医療用のトレッドミルを開発し、更に、1968年にはケネス・クーパーの無酸素運動(アエロビクス)理論がトレッドミルや自転車こぎの普及に貢献して、この年にAerobics社が家庭用のトレッドミルを作ったとのことです。
今日8月8日は「そろばんの日」だそうです。
そろばんの玉を「ぱちぱち」と弾く音の語呂合わせから、全国珠算連盟が1968年に制定したものだそうですが、私は就職してから退職するまで、そろばんを常に手元において使用しており、大変世話になった一人です。
そこで今日はそろばんの歴史について調べました。
日本への伝来は約500年ほど前、室町時代の末頃に長崎か大阪の堺の港に入ってきたようですが、そのそろばんは、五玉が2個、一玉が5個あったそうです。
日本では、そろばんが広まるにつれて、「和算」という日本の独特の数学の発達とともに、そろばんを使ううちに、五玉を1個にしたほうが便利だと気がつき、今から,100年ほど前になると、五玉が1個のそろばんを使う人が多くなりました。
そして、昭和13年になると、全国の小学校では4年生からそろばん学習が必修になったようです。
約4000年ほど前にメソポタミア地方で生まれたそろばんはシルクロードを通って中国へ渡り、そして日本へ入って大きく花を咲かせ、こんどは太平洋を越えてコンピューターの国アメリカへ伝えられました。
今ではそろばんが算数の教具として注目され、世界の多くの国で小学校教育の中で指導されているそうです。
そろばんが外国で広がっている事から、大阪市珠算協会は日本に在住している外国人のために1986年に外国人のためのそろばん講座を始めました。
これが成功して70カ国以上の人たちが受講しにきており、その人たちの上達ぶりは予想以上に早く、平成16年では初段に1名、1級に1名、2級に6名、3級に27名が合格しており、4.5.6級に関しては約270名が合格しているそうです。