代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

サミュエルソンの悪徳

2009年12月27日 | 新古典派経済学批判
 去る12月13日、戦後の米国を代表する経済学者ポール・サミュエルソンが亡くなりました。ちょっと遅れましたが追悼文を書かせていただきます。私から見て、サミュエルソンの業績を一言で評せば、「経済学に非科学的な方法論を導入するのに貢献した第一級の人物」ということになりましょうか。サミュエルソンご本人を送ると共に、サミュエルソンの遺した悪しき方法論そのものも送ることにいたしましょう。  私のような非経済 . . . 本文を読む

私にとってのマルクス ③

2009年02月06日 | 新古典派経済学批判
私としてはマルクスの『資本論』を読もうというよりは、ケインズの『一般理論』を読もう、と言いたいです。  ミクロの集合的ふるまいはマクロに影響を与え、マクロからミクロにフィードバックされると、ミクロレベルの当初の期待とは違った結果をもたらす。ミクロの合理性追及ばかりを「正義」と主張する市場原理主義者や構造改革礼賛論者や小泉=竹中ファンの方々は、この「合成の誤謬」を分かっていない。これが彼・彼女らの致命的な思考的欠陥なのです。 . . . 本文を読む

私にとってのマルクス ②

2009年02月06日 | 新古典派経済学批判
 前の記事の続きです。塩沢由典先生は、前の記事で紹介した『学鐙』誌上のエッセイで、佐藤優氏の『私のマルクス』(文藝春秋)を高く評価しております。佐藤氏の前掲書は私も読みました。クリスチャンである佐藤氏の『私のマルクス』は、高校から大学時代にかけてマルクスと神学との間で激しく揺れ動いた思想的格闘の軌跡と学生運動の実践経験を書き綴ったものです。私も佐藤氏と同じ京都で学生生活を送り、佐藤氏の学生運動経験 . . . 本文を読む

私にとってのマルクス ①

2009年02月02日 | 新古典派経済学批判
 先月、私が昨年5月に書いた「拝啓 佐藤優様、マルクスなんか読む必要ないって!」という記事に対し、経済学者の塩沢由典先生(複雑系経済学を切り開いたパイオニア)がコメント下さいました。そのコメントの中で塩沢先生は、丸善の書評誌『学鐙』105(2)(2008年夏号、22-25)に書かれた「マルクス『資本論』 読みなおし・読みなおしの楽しさ」というエッセイを紹介して下さいました。  大変に興味深い論考で . . . 本文を読む

クルーグマンの貿易理論について一言

2008年10月14日 | 新古典派経済学批判
 収穫逓増の貿易理論は国際収支が均衡しない理由を説明するし、政府介入を正当化する。クルーグマンの理論は、そもそもは伝統的な新古典派の「比較優位論」を否定する、複雑系の貿易理論の端緒となる反自由貿易論だった。新古典派的な比較優位論を打ち崩す内容のものなのだ。  ところが、クルーグマン本人は、いったんは収穫逓増理論で新古典派の比較優位論を崩し、複雑系の理論に足を踏み入れ始めたかに見えたが、その後、保守化した。1990年代の半ばごろから、収穫逓増の研究を打ち止め、「比較優位論はたいへん美しい理論であり、ただ経済学者だけが理解できるようである」などと述べたりするなど、態度を豹変させたのである。 . . . 本文を読む

脱新古典派宣言: (書評)進化経済学会編『進化経済学ハンドブック』(共立出版)

2006年12月13日 | 新古典派経済学批判
 新古典派経済学は、「均衡」と「最適化」という二つのドグマを正当化するために、さらに多くのドグマとパラドックスを積み重ねてきました。本書で塩沢由典先生が批判するのは、「均衡のドグマ」「価格を変数とする関数のドグマ」「売りたいだけ売れるというドグマ」「最適化行動のドグマ」「収穫逓減のドグマ」「卵からの構成のドグマ」「方法論的個人主義のドグマ」と合計7つのドグマであり、それらは全否定されます。「均衡のドグマ」を拒絶した後、「進化経済動学」の教科書の第一章に書かれるべき基礎的理論は、生物学で発達した個体群動学の理論だと私は思います。ロジスティック関数とその応用系であるロトカ=ヴォルテラ競争方程式などは、大学で生物学を勉強した人なら皆が知っている理論です。でも、これまでの経済学者は無視し、体系の中に取り込もうとはしませんでした。 . . . 本文を読む

新古典派経済学とピグマリオン症

2006年12月03日 | 新古典派経済学批判
新古典派経済学は、「消費者は限界代替率と価格の比が等しくなるように商品を需要し、生産者は限界収入と限界費用が等しくなるように商品を供給する」とします。私は誓って言いますが、この地球上にそのような事を行っている消費者も企業も存在しません。実験的事実に基づかない公理系を捏造して、理論体系を構築するのは科学を冒涜しています。  新古典派は限界費用は逓増すると主張しますが、ほとんど全ての近代産業において、限界費用は逓増せず、逓減します。そのような地球上に存在しないような空想上の費用曲線の仮定の下に「証明」された定理など、全く意味はないのです。 . . . 本文を読む

合成の誤謬と小泉内閣

2006年05月01日 | 新古典派経済学批判
 酔狂人さんが合成の誤謬についての記事をTBを下さいました。私が「日本のマスコミは合成の誤謬も理解していない」と苦言を呈したのですが、それを受けて合成の誤謬を論じてくださっています。  以前、ふるちんさんから主流経済学への疑問と複雑系経済学への期待を述べたTBをいただきました。そのTBへのコメントとして、私は次のように書きました。 <私自身のコメントの引用開始>  ちなみに、シロートの立場から . . . 本文を読む

新自由主義(ネオ・リベラリズム)、小さな政府、市場原理主義

2005年09月16日 | 新古典派経済学批判
 今の小泉政治の経済政策の呼び方に関して、「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」「小さな政府」「市場原理主義」・・・いろいろな呼び方が飛び交っています。私のブログでは「市場原理主義」という呼び方を使うようにしています。じつは、この呼び方は一番激しい言葉の使い方に思われるかも知れませんが、もっとも価値中立的な言葉だからです。  新自由主義(ネオ・リベラリズム)という言葉がどこで使われ始めたのかという . . . 本文を読む

新古典派経済学と複雑系経済学 ②

2005年04月07日 | 新古典派経済学批判
 昨日の記事の続きで複雑系の話題です。非平衡熱力学における複雑系理論の開拓者であり、ノーベル化学省を受賞したイリヤ・プリゴジンらは、ニュートンからラグランジュ、ハミルトンへと続く古典力学の流れの中で、「時間」は「失われた次元」となったと述べています(イリヤ・プリゴジン、イザベル・スタンジェール『混沌からの秩序』みすず書房、を参照)。  ラグランジュやハミルトンの解析力学の体系にあっては運動方程式 . . . 本文を読む

新古典派経済学と複雑系経済学 ①

2005年04月06日 | 新古典派経済学批判
 最近、仕事で多忙だったためブログの更新ができず申し訳ございませんでした。本日は少しアカデミックな話題をいたします。3月13日の私のブログの記事「政府の失敗再考」に、経済学者の塩沢由典先生が訪れてコメントをしてくださいました(塩沢先生がコメントしてくださったのは3月25日)。私が塩沢先生のブログにコメントしたら返信して下さったのです。塩沢先生は、進化経済学/複雑系経済学と呼ばれる分野に関して、世界 . . . 本文を読む