10月7日の八ッ場ダム住民訴訟の埼玉裁判の控訴審判決。私は授業で傍聴に行けなかった。ジャーナリストのまさのあつこさん(かつ博士(工学)の政野淳子さん)が、判決の問題点について簡潔・的確にツイートしていた。以下、まさのさんのツイートを水色字で紹介する。白字は私のコメントである。
***以下、まさのさんのツイッターより引用****
https://twitter.com/masanoatsuko
東京高裁が八ッ場ダム住民訴訟の判断の枠組みに使ったのは『一日校長事件』。退職前に一日だけ校長にしてより高い退職金などを払う知事による支出を違法と訴えた事件で、教育委員会による人事に知事は干渉できないとして退けられた事件。
国が納付通知をしたら県はそれを支払わないでいることはできない、と高裁は判断。住民の訴えを退けた。知事と教育委員会の関係と、国の事業に県が負担金を払う関係は、枠組みが全く違うとノモト弁護士は原告と支援者への報告会で整理した。
利水について、住民側は『国の八ッ場ダム事業に埼玉県か参画しなくても水は確保できる』。裁判官はこれを『一つの評価としてありうる指摘』だが、知事がダム使用権を取り下げ、負担金を払わないと言えるほどの裁量の逸脱があるとは言えないと裁判官は判断。
治水について、住民側は『河川法63条に基づけば、負担金を払う要件は、治水上の著しい利益があること。八ッ場ダムができても水位低減効果は数センチに過ぎない。著しくない。支払いは違法』と訴え、裁判官は国から納付通知が来て、重大かつ明白な瑕疵がなければ、県はそれを拒否できないと判断。
→ 八ッ場ダム住民訴訟は八ッ場ダムの負担金を無理矢理に支払わされる一都五県で提訴された。埼玉県以外の判決はすべて出ていたが、唖然とするような愚劣・低劣な判決が続き、私も過去記事で批判してきた。
埼玉裁判が唯一他の判決と違ったのは、「控訴人らの八ッ場ダムに参画しなくても埼玉県としては水源を確保できるという主張はひとつの評価としてはあり得る指摘であるとしても、被控訴人埼玉県知事の上記判断に裁量権の逸脱又は濫用があるということはできない」(判決25ページ)というリップサービスの前置き文章が入ったことだった。
治水についても「控訴人らの治水対策上八ッ場ダムは不要であるという主張は,ひとつの評価としてはあり得る指摘であるとしても」(37ページ)というリップサービス文章が入った。
であるとするならば、この判決が違憲であることは明瞭になる。「国の判断が合理的であるから、各都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのと、「国の判断が間違っていたとしても、各都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのとでは、全く意味合いが異なることがわかるであろう。
後者だとするならば、国の命令に地方自治体は服従の義務があるということである。国と地方を上下関係で見ていることになり、「地方自治は、国から独立し、自らの意思と責任の下でなされる自由主義的・地方分権的要素である」という憲法92条の理念である「地方自治の本旨」に反する。この違憲性は最高裁で争わねばならない。
まさのさんのツイッターのさらに続きの記事を見てみたい。
ところ移して司法記者クラブでの原告弁護団会見。大川弁護士は、『裁判官は国と地方の関係を上下関係でとらえている。国に重大かつ明白な違法があってはじめて自治体は支払いを拒否できると。住民は重大かつ明白な違法を立証できていないと退けた』
→ 実際には、利水にしても治水にしても、小学生の頭脳で一見すれば、その誤りが明白であるような笑止千万な瑕疵だらけである。住民側はそのことを明瞭に立証した。小学生には分かることでも、東大を卒業をすると分からなくなっていくらしい。
水需要予測や洪水想定につき、提訴以来、住民側はデータを提示し過ぎるほど提示し、立証につとめてきた。国は反論すら充分にしてきていない。判断は裁判官に委ねられたが、判断枠組みが『一日校長事件』で、中身は、水が余っても治水効果が小さくても『重大かつ明白な違法ではない』。
大阪では、知事がダムの納付通知を「ぼったくりバーの請求書」だと言い放った。国と地方の関係は今や昭和時代とは違う。原告の一人は「行政と司法は一体だ。学校では三権分立と学んだのだが」と呟いていた。
→ 住民側の「国の明白な瑕疵」の立証に対し、それが誤っていると各都県が言うのであれば、法廷の場で反論すべきなのである。私も証人として法廷に立って国交省とそれを追認する日本学術会議の明白な誤りを証言したが、東京都の側は、まともな反論を何もできなかった。なぜ反論できない人たちが正しいということになるのだろう?
「森林が成長しても利根川の流域の保水機能は変化していない」という国交省の主張など、「明白な誤り」であることは、民主党政権時代には当時の馬淵国交大臣自らが認めたことなのだ。国と学者がグルになってウソをついているという、こんなトンデモを、どうやって小学生に伝えたらよいのだ。
↓ 判決の全文は以下のサイト参照。
http://www.yamba.sakura.ne.jp/shiryo/saitama_k/saitama_k_hanketsu.pdf
***以下、まさのさんのツイッターより引用****
https://twitter.com/masanoatsuko
東京高裁が八ッ場ダム住民訴訟の判断の枠組みに使ったのは『一日校長事件』。退職前に一日だけ校長にしてより高い退職金などを払う知事による支出を違法と訴えた事件で、教育委員会による人事に知事は干渉できないとして退けられた事件。
国が納付通知をしたら県はそれを支払わないでいることはできない、と高裁は判断。住民の訴えを退けた。知事と教育委員会の関係と、国の事業に県が負担金を払う関係は、枠組みが全く違うとノモト弁護士は原告と支援者への報告会で整理した。
利水について、住民側は『国の八ッ場ダム事業に埼玉県か参画しなくても水は確保できる』。裁判官はこれを『一つの評価としてありうる指摘』だが、知事がダム使用権を取り下げ、負担金を払わないと言えるほどの裁量の逸脱があるとは言えないと裁判官は判断。
治水について、住民側は『河川法63条に基づけば、負担金を払う要件は、治水上の著しい利益があること。八ッ場ダムができても水位低減効果は数センチに過ぎない。著しくない。支払いは違法』と訴え、裁判官は国から納付通知が来て、重大かつ明白な瑕疵がなければ、県はそれを拒否できないと判断。
→ 八ッ場ダム住民訴訟は八ッ場ダムの負担金を無理矢理に支払わされる一都五県で提訴された。埼玉県以外の判決はすべて出ていたが、唖然とするような愚劣・低劣な判決が続き、私も過去記事で批判してきた。
埼玉裁判が唯一他の判決と違ったのは、「控訴人らの八ッ場ダムに参画しなくても埼玉県としては水源を確保できるという主張はひとつの評価としてはあり得る指摘であるとしても、被控訴人埼玉県知事の上記判断に裁量権の逸脱又は濫用があるということはできない」(判決25ページ)というリップサービスの前置き文章が入ったことだった。
治水についても「控訴人らの治水対策上八ッ場ダムは不要であるという主張は,ひとつの評価としてはあり得る指摘であるとしても」(37ページ)というリップサービス文章が入った。
であるとするならば、この判決が違憲であることは明瞭になる。「国の判断が合理的であるから、各都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのと、「国の判断が間違っていたとしても、各都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのとでは、全く意味合いが異なることがわかるであろう。
後者だとするならば、国の命令に地方自治体は服従の義務があるということである。国と地方を上下関係で見ていることになり、「地方自治は、国から独立し、自らの意思と責任の下でなされる自由主義的・地方分権的要素である」という憲法92条の理念である「地方自治の本旨」に反する。この違憲性は最高裁で争わねばならない。
まさのさんのツイッターのさらに続きの記事を見てみたい。
ところ移して司法記者クラブでの原告弁護団会見。大川弁護士は、『裁判官は国と地方の関係を上下関係でとらえている。国に重大かつ明白な違法があってはじめて自治体は支払いを拒否できると。住民は重大かつ明白な違法を立証できていないと退けた』
→ 実際には、利水にしても治水にしても、小学生の頭脳で一見すれば、その誤りが明白であるような笑止千万な瑕疵だらけである。住民側はそのことを明瞭に立証した。小学生には分かることでも、東大を卒業をすると分からなくなっていくらしい。
水需要予測や洪水想定につき、提訴以来、住民側はデータを提示し過ぎるほど提示し、立証につとめてきた。国は反論すら充分にしてきていない。判断は裁判官に委ねられたが、判断枠組みが『一日校長事件』で、中身は、水が余っても治水効果が小さくても『重大かつ明白な違法ではない』。
大阪では、知事がダムの納付通知を「ぼったくりバーの請求書」だと言い放った。国と地方の関係は今や昭和時代とは違う。原告の一人は「行政と司法は一体だ。学校では三権分立と学んだのだが」と呟いていた。
→ 住民側の「国の明白な瑕疵」の立証に対し、それが誤っていると各都県が言うのであれば、法廷の場で反論すべきなのである。私も証人として法廷に立って国交省とそれを追認する日本学術会議の明白な誤りを証言したが、東京都の側は、まともな反論を何もできなかった。なぜ反論できない人たちが正しいということになるのだろう?
「森林が成長しても利根川の流域の保水機能は変化していない」という国交省の主張など、「明白な誤り」であることは、民主党政権時代には当時の馬淵国交大臣自らが認めたことなのだ。国と学者がグルになってウソをついているという、こんなトンデモを、どうやって小学生に伝えたらよいのだ。
↓ 判決の全文は以下のサイト参照。
http://www.yamba.sakura.ne.jp/shiryo/saitama_k/saitama_k_hanketsu.pdf