代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

【書評】梶原健嗣著『戦後河川行政とダム開発』ミネルヴァ書房

2014年07月26日 | 八ッ場ダム裁判
 本日でようやく試験が終わった。目下採点中。論述式試験の採点約800枚・・・・。><

 
 
 一息つけたので、最近出た本の書評をしたい。本日紹介するのは、これからの利水・治水を考えていく上でのエポック・メーキングになるであろう著作、梶原健嗣著『戦後河川行政とダム開発』である。著者の梶原氏は、戦後の河川行政に関して、利水・治水に関する工学的・自然科学的内容から、利根川の歴史と行政と河川関係の法律にいたるまでの広範な学問領域をカバーしている。

 一人の著者がこれだけ広い学問領域をカバーし、それぞれにオリジナルな知見を有していることに多くの読者は驚きを禁じ得ないだろう。歴史学、法学はもともと素養のある著者であるが、自然科学の広範な領域までカバーしているのは驚異的なことである。学問が細分化され、専門家がタコツボの中で利権配分にあやかろうとうごめいている昨今にあって、いまでは滅多にお目にかかることのできなくなった、真の知識人による、まことに希少な、志の高い専門書であるといってよいだろう。
 

 本書の主要な問題意識は、「不合理な多目的ダム計画は、なぜ続くのか。その論理と構造の全容を解明する」というものである。このように課題を設定すれば、歴史も、行政も、経済も、法律もあらゆる分野を網羅しなければならなくなる。その原因が法律にあるのか、それとも端的にダム開発を通して国民の税金に寄生してその利権を分け合うという「利権構造」にあるのか、それとも歴史的に形成された何か別の構造にあるのか、理由は分からないからである。あらかじめ「○○学」という特定の学問分野の枠組みに拘泥していたのでは、こうした一般的な問いに対する確かな答えを見つけ出すのは難しくなる。

 さらに前掲の問いに答えるためには、工学や統計学や物理学の知識まで必要になってくる。何となれば、「国の多目的ダム計画が不合理である」ということを実証するためには、国の利水計画と治水計画の誤りを科学的に解明しなければならないからである。

 本書の扱う範囲はこのように広い。

 このブログと関連する問題でいえば、梶原氏は、国交省官僚が「河川の憲法」とまで主張し、治水計画全般を超越的に支配する「科学的数値」とされている「基本高水」が、いかに科学的に不確かなものか、数字の遊戯にすぎないものであるかを明快に論じている。

 全国で「基本高水」という魔法の数字を絶対的な根拠として立案されているダム計画に苦しんでいる流域住民は多いが、この著作は、魔法のトリックの実態を知る上でも必読書といえる。

 その上で、なぜ科学的な合理性のない数字を「憲法」と主張する「基本高水モデルによる治水計画全体の支配」が続くのか? 若干ネタバレになってしまうが、著者の結論は以下のようなものである。

 行政は科学的根拠のない基本高水モデルに執着し、その数値を「憲法」と称して「治水=河川改修+ダム」という視野狭窄に陥っている。その理由は、単に国民の税金にたかってダムの生み出す利権を配分しようとする利権構造のみでは説明しきれないものがある。その真の理由は、民意を河川行政から遮断しようとするパターナリズムにあるというのが著者の結論である。

 このパターナリズムの構造を変えていくことが著者の提案になっていく。

 現在進行中の原発再稼働問題を見ても、TPP問題を見ても、子宮頸がんワクチン問題を見ても、たしかに専門家はあまねくパターナリズム陥りがちである。この構造を変えていくためには、市民が専門家の権威に服従しないだけの、懐疑的精神と広い視野と教養を持つことが必要条件となろう。
 そのためにもぜひ本書を読んでいただきたい。

 
 

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