新年あけましておめでとうございます。
すっかり更新が滞りがちになっています。今年も可能なときに可能な範囲で更新するという不定期ブログになろうかと思います。よろしくお願い申し上げます。
安倍首相の明治維新観の誤り
さて今年は「明治維新150年」。安倍晋三首相も年頭所感で、まず明治維新賛美から始まり、明治の精神に学ぼうと呼び掛けた。
冒頭で安倍首相は、津田塾大学の創設者である津田梅子に言及し、「(梅子は)性別に関係なく個人の能力が生かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることにささげました」と、あたかも、明治になって女性の権利が拡充したかのように述べている。
まず、ここからしてウソである。江戸時代の方がまだしも「性別に関係なく個人の能力が生かされる」可能性があったが、明治になると政治権力などの公的領域の中から女子は徹底的に排除され、女性はひたすら家の中にあって男性に奉仕する存在としてジェンダー的に再定義された。明治の「女子教育」とはそのためのものだった。
江戸時代の寺子屋教育においては、ふつうに男女が机を並べて勉強していた。ところが明治になると、尋常小学校の最初の2年間を除けば、「男女別学」が基本になった。女子教育の本分は「賢母良妻たらしむるの素養を為すため」であるという文部省の方針からである。(文科省のサイト学制百年史参照)
女子教育とは、女性を実社会や公的空間から遠ざけ、家の中にあって、「良妻賢母」として男性社会に奉仕する存在に特化せしめんとする、長州・薩摩の男尊女卑政府の方針の下に行われるようになったのだ。
一昨年出た、長野ひろ子氏の『明治維新とジェンダー』(明石書店、2016年)は好著である。ぜひ安倍首相はこれを読んで勉強されたい。
長野ひろ子氏によれば、江戸時代には江戸城の大奥と、京都の御所の中に、公的・政治的権力としての「女権」が確かに存在した。江戸時代、女性たちは権力中枢にあって、人事を中心に強力な政治性を発揮していた。明治維新とは、女性たちを公的・政治的領域から徹底して排除する革命であった。女性たちは、1946年に至るまで、政治的領域への道を完全に閉ざされてしまったのだ。
明治維新は長州・薩摩による男尊女卑革命
明治維新後に宮内大丞になった薩摩の吉井友実は、大久保利通・西郷隆盛の方針によって朝廷における「女権」の排除を徹底的に行なった。
吉井は、明治4年7月に宮中の女官たちを全て罷免し、吉井は誇らしげに次のように述べた。
「今朝女官総免職。・・・数百年来の女権、唯一日に打消し、愉快極まりなし」(長野、前掲書、129頁)
江戸時代、宮中には吉井の言う通り「数百年来の女権」があったが、それを一夜にして消滅させたのが、明治維新だったのだ。
安倍首相以下、政権中枢にいる方々の歴史認識がいかにおかしいか。田中優子氏は毎日新聞で次のように指摘している。
たとえば自民党の竹下亘氏が宮中晩さん会に同性のパートナーと共に出席することに対し「日本の伝統にそぐわない」と反対したことに対し、田中優子氏は、少なくとも江戸時代までは「日本ほど同性愛者への偏見が無い国は珍しかった」と反論している。明治以降の長州支配の日本が、「伝統にそぐわない」のである。
また、自民党の議員が「日本の伝統」と称して、選択的夫婦別姓に反対しているが、日本で夫婦同姓になったのは明治31年で、江戸時代までは夫婦別姓だった。
「日本の伝統」を理解していないのは誰だろう?
田中優子氏のコラム参照。
https://mainichi.jp/articles/20171213/dde/012/070/012000c
すっかり更新が滞りがちになっています。今年も可能なときに可能な範囲で更新するという不定期ブログになろうかと思います。よろしくお願い申し上げます。
安倍首相の明治維新観の誤り
さて今年は「明治維新150年」。安倍晋三首相も年頭所感で、まず明治維新賛美から始まり、明治の精神に学ぼうと呼び掛けた。
冒頭で安倍首相は、津田塾大学の創設者である津田梅子に言及し、「(梅子は)性別に関係なく個人の能力が生かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることにささげました」と、あたかも、明治になって女性の権利が拡充したかのように述べている。
まず、ここからしてウソである。江戸時代の方がまだしも「性別に関係なく個人の能力が生かされる」可能性があったが、明治になると政治権力などの公的領域の中から女子は徹底的に排除され、女性はひたすら家の中にあって男性に奉仕する存在としてジェンダー的に再定義された。明治の「女子教育」とはそのためのものだった。
江戸時代の寺子屋教育においては、ふつうに男女が机を並べて勉強していた。ところが明治になると、尋常小学校の最初の2年間を除けば、「男女別学」が基本になった。女子教育の本分は「賢母良妻たらしむるの素養を為すため」であるという文部省の方針からである。(文科省のサイト学制百年史参照)
女子教育とは、女性を実社会や公的空間から遠ざけ、家の中にあって、「良妻賢母」として男性社会に奉仕する存在に特化せしめんとする、長州・薩摩の男尊女卑政府の方針の下に行われるようになったのだ。
一昨年出た、長野ひろ子氏の『明治維新とジェンダー』(明石書店、2016年)は好著である。ぜひ安倍首相はこれを読んで勉強されたい。
長野ひろ子氏によれば、江戸時代には江戸城の大奥と、京都の御所の中に、公的・政治的権力としての「女権」が確かに存在した。江戸時代、女性たちは権力中枢にあって、人事を中心に強力な政治性を発揮していた。明治維新とは、女性たちを公的・政治的領域から徹底して排除する革命であった。女性たちは、1946年に至るまで、政治的領域への道を完全に閉ざされてしまったのだ。
明治維新は長州・薩摩による男尊女卑革命
明治維新後に宮内大丞になった薩摩の吉井友実は、大久保利通・西郷隆盛の方針によって朝廷における「女権」の排除を徹底的に行なった。
吉井は、明治4年7月に宮中の女官たちを全て罷免し、吉井は誇らしげに次のように述べた。
「今朝女官総免職。・・・数百年来の女権、唯一日に打消し、愉快極まりなし」(長野、前掲書、129頁)
江戸時代、宮中には吉井の言う通り「数百年来の女権」があったが、それを一夜にして消滅させたのが、明治維新だったのだ。
安倍首相以下、政権中枢にいる方々の歴史認識がいかにおかしいか。田中優子氏は毎日新聞で次のように指摘している。
たとえば自民党の竹下亘氏が宮中晩さん会に同性のパートナーと共に出席することに対し「日本の伝統にそぐわない」と反対したことに対し、田中優子氏は、少なくとも江戸時代までは「日本ほど同性愛者への偏見が無い国は珍しかった」と反論している。明治以降の長州支配の日本が、「伝統にそぐわない」のである。
また、自民党の議員が「日本の伝統」と称して、選択的夫婦別姓に反対しているが、日本で夫婦同姓になったのは明治31年で、江戸時代までは夫婦別姓だった。
「日本の伝統」を理解していないのは誰だろう?
田中優子氏のコラム参照。
https://mainichi.jp/articles/20171213/dde/012/070/012000c
薩摩は西南戦争と大久保利通の暗殺以降、大きな影響力を失っていると思います。
教育勅語や国家神道の復活を目論む思想は、主に長州起源だと思います。