前のエントリー記事に対し、「数学屋のメガネ」の秀さんから「田中さんのどこがノーと言われたのか知りたいです」とのご質問をいただきました。それに対する私の回答に加筆して「長野県知事選の結果について②」としてエントリーしたいと思います。以下、引用符が付いている部分はいずれも秀さんのコメントです。
>短期的な見通しでは、村井さんの方が利益をもたら
>すと判断した人が多かったのかなと感じていました。
土建業界とか労働組合の連合はそういう判断したのでしょう。まさに55年体制下にあっては「保」と「革」に分かれていたはずの二つの代表的な集票マシーンが「呉越同舟」(じつは体質的に似たもの同士)で村井氏を応援したのは異様な光景でした。その割に知事選が接戦になったのは、やはり55年体制の集票マシーンの力は半減しているということでしょう。
田中知事は県職員の給与を一律に10%も削減したので、連合の中核である自治労の人々にはたまらなかったようです。彼らの組織票というのは今でもやはりバカにはできない数になります。彼らの組織は、将来見通しよりも、当面の自己利益を優先して判断したのでしょう。
この点に関して、田中氏は労働組合を批判して以下のように書いています。まったく同感です。
「組織化率が二割でしかない労働組合が、逆に労働者の主義・主張を代弁しているかのように振る舞う。けれども、それらの人々は、60歳まで解雇や倒産とは無縁の公務員であったり、あるいは恵まれた収入の大手上場企業の社員であったりします。真に労働組合が<公>の意識を持つならば、むしろ今や全産業で36%を占めるといわれる非正社員の契約社員や、従業員10人以下の小さな営みの場で働く人々悲しみやの憤りこそを喜びに変えられるための活動でなくてはならないはずです。ところが実際にはその対極にあるのです。」
(田中康夫著『日本を』講談社、2006年:15頁)
長野県の民主党県連は、小沢代表が田中支持と言い、<公>の意識を失った自己利益追求主義の連合は村井支持と言い、非常に混乱してしまいました。そして民主党票のうちの連合組織票の多くは村井に流れたようで、民主票は完全に半分に割れてしまいました。
>市民意識の問題から言えば、人間性よりも政策で選
>んで欲しかったという感じはします。
残念ながら、政策よりも人間性で判断した長野県民は多かったようです。いや「人間性」そのもので判断したというよりも、田中氏の「人間性」を攻撃する議会と知事の不毛な対立がこれ以上延々と続き、県政が不正常な状態のまま続くのを回避したいと考える県民が多かったということでしょう。
「これまでの政策は一定評価するが村井に入れた」という人が多かったようです。そういう人々は、単にゴタゴタが続くのを見たくなかったということなのでしょう。
この責任は、田中知事ばかりにあるのではなく、住民票問題などで意図的に県政を混乱させようとした県議会議員たちの方に多くがあるように思えます。
>田中さんの具体的な行動は、本当に誤解されるような
>ものだったのだろうか。それは、本当に誤解であって、
>正しく受け止めてもらえればマイナスのものではなか
>ったのではないかとも感じます。
彼が自分の周囲にイエスマンばかりを近づけ、自分に意見する有能な人材を遠ざけようとしたことは事実です。そうした独善的行動に対する批判は、誤解ではなく事実に基づくものでしょう。
ただ、新聞各紙が必要以上に、田中氏の正の側面を隠蔽し、負の側面を誇張したことも事実でしょう。新聞は熱心に田中叩きを行いました。
そして新聞がそうした行動を取った背景には、田中知事が行った「記者クラブ制度の廃止」という改革があったようです(脱『記者クラブ』宣言)。
マスコミの人々は、他人の業界に関しては「やれ利権だ、やれぬるま湯の温室構造だ、やれ護送船団だ」とわめくくせに、自分たちの業界が記者クラブ制度に支えられた完全なる護送船団だということは理解できないようなのです。彼らは、自分たちの護送船団に傷をつけようとする改革者が現れると、土建業界や労働組合も顔負けの「抵抗勢力」になるのです。
本当に困ったことです。
最後に、田中改革と小泉改革の何が違うのかといえば、「土建国家を壊す」という初めの動機は一緒でも、田中氏が「土建から福祉・教育・環境へ」という社民路線なのに対し、小泉氏は「土建から投機的市場原理主義経済へ」という新古典派路線をとっている点です。向いている方向はまさに180度反対です。
どちらが日本の進むべき道でしょうか。日本人はいま一度、真剣に考えるべきでしょう。
社民路線は日本国の自主独立とリベラルな個の自立、そして自立に基づく相互扶助と市民的連帯の気風を生み出しますが、市場原理主義路線は果てしなき米国への属国化と、「自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)」現象による全体主義化・軍国主義化をもたらすのです。
田中型改革は中途挫折しましたが、他の自治体で、そしていずれは国政レベルでその動きの後を追う政治家が続いて欲しいと切に願います。
>短期的な見通しでは、村井さんの方が利益をもたら
>すと判断した人が多かったのかなと感じていました。
土建業界とか労働組合の連合はそういう判断したのでしょう。まさに55年体制下にあっては「保」と「革」に分かれていたはずの二つの代表的な集票マシーンが「呉越同舟」(じつは体質的に似たもの同士)で村井氏を応援したのは異様な光景でした。その割に知事選が接戦になったのは、やはり55年体制の集票マシーンの力は半減しているということでしょう。
田中知事は県職員の給与を一律に10%も削減したので、連合の中核である自治労の人々にはたまらなかったようです。彼らの組織票というのは今でもやはりバカにはできない数になります。彼らの組織は、将来見通しよりも、当面の自己利益を優先して判断したのでしょう。
この点に関して、田中氏は労働組合を批判して以下のように書いています。まったく同感です。
「組織化率が二割でしかない労働組合が、逆に労働者の主義・主張を代弁しているかのように振る舞う。けれども、それらの人々は、60歳まで解雇や倒産とは無縁の公務員であったり、あるいは恵まれた収入の大手上場企業の社員であったりします。真に労働組合が<公>の意識を持つならば、むしろ今や全産業で36%を占めるといわれる非正社員の契約社員や、従業員10人以下の小さな営みの場で働く人々悲しみやの憤りこそを喜びに変えられるための活動でなくてはならないはずです。ところが実際にはその対極にあるのです。」
(田中康夫著『日本を』講談社、2006年:15頁)
長野県の民主党県連は、小沢代表が田中支持と言い、<公>の意識を失った自己利益追求主義の連合は村井支持と言い、非常に混乱してしまいました。そして民主党票のうちの連合組織票の多くは村井に流れたようで、民主票は完全に半分に割れてしまいました。
>市民意識の問題から言えば、人間性よりも政策で選
>んで欲しかったという感じはします。
残念ながら、政策よりも人間性で判断した長野県民は多かったようです。いや「人間性」そのもので判断したというよりも、田中氏の「人間性」を攻撃する議会と知事の不毛な対立がこれ以上延々と続き、県政が不正常な状態のまま続くのを回避したいと考える県民が多かったということでしょう。
「これまでの政策は一定評価するが村井に入れた」という人が多かったようです。そういう人々は、単にゴタゴタが続くのを見たくなかったということなのでしょう。
この責任は、田中知事ばかりにあるのではなく、住民票問題などで意図的に県政を混乱させようとした県議会議員たちの方に多くがあるように思えます。
>田中さんの具体的な行動は、本当に誤解されるような
>ものだったのだろうか。それは、本当に誤解であって、
>正しく受け止めてもらえればマイナスのものではなか
>ったのではないかとも感じます。
彼が自分の周囲にイエスマンばかりを近づけ、自分に意見する有能な人材を遠ざけようとしたことは事実です。そうした独善的行動に対する批判は、誤解ではなく事実に基づくものでしょう。
ただ、新聞各紙が必要以上に、田中氏の正の側面を隠蔽し、負の側面を誇張したことも事実でしょう。新聞は熱心に田中叩きを行いました。
そして新聞がそうした行動を取った背景には、田中知事が行った「記者クラブ制度の廃止」という改革があったようです(脱『記者クラブ』宣言)。
マスコミの人々は、他人の業界に関しては「やれ利権だ、やれぬるま湯の温室構造だ、やれ護送船団だ」とわめくくせに、自分たちの業界が記者クラブ制度に支えられた完全なる護送船団だということは理解できないようなのです。彼らは、自分たちの護送船団に傷をつけようとする改革者が現れると、土建業界や労働組合も顔負けの「抵抗勢力」になるのです。
本当に困ったことです。
最後に、田中改革と小泉改革の何が違うのかといえば、「土建国家を壊す」という初めの動機は一緒でも、田中氏が「土建から福祉・教育・環境へ」という社民路線なのに対し、小泉氏は「土建から投機的市場原理主義経済へ」という新古典派路線をとっている点です。向いている方向はまさに180度反対です。
どちらが日本の進むべき道でしょうか。日本人はいま一度、真剣に考えるべきでしょう。
社民路線は日本国の自主独立とリベラルな個の自立、そして自立に基づく相互扶助と市民的連帯の気風を生み出しますが、市場原理主義路線は果てしなき米国への属国化と、「自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)」現象による全体主義化・軍国主義化をもたらすのです。
田中型改革は中途挫折しましたが、他の自治体で、そしていずれは国政レベルでその動きの後を追う政治家が続いて欲しいと切に願います。
るいネットでは今回の知事選を「安全」「安心」という滋賀県選挙との共通項で読む視点も出ています。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=127758
私の方は「マスコミ選挙顕在なり」という視点で関さんのレポートを引用しつつ投稿しました。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=127763
「安全・安心」を求める大衆意識の変化を踏まえた上でマスコミが「捻じ曲げた」というふうにもいえるかもしれません。脱記者クラブが裏目に出たというか。
ただ、トータルで考えるとサカシタさんの仰るように議会との軋轢を「秩序」を求める大衆意識が嫌ったという側面が大きそうですね。それすらも議会とマスコミによって誇張されたのでしょうけれども。
是非、るいネットの方へ本稿をトラックバックいただければと思います。特に田中知事の「脱記者クラブ」は重要だと思いますが、意外と知られていない田中知事のプラスの功績であろうと思いますので。
※上記投稿のトラックバックURL:http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_127763
私の県外の友人たちは信州の行政の変化を見つめながら周辺自治体は「こっそりと長野モデルを実行している」と言います。「脱記者クラブ」についてはインターネットのニュースなどでは高い評価をしていますが当然既存マスコミは報道しないし、つぶそうとするでしょう。(議会改変が前提ですが)田中さんの言葉の難解な部分はも少し時間が経てば私たち一般人にも具体的な施策を通してわかってきたように思います。
小生、南信州在住ですのでこれからもよろしくお願いします。
「脱記者クラブ宣言」が、田中氏も顔負けのマスコミ業界による陰湿な田中排除攻撃に火をつけたのは間違いないと思います。裏目といえば、裏目ですが・・・。田中氏はいたずらに敵を増やしすぎて、同時に多方面での戦線を拡大しすぎましたね。
>周辺自治体は「こっそりと長野モデルを実行してい
>る」と言います
田中知事の「森林ニューディール政策」は、三重の北川前知事なんかがすぐに真似て、国にも要請し、「緑の雇用事業」として全国に波及しました。
そういう形で、田中改革のいくつかは他県に波及していますし、田中政治の遺産として今後も残っていくのではないかと思います。
かえすがえすも惜しむらくは、彼は自分の能力を過信しすぎ、他人を信用できず、全部一人でやろうとしすぎたことだったと思います。
友人の建設会社は4~5年前から公共工事に頼らないという営業方針の転換をして生き残っています(複数)。何かの参考になれば・・・ではでは。
>森林組合などが既得権を守ろうとしたこと、
森林組合の対応は見苦しかったですね。田中知事の政策は、土木業界から出る失業を、雇用吸収能力の高い労働集約型の林業で吸収しようという、社会全体で労働の分かち合いをしようという精神で始まった事業でした。しかるに森林組合は、苦しんでいる土木業界の人々の気持ちに思いを馳せることはできず、既得権ばかり主張しました・・・・。
今後ともよろしくお願いいたします。
「みやっちブログ」さんhttp://blog.goo.ne.jp/miyacchi_z
で2005年度の長野県の会計報告について記事が出ています。42億円余の黒字。基金取り崩し16年ぶりにゼロ。だそうです。
日本のマスコミは、この森内閣から小泉内閣にかけて「財政健全化原理主義」のような状態に陥って、財政赤字を減らすことが他のすべてに優先されるべき課題であり、そのためには格差が拡大しようが、自殺者が増えようが、「すべて目をつぶらん」ばかりの報道を続けてきました。
そこまでの「財政原理主義者」のマスコミが、それを達成した田中知事を褒めることなく、逆に財政を悪化させ続けた小泉首相の経済政策を評価するというのは明らかにダブルスタンダードであり、欺瞞ですね。
私のブログでは、返せる借金はしてもいいが(自然エネルギーなど今後伸ばすべき産業への財政支出はいずれ税収の増加で返ってくる)、返せない借金はしちゃだめだ(ムダなダムや道路、あるいは貸付ですが米国債の購入も返ってこない)というスタンスで書いてきました。これをマスコミは分かっていない・・・。
田中知事の敗戦&村井氏当選にはがっかりした一人です。
はじめてこのページに来ました。
私は滋賀県民で、このたびの滋賀県知事の新幹線駅中止問題をかたづを飲んで見守っているものですが、
脱ダム宣言をして頑張ってきた長野県が、村井氏になった途端にまたダムを作るといっているのをみて、滋賀県民としては他人事とは思えずにいます。
知事が変わるたびに方向が変わって作ったり中止したりしていてはそれこそお金の無駄遣いですし、もう少し長期的な展望で計画をしていかねば環境は守れないと思います。そのためにはいったいどうしたらいいでしょうか。
長野県知事選挙のときにちょうど岡谷の土石流災害があって田中氏に不利になったのは否めないと思います。
私はそのようなときにこのHPを書いてらっしゃるような専門家の方に新聞への投稿記事などを書いてもらいたいと思います。
今となっては(選挙の判断材料としては)遅いですが、私も岡谷の土石流と中止したダムとに関係がないことを明らかにしていきたいと思います。
滋賀でも、駅に次いでダム問題も待っています。頑張りましょう。