代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

長野県知事選の結果について

2006年08月09日 | 政治経済(日本)
 前回の記事のコメント欄で去る8月6日の長野県知事選の結果をどう見るのかについて2件ほどコメントが寄せられ、議論が交わされました。それを元に加筆して新しい記事としたいと思います。山澤さんのコメントは、豪雨災害に便乗して田中県政攻撃をした村井氏の選挙戦術と、その村井氏の戦術に便乗したマスコミの責任にも言及し、「『マスコミが動けば、知性はふっとぶ』は国政だけではないのですね。マスコミにかわる世論形成の場づくりがまさに急務ということでしょう」と述べておられました。長野県民で被災地の近くに住んでいるサカシタさんは、かなり悩んだ挙げ句に今回は村井氏に投票し、その理由として「1.田中氏の政策は正しい物が多い。しかし実行する手段が問題である」と「2.森林政策が長い目で見た土砂災害抑制に効果があることは十分承知出来るが、即効性のある対策を同時に取ってゆく事は出来ないのか」という二点を挙げておられました。その上で、今回は村井氏に投票した県民の多くは「1(手法の問題)」の要因を考慮したのではないかとの分析でした。

 マスコミの出口調査によれば、前回田中知事に投票した人々のうち39%は今回は村井氏に投票したのだそうです。この39%の人々の多くはサカシタさんと同じように、「悩み抜いた末、知事の手法の問題(自分が目立ちたいだけなのでなないかという疑念)、これ以上の県政の混乱を回避すべきだ」というような判断に基づいて、田中氏を見限ったものと思われます。「それでも田中に投票した」60%の人々は、田中知事のマイナス要素は十分に理解しているが、それでもせっかくここまできた改革路線(土木重視から福祉・教育・環境重視へ)を後戻りさせてはならないと考え、田中氏に投じたのでしょう。土建業界や労働組合など旧来型の組織の中にドップリ浸かっている人々はあまり思考せずに済んだのかも知れませんが、自分の頭で考えて投票先を決めた人々は相当に悩んで苦渋の決断をしたことだろうと思います。

 そして前者と後者に分かれた人々の行動の差異は本当に紙一重の差であり、風の吹き方によっては「どちらにも転ぶ」という状況だったのではないかと思います。その「風の吹き方」の一つとして、今回の豪雨災害という不幸な事態があったのだとは思います。

 県外の方にはこの間のゴタゴタはあまりよく知られていないと思いますので、なぜ田中知事が負けたのか理解できない方が多いでしょう。田中知事は住民票を県南部の泰阜村に移して、「泰阜村の住民だ」と主張して議会と対立し、裁判にまでなって延々と揉めるなどというゴタゴタが連続し、県民にとっては「またパフォーマンスか」とかなりウンザリだったのです。
 かつて田中氏に投票した多くの県民は、まさに苦渋の決断で村井氏に投票したことでしょう。やはり「知事の人格問題」が本当の争点だったのではないでしょうか。

 私から見ても、住民票問題のゴタゴタはかなり致命的だったと思います。(ただ、住民票問題の件に関しては田中氏の主張が正しいとは思います。でも、県政改革の本質的な部分とは離れたところで延々とゴタゴタを続けたことはあまりにもマイナスでした。反対派勢力とは、もっと本質的な部分で争って欲しかった)。
 
 豪雨災害がどの程度村井氏に有利に作用したのかはにわかには判断できません。しかし、地元の地方紙は豪雨災害を利用しながら「もっと土木工事を、もっと公共事業を」と訴える村井氏に風を吹かせようとしていた形跡は紙面から伺えました。私は「それはおかしい」、この問題に関しては、「もっと森林整備を」と訴える田中氏が正しいと考え、7月25日のエントリー記事を書いたのでした。田中氏は、「子供たちに借金の山を残すのか、それとも緑の山を残すのか」と必死に訴えていました。もちろん借金の山ではなく、緑の山を残すべきなのです。

 豪雨災害を契機に、村井氏は「公共事業を削ったのは田中康夫。もっと公共事業を、もっと土木事業を」という叫び声を挙げました。地元紙の報道は、そうした村井氏の姿勢に加担するかのようなものでした。別に田中氏が中止したダムの上流が崩れているわけでも何でもないのです。田中知事による公共事業の削減と、今回の災害の因果関係はゼロと言ってよいでしょう。
 そして災害と森林を関連づける報道を一切しようとしなかったからです。

 田中氏はこの間、ダム予算を削減する一方で、森林整備予算を増額し、崩落しやすい放置されたカラマツ人工林を針葉樹と広葉樹の混ざった混交林に変えようと賢明に努力してきたのです。それは県の広範囲に及ぶ土砂災害対策として、費用対効果の面で、もっとも適切な政策でした。

 私も田中氏の独善的なスタンドプレーには多くの批判を持っています。対立候補がもう少し改革志向の方でしたら、そちらを応援したことでしょう。
 しかし村井氏の場合、せっかく脱ダムの流れがここまで来たのにそれを引き継ぐのではなく、元に戻そうとしているようでした。そこで、やはり村井氏は支持できないと考え、田中氏を応援しておりました。
 
 田中氏に関しては、独善的な性格という欠陥はあるのですが、あの頭の良さ、問題の本質を見抜いて果敢に行動する能力はたぐい稀なものだと思います。ぜひ第二の政治家人生を国政の場で活かして欲しいと願います。具体的には来年の参院選で国政を目指し、永田町で活躍してくれればと願います。
 また、石原慎太郎氏の後釜で東京都知事を狙うというのも面白いかも知れません。今後の田中康夫の活躍に大いに期待いたします。
 
 長野県に関しては、村井県政の下でダムプロジェクトが復活してしまうかも知れず、それが何よりももったいないことです。そんなムダなお金があれば、森林へと予算を転じることがもっとも適切な災害対策なのです。これは森林によって直接的に土砂災害や洪水を防ぐという点のみならず、木質エネルギーで石油を代替し地球温暖化対策を行うという、「豪雨」の大元の要因に対する対策として急務なのです。
 このことは、村井新知事ご本人へも含めて、これからも重ねて訴えていきたいと思います。


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6 コメント

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本質的に (Chic Stone)
2006-08-09 21:06:55
あまり関係ないかもしれませんが。

本質的に、民主主義+資本主義で「木を植える」

ことはできないのではないでしょうか。

木が育つまでには時間がかかりすぎますから、

民主主義では投票者は自分は損するだけで

受益者は孫です。

資本主義においても植林に投資するより

どこぞの国債に投資するほうが得です。

もちろん原始林を皆伐するほうが得です。



人間は近代文明を安定させて維持するのに

十分賢明な存在ではないのでは…そう思うと

非常に絶望的になります。

返信する
Chic Stoneさま ()
2006-08-09 22:04:28
>本質的に、民主主義+資本主義で「木を植える」

>ことはできないのではないでしょうか。



 純粋なレセフェール資本主義の下では持続可能な林業など不可能という点は、その通りです。

 ですので、林業部門に関しては、どの国も非資本主義的な「規制」「計画」「保護」の法的枠組みを設けています。

 ただ受益者が孫というほど長期のものではなく、天然の雑木林など30年もすれば立派なものになりますので、子のため、自分の老後のため、ぐらいのタイムスパンで成立するでしょう。ただやはり政府の後押しが必要です。

 昨今の貿易自由化の流れの中では、「国産人工材よりも海外の原生林(しかも多くは違法材)」に流れてしまいます。グローバル化の時代にあっては、「グローバルなレセフェール」ではない、国家の枠を超えた「グローバルなガバナンス」なくして、持続可能な資源管理は不可能でしょう。

 

 いま森林面積を順調に回復させている国々を見ると、EU諸国の他は、中国、キューバ、ベトナムです。そう途上国の中で森林面積を増大させている三カ国はいずれも社会主義国なのです。このことは、「グローバル市場原理主義万歳」を叫び続けてきた日本のマスコミ(のとくに経済部)の方々は知っておいた方がよいと思います。

 

 
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田中さんのどこがノーと言われたのか知りたいです ()
2006-08-09 22:24:33
僕も田中さんの落選に関しては知りたいことがたくさんあるのですが、それを伝えてくれるニュースがほとんど見あたりませんでした。長野県民は、田中さんのどの部分に本当のノーを突きつけたのだろうかと言うことがまだよく分かりません。



一般論的に考えると、長期的な予想はなかなか難しいので、田中さんの政策がこのまま続けば遠い将来に関してはよい方向へ行くという判断だけで田中さんを支持し続けるのが難しかったのかなと思いました。短期的な見通しでは、村井さんの方が利益をもたらすと判断した人が多かったのかなと感じていました。



しかし、その感じ方の具体的な側面がまったく分からなかったので、それを教えてくれるニュースがないものかと思っていました。村井さんのどのような政策が、短期的な期待を抱かせてくれるものだったのだろうか。それは、田中さんが語るビジョンよりもかなり実現可能性の高いものとして映ったのだろうか。そう言うことが知りたいと思います。



政治は人間がやるものなので、田中さんの政策の好き嫌いと、田中さん本人の人間性が重なってくるのもやむを得ないのかなとは思いますが、市民意識の問題から言えば、人間性よりも政策で選んで欲しかったという感じはします。また、田中さん本人が、選挙対策として、誤解をされるような行動を修正するということも考えていなかったのかと言うことも不思議なところです。田中さんの具体的な行動は、本当に誤解されるようなものだったのだろうか。それは、本当に誤解であって、正しく受け止めてもらえればマイナスのものではなかったのではないかとも感じます。



ヤフーのニュースでは長野知事選はトピックスにもなっていませんでした。マスコミは意識的に無視したのかなと思います。だから知りたいことがほとんど分かりませんでした。誰か深い分析をしてくれないかなと思っていたところです。
返信する
秀さま ()
2006-08-09 23:18:24
 ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。



>短期的な見通しでは、村井さんの方が利益をもたら

>すと判断した人が多かったのかなと感じていました。



 土建業界とか労働組合の連合はそういう判断したのでしょう。田中知事は県職員の給与を削減したので、連合の中核である自治労の人々にはたまらなかったようです。彼らの組織票というのは今でもやはりバカにはできない数です。彼らの組織は、将来見通しよりも、当面の自己利益を優先して判断したのでしょう。



 民主党の支持票は、小沢代表が田中支持と言い、連合は村井支持と言い、組織票の多くは村井に流れたようで、完全に半分に割れてしまいました。

 

>市民意識の問題から言えば、人間性よりも政策で選

>んで欲しかったという感じはします。



 残念ながら、政策よりも人間性で判断した人は多かったようです。いや「人間性」そのもので判断したというよりも、田中氏の「人間性」を攻撃する議会と知事の対立がこれ以上延々と続き、県政が不正常な状態のまま続くのを回避したいと考える県民が多かったということでしょう。「これまでの政策は一定評価するが村井に入れた」という人が多かったようです。そういう人々は、単にゴタゴタが続くのを見たくなかったということなのでしょう。



 この責任は、田中知事ばかりにあるのではなく、住民票問題などで意図的に県政を混乱させようとした県議会議員たちの方に多くがあるように思えます。



 非常に残念な結果です。



>それは、本当に誤解であって、正しく受け止めても

>らえればマイナスのものではなかったのではないか

>とも感じます。



 彼が自分の周囲にイエスマンばかり近づけ、自分に意見する有能な人材を遠ざけようとしたことは事実です。そうした独善的行動は誤解ではなく事実に基づくものでしょう。

 ただ、新聞各紙が必要以上に、田中氏の正の側面を隠蔽し、負の側面を誇張したことも事実でしょう。新聞紙は熱心に田中叩きを行いました。

 そして新聞がそうした行動を取った背景には、田中知事が行った「記者クラブ制度の廃止」という改革があったようです。

 マスコミの人々は、他人の業界に関しては「やれ利権だ、やれぬるま湯の温室構造だ、護送船団だ」とわめくくせに、自分たちの業界が記者クラブ制度の支えられた護送船団だということは理解できないようなのです。自分たちの護送船団に傷をつけようとする改革者が現れると、土建業界や労働組合も顔負けの「抵抗勢力」になるのです。

 本当に困ったことです。



 最後に、田中改革と小泉改革の何が違うのかといえば、「土建国家を壊す」という初めの動機は一緒でも、田中氏が「土建から福祉・教育・環境へ」という社民路線なのに対し、小泉氏は「土建から投機的市場原理主義経済へ」という新古典派路線をとっている点で、向いている方向は180度反対です。



 田中型改革は挫折しましたが、他の自治体で、そしていずれは国政でその動きの後を追う政治家が続いて欲しいと切に願います。

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残念です (papert)
2006-08-10 02:41:53
初めまして。

今回の田中氏の選挙結果は私にとっては残念なものでした。

長野県に住んでいるわけではありませんが、彼の正論と実行力は、それまで安穏としていた役人にとっては大きな脅威だったはずです。

あの粘着質な性格でなければ、ここまでできなかったでしょう。

それ程までに、日本の国政・地方自治は役人たちによって歪められてしまってきました。

彼のしてきたことは、個人の性格の好き好きという点を越えて、地方自治に大きな影響を及ぼしてきたと考えています。



しかし、その大きな実験もこれでおしまいです。

村井氏は恐らく役人を味方に付けて県政を行って行くでしょう。

その時点で、前々知事たちの手法に立ち戻ってしまうわけです。

田中角栄のように役人をうまく利用することができれば、多少の期待はできますが、彼を推した県議会やバックを見れば、そうはならないことは明らかです。

また、石原東京都知事や某首相のように自分がやりたいことだけやって、後は役人任せという危険性も十分あります。



もっと書きたいのですが、時間が無いのでここまでとします。

今回のテーマは、マスコミや他のブログでも触れられていなかった点について書かれているので、非常にうれしく思います。
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papertさま ()
2006-08-10 18:47:02
 コメントありがとうございました。



>その大きな実験もこれでおしまいです。



 この実験の跡を継ぐ首長が後に続くことを願います。完全に元に戻るわけではなく、歴史は非可逆なものなので、田中改革で後に残る成果もあるでしょう。

 後は市民の意識が、どこまで逆行を拒む力になるかです。知事という後ろ盾を失って、長野県の住民意識の真価は、これからまさに問われることでしょう。

 
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