だいぶ前のことで恐縮であるが、本年1月23日の日本会議系の「国家基本問題研究所」の改憲集会で、司会を務めた櫻井よしこさんは、「明治150年。多くの人が殺され、斬り合い、血を流して日本国を守り通した。その発想が今必要だ」と述べたそうだ(『しんぶん赤旗』2月11日付け)。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-02-11/2018021101_06_1.html
改憲のためにはテロも辞さず?
日本会議は、尊攘志士よろしく、斬り合うことも辞さず、改憲への執念を示している。しかし、それって護憲派をテロで葬ることなのか? ってことは幕末のように天皇も……? いやはや恐ろしい。
私が不思議に思うのは、「明治維新に学べ。血を流せ」という櫻井よしこさんが長岡高校出身という点である。櫻井さんは、生まれこそベトナムだが、子供のころから高校卒業まで長岡なので、人格形成は長岡で行っている。
周知のとおり、長岡は戊辰戦争の折、会津と薩長の戦闘を回避させようと、中立の立場を貫こうとした結果、賊軍のレッテルを貼られ、山縣有朋率いる西軍に攻めこまれ、国土を蹂躙された。7万4000石の小藩にして、西軍を何度も敗走させ、互角以上に戦ったものの、最後は圧倒的な兵力差を如何ともし難かった。こうした長岡の先人たちの無念さに想いを馳せれば、安易に明治維新礼賛発言などできないはずであろう。
櫻井さんと対象的な長岡人が歴史作家の半藤一利さんである。半藤さんは薩長の非道さを告発し、反薩長史観の代表的論客として活躍している。明治維新150周年も「何がめでたいもんか」と喝破している。以下の記事参照。
https://www.msn.com/ja-jp/money/newsnational/半藤一利/ar-BBIhS6s?ocid=se#page=2
半藤さんも指摘するように、戊辰戦争は全く無用な戦で、血を流す流す必要などなかった。彼らが「日本を守るために血を流した」などということは、まかり間違ってもない。彼らが行った開国派や外国人たちの殺傷テロは、日本を混乱に陥れ、列強の内政干渉を誘発しただけである。挙句の果てに彼らは公議を踏みにじって、長薩で日本を私物化するために戊辰戦争という殺戮を行った。これを以て「日本を守るため」などとウソを言える「日本会議」は、「長州会議」と呼ぶべきだと私は思う。
桜井さんや田母神さんは何故長州神社が好きなのか?
長州(靖国)神社が大好きな櫻井さんは長岡、田母神俊雄さんは福島……。私の知人でも、ルーツが会津であるにもかかわらず熱心に長州神社を参拝する方がいて、以前は不思議に思っていた。郷土を蹂躙し、賊軍のレッテルを貼りつけて苦しめてきた元凶であるところの神社に、何を面白くて参拝するのだろうか?
帰化した在日韓国人が在特会のデモに出かけるようなものだ。私の知っている学生でも、フィリピン人とのハーフで、熱心に在特会のデモに出かけていた者がいた。本来ならば彼らこそ、日本の偏狭な島国根性や同調圧力を打開するために活躍して欲しいし、実際、そのように活躍している方々も多い。しかし一部には、遺憾ながら、子供の頃にいじめを受けたトラウマなどが逆バネとして作用するのか、過剰なまでに愛国者たらんとして、気づいたらトンデモ右翼になってしまったりする例が見られる。こうした現象を「逆バネ現象」と呼んでよいのかどうか分からないが、他にどう表現してよいのか適当な言葉が見当たらない。
ルーツが南部藩である東條英機も同じような感じだったのではなかろうか。「賊軍地域出身」とか「白河以北一山百文」とか差別的な言辞を弄されてきた結果、長州人以上に長州神社に忠誠を誓う「模範的な臣民」たらんと欲し、それによって長州人の上に立とうという歪んだ負けん気を呼び起こしてしまい、トップに立ったときには、彼らが乗り越えようとした藩閥権力以上に醜悪な権力と化してしまった。
この意味で、東條英機も櫻井よしこも田母神俊雄も、長州レジームの犠牲者なのだ。
本来、彼・彼女らは、長州史観に公然と反旗を翻し、故郷の栄誉を取り戻すために活動してこそ輝けたはずである。それが長州レジームの下僕になってしまったのは実に不幸なことである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-02-11/2018021101_06_1.html
改憲のためにはテロも辞さず?
日本会議は、尊攘志士よろしく、斬り合うことも辞さず、改憲への執念を示している。しかし、それって護憲派をテロで葬ることなのか? ってことは幕末のように天皇も……? いやはや恐ろしい。
私が不思議に思うのは、「明治維新に学べ。血を流せ」という櫻井よしこさんが長岡高校出身という点である。櫻井さんは、生まれこそベトナムだが、子供のころから高校卒業まで長岡なので、人格形成は長岡で行っている。
周知のとおり、長岡は戊辰戦争の折、会津と薩長の戦闘を回避させようと、中立の立場を貫こうとした結果、賊軍のレッテルを貼られ、山縣有朋率いる西軍に攻めこまれ、国土を蹂躙された。7万4000石の小藩にして、西軍を何度も敗走させ、互角以上に戦ったものの、最後は圧倒的な兵力差を如何ともし難かった。こうした長岡の先人たちの無念さに想いを馳せれば、安易に明治維新礼賛発言などできないはずであろう。
櫻井さんと対象的な長岡人が歴史作家の半藤一利さんである。半藤さんは薩長の非道さを告発し、反薩長史観の代表的論客として活躍している。明治維新150周年も「何がめでたいもんか」と喝破している。以下の記事参照。
https://www.msn.com/ja-jp/money/newsnational/半藤一利/ar-BBIhS6s?ocid=se#page=2
半藤さんも指摘するように、戊辰戦争は全く無用な戦で、血を流す流す必要などなかった。彼らが「日本を守るために血を流した」などということは、まかり間違ってもない。彼らが行った開国派や外国人たちの殺傷テロは、日本を混乱に陥れ、列強の内政干渉を誘発しただけである。挙句の果てに彼らは公議を踏みにじって、長薩で日本を私物化するために戊辰戦争という殺戮を行った。これを以て「日本を守るため」などとウソを言える「日本会議」は、「長州会議」と呼ぶべきだと私は思う。
桜井さんや田母神さんは何故長州神社が好きなのか?
長州(靖国)神社が大好きな櫻井さんは長岡、田母神俊雄さんは福島……。私の知人でも、ルーツが会津であるにもかかわらず熱心に長州神社を参拝する方がいて、以前は不思議に思っていた。郷土を蹂躙し、賊軍のレッテルを貼りつけて苦しめてきた元凶であるところの神社に、何を面白くて参拝するのだろうか?
帰化した在日韓国人が在特会のデモに出かけるようなものだ。私の知っている学生でも、フィリピン人とのハーフで、熱心に在特会のデモに出かけていた者がいた。本来ならば彼らこそ、日本の偏狭な島国根性や同調圧力を打開するために活躍して欲しいし、実際、そのように活躍している方々も多い。しかし一部には、遺憾ながら、子供の頃にいじめを受けたトラウマなどが逆バネとして作用するのか、過剰なまでに愛国者たらんとして、気づいたらトンデモ右翼になってしまったりする例が見られる。こうした現象を「逆バネ現象」と呼んでよいのかどうか分からないが、他にどう表現してよいのか適当な言葉が見当たらない。
ルーツが南部藩である東條英機も同じような感じだったのではなかろうか。「賊軍地域出身」とか「白河以北一山百文」とか差別的な言辞を弄されてきた結果、長州人以上に長州神社に忠誠を誓う「模範的な臣民」たらんと欲し、それによって長州人の上に立とうという歪んだ負けん気を呼び起こしてしまい、トップに立ったときには、彼らが乗り越えようとした藩閥権力以上に醜悪な権力と化してしまった。
この意味で、東條英機も櫻井よしこも田母神俊雄も、長州レジームの犠牲者なのだ。
本来、彼・彼女らは、長州史観に公然と反旗を翻し、故郷の栄誉を取り戻すために活動してこそ輝けたはずである。それが長州レジームの下僕になってしまったのは実に不幸なことである。
関さん、誠実で謙虚なお人柄のあらわれた鄭重なコメントバックをいただきまして心から感謝しております。GWになにを思い立ったか書きつのったものを記事にしていただくとは、まことに恐縮です。ありがとうございます。ひさかたぶりの投稿に息があがり、推敲がろくにできずに文脈が千鳥足になったことをひどく後悔しています。
奥州同盟の衣鉢を継ぐべき櫻井よしこ氏による自覚なき転身転向を不幸な犠牲の体現として取り上げられた本記事を、櫻井よしこ氏が齢72歳にして106歳の母御さんを介護しながら語ったことを横にして読みますと、ある種の耐えがたい思いに駆られます。
http://bunshun.jp/articles/-/5294?page=3
櫻井よしこが106歳の母を介護して考えた「日本的家族のあり方」文春ムック 文藝春秋オピニオン 2018年の論点100から<抜粋>
・・・兄を中心に、病院や介護施設をいくつか見学しました。ところが、現場を見れば見るほど、暗い気持ちに陥るばかりでした。聞けば、夜間は2人のスタッフで数十人のお年寄りのお世話をするなど、常識的に考えればありえない態勢で回しているのです。それでは満足に目が行き届くわけがありません。
また、いいなと思える施設があったとしても、そうしたところは驚くほどお金がかかります。入居金だけで数千万円、しかも10年経ったらもう一度、入居金を支払わなければならない施設もあります。加えて月々の費用は数十万円からかかる。最終的には億単位のお金が必要な世界です。たしかに、このような施設もあってよいと思います。人生は結局、自己責任ですから、余裕のある人が喜んで入れる施設もあるのがよいのです。
でも私は覚悟を決め、母に私の自宅に来てもらうことにしました。・・・母の様子を見ていると、高齢者は家族と一緒に過ごすのが一番望ましいと実感します。・・・かつての日本社会は大家族制でした。・・・お年寄りは子や孫に囲まれて最晩年を過ごし、そこで文化や価値観の伝承もおこなわれてきました。これは非常に優れた家族のあり方でした。いま急にその頃の家族形態に戻れと言われても難しいものがありますが、日本の伝統的な家族システムを見直す努力が必要ではないでしょうか。・・・安倍政権は少子化や介護施設不足に対応すべく、3世代同居世帯を税制面で優遇する「3世代同居推進政策」を進めています。
私たちは同時に、「老後は国に面倒をみてもらう」ということを、あまりにも当然のこととしていなかったか、大いに反省する必要があります。老後は年金だけで暮らせるはず、口をあけて待っていればお上が何とかしてくれるといった甘い考えは捨てるべきです。たとえ老後であれ、自分の人生の責任は自分でしか取れないことに気づく時です。他力頼みの人生ではなく、自分の人生は自分で引き受けるという「自立」の精神を、今一度、確かめ直したいものです。
一方で、私たちは「共助」の伝統を取り戻す必要があります。日本には伝統的な美風として、富める人も貧しい人も、自分は後回しにしてでも他者を思いやる価値観が根づいていました。ところが近年、自分さえよければいいといった精神的な堕落と退廃が目立ちます。また、欧米の富裕層は寄付や還元に積極的ですが、対照的に日本の富裕層に慈善行為があまりみられないのは残念です。・・・小泉進次郎代議士が、「富裕層は年金を返上し、『こども保険』など子育て財源を確保すべし」との提言をしていますが、私も基本的にその考えを支持します。
社会的コストの議論はさておき、せっかく日本は長寿の道を選んだのですから、人生の楽しみを模索しながら、積極的に生きようではありませんか。・・・日本の伝統的な価値観のすぐれた点を見直しつつ、豊かな老後を取り戻したいものです。
<抜粋引用以上>
関さん、ここに1997年にスタートした日本会議における、「新自由主義」と「反近代主義」が融け合ってカオを出しています。そしてこの、ネタがまる見えの手品によって、1%への富の集中による容赦ない99%へのしわ寄せに起因する現実の社会の耐えがたさを軽々と跳び越えてみせています。むろんそこには「加虐強者への自己同一化」という強引な磁場がはたらいているわけですが。
長岡で思い起こす人物といえば、知米派とされ、米国に留学して身につけた合理的でプラグマティックなものの見方によって、海軍次官として日独伊三国同盟に強硬に反対したことから海の現場に移され、第26、第27代の連合艦隊司令長官となった、あの山本五十六です。
彼は、越後牧野家家中の武士であった高野貞吉が明治17年に56歳でもうけた六男で、旧制長岡中学校を卒業、なんと新制長岡高校卒業の櫻井よしこ氏の大先輩になるわけですが、父を継いで軍人の道を歩み、座右に聖書を置きながら日露戦争中に海軍兵学校を卒業したとのことです。
海軍兵学校卒業後、ロシア、バルチック艦隊と競り合いとなったため英国の助力を得て入手した、イタリア、ジェノヴァのアンサルド製のアルゼンチン海軍の装甲巡洋艦「モレノ」を前身とする一等巡洋艦「日進」に配属になりました。「日進」は対馬沖海戦において、赤松小三郎の教え子である東郷平八郎連合艦隊司令長官の乗る連合艦隊旗艦「三笠」を先頭とする第1戦隊の最後尾、殿艦を務めました。艦隊運動によって先頭位置となる場合があったことから「日進」は「三笠」に継ぐ戦傷者を出し、少尉候補生高野五十六は脚に重傷を負い、左手の指二本を失ったとのことです。
その後、米国駐在を経て第一次世界大戦中に海軍大学を卒業、戦後のアメリカに駐在して、ハーバードに語学留学中に地質学と鉱山学を学び、米国側資料によれば、成績優秀だったことからスタンダード・オイルからオファーを受けたそうです。
なお、海軍大学入学前に両親を失い、在学中に初代長岡市長から貴族院議員に戻っていた越後牧野家15代当主、牧野忠篤によって、牧野家家老五家のひとつで、戊辰戦争において官兵、譜代宇都宮戸田家軍勢に包囲されて捕縛され恭順を拒んで、阿賀野川河原で斬首された山本帯刀のあと断絶し、再興されたのち、後継者を得なかった山本家の養嗣子となり、高野五十六少佐から山本五十六少佐となっています。
土地勘のないところでの人物月旦は荒唐無稽でしょうが、櫻井よしこ氏は、特高警察と治安維持法が廃止された1945年10月に、ハノイの野戦病院で生まれ、父母とともに引き揚げて戦後の社会で育ちました。彼女が卒業した長岡高校の講堂に肖像写真が掲げられていた山本五十六とは時代背景が異なることが、二人の後半生において米国留学がもたらしたものの明暗を分けたわけです。
櫻井よしこ氏は慶応大学文学部をやめて父親とハワイに渡って父の日本料理店を手伝いながらハワイ州立大学に通い、事業に失敗した父親が帰国したあとなおハワイにとどまって苦労して卒業し1971年に帰国しています。女傑といえる母親と放蕩癖が抜けない父親の波瀾万丈の人生につきあいながら成人したあとは、帰国子女ジャーナリスト/TVキャスターとして成功をおさめました。
牽強付会と苦笑なさるでしょうが、1945年の「軍人勅諭、教育勅語、大日本帝国憲法、すなわち長州三点セット」の崩壊は、イギリスの1846年穀物法廃止から1世紀後れ、フランスの普仏戦争敗北による1870年のナポレオン帝政解体から3四半世紀後れ、ドイツにおける第一次大戦敗北による1918年の皇帝制の解体からほぼ四半世紀後れての、「前近代的インフラストラクチュア」の消滅です。
先に山本五十六との時代背景の相違と申しました1945年という特異点が、反長州を反近代に転化させたと思います。その舞台背景は「アンクル・サム」ではないでしょうか。
りくにすさんのコメントに触発されてこのウェブログにお邪魔しはじめた四年前、2014年ころと比べますと、関さんのご奮闘の甲斐あって、おおきな変化が起きています。
明治維新とされるものが、長薩による武力クーデターであったということの指摘が鬼面ひとを驚かすものではなくなりました。問答無用のデファクトスタンダードとして圧倒的な権威を持った「司馬史観」はいつの間にか色あせつつあります。
沖縄の人びとの痛みが厚く履き重ねた靴下にさえぎられながら少しずつ沁みるように這い寄り、日本が米国軍産勢力の最後の牙城であることが浮かびあがりつつあります。金
正恩委員長が、「平壌冷麺をなんとか持ってきました。遠くから運んできたので・・・・あ、遠くからといってはいけないですね」と笑ったのを、独裁者の見え透いたパフォーマンスだと冷笑してみせるコメントが汚れて見えるようになりました。
15年前、直接侵攻によってフセイン・イラクを一蹴した米国軍産勢力は、ISというあらたな魔物をつくりだそうと「独裁者アサド」のシリアから敗退しつつあります。
現在の日本を、バルセロナの童子丸開氏がつたえるスペインに比定することから、マハティール氏のマレーシアに転じることを期待するのは可能であると思います。
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/The_Center_of_Power_of_Spain_Being_Demolished.html
スペイン権力中枢の雪崩現象 2018年5月6日 バルセロナにて 童子丸開
<抜粋>
「マドリード州知事ニセ修士号事件」がこの国の政治体制を取り返しのつかない大混乱の中に放りこんでしまったのである。そしてこの暴露は、中央政府与党国民党が内部から自己崩壊しつつある惨めな実態を浮き彫りにさせた。
・・・マドリード州知事といえば日本で言うなら東京都知事に当たる。現職の都知事が偽造された学歴を振りかざす万引きの常習犯だったなどと、とんでもないを超してあり得ない話だ。それまで何だかんだと彼女をかばい支えてきた国民党中央も見放さざるを得ず、さすがに力尽きたシフエンテスは4月25日に辞任を表明した。
このようなことは、この国の国家権力の中枢部に巣食うフランコ独裁時代以来のマフィア的な権力構造が、自己崩壊を起こしながら表の世界に現れてきたことを表しているだろう。・・・このマドリード州知事の醜態は単なるスキャンダルではない。それは国民党の腐敗というだけではなく、今まで堅固な権力を形作ってきた社会の仕組み自体が腐れ果て崩れ落ちる光景である。つまりスペインという国と社会の中枢部が腐れ果て音を立てて崩れていく姿を、見事に浮き彫りにしたものと言えるだろう。
パンプローナでの判決とそれに対する激しい抗議の波は、この国の支配体制の中枢部を直接に揺すぶる重大な危機をもたらすこととなってしまった。全国的な抗議活動に震え上がったのは国民党中央政府だ。政府は2015年の刑法改正の際に、女性団体から指摘されていた性的暴力に関する法制度の重大な欠陥を無視したのである。今までに述べたマドリード州知事の醜態と国民党内の分裂、カタルーニャ独立運動潰しを巡る司法権との齟齬、『《そして凍りつく国民生活》』で述べた年金問題に加えて、国民党とその政府はもう一つのとんでもない激流の中に放り込まれてしまったのだ。
この国の「三権分立」などお飾りの役にすら立っていないことは、この事件以前に、政治・経済の腐敗やカタルーニャ問題を通して明らかだ。・・・思いもかけない激しい大規模な国民の怒りを前に、他人に責任をなすりつけて自分たちの身を守ろうとしているだけであろう。
5月5日にプブリコ紙は「マナダ事件判決」に対する闘いを「家父長制度に対する宣戦布告」として紹介した。欧州だけではないが、伝統的な社会には男系優位の家父長的な仕組みとそれを無条件に肯定する思考の枠組みが頑丈に作られている。スペインでの問題は、それがマフィア的な社会と国家のシステムと不可分な関係にあることだろう。スペインの政治的な実力者には女性がけっこう多い。・・・国と地方自治体、政党などの上層部にいる女性は数え上げればきりがない。判事や検事などの法曹関係にも多くの女性がいるし、経済界ではスペイン第一の銀行サンタンデールの会長アナ・ボティンがいる。
しかしそれが全社会的に「女性の地位向上」につながっているのか、というと、決してそうではない。彼女らは結局は数百年以上かけて作られてきたマフィア的な社会と国家のシステムの上に乗っかっているに過ぎない。以前は力のある男性が座っていた椅子に彼女らが座っている、ただそれだけだ。その椅子を支える仕組みは、独裁者の死によっても1978年憲法によっても、何の変化も受けなかった。・・・しかしそのシステムはいま音を立てて崩壊しつつあるようだ。
2007年の建設バブル崩壊・経済危機発生、そしてカタルーニャ独立運動による政治危機発生以来、ずっと我々が目にしてきたのは、それまで深い情報の闇の中で包み隠されていたそのマフィア的な社会と国家のシステム自体に、様々な方向からサーチライトが当てられ一つずつまな板の上に載せられ、解剖され精査されつつある姿ではないか、という気がしてくる。その予感が当たっているかどうかはおそらく数年後に明らかになるだろうが、生きながらゾンビ化するようなこの国のグロテスクな姿は、観察力と感覚を少しだけ研ぎ澄ませればいまでも十分に見ることができるだろう。
☆☆☆
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10128_1.php
<抜粋>
・・・ナジブ政権は下院解散直前に「フェイク(偽)ニュース対策法」を駆け込み成立させ、マハティール元首相の一部発言が同法違反に当たると主張していた。・・・ナジブ政権側は選挙戦後半に野党連合の健闘が伝えらえて危機感を強めた結果、「15、16日を休日とする」「26歳以下の所得税を免除(すでに納税した人には全額返還)」などの追加公約を相次いで公表するなどして懸命の情勢挽回を計った。
ナジブ首相は政府系ファンドの「ワン・マレーシア・デベロップメント」の巨額資金流用疑惑に端を発した金権汚職体質で野党側から厳しい批判にさらされていた。野党関係者は「選挙戦でのナジブ政権の露骨なバラマキ政策が逆効果に働き、そうではなくても根強かったナジブ首相の金権体質批判にさらに油を注ぐ結果となったのではないか」と冷静に分析する。
☆☆☆
スペインからマレーシアへ、歴史の時計を日本で動かすには、明治維新へ繫がる鎖を切る斧が必要です。関さんと関さんにつながる人たちがその斧を手にしつつあると思えてなりません。