代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

書評:小林英夫『満州と自民党』新潮新書

2006年02月02日 | 政治経済(日本)
 昨年末に出た小林英夫著『満州と自民党』(新潮新書)という本があります。いま読み終えたところですが、多くの人々に読んでいただきたい内容と思ったので、書評のようなものを書いてみます。小林英夫氏は、「日本型経営」とか「日本型資本主義」と呼ばれるシステム(あるいは政治学者のチャルマーズ・ジョンソン氏のように「日本型社会主義」と呼ぶ人もいます)の起源が、旧満州国にあるという学説を提唱した歴史学者として知られています。私も、これまで小林氏の説には大いに啓発されてきました。

 一見すると日本軍国主義の「鬼子」のように思える「満州国」ですが、じつはその鬼子が母親となって、新しい日本型資本主義のシステムが生まれたとする斬新な説です。これまで小林氏による「日本型資本主義=満州国起源論」はそれほどポピュラーな説ではなかったのですが、最近多くの支持を得るようになってきたようで、小林氏はこの間、相次いで新書を出版しております。小林説を支持する私としても、大変に嬉しく思っている次第です。

 野蛮なアングロサクソン資本主義とは一線を隔す「人に優しい日本型資本主義(あるいは社会主義)」と評価されてきたものは、満州要因のみで説明できるわけではないとも、私は思います。灌漑稲作民族の持つ集団性とか、鎌倉幕府以来の忠誠心や武士道精神とか、渋沢栄一が孔子の思想を企業経営に取り入れたことにも見られるように儒教道徳の影響など、さまざまな要素の複合によるものでしょう。

 しかし、旧「満州国」で生み出された計画経済のシステムが、戦中・戦後に日本に移植されたことによって、日本の資本主義がまったく独特のものに進化したという側面は無視できない要素だと思います。
 
 『満州と自民党』の主人公は、日本における「戦後右派政治家」の代表格のように思われている岸信介元首相です。しかし、他にもじつにいろいろな人々が登場します。たとえば、ゾルゲ事件で検挙された尾崎秀美、近年に亡くなられたアントニオ・グラムシ研究の第一人者として知られた石堂清倫氏や、中国研究者の具島兼三郎氏など、左派系知識人も数多く登場するのです。
 それら「右」から「左」までのすべての登場人物が、満州国と満鉄調査部の人脈としてつながってくるのです。かたや反共右派の巨頭のように思われている岸信介と、満鉄出身のマルクス主義たちの間には、巨大な断絶があるように思われるかも知れません。しかし、本書を読むと、彼らのあいだに「計画経済」あるいは「アジア協同体」という諸点において、満州国以来の思想的共通基盤があるのだということがよく分かるでしょう。(もちろん差異も大きいのですが・・・・)。
 日本の戦後復興を担った傾斜生産方式の実践に、旧満鉄職員たちの経験が大きく寄与したこと、その発想の根底に、まず資本財の生産を主軸に置いて、それから消費財へ波及させていこうというマルクス経済学があるという点など、大変に興味深い指摘です。

 小林氏が「日本型経営を創った男」として評価する満鉄調査部主任研究員だった宮崎正義の言葉を引用しておきましょう。

 「急速に工業化させるためにはソ連型計画経済は有効だが、それは長い帝政ロシアの圧制の伝統を継いだソ連だからできることで、強力な官僚制度があるとはいえ、自由主義経済を経験した日本でそれを進めることは困難である。日本では、官僚主導の下、国防的重工業などは国家統制の下におき、軽工業や消費財産業は自由競争にすべきである」

 宮崎正義は、ロシア革命から多くのものを吸収して満州国の経済を運営しようとしたのです。この宮崎の計画経済が、満州国の実務を担った官僚の岸信介に移植され、それが戦後になって自民党に引き継がれたというわけです。
 ボルシェビキ型社会主義は、ツァーリの専制政治と官僚制の上に構築されたが、「日本型の社会主義」は日本独自の文化的基盤の上に構築されたというわけです。

 いま、急速に日本型システムは崩壊し、米国型に置き換わり、私たちの目の前には目も当てられない惨状が展開されています。
 かつての日本型システムを否定するのではなく、その官僚主義的弊害を民主的にアウフヘーベンすることにより、人類全体にとって有益な新しいモデルが生まれ得るし、生まれさせねばならないと、私は信じています。


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2 コメント

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満鉄調査部 (山澤)
2006-02-08 23:56:14
先日はグリフィンについて取り上げていただきありがとうございます。他にも取り上げているサイトがありましたので紹介させていただきます。http://amesei.exblog.jp/m2006-01-01#2563846

(ジャパン・ハンドラーズとアメリカ政治情報~1月21日の記事)関さんの仰るように偏向した部分はありますが、今はそうした党派的視点を超えて、ことの本質を見定めていく上で事実は事実として取り入れていく(もちろんトンデモなところはちゃんと見抜きつつ)ことが重要なんでしょうね。



その点で、満州の実験に注目された今回の投稿も興味深く拝見しました。他方、満鉄調査部上がりの電通が今や一広告代理店という存在を超えてアメリカの代理人のような力を持ちだしているのは何故なのでしょうか。



副島隆彦訳の「共産中国はアメリカがつくった-G・マーシャルの背信外交」を読みながら、左右の奇妙なねじれ(そういう意味ではネオコンももとは左翼だとか)について、歴史的総括の必要を感じているこのごろです。





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山澤様 ()
2006-02-10 09:54:59
 グリフィン氏の著作に関する興味深い論考を紹介して下さいましてありがとうございました。私もグリフィン氏の記述の中では「ロスチャイルド・フォーミュラ」と彼が名づけた金融資本と戦争の因果関係の部分がもっとも面白いと思いました。

 東谷暁氏が『諸君!』の書評で「酷評」しているそうですが、興味のあるところです。CIAのカネで創刊され「反中親米」を煽り続ける『諸君!』ですから、当然、編集部の都合で都合よく曲解するということもあるのでしょうね。

 

 満鉄調査部に関しては、小林英夫氏の下記の著作が詳しいです。

・『満鉄調査部 -元祖シンクタンクの誕生と死-』平凡社新書

・『満鉄 -「知の集団」の誕生と死-』吉川弘文館



 電通が何故ああなったのかは、私には全く分かりません。 



 ご指摘のように、ネオコンがじつは元はトロッキストだったとか、「右」と「左」の「ねじれ」現象は本当に興味深いものがあります。日本のいまの右派イデオローグの多くも、もとはといえばだいたい左翼ですから・・・・。

 彼らの場合、「左翼」だった時代から「権力を握るためには陰謀も含め何でもあり」みたいなところがあった人々だと思うので、右へ転ぶのも必然的かなとも思えます。



 私の場合、権力奪取云々が問題なのではなく、権力をコントロールする「仕組み」の構築の方が大事だと思うので、権力志向の左翼の人々は嫌いです。「彼らが権力とってもろくな世の中にしないだろう」と学生時代につくづく思ったものでした。

 
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