私が昨年の8月9日にエントリーした記事に次のようなコメントをもらいました。私はこういうコメントをもらう度に、絶望的な気分になります。しかし、以下のような露骨な差別意識を持つ日本人が多いことは残念ながら事実です。同じ日本人として恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、残念ながら隠しようのないことです。そこで私がもらったコメントをそのまま以下に「さらす」ことにします。
<引用開始>
「あの民族(と言えるのかどうか知りませんが)程、新し物、新しい価値の創造が出来ない民族は珍しい。ひたすら、アメリカ、日本から盗むだけではないか。これは、経済の発展段階の一段階では決してない。能力が決定的に低いということである。大昔、少々、発明や、なにやらがあったということだが、今の彼らのやり方、考え方から想像するに、きっと、どこからか、やっぱり盗んだものでしょう。人類に全く貢献しない、いやむしろ、最悪のお荷物でしかない民族、それが中国人民、13億である」
<引用終わり>
私はネット上の反中国・反韓国論を二つに分けて考えています。一つはこの上のコメントのように、人間として腐りきっているとしか表現できない差別意識に基づくものです。私は彼らに対して心の底から怒りを覚えます。
もう一つは純粋に中国の共産党政権や韓国の盧武鉉政権に対する怒りに基づくもので、これは必ずしも民族差別意識に基づくものではありません。純粋な政権批判者たちは、中国の農民暴動の指導者や法輪功を始めとして弾圧される人々に深い同情を寄せ、彼らに声援を送っています。そうした論者の主張は、私にも理解できる点も多いし、読んでいて腹が立つことはありません。
例えば、私ともよくトラックバックのやり取りをしている「依存症の独り言」さん(政治ブログランキングの第一位)は、差別意識に基づかない、純粋な政権批判を展開しています。
「依存症の独り言」さんは、最近の5月21日のエントリーでも「(日本の右傾化は)植民地支配の経験に起因する優越感と、敗戦による劣等感が混在している」と述べた盧武鉉発言を批判をしていますが、その中で次のように書いておられます。
<引用開始>
「別に、韓国に対して優越感を持っているわけではないでしょう、我が国政府は。確かに国民の一部に「チョーセン」とか「チョン」とかいう発言をする愚か者はいますよ。でも、ごく一部です。」
<引用終わり>
日本で最も読まれている代表的な反中・反韓ブロガーである「依存症の独り言」さんがこういう立場でおられるのには、私としても大変に心強く、嬉しく思う次第です。依存症さんには是非今後とも、「『チョン』とかいう発言をする愚か者」を更生させるよう、ブログを通して教育していって欲しいと願います。何せ、反中・反韓ブログに集うネットウヨクの多くは、こうした「愚か者」たちのように見えます。けっして「ごく一部」ではありません。
ちなみに、先に引用したような差別的ネットウヨクの心情というのは、優越感と劣等感の複雑な混成の結果であり、盧武鉉分析は結構いい線行っているのではないかと思います。
私は、小泉構造改革を支持する「依存症の独り言」さんとは政治的立場は180度違うといっても良いのですが、私が以前に書いた郵政民営化反対の記事をトラックバックしたら、その記事のコメント欄に「なるほど、と思える点もあります」とご丁寧なコメントを返して下さったこともあります。私は、「この人とは話せる」と嬉しく思ったものでした。
「依存症の独り言」さんと私が決定的に違うのは、中国と対立しながら「政権崩壊」というハードランディング路線を煽るよりも、中国と友好関係を保ちながら共に改善策を考え、政策の修正も促す方が、弾圧されている人々のためにも、はるかに賢明な策だと考えている点でしょう。
だいたい、「中国の崩壊」なんてカタストロフィックな事態になったら、難民の流入などで日本も大変な被害が及びそうです。「愛国」を唱えるのであれば、日本にも被害が及びそうなハードランディングを目指すのではなく、ソフトランディング路線を模索すべきだと思うのです。
ASEANだって、ミャンマーが軍事独裁政権だからといって仲間外れにしたりしません。ミャンマーと協力関係を保ちながらやんわりと民主的改革を促し、それは着実に成果を上げてきています。その手法でよいのです。
私は「米ドルの暴落が近い。少なくとも中国の崩壊などよりもはるかに差し迫った危機である」と再三にわたって書いていますが、「崩壊」というカタストロフィックな事態を煽ったりしません。世界恐慌を回避するために、アジアは協力しよう、グローバルなケインズ政策によって米ドルの暴落を乗り切っていこうと訴えているわけです。
私は3月に中国にいた際、中国人の友人(元留学生なので日本語ペラペラ)に私のブログを見せてしまい、次のような会話をしました。
私:「ネットウヨクからのひどい書き込みが多いので、本当は恥ずかしくて見せたくないんだ」
友人:「恥ずかしくて見せられないのは、中国人の反日サイトだ。彼らは本当にひどい。僕は日本の右翼サイトを見ても、自分の頭でちゃんと考えてしっかり主張している人が多いので、感心する。中国人の反日は、自分の頭は使わずに、他人の主張を受け売りしてりだけで、本当に恥ずかしい」
私:「いやー、日本の右翼サイトには良質なものもあるけど、多くは何も考えてない。単なる差別意識と偏見に基づくもので、彼らは本当に日本の恥だ・・・」
日本でも中国でも、表には出したくない「国の恥」たちが、「愛国者」を名乗っているわけです。やれやれ。
<引用開始>
「あの民族(と言えるのかどうか知りませんが)程、新し物、新しい価値の創造が出来ない民族は珍しい。ひたすら、アメリカ、日本から盗むだけではないか。これは、経済の発展段階の一段階では決してない。能力が決定的に低いということである。大昔、少々、発明や、なにやらがあったということだが、今の彼らのやり方、考え方から想像するに、きっと、どこからか、やっぱり盗んだものでしょう。人類に全く貢献しない、いやむしろ、最悪のお荷物でしかない民族、それが中国人民、13億である」
<引用終わり>
私はネット上の反中国・反韓国論を二つに分けて考えています。一つはこの上のコメントのように、人間として腐りきっているとしか表現できない差別意識に基づくものです。私は彼らに対して心の底から怒りを覚えます。
もう一つは純粋に中国の共産党政権や韓国の盧武鉉政権に対する怒りに基づくもので、これは必ずしも民族差別意識に基づくものではありません。純粋な政権批判者たちは、中国の農民暴動の指導者や法輪功を始めとして弾圧される人々に深い同情を寄せ、彼らに声援を送っています。そうした論者の主張は、私にも理解できる点も多いし、読んでいて腹が立つことはありません。
例えば、私ともよくトラックバックのやり取りをしている「依存症の独り言」さん(政治ブログランキングの第一位)は、差別意識に基づかない、純粋な政権批判を展開しています。
「依存症の独り言」さんは、最近の5月21日のエントリーでも「(日本の右傾化は)植民地支配の経験に起因する優越感と、敗戦による劣等感が混在している」と述べた盧武鉉発言を批判をしていますが、その中で次のように書いておられます。
<引用開始>
「別に、韓国に対して優越感を持っているわけではないでしょう、我が国政府は。確かに国民の一部に「チョーセン」とか「チョン」とかいう発言をする愚か者はいますよ。でも、ごく一部です。」
<引用終わり>
日本で最も読まれている代表的な反中・反韓ブロガーである「依存症の独り言」さんがこういう立場でおられるのには、私としても大変に心強く、嬉しく思う次第です。依存症さんには是非今後とも、「『チョン』とかいう発言をする愚か者」を更生させるよう、ブログを通して教育していって欲しいと願います。何せ、反中・反韓ブログに集うネットウヨクの多くは、こうした「愚か者」たちのように見えます。けっして「ごく一部」ではありません。
ちなみに、先に引用したような差別的ネットウヨクの心情というのは、優越感と劣等感の複雑な混成の結果であり、盧武鉉分析は結構いい線行っているのではないかと思います。
私は、小泉構造改革を支持する「依存症の独り言」さんとは政治的立場は180度違うといっても良いのですが、私が以前に書いた郵政民営化反対の記事をトラックバックしたら、その記事のコメント欄に「なるほど、と思える点もあります」とご丁寧なコメントを返して下さったこともあります。私は、「この人とは話せる」と嬉しく思ったものでした。
「依存症の独り言」さんと私が決定的に違うのは、中国と対立しながら「政権崩壊」というハードランディング路線を煽るよりも、中国と友好関係を保ちながら共に改善策を考え、政策の修正も促す方が、弾圧されている人々のためにも、はるかに賢明な策だと考えている点でしょう。
だいたい、「中国の崩壊」なんてカタストロフィックな事態になったら、難民の流入などで日本も大変な被害が及びそうです。「愛国」を唱えるのであれば、日本にも被害が及びそうなハードランディングを目指すのではなく、ソフトランディング路線を模索すべきだと思うのです。
ASEANだって、ミャンマーが軍事独裁政権だからといって仲間外れにしたりしません。ミャンマーと協力関係を保ちながらやんわりと民主的改革を促し、それは着実に成果を上げてきています。その手法でよいのです。
私は「米ドルの暴落が近い。少なくとも中国の崩壊などよりもはるかに差し迫った危機である」と再三にわたって書いていますが、「崩壊」というカタストロフィックな事態を煽ったりしません。世界恐慌を回避するために、アジアは協力しよう、グローバルなケインズ政策によって米ドルの暴落を乗り切っていこうと訴えているわけです。
私は3月に中国にいた際、中国人の友人(元留学生なので日本語ペラペラ)に私のブログを見せてしまい、次のような会話をしました。
私:「ネットウヨクからのひどい書き込みが多いので、本当は恥ずかしくて見せたくないんだ」
友人:「恥ずかしくて見せられないのは、中国人の反日サイトだ。彼らは本当にひどい。僕は日本の右翼サイトを見ても、自分の頭でちゃんと考えてしっかり主張している人が多いので、感心する。中国人の反日は、自分の頭は使わずに、他人の主張を受け売りしてりだけで、本当に恥ずかしい」
私:「いやー、日本の右翼サイトには良質なものもあるけど、多くは何も考えてない。単なる差別意識と偏見に基づくもので、彼らは本当に日本の恥だ・・・」
日本でも中国でも、表には出したくない「国の恥」たちが、「愛国者」を名乗っているわけです。やれやれ。
慨嘆することもしばしばあります。
孫子の兵法における勝利、にらみ合いつつ互いに
益をなす共存すら受け入れようとしないのです…
そして、歴史ではしばしばそんな最悪の愚か者が
勝利してしまい、最悪の事態をもたらすことが
あるのでよけい心苦しいですが、それをどうして
いいかはよくわからないのが正直なところです。
私は韓国に住んでいますが、いわゆる“嫌韓”な人たちが思い描いている韓国が、いかに現実とかけ離れたものであるかをいつもヒシヒシと感じます。
実際に韓国に行ったこともなく、韓国人と接したこともなく、韓国社会や言葉を学ぶ気もないくせに自分の妄想ばかりを勝手に膨らませているという…。
ホントにやれやれですね。
>勝利してしまい、最悪の事態をもたらすことが
>ある
何とかしてこの最悪の事態だけは避けたいです。歴史なんてちょっとした不幸の重なりでどっちにでも転ぶので、最悪の事態は起こり得ると思います。
でも、いったいどうすれば防げるのか?? 一人で考えていても良い知恵は出ないので、これからも意見交換をしながら考えて参りましょう。
こちらも2ヶ月ほど前にハムニダ日記の存在を知ってから、ユーモアのセンスたっぷりのブログを楽しく拝読させていただいております。とくに「最後の授業」は大爆笑でした。
気が滅入ったときはユーモアが欲しくなり、そういうときの訪問先がハムニダ日記だったりします。
>自分の妄想ばかりを勝手に膨らませているという
何とか、彼らを妄想の世界から現実の世界に引き戻さねば・・・・、と思いつつも、できることは少なく、もどかしいです。
ハムニダさんは、そのユーモアのセンスで、妄想の世界の住人たちに新鮮な刺激を与えていってあげてください。
先方に「反日」を止めてもらうためには、こちらもどうしても「靖国」を止めないと・・・。
こちらが止めれば向こうも止めると思います。でも、ウヨクは「靖国は内政問題だ。外交取引にするな」と叫ぶので・・・。そう叫ぶ人たちがいちばん外交問題にしたがっているように思えます。
こんなゴタゴタ騒ぎの政争の具にされて、私の祖父を含めた戦没者たちは、本当に迷惑だろうと思います。戦没者たちに本当に失礼な話しだと思うのです。
胡錦濤なんか、内心は反江沢民です。いつでも「反日」を止めたいでしょう。でも、胡錦濤が靖国を許してしまうと、保守派の攻撃を受けて彼の首が飛びます。私たちも、胡錦濤さんのそういう苦しい胸中を思いやってあげるべきだと思います。
そもそも、中曽根元首相が1985年に靖国公式参拝した際に、親日派だった胡耀邦総書記は中曽根首相との友情を重視して批判しなかったために、保守派に批判され、失脚してしまったのです。それが全ての不幸の始まりでした。
胡耀邦の失脚がなかったら、天安門事件もなかったのです。その後の保守派の巻き返しも、反日愛国教育の実施もあり得ませんでした。中国は今頃、もっと民主的な国になっていたはずなのです。
中曽根首相の軽はずみな行動が、その後の全ての不幸の始まりだったのです。
日本の右派は内心は、中国に「反日」の旗を降ろしてもらうのが迷惑なのでしょう。中国が「反日」を強めれば強めるほど、それを口実として、彼らの日本政治乗っ取り作戦が可能になるからです。
だからわざわざ靖国参拝で中国を挑発し、中国をさらに硬化させるように追いやっているのです。
中国の保守派や軍部も同じ理屈で、日本の首相に靖国参拝を止めて欲しくないのです。だって中国の軍部は、「日本の右傾化」を口実として、さらなる軍事予算の拡大を要求できるのですから。
この愚かなタカ派ゲームを一刻も早く止めさせねばならないと思います。
田舎と都市部で格差が開きすぎている。
マスコミの検閲やら情報操作やらも問題です。
中国に言論の自由が認められたら
13億人もの国民を統制できないでしょう。
結構、歪な発展をしている国です。中国の将来には漠然とした不安を感じます。
>うんですよ。
たしかに中国の中央集権体制は、匈奴やモンゴルの脅威への対抗の中で強化されてきました。ロシアや中国など大陸中央の国で中央集権制が強いのは、たえず外敵の侵入に脅かされた歴史に規定されているのでしょう。
中国でも、外敵の脅威の少なかった周から春秋時代などはゆるやかな分権状態が続きました。なので仮想敵がなくなったら、意外に中国も中央集権の手綱をゆるめて分権化・連邦化できるかも知れません。
「日韓」表記で揉めたあたりから始まって、ただでさえナショナリズムが爆発しやすいワールドカップが始まってからは…。
ソウルオリンピックでもいくつか「イベント」がありましたが(柔道での「USA」コールとか)、特に何も起きなかったのに比べれば、2002年の背景には90年代の全体的な左翼の退潮とか、WEBの普及があるのでしょう。
かつて政府の政策とかに「いつか来た道」と騒ぎ立てていたマスコミには、常々「その道からは来ないよ」と言いたい気持ちがあったのですが、蓋を開けてみれば、ある種「いつか来た道」。
結局は、国民(&マスコミ)を免罪した戦後の総括のヌルさにも問題はあるのかと。
しかし、もちろん、中韓に問題がないわけではない。
そこを指摘するのに遠慮すべきではないと思いますね。
「贖罪」意識自体が問題を歪めてしまう。
話変わって、かつて豊田有恒は、「韓国の挑戦」の中で、日本が国会で謝罪決議でもすれば、その日から韓国の反日は止むだろうという一人の韓国人の説を紹介していたように記憶しておりますが、95年の不戦決議でも、結局は「何も変わらない」ことになったような。
日本の「右派」の発言を封殺できない(するべきではない)以上、反日も止むことはない。そういう意味ではむしろ「外交戦略的」な「反日」を無効化しようという「試み」と思えば、小泉首相的なアプローチも「あり」かなという気も――。
結局は「反日」の反作用に加えて、長期不況による若年失業とか派遣労働制限緩和などによる安定的な就業&収入の困難という方向から訪れたのかなと――。
そして、背後からの流れ(ネットウヨの隆盛)が本流になってしまえば、多くの人が「そちらが危ない」と注視するのをやめる時代に――。