赤松小三郎が constitution (憲法)のことを「国律」と訳していることを先日の記事で紹介した。慶応三年(1867年)5月の島津久光への建白書の末尾に、「万国普通公平の御国律」の制定を懇願奉ると書いてる。これが民主憲法を意味することは明らかであろう。(以下の記事参照)
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/216eec0221eede52bc1d5ec9ad0bd4ad
幕末期、憲法という訳語はまだ定まっていなかった。しかし、国の大本になる根本法が必要であるということを、皆が認識しはじめ、それをそれぞれが工夫した表現で記している。
幕末期のこの頃に芽生えた、立憲主義を求める人々の熱い思いを見ると、立憲主義が音を立てて崩れていく現状が恥ずかしくなってしまう。
坂本龍馬は憲法のことを「無窮ノ大典」と表記していることはよく知られているであろう。「新政府綱領八策」の第四義は「律令ヲ撰シ新タニ無窮ノ大典ヲ定ム」というものである。
「無窮の大典」とは「国の一切かっさいの大本になる根本法」のようなニュアンスであろうが、じつに含蓄のある言葉だと思う。さすが龍馬と言うべきであろう。
それから148年後、閣議決定で軽々しく「無窮の大典」の解釈が変えられていると知れば、坂本龍馬も草場の陰で泣いていよう。
薩摩の小松帯刀らと土佐の後藤象二郎らが近代的な立憲議会政治の構築について合意した薩土盟約書には以下のような文章がある。
「朝廷の制度法則は往昔よりの律令ありと雖も、当今の時勢に参し、或いは当たらざる者あり、宜しくその弊風を一新改革して、地球上に愧(は)じざるの国本を建てん」
この「国本」は明らかに憲法を指している。
「王政復古」に当たって、古代の律令に帰れという議論があった中で、今日ではそれは適当でないから、心機一転して、地球上のどこに持っていっても恥ずかしくない憲法を制定しようという意味である。地球規模にまで視野を広げた、拡張の高いマニフェストであった。
「地球上のどこに持って行っても恥じることのない憲法を制定しよう」という慶応年間に掲げられたの崇高な理念と、それから150年を経た後の自民党政権の改憲構想を比べるにつけ、日本人として、とてつもなく恥ずかしいと思うのは私だけではないだろう。
憲法とは、赤松小三郎が「国律」と訳している通り、国民の側が政府を律し、民意を尊重させ、人権を守らせるためのものである。
しかるに自民党の改憲プランはといえば、国家が国民を縛り、律し、国民を監督し、政府にとって都合が悪い言論活動を抑圧し、為政者に都合のよい「道徳」を国民に押し付けようという、全く逆の発想の、立憲主義のイロハも分かっていないシロモノである。こんな憲法を頂いてしまっては、それを許してしまっては、日本人として、地球のどこに行っても恥ずかしい。
薩土盟約のまま事態が推移していけば、明治の最初の段階で、民主的な議会を持つ、立憲政治に移行していたはずである。天皇は「君臨すれども統治しない」象徴的な存在となり(それこそ日本の伝統に合致する)、実質的な議会制民主国家になっていったはずなのである。
安倍首相の大先輩の長州志士たちはその路線を否定し、ふたを開けてみれば、明治維新は、古代の政体に範をとった祭政一致の復古体制を実現しようとする「反革命」に帰着してしまったのだ。
先週の記事で「自民党改憲案は135年前の五日市憲法より後退している」と書いた。いや、150年前の慶応年間に模索された憲法理念よりなお後退しているといえるだろう。
以下参照。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/cc2ab3a01730f34dfddec43b05a17b44
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/216eec0221eede52bc1d5ec9ad0bd4ad
幕末期、憲法という訳語はまだ定まっていなかった。しかし、国の大本になる根本法が必要であるということを、皆が認識しはじめ、それをそれぞれが工夫した表現で記している。
幕末期のこの頃に芽生えた、立憲主義を求める人々の熱い思いを見ると、立憲主義が音を立てて崩れていく現状が恥ずかしくなってしまう。
坂本龍馬は憲法のことを「無窮ノ大典」と表記していることはよく知られているであろう。「新政府綱領八策」の第四義は「律令ヲ撰シ新タニ無窮ノ大典ヲ定ム」というものである。
「無窮の大典」とは「国の一切かっさいの大本になる根本法」のようなニュアンスであろうが、じつに含蓄のある言葉だと思う。さすが龍馬と言うべきであろう。
それから148年後、閣議決定で軽々しく「無窮の大典」の解釈が変えられていると知れば、坂本龍馬も草場の陰で泣いていよう。
薩摩の小松帯刀らと土佐の後藤象二郎らが近代的な立憲議会政治の構築について合意した薩土盟約書には以下のような文章がある。
「朝廷の制度法則は往昔よりの律令ありと雖も、当今の時勢に参し、或いは当たらざる者あり、宜しくその弊風を一新改革して、地球上に愧(は)じざるの国本を建てん」
この「国本」は明らかに憲法を指している。
「王政復古」に当たって、古代の律令に帰れという議論があった中で、今日ではそれは適当でないから、心機一転して、地球上のどこに持っていっても恥ずかしくない憲法を制定しようという意味である。地球規模にまで視野を広げた、拡張の高いマニフェストであった。
「地球上のどこに持って行っても恥じることのない憲法を制定しよう」という慶応年間に掲げられたの崇高な理念と、それから150年を経た後の自民党政権の改憲構想を比べるにつけ、日本人として、とてつもなく恥ずかしいと思うのは私だけではないだろう。
憲法とは、赤松小三郎が「国律」と訳している通り、国民の側が政府を律し、民意を尊重させ、人権を守らせるためのものである。
しかるに自民党の改憲プランはといえば、国家が国民を縛り、律し、国民を監督し、政府にとって都合が悪い言論活動を抑圧し、為政者に都合のよい「道徳」を国民に押し付けようという、全く逆の発想の、立憲主義のイロハも分かっていないシロモノである。こんな憲法を頂いてしまっては、それを許してしまっては、日本人として、地球のどこに行っても恥ずかしい。
薩土盟約のまま事態が推移していけば、明治の最初の段階で、民主的な議会を持つ、立憲政治に移行していたはずである。天皇は「君臨すれども統治しない」象徴的な存在となり(それこそ日本の伝統に合致する)、実質的な議会制民主国家になっていったはずなのである。
安倍首相の大先輩の長州志士たちはその路線を否定し、ふたを開けてみれば、明治維新は、古代の政体に範をとった祭政一致の復古体制を実現しようとする「反革命」に帰着してしまったのだ。
先週の記事で「自民党改憲案は135年前の五日市憲法より後退している」と書いた。いや、150年前の慶応年間に模索された憲法理念よりなお後退しているといえるだろう。
以下参照。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/cc2ab3a01730f34dfddec43b05a17b44