長いあいだブログを放置しており申し訳ございませんでした。
やむを得ない事情が発生したため、しばらくコメント欄を承認制にさせていただきます。
私は、プライバシーの侵害や名誉棄損など以外の理由では、何があっても言論の自由は守らなければいけないと考えています。活発な弁証法的討論が行われるために、何よりも自由闊達な議論を保障しようと、このブログを運営してまいりました。
私個人に対しては、「工作員」だの「在日」だの過去さまざまな虚偽情報にもとづく書き込みがなされてまいりましたが、それらを削除することもなく、コメント欄は常時開放してきました。
その結果、一方的な認識を押し付け合うような2ch等の掲示板とは違った、認識のアウフヘーベンをともなう、弁証法的討論が一定は行われてきたのではないかと思います。
しかし大変に残念なことに、他人のハンドルネームを偽って、ご本人になりすまして、その方の実名などの個人情報を書き連ねるという悪質な犯罪的行為が発生しました。私個人に対する攻撃ではなく、第三者に対するプライバシーの侵害でしたので、もはや看過できません。私が管理を怠っているあいだに犯罪が繰り返される可能性がありますので、しばらくのあいだコメント欄を承認制にせざるを得なくなりました。
当ブログの討論参加者の皆様にはしばらくご不便をおかけします。心苦しい限りですが、看過できない特定の犯罪的書き込みを排除することだけが目的です。しばらく不自由をおかけいたしますが、ぜひこれからも書きこんでいただきたく存じます。
以前にも、私や特定の法人に関して、虚偽情報で誹謗中傷する書き込みがあり、書きこんだ方に厳重注意を与えたにもかかわらず、ご本人は無反省でその行為はエスカレートするばかりでした。結局、悪質なコメントが多数に及び、当ブログの記事(「新古典派経済学が科学を冒涜している理由」)は、gooの事務局によって閲覧停止措置に処されてしまいました。
その悪質な書き込みを行った方は、通俗的なミクロ経済学の教科書に書いてあることは全て正しいと信じ込んでおられ、私がこのブログで行っている新古典派経済学批判が気に入らないらしく、執拗に私を攻撃しております。
その方の定義における「合理的経済人」とは、虚偽情報を書き込んで他人に迷惑をかけても、他人のプライバシーを侵害して名誉を棄損しても、自分の心は痛まずに平気でいられる人間を指すようです。
その方が何かすればするほど、それらの行為そのものが、経済学を貶めていくだけでしょう。
人間は孤立した存在で、各々の合理的計算に基づいて個々の欲望を最大化しようとする存在であるというのが新古典派経済学の想定する「合理的経済人」です。
もちろん実際の人間は、自然に畏敬の念を抱き、人間の身勝手を戒め、他者に共感し、他者と相互に反映・作用し合う社会的な存在です。その事実を無視ないし軽視しするのが新古典派経済学です。これを真理だと言い立てて、そのような教育をし、実際にそれを真理と錯覚する人間が増えていくと、社会秩序も地球生態系も崩壊していきます。森林・環境分野の研究者である私が新古典派経済学を批判せざるを得ないのは、地球を崩壊させたくないからです。
まともな経済学者であれば、新古典派のモデルと現実を峻別し、両者を混同するようなことはしません。モデル上の仮定でしかないものに対して「原理」などと呼びはしません。無批判にモデルを妄信できるような方は、学者としての素養が根本的に欠落しています。
まともな経済学者は、モデルの仮定の適用範囲を見定めた上でそれを慎重に扱います。それを「原理」と称して、普遍的に成立するかのごとき虚言を述べたりしません。己の依って立つ理論的なモデルも、常に一歩引いて相対的に見ることができ、それを妄信したりはしないのです。
そのような妄信を行う人間が研究者であるとすれば、その方は価値のある学術論文など書けやしません。
そのような妄信を行う人間が教師であり、それを学生たちに押し付けようとするのであれば、その方のやっていることは教育ではありません。
やむを得ない事情が発生したため、しばらくコメント欄を承認制にさせていただきます。
私は、プライバシーの侵害や名誉棄損など以外の理由では、何があっても言論の自由は守らなければいけないと考えています。活発な弁証法的討論が行われるために、何よりも自由闊達な議論を保障しようと、このブログを運営してまいりました。
私個人に対しては、「工作員」だの「在日」だの過去さまざまな虚偽情報にもとづく書き込みがなされてまいりましたが、それらを削除することもなく、コメント欄は常時開放してきました。
その結果、一方的な認識を押し付け合うような2ch等の掲示板とは違った、認識のアウフヘーベンをともなう、弁証法的討論が一定は行われてきたのではないかと思います。
しかし大変に残念なことに、他人のハンドルネームを偽って、ご本人になりすまして、その方の実名などの個人情報を書き連ねるという悪質な犯罪的行為が発生しました。私個人に対する攻撃ではなく、第三者に対するプライバシーの侵害でしたので、もはや看過できません。私が管理を怠っているあいだに犯罪が繰り返される可能性がありますので、しばらくのあいだコメント欄を承認制にせざるを得なくなりました。
当ブログの討論参加者の皆様にはしばらくご不便をおかけします。心苦しい限りですが、看過できない特定の犯罪的書き込みを排除することだけが目的です。しばらく不自由をおかけいたしますが、ぜひこれからも書きこんでいただきたく存じます。
以前にも、私や特定の法人に関して、虚偽情報で誹謗中傷する書き込みがあり、書きこんだ方に厳重注意を与えたにもかかわらず、ご本人は無反省でその行為はエスカレートするばかりでした。結局、悪質なコメントが多数に及び、当ブログの記事(「新古典派経済学が科学を冒涜している理由」)は、gooの事務局によって閲覧停止措置に処されてしまいました。
その悪質な書き込みを行った方は、通俗的なミクロ経済学の教科書に書いてあることは全て正しいと信じ込んでおられ、私がこのブログで行っている新古典派経済学批判が気に入らないらしく、執拗に私を攻撃しております。
その方の定義における「合理的経済人」とは、虚偽情報を書き込んで他人に迷惑をかけても、他人のプライバシーを侵害して名誉を棄損しても、自分の心は痛まずに平気でいられる人間を指すようです。
その方が何かすればするほど、それらの行為そのものが、経済学を貶めていくだけでしょう。
人間は孤立した存在で、各々の合理的計算に基づいて個々の欲望を最大化しようとする存在であるというのが新古典派経済学の想定する「合理的経済人」です。
もちろん実際の人間は、自然に畏敬の念を抱き、人間の身勝手を戒め、他者に共感し、他者と相互に反映・作用し合う社会的な存在です。その事実を無視ないし軽視しするのが新古典派経済学です。これを真理だと言い立てて、そのような教育をし、実際にそれを真理と錯覚する人間が増えていくと、社会秩序も地球生態系も崩壊していきます。森林・環境分野の研究者である私が新古典派経済学を批判せざるを得ないのは、地球を崩壊させたくないからです。
まともな経済学者であれば、新古典派のモデルと現実を峻別し、両者を混同するようなことはしません。モデル上の仮定でしかないものに対して「原理」などと呼びはしません。無批判にモデルを妄信できるような方は、学者としての素養が根本的に欠落しています。
まともな経済学者は、モデルの仮定の適用範囲を見定めた上でそれを慎重に扱います。それを「原理」と称して、普遍的に成立するかのごとき虚言を述べたりしません。己の依って立つ理論的なモデルも、常に一歩引いて相対的に見ることができ、それを妄信したりはしないのです。
そのような妄信を行う人間が研究者であるとすれば、その方は価値のある学術論文など書けやしません。
そのような妄信を行う人間が教師であり、それを学生たちに押し付けようとするのであれば、その方のやっていることは教育ではありません。
コメント欄を承認制にするのは残念ではありますが、妥当な判断だと思います。
経済学における仮定は世の中のことを考えるうえで便利ですが、それに囚われずいろんな角度から物事を見るのが重要だと思います。
モデルと現実を峻別した教育をしなければならないのですが、教育現場にモデルを妄信する目が座っているような方々が実際にいるのが現実です。
学生の皆さんには、そういう痛い先生方を反面教師として、本当の学問に励んでいただきたいものです。