代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

専門家は基本的にインサイダーである

2014年06月28日 | 学問・研究
 前回の記事「方法論的アマチュア主義」に塩沢由典先生が下さったコメントを再掲いたします。「専門家は基本的にインサイダーである」という命題を前提とすると、政策形成を特定分野の専門家に委ねることがいかに危険かということが見えてきます。

****以下、前回の記事のコメント欄より引用******

専門家はインサイダ (塩沢由典)2014-06-27 10:06:02

いろいろな機会にうすうす感じていたのですが、指摘されてきわめて明確になりました。「専門家は基本的にインサイダーである」ということは、学問とそれが可能にする政策との関係を考えるときには、つねに考えに入れるべきことですね。

いちばん分かりやすい例は、福島第一原発が事故を起こす前までの原子力工学関係者です。政府の政策や電力会社の方針にすっかり巻き込まれていたと思います。もちろん、そういう中でも、きちんと異論を出していた研究者はいます。万年助手(助教)の小出裕章さんや今中哲二さん、元原発設計者の後藤政志さんや田中三彦さんのような方々です。

わたしが個人的に記憶しているのは、日本国際経済学会の第70回全国大会(2011年10月22日・23日、慶応大学三田キャンパス)の第一日目にあった大会シンポジウムです。TPP問題に火がついたばかりで、シンポジウムの主題もTPPでした。じつはわたしはこのシンポは最後の部分しか聞いていなのですが、農業経済が専門という研究者が国際経済の専門家はほとんどがTPPに賛成なのはなぜですかと、悲嘆に近い声をあげられていたことを思い出します。全体の流れは知りませんが、国際経済学の専門家はTPP推進で当然という人が圧倒的多数だったのでしょう。

この場合、原子工学やバルサルタンの臨床研究のように、研究資金が流れたというのではないでしょう。しかし、国際経済学のいちぶである(これまでの)貿易理論は、その成立のときから、自由貿易という政策が組になっていて、理論と政策の区分が不分明です。

お金で買収されていなくても、経済学のような学問では、どうしても自分の専門分野の政策を主張したくなることが多いと思います。貿易論は、こうした構図が、ある意味、明確な分野ですが、他の学問領域でもおなじようなことがあるでしょう。そういう意味で、「専門家はインサイダー」という留保はつねに必要です。

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閉鎖的インサイダーにブレークスルーなし (関)2014-06-28 10:29:10

塩沢由典先生

>農業経済が専門という研究者が国際経済の専門家はほとんどがTPPに賛成なのはなぜですかと、悲嘆に近い声をあげられていた
>研究資金が流れたというのではないでしょう

 私の知り合いの国際経済学会の会員にはTPPに批判的な方もおります。しかし、表立ってそういうセッションを立ち上げたり、あからさまにそう主張するのは難しいような場の雰囲気があるのでしょうか。

 場の雰囲気に馴染まないと仲間に入れないというか、国際経済学のインナーサークルの一員になるためには「自由貿易を支持しなければならない」という踏み絵を踏む必要があるように外野からは観察されます。

 農業経済学会の方も、同様にインサイダーになるための掟やしきたり、不毛な学閥の支配と対立で満ちているようなので、お互いに救われないという感じもいたします。

 私の専門の林学の場合も、インサイダーのムラ社会への無言・有言の同調圧力で満ち満ちています。

 私が大学生のころには「拡大造林を支持しなければならない」とか「熱帯林破壊の原因は木材伐採によるものではなく、地元住民の焼畑が原因である」とか、いずれも「林業ムラ」「林野ムラ」のあからなさまな利権から発生しているテーゼを受け入れなければならないという同調圧力で満ちていました。

 私が選んだ専門分野がよほどおかしいのだと思って、学生のころは「とんでもない分野を専攻してしまった」と後悔しきりでした。しかし次第に他の分野も同じようなもんだということが分かってきました。

 ムラ社会の同調圧力に屈しないためには、誰ともつるまない、一匹オオカミを貫くという対策をとるしかなく、それを実践してきました。しかしそういう態度をとっていると学会で発表しても聴衆が一ケタということになりました。

 病根は深いと思います。どう解決したらよいのでしょうか。
 アマチュア研究者が増え、各学問分野に存在するナンセンスな不文律を洗い出してくれることに期待します。利権はないが教養はあるという方々が集まって、各学会に存在するナンセンスな不文律を洗い出すような作業をしてくれればすばらしいと思います。一般の人々がその不文律を信じなくなれば、学会の権威などガタ落ちで、彼らも軌道修正せざるを得なくなるように追い込まれるでしょうから。

 私がこの間、主に取り組んできたのは河川工学分野の不文律の追求でした。彼らがダムを造りたいのは、職業病とでも言うべきものです。彼らの場合、薬学研究と同様に、あからさまな研究資金の流れもあります。彼らがダムを支持するのは彼らの勝手です。

 しかしながら許せないのは、ダムを造りたいがために、「森林が成長しても流域の保水機能の増進は確認できない」というウソを主張するまでに至ったことです。科学的事実を捻じ曲げ、虚偽を主張することだけは断じて許してはなりません。
 これ以外にも、ダムを造るためには他にもウソだらけでゴマカシだらけで、唖然とすることばかりです。彼らは方程式の左右の次元が合わないモデルも平然と使って、それを正しいと主張するのです・・・・。

 いちど日本の学会すべて解体して最初からやり直した方がよいのではないかとすら思います。
 

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6 コメント

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ジェイン・ジェイゴブズ (塩沢由典)
2014-06-28 17:37:44
別の日(2014年3月31日)の記事に何回かコメントしました。それに対し、たんさいぼう影の会長さんが「社会学・経済学にはアマチュア研究者がなぜほとんどいないのか」という(質問を出された)というコメントを載せられました。

それにお応えして「アマチュア経済学者」というコメントを追加しました。このコメントは、それへの追記です。そちらへもコメントとして投稿したのですが、一日遅れのコメントになってしまいました。というのは、このプログのオーナーが記事にまとめてくれたのですが、そちらに間に合わなかったからです。

どの日の記事へのコメントとするか迷いました。方法論的アマチュア主義に関係するのですが、他方ではジェイコブズの自己教育は、紛争への当事者となることでした。ここに専門家インサイダー(ジェイゴブズの場合、ニューヨーク市の都市計画担当者)を乗り越える、もうひとつのヒントが隠されているとも思えたので、あえてこちらへのコメントとします。

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20世紀の偉大なアマチュア経済学者としてカレツキーを上げましたが、もうひとり重要な(私にとってはもっとも重要な)ひとりを忘れていました。

ジェイン・ジェイコブズです。ジェイコブズは、20世紀第3四半世紀に都市計画思想を転換させた批評家として有名ですが、経済発展の考え方については、わたしはシェイコブズからもっとも大きな影響を受けました。

ジェイコブズは、1930年代の大変な時期に青春期を過ごしたので、正規の大学教育を受けることなく、雑誌編集の手伝いをしながら、自己教育で偉大な思想家になりました。夫が都市計画家であったこともあるかも知れませんが、基本的にはニューヨーク市の乱暴な都市開発に反対する運動に参加する中から、なにがおかしいのか自己学習し、それを『アメりカ大都市の死と生』にまとめました。長いあいだ黒川紀章訳がありましたが、あまり訳が良くないのと、半分しか翻訳されていないという不運な状況にありました。黒川さんがなくなって、201年にようやく山形浩生による完訳がでしまた。

経済学者としてのジェイン・ジェイコブズは、その後に書いた2冊の本(The Economy of Cities と Cities and Wealth of Nations)で、経済発展のメカニズムについて、これまでほとんど誰も言ってきていなかった考察を展開しています。ただ、経済学の主流からは、ほとんどは無視されました。都市経済学などで多様性の集積の効果をジェイコブズ効果などという程度です。それでも、R. ルーカスやR.フロリダなどにとっては大きなヒントになっています。

山形さんの新訳とほぼ同時にでたわたしの『関西経済論/原理と議題』も、その骨子はジェイコブズです。ただ、Cities and Wealth of Nations のジェコブズでは「輸入置換」を発展の一般形態としていて、新しい商品がいかに生まれるかあたりの説明が明確でないと思っています。その点をどう考えるかについて、『関西経済論』では新しい仮説を提起しています(第2章第8節)。

ところで上で本のタイトルを英語のままにしているのは、英語と日本語ですこしややこしい関係にあるからです。

The Economy of Cities 
『都市の原理』

Cities and Wealth of Nations 
旧訳『都市の経済学』 

この新訳が『発展する地域・衰退する地域』という表題で筑摩学芸文庫からでました。わたしも解説のひとつを書いています。もう一人の解説者は、もと鳥取県知事の片山善博さんです。これはよく売れているようです。

半分わたのし宣伝が入ってしまいましたが、20世紀後半のアマチュア経済学者としては、ジェイン・ジェイコブズが最大でしょう。

偉大なアマチュア経済学者を忘れていたので、追記させていただきました。
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インナーサークルの一員 (塩沢由典)
2014-06-28 17:48:30
学者がインナーサークルの一員になりたがるようでは、市川惇信説に基づくと、ブレークスルーを飽きられてしまうようなものです。

学問を革新する気概をもった研究者が少なくなってしまったとたんさいぼう影の会長さんも言っていられましたが、この点では、残念ながら日本はアメリカ合衆国にかなり水をあけられています。

日本から合衆国に留学して帰ってくる経済学者は多いのですが、ブレークスルーを起こすという気概を学んで帰ってくるひとは少ないようです。
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インナーサークルの一員/訂正 (塩沢由典)
2014-06-28 17:50:43
学者がインナーサークルの一員になりたがるようでは、市川惇信説に基づくと、ブレークスルーを諦めてしまうようなものです。

学問を革新する気概をもった研究者が少なくなってしまったとたんさいぼう影の会長さんも言っていられましたが、この点では、残念ながら日本はアメリカ合衆国にかなり水をあけられています。

日本から合衆国に留学して帰ってくる経済学者は多いのですが、ブレークスルーを起こすという気概を学んで帰ってくるひとは少ないようです。
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ジェイコブスについての追記させていただきました ()
2014-06-29 09:56:28
塩沢由典先生

 ジェイコブスについての追記ありがとうございました。ジェイコブスは、私は不覚にもちゃんと読んだことがないのですが、宇沢弘文先生がジェイコブスの都市論を非常に高く評価していて、ル・コルビジュの都市論を批判しながらジェイコブスを評価して引用しておられましたので、それで間接的な情報のみもっていました。自分でもちゃんと読んでみたいと思います。
 宇沢先生からコルビュジュの話を聞いて千里ニュータウンや多摩ニュータウンをイメージし、ジェイコブスと聞いて浅草や下北沢や高円寺あたりをイメージしていました。
 6月26日の記事「専門家のタコツボ化とアマチュア研究者のブレークスルー」に、ジェイコブスについて追記させていただきました。
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ジェイコブスのこと (りくにす)
2014-07-04 20:00:38
ジェイン・ジェイコブスは『統治の倫理 市場の倫理』を読み、『経済の本質』を持っておりますが、都市論の本は未読です。
『統治の倫理 市場の倫理』は予備知識なしで読み始めたのですが結構面白く、著者の主張に賛成できなくてもトリビア本として楽しめると思います…といえるくらい話が多岐にわたり、感想や要約が難しいです。君主、軍人、法曹などに要求されるルールと、商人に求められるルールは異なっていて混合すると腐敗がはじまる、といった話です。警察に歩合制を導入するとどうなるか、あるいは市場に出店するとき店頭に用心棒を置くのが何を意味するか、を例にすれば分かりやすいでしょうか。

『経済の本質 自然から学ぶ』は経済活動と自然の働きの似たところを探ろうという本なのですが話がいろんな方向に行き複雑系の領域に入ってしまったりして結構難しいうえ、会話体、特に女言葉が気になって読みづらかったです。登場人物たちはお近づきになりたい人たちなのですが。

今度こそジェイコブスの都市論の本を読んでみようかと思います。
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ほんとうは怖い?ジェイコブス (りくにす)
2014-07-26 23:52:09
『発展する地域 衰退する地域』読み終えました。塩沢先生や片山善博さんの解説も興味深く拝読しました。
経済発展の単位が都市であり、国家でないことは考えてみれば当然のように思われますが、「国民経済」という言葉が当たり前のように通用していますので、国のどこにでも工場を誘致すれば経済は発展するのだ、と誰もが信じています。どんな地域でも努力次第で発展できると考えてしまうのは米沢者の悪い癖ですね。
この本では都市が他の地域に及ぼす影響を主に扱っています。実は国内の都市相互の取引が経済発展にとって重要で、いきなり完成した高度な製品や工場がやってくるとその地域の自発的な発展は妨げられてしまいます。

また、通貨が経済的フィードバック・コントロールを果たすのは国家より都市であり、18世紀まで統一された国家といえども各都市がそれぞれ貨幣を作っていたことがかかれています。もし世界がたった一種の通貨で統一されるならフィードバック機能は働かなくなるでしょう。統一前の古代中国が創造的で魅力的でしたが統一後は通貨によるフィードバックが働かなくなり諸都市は停滞し全体に貧しいままでした。
国家と並ぶ経済の担い手と考えられている企業もまた「覇権」がお好きです。業界シェアの拡大を試み独占をもくろみます。独占も業界の創造性を殺ぐものです。
困ったことに国家元首も企業化も覇権が好きな方が多いのですよね。

乱暴で先走った感想を言わせてもらえば「世界経済はおわこんなのかも知れない」です。アメリカ経済は軍需産業に頼っており、絶えず戦争を必要としています。長期的な戦争経済は投下した資本が戻ってこない「衰退の取引」ですからいかに大規模になろうとも経済停滞脱出の決め手にはなりません。そこから抜け出そうとする地域には、井上ひさしの『吉里吉里人』のラストのような結末が待っているのでは、と暗澹たる気分になります。

さらに恐ろしいことを申しますと、この本を逆用すればアフリカや南アメリカといった地域を永久に発展できないようにしたり、伝統ある国家を衰退の道に追いやったりできるのではと疑っております。ケンブリッジ大学のハジュン・チャン教授は1980年代にはアフリカ諸国も経済発展していたと書いています。新自由主義のせいだと思っていたら本当は…ということはないのでしょうか。
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