代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

利根川・江戸川有識者会議での論点(1) 森林保水力問題

2012年10月21日 | 利根川・江戸川有識者会議
 私もひょんなことから巻き込まれています利根川・江戸川有識者会議。
 
 前回(10月16日)の会議で一番大きな話題になったのは、①八ッ場ダム建設を正当化する目的に沿って国交省は1947年洪水の氾濫図まで捏造していた、という事実。

 他にも前回の会議では、②国交省の計算モデルが利根川上流の実際の地質構造を反映していないこと③それも一つの理由として中規模洪水から構築したモデルは大規模洪水には当てはまらないこと④国交省が利根川上流の森林保水力の向上を無視していること、なども争点として上がりました。

 本日は、森林保水力問題について解説します。

飽和雨量の経年的増加傾向は明らか

 下の表は、2011年に国交省が、利根川における過去主要10洪水の再現計算に使った飽和雨量の値です。飽和雨量とは土壌の空隙が雨水で飽和してしまうまでに降った雨量を示す値です。森林が豊かで土壌層が発達すると飽和雨量は大きくなると考えられます。森林保水機能を反映するパラメータだと思ってください。利根川の上流域を大きく四つに分割すると、各流域の飽和雨量の平均値は以下の表のようになります。

 

 飽和雨量の経年変化を見ると、第四紀の火山噴火によって形成された新しい火山岩の多い吾妻川流域は終始一貫して飽和雨量は無限大です。また古い時代に堆積し固い岩盤で覆われている中古生層の神流川流域は、飽和雨量の経年変化は見られません。しかし、奥利根流域では90㎜程度の飽和雨量が150以上に増大、烏川流域においても110㎜程度のそれが200以上に増加しています。明らかに、昭和30年代から近年に至る過程で経年的に流域の保水力が増加傾向にあることが見てとれます。
 国交省は、過去10洪水の流出計算をするに当たり、実績流量に計算流量を合わせるためには、やはり飽和雨量の値を変更するしかなかったのです。これは森林の保水機能の増加を何よりも雄弁に物語っているのです。

 ところが、国交省の新モデルを評価した日本学術会議は以下のように結論しています。

***引用開始***

流出モデル解析では、解析対象とした期間内に、いずれのモデルにおいてもパラメータ値の経年変化は検出されなかった。戦後から現在まで、利根川の里山ではおおむね森林の蓄積は増加し、保水力が増加する方向に進んでいると考えられる。しかし、洪水ピークにかかわる流出場である土壌層全体の厚さが増加するにはより長期の年月が必要であり、森林を他の土地利用に変化させてきた経過や河道改修などが洪水に影響した可能性もあり、パラメータ値の経年変化としては現れなかったものと考えられる。

日本学術会議「河川流出モデル・基本高水の検証に関する学術的な評価」(回答)より引用。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/kohyo-21-k133.html

***引用終わり***

 空いた口が塞がらないとはこのことです。飽和雨量の変化は明らかに昭和30年代から増加傾向にあり、「パラメータ値の経年変化は検出されなかった」という学術会議の主張とは全く矛盾します。学術会議は、この説明の齟齬についての説明を一切行っていないのです。学術会議の記述は全く意味不明なのです
 
この点、私も10月16日の会議の場で、日本学術会議基本高水分科会の委員長を務めた小池俊雄委員(東京大学大学院教授)に質問しましたが、回答はいただけませんでした。
 
昭和30年代と比べると保水力の増加により洪水流量は13.7%低下

 飽和雨量の値を森林が荒れていた1958年(S33年)のもので固定して他の9洪水の再現計算を行い、<実績流量/計算流量>の値を縦軸にとったのが下の図です。1982年(S57年)9月洪水では計算流量に比べて実績流量が13%低下、1998年(H10年)洪水では同じく16%低下、平均して1950年から2010年にかけて森林保水力の増加により少なくとも13.7%は実績流量が低減しているという結果となりました。(2001年洪水のように低下していないものもありますが、これはこの洪水が二山ピーク洪水で、貯留関数法での計算誤差が大きくなる雨の降り方であるためです)。


東大モデルでも同じ結果

 じつは東京大学が独自に行った解析でも、昭和33年洪水をもとにしたモデルで平成10年洪水を計算するとピーク流量は13%ほど減少しています。
 政策エッセイストのまさのあつこさんが「東大モデルの誤差」という記事で分かりやすく解説しています。下記記事です。

「東大モデルの誤差」

http://seisaku-essay.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/ii-5482.html 
http://seisaku-essay.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-8a5d.html

 前回10月16日の会議でも、大熊孝委員がこの点を質問しました。「昭和33年洪水ではなく、平成10年洪水にパラメータをあわせて計算してみてくれませんか?」という当然の質問です。

 じつは、洪水流量の新モデルによる再計算がそもそも始まったのは、河野太郎議員の国会質問と馬淵澄夫元国交大臣の調査によって、計算モデルが昭和30年代当時の洪水からつくられており、近年の洪水に合致しないという事実が明らかになったからでした。しかるに、東大は再び昭和30年代の洪水に合致するモデルをつくり、平成10年には合っていないにも関わらず、従来の基本高水を追認してしまったのです。本末転倒とはこのことです。

 さて、大熊孝委員の質問に対し、小池俊雄委員がどのように回答したのでしょうか。
 この点、まさのあつこさんが「これが東大話法かぁ~」という記事で詳細に再現しています。是非読んでみてください。結局、何も答えられていないことがよく分かるかと思います。論点をそらして、結局、「平成10年に合わせて」という要望にはゼロ回答なのでした。

「これが東大話法」 
http://seisaku-essay.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-90ed.html 


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