前のエントリーで、アジアの少数民族の問題などをどうやって解決していったらよいのかという話題になりました。本日は手前ミソな話しになりますが、私が現在やっていることを紹介しながら、「友人として中国に言うべきことを言う」ということについて考察してみます。
今年の7月に『中国の環境政策 生態移民』(小長谷有紀・シンジルト・中尾正義編著、昭和堂)という本が出ました(写真は表紙)。私はこの本の第4章「『生態移民』に頼らない森の再生」を執筆しています。
この本のタイトルにある「生態移民」とは、環境保全のため、砂漠化や土壌流失が深刻な限界地における農耕や放牧を停止させ、そこに居住する人々を村ごと集団移住させてしまおうという中国政府の政策です。これが実に問題だらけの政策で、少数民族に対する迫害にもつながっているのです。
この本は、日本人と中国人が共同で執筆していますが、中国人執筆者は主に少数民族であるモンゴル民族の人々です。
この本を読めば、モンゴル人と漢人の認識の相違、世界観の対立がよく分かるでしょう。漢人は、モンゴル人の牧畜生活を「遅れたもの」「砂漠化の元凶」と見なして、生態保護のために移住させ、定住生活に移行させようとしています。
かたやモンゴル人から見ると漢人の移民の激増が、モンゴル人の放牧地を狭めていき、それが砂漠化につながっているのであり、砂漠化の元凶は漢人の入植にあるということになります。
この本は、「環境保護」を名目とした、多分に漢人的バイアスに基づいた政策によって、少数民族の生活権が脅かされ、結局のところ「環境保護」の実現も難しくなっているということを、実地調査によって明らかにしたものです。
現在、「環境保護」を大義名分とする圧倒的な「正義」の大合唱の中で、中国政府が進める「生態移民」政策に対する疑義の声はかき消されています。この本は、多分にバイアスに基づいた圧倒的な「正義」の声に対して、実態調査に基づいた科学的データの提示によって、抵抗を試みた書だといえます。
私たち日本人研究者としては、あくまでも科学的に客観的な事実関係を明らかにする中で、モンゴル人の「抵抗」をささやかにサポートしているわけです。
ちなみに私が第4章で書いた調査地は、モンゴルではなく、長江上流の貴州省です。貴州省においても、政府の森林再生政策によって農地を奪われる農民の困窮状態を実証しています。
この本の内容は、2004年の7月に開かれた日中国際シンポジウム(中国社会科学院民族人類学研究所と日本総合地球環境学研究所の共催)をもとにまとめられたものです。
そのシンポジウムには私も出かけて報告してきました。私は、中国政府の植林政策がいかに農民の生活を不安定化させているか、そして農民の抵抗を受けて植林の成功そのものが危うい状態であるか、といった政策の問題点をデータに基づいて指摘してきました。
ちゃんと実証データを示して、学術的に論じれば、政策批判であっても、もちろん弾圧されたりしません。間違った政策であれば、中国政府もちゃんと気付きます。私の発表のあとでも、中国の農村の状況を大変に憂慮されているという年配の漢人の研究者の方が、「非常に好かった」と私に握手を求めにきてくれたものでした。
さて、この本は中国語にも翻訳され、内蒙古大学出版社から出版されました。いまは中国の書店の店頭にも並んでいます。中国側からの反響が楽しみです。
いま日本人による反中国ブログが乱立しています。中国を敵として攻撃したところで、中国の保守派を喜ばせるだけです。問題の解決になど決してつながりません。
私は事実に基づいて言うべきことを言うだけです。中国のごく普通に良識のある人々は、私と認識をほとんど共有できるということを、私は知っていますから。
小泉首相が靖国参拝という愚行を繰り返せば、中国共産党の保守派と軍部は「発言権が高まる」と喜び、逆に中国国内の良識派・改革派をひたすら困らせるだけなのです。そうした愚行が、日本の安全を危うくするのです。
今年の7月に『中国の環境政策 生態移民』(小長谷有紀・シンジルト・中尾正義編著、昭和堂)という本が出ました(写真は表紙)。私はこの本の第4章「『生態移民』に頼らない森の再生」を執筆しています。
この本のタイトルにある「生態移民」とは、環境保全のため、砂漠化や土壌流失が深刻な限界地における農耕や放牧を停止させ、そこに居住する人々を村ごと集団移住させてしまおうという中国政府の政策です。これが実に問題だらけの政策で、少数民族に対する迫害にもつながっているのです。
この本は、日本人と中国人が共同で執筆していますが、中国人執筆者は主に少数民族であるモンゴル民族の人々です。
この本を読めば、モンゴル人と漢人の認識の相違、世界観の対立がよく分かるでしょう。漢人は、モンゴル人の牧畜生活を「遅れたもの」「砂漠化の元凶」と見なして、生態保護のために移住させ、定住生活に移行させようとしています。
かたやモンゴル人から見ると漢人の移民の激増が、モンゴル人の放牧地を狭めていき、それが砂漠化につながっているのであり、砂漠化の元凶は漢人の入植にあるということになります。
この本は、「環境保護」を名目とした、多分に漢人的バイアスに基づいた政策によって、少数民族の生活権が脅かされ、結局のところ「環境保護」の実現も難しくなっているということを、実地調査によって明らかにしたものです。
現在、「環境保護」を大義名分とする圧倒的な「正義」の大合唱の中で、中国政府が進める「生態移民」政策に対する疑義の声はかき消されています。この本は、多分にバイアスに基づいた圧倒的な「正義」の声に対して、実態調査に基づいた科学的データの提示によって、抵抗を試みた書だといえます。
私たち日本人研究者としては、あくまでも科学的に客観的な事実関係を明らかにする中で、モンゴル人の「抵抗」をささやかにサポートしているわけです。
ちなみに私が第4章で書いた調査地は、モンゴルではなく、長江上流の貴州省です。貴州省においても、政府の森林再生政策によって農地を奪われる農民の困窮状態を実証しています。
この本の内容は、2004年の7月に開かれた日中国際シンポジウム(中国社会科学院民族人類学研究所と日本総合地球環境学研究所の共催)をもとにまとめられたものです。
そのシンポジウムには私も出かけて報告してきました。私は、中国政府の植林政策がいかに農民の生活を不安定化させているか、そして農民の抵抗を受けて植林の成功そのものが危うい状態であるか、といった政策の問題点をデータに基づいて指摘してきました。
ちゃんと実証データを示して、学術的に論じれば、政策批判であっても、もちろん弾圧されたりしません。間違った政策であれば、中国政府もちゃんと気付きます。私の発表のあとでも、中国の農村の状況を大変に憂慮されているという年配の漢人の研究者の方が、「非常に好かった」と私に握手を求めにきてくれたものでした。
さて、この本は中国語にも翻訳され、内蒙古大学出版社から出版されました。いまは中国の書店の店頭にも並んでいます。中国側からの反響が楽しみです。
いま日本人による反中国ブログが乱立しています。中国を敵として攻撃したところで、中国の保守派を喜ばせるだけです。問題の解決になど決してつながりません。
私は事実に基づいて言うべきことを言うだけです。中国のごく普通に良識のある人々は、私と認識をほとんど共有できるということを、私は知っていますから。
小泉首相が靖国参拝という愚行を繰り返せば、中国共産党の保守派と軍部は「発言権が高まる」と喜び、逆に中国国内の良識派・改革派をひたすら困らせるだけなのです。そうした愚行が、日本の安全を危うくするのです。
弾圧されたりしないという保障はどこにあるのでしょうか?中国は共産党一党独裁国家です。現に幾人もの言論人が職を追われたり、逮捕・拘束されている国です。たとえ、実証データーを示して、学術的に論じていても、反響が大きく、共産党一党独裁体制を揺るがすようなものだと政権が判断すれば、容赦なく弾圧してくると思います。まずは発禁にされます。場合によっては著者らの職場追放、最悪、逮捕や拘束、亡命という事態へ追い込まれるかもしれません。弾圧されたりしませんと断言できる根拠はないと思います。もちろん、このことは中国に限ったことではなく、世界中の多くの国においていえると思います。一党独裁政権、個人独裁・軍事独裁の国は言うまでもなく、民主主義の基本や個人の権利などの概念が確立していないあらゆる国で起こりえると思います。そういうことが起こりえないと断言できる国は日本やヨーロッパ諸国など少数の国に限られると思います。タイやマレーシア、インドネシアなどの中国以外の多くのアジア諸国も例外ではないでしょう。駄文ですが、失礼しました。ご紹介された『中国の環境政策 生態移民』(小長谷有紀・シンジルト・中尾正義編著、昭和堂)については次に書店に行く機会があれば、探して読んでみようと思います。
>のだと政権が判断すれば、容赦なく弾圧してくると思い
>ます。
コメントまことにありがとうございました。ご指摘、その通りです。「弾圧されません」は、もう少し加筆すると「この政策によって、こういう問題が発生している。故に、この政策をこう変えた方がよい」という政策批判はほぼ大丈夫だと思います。
しかし、「こんな問題だらけの政策がまかりとおるのは、共産党政権だからである。問題の根源は共産党支配にある」というのは容赦なく弾圧されます。
やはり注意して書かねばなりません。
もっとも、私の場合、中国共産党はかなり柔軟に政策を改変する能力があると思っています。下手をすると、縦割り行政による官僚支配の日本よりも、首相と国務院が主導して個々の省庁の抵抗を抑えられる中国の方が柔軟な局面があります。
官僚の縄張りが強固な日本の予算配分は本当に硬直的ですが、中国の方が、必要のない予算はガサっと削って、必要な部門に大胆に転用するということができています。
たとえば長江大洪水災害の後、朱鎔基前首相は他の部局の予算を大胆にカットして植林予算(治山治水予算)を大増額しましたが、そういうのはトップが官僚を抑えられる中国の行政機構のアドバンテージだと思います。
また、本に興味を持ってくださってありがとうございます。『中国の環境政策 生態移民』の方は、与えられたページ数も少なくて、私の記述も若干おとなしいのですが、
他にもっと辛らつに政策批判している本もございますので、よろしければご参照ください。
『破壊から再生へ アジアの森から』(依光良三編、日本経済評論社、2003年)です。私は第4章を共著で書いています。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818815675/qid%3D1131580461/250-0222188-2567454
よろしければ、こちらもご参照ください。
その点では小泉派だったけど、
『暫定税率維持で一般財源化 道路特定財源で首相指示』
この一点だけで俺は手のひらを返しました。
小泉がマジでこれを押し通そうとするなら、完全に俺の敵となりますね。
政治屋の政策の裏表を調べるのは本当に大変です。
新聞だけじゃ情報が足りないし。
ネットは真偽を確かめるのが大変だし。
ガソリン、軽油の値段が下がったらバンバン車に乗ってCO2がたくさん排出されます
環境にやさしく
道路特定財源の一部は、LRT(改良路面電車)とか鉄道貨物運輸の普及などに使って欲しいですね。そうすればCO2をだいぶ減らせます。
第二東名高速なんか採算取れないのわかってますから、あの高架に鉄道レールを施設して、貨物列車専用鉄道にでもしたらだいぶCO2減らせると思います。
いまのJR東海道線はダイヤが込みすぎていて、貨物列車を走らせられませんから。
極論、福祉の為に納めた金でミサイルが作られるみたいなものです。
今の税率は『暫定』で自動車ユーザーのみが納めている税金なのですから、道路整備の為だけに使われるべきです。
自動車の排ガス等の問題による環境維持の為に使われるのならばOKですが、一般財源に使うなど許せることではありません。
一般財源は自動車ユーザーだけでなく、広く一般の国民全員が払うべきです。
さらに貨物列車、電車は、流通の主役にはなりえません。
コストが掛かり過ぎで、田舎だの僻地には到底届きません。
今のトラックの多種多様性を考えれば、貨物列車では時代のニーズを追いきれません。
コンビニだのデパートだの日本全国どこでも同じ雑誌や生鮮野菜、衣類などが手に入るのはトラックのおかげと言っても良い。
最近の原油高のせいで運送会社は息も絶え絶えです。
安い運賃で四六時中走りまわっています。
高速道路も時速90kmしか出せません。
荷主は時間通りに届けろと言う。
運転手は休憩もろくに取れない。
トラックも休めない。
悪循環ですよ。暫定税率ぐらい下げてもらわなきゃどうにもならない。
本気で環境問題を考えるなら、日本国民全員が今の生活レベルを落とす事を覚悟しなければなりませんよ。
地方は1週間遅れで週刊誌が届く。
都会では生鮮野菜・肉・魚が品薄になるかもしれません。
トラック業界を圧迫しすぎるのは、地方切り捨ての小泉改革を踏襲するようなものです。
……BLOGの主旨にそぐわないようならば、今後この話題は自粛します。長文すいません。
>いる税金なのですから、道路整備の為だけに使われ
>るべきです。
私の論理はやはり逆です。自動車ユーザーは騒音を撒き散らし、大気を汚染し、歩行者の安寧を妨げているのですから、それに対するペナルティーとして徴税され、その税は環境改善のための使われるべきだと思います。
私も自動車ユーザーなので、全くエラそうなことは言えませんが・・・・。
>さらに貨物列車、電車は、流通の主役にはなりえま
>せん。
>コストが掛かり過ぎで、田舎だの僻地には到底届き
>ません。
石油の採掘量は今がピークで、そろそろ減少に転じるという予測が出てきています。その真偽は別としても、いまは鉄道貨物の方がコスト高であっても、石油の値段次第で、鉄道の方が効率的なものにシフトすると思います。
現時点におけるコストを絶対化せずに、将来を見据えて投資をすべきだと思います。
>荷主は時間通りに届けろと言う。
>運転手は休憩もろくに取れない。
>トラックも休めない。
そうなんです。ですのでトラックの運転手さんの負担を軽減させるためにも、私は、東海道とか主要幹線の部分は鉄道貨物を主体にすべきだと思います。
主要幹線は鉄道で、各都市の細部はトラックでという役割分担です。細部では、鉄道は使えないので、トラックに頼らざるを得ませんから。
>……BLOGの主旨にそぐわないようならば、今後この
>話題は自粛します。長文すいません。
もともとこのブログは環境問題のブログのつもりだったので(最近はすっかり政治に傾斜してしまったのですが・・・苦笑)、この話題はもちろん大歓迎です。ただ、私自信の知識の少ない領域ですので、それほど的確なことは言えないかも知れませんが・・・。
熱帯林が生態系として複雑系だということは、いろいろな人が考えてきたことだとおもいますが、そこに人間社会も嵌め込んで複雑系と考えるというのは、関さんが始めてではないでしょうか。そこが植物生態学者から熱帯雨林に入った方と森林経済の立場から熱帯雨林に関心をもたれた関さんとのちがいなのでしよう。持続可能な経済・社会・生態系を再生させるというのも、じつに雄大ですばらしい構想です。
関さんのように地道にフィールドワークをこなしながらものを考えて研究者に複雑系の考えが導きの糸となったことは、抽象理論の観点からものを考えることの多いわたしにとっては、大変うれしいことです。あとがきには、この概念が投稿雑誌でなかなか受け入れられなかったと書かれています。これまで大変だったことでしょうが、がんばってください。
サンタフェ流の複雑系を切り売りするのでなく、「ささやかな抵抗」を意図されている点にも感心しました。たしかに複雑系ブーム後、言葉だけを追って、複雑系の特性などまったく感心がないのではないかと疑わせるような研究がたくさん出ました。
どこか外国に留学して、新しいテーマをつかむと、帰国して、その解説をすることで「権威」として活動する。これでは、明治時代とあまりかわりませんね。日本にもすこしは独創的な学問の伝統があることを社会科学方面の研究者も知るべきでしょう。自然科学の方面では、もうあまりこういうことはなく、独自のテーマを追求している人が多いのですが、社会科学方面では、まだ遅れているとおもうことがしはしばです。修士論文などの指導の問題でしょうか、紹介に始まり紹介に終わる論文がおおいですね。まあ、流れを知るのには便利ですから、わたしもざっと読みますが。もっと自分で考えたこと、格闘したことが大切なはずです。
せっかくのプログですから、関さんご自身による紹介もされたらどうですか(わたしのプログは中断し続けで、大きなことは言えませんが)。もうどこかに書かれているかとおもい、ざっと探しましたが見当たりませんでした。
熱帯林は多様な種の循環が形成されているから(一斉に伐採などしないかぎり)生態的には安定しているといわれますが、個体群動学などの数学理論ではなぜ安定なのかを示す結果はあまりないそうですね。このあたりも、今後、議論する機会があれば幸いです。
著書は来週中には大きな書店の店頭に並ぶはずですが、いまはまだ店頭にありません。アマゾンのHPにもまだ登録されていないかったので、ブログにも紹介文を書いておりませんでした。次のエントリーで、本の自己紹介文を書くようにいたします。
森林関係の研究者のマーケットは狭いので、それほど売れそうにありません。経済学関係で、書評などを載せてくれそうな雑誌に心当たりがございましたら、紹介して下さいますと、まことに嬉しく存じます。
>あとがきには、この概念が投稿雑誌でなかなか受け
>入れられなかったと書かれています。これまで大変
>だったことでしょうが、がんばってください。
6年ほど前、某経済系の学術誌に論文を投稿した際、西山先生の論文を引用したことがありました。レフェリーに「丸ごと削れ」と要求され、陳腐な主流派開発経済学の枠組みに変更するよう「指導」されたものでした。「こんなのがレフェリーやってたんじゃ、日本の社会科学は発達しないわけだ」と呆れたものです。
さらに遡れば、大学2年の頃に、カラーテレビの生産台数にロジスティック・カーブを自分で当てはめてみて、「価格メカニズムで自動的に生産台数が決まるのであれば、こんな曲線になるわけがない」と教養部の経済学の先生に言ったところ、「経済学を勉強してもいないのに勝手なことを言うな!」と怒られたこともありました。
大学院修士課程の頃、村上先生や塩沢先生の本を読んで、「ああ、日本にもこんなに独創的な経済学者もいたんだ」と思って、本当に嬉しくなったものでした。
政治と同様、学問も「知的植民地」の状態から脱却できるよう、私も微力ですが頑張りたいと思います。
>熱帯林は多様な種の循環が形成されているから(一
>斉に伐採などしないかぎり)生態的には安定してい
>るといわれますが、個体群動学などの数学理論では
>なぜ安定なのかを示す結果はあまりないそうですね。
これは難しい問題で、生態学者でない私にはよく分かりません。熱帯林における動物と植物の非線形な相互作用関係を直感的に考えると、正のフィードバックが作用して、安定解は得られそうにないという気がします。相互作用関係が多対多の関係で網の目に広がっているところに、安定性の秘訣があるのかも知れませんが…。
この辺は、飛行機事故で亡くなられた井上民二先生のご専門だったのですが、かえすがえすも惜しいことでした。
現場で実際に見ている感覚では、樹木密度がある閾値を超えて下がると、急に種構成が変わり、不可逆的に変化して更新不可能になってしまうようです。