もうジタバタしても始まらない。日本における市場原理主義的・サッチャリズム的・マネタリスト的「(反)革命」のサイは投げられてしまったのだ。今後4年間はどうしようもない。
私たちに今できることは、市場原理主義革命という社会実験の成り行きを見守ることでしかない。そして、小泉党に投票した人々に対し、「目を逸らさずにしっかり見つめて」と訴えるしかない。
しかし、予想を立てて見守ろう。この壮大な絶望的社会実験が何をもたらすのか、予想を立てて見つめよう。その中からしか、後世のための(もしあればだが)、社会科学的な教訓は生まれないだろうから。
今後4年間で社会はどう変化していくだろうか。
雇用
失業率は、「改革」とは別の要素(例えば国外の需要など)にも大きく左右されるので予想するのが難しい。ただしハッキリと言えるのは、雇用の質は確実に低下する。労働力の「使い捨て」が進行する。一般企業の非正社員の比率は50%をすぐに突破して、ひたすら上昇を続けるだろう。
賃金水準
これは森永卓郎さんなんかが予測するように、年収1億円を超えるようなスーパーリッチ層と、年収300万円程度の一般的世帯、そして150万程度のフリーター層という3層分解が進行するだろう。平均所得はますます減少するだろう。
景気
郵貯の資金が投機的に使われて一時的にミニバブル景気は起こるかも知れない。しかし、実需ではないので、ミニバブルは長続きはしないだろう。
同時に、郵貯資金が投機的に流れた場合、日本国債の買い手がなくなって、国債価格の暴落の可能性が高まってしまう。国債の運命を握るのは、一般家計がどれだけ国債を買い支えられるかにかかってきそうだ。
国債が暴落するようなことがあると、国債を大量に保有している郵貯のみならず日本の民間銀行も一気に破綻する可能性もある。あとはハゲタカ様のお出ましとなる。日本のアルゼンチン化のシナリオである。小泉党の勝利で、残念ながらその可能性は高まった。
もちろん、この最悪のシナリオが実現しないよう、国債を値崩れさせないよう、私たちは最大限、政府に求めていかねばならない。
自殺率
これは残念ながら上昇するだろう。世の中、これだけの低金利なのに借金苦自殺は増える一方である。ゼロ金利なのに、借金苦自殺が増えるという、とてつもなくおかしい事態が15年間進行してきたのだ。
民営化郵貯の資金は、高利の消費者金融などに流れるようになる一方で、中小企業金融公庫や国民生活金融公庫など政府系金融機関の貸し出し機能は打撃を受けるだろう。そうなれば借金苦自殺は増えるとしか予想できない。
ただし、民営化郵貯銀行の経営者の才覚にもよる。彼らが、一般の消費者金融よりも低利で小口の貸し出し業務などを始めることができれば、それは自殺率を減少させることにもつながるかも知れない。しかし、「民業圧迫」との非難がすぐに出るだろう。そうした小口貸し出し業務の方向に、郵貯が使われるとは、残念ながら思えない。
ただし、私たち市民は、民営化された郵貯の資金が、引き続き公共性を配慮しながら運用されるよう、最大限の声をあげて政府に求めていかねばならない。
米国債と戦争
郵貯の資金のある部分は確実に米国債の購入に流れる。郵貯は米国債を10兆円や20兆円は買い支える能力が余裕であるのだから・・・・。米国がそれで強気になって新たな侵略戦争に踏み切る可能性は高まる。侵略対象はイランかベネズエラだろう。
もちろん新たな泥沼戦線を形成するだけである。米国がよほどのバカでない限り、そうした選択はしないと信じたい。しかしそうする可能性があるのがブッシュ政権の恐ろしいところだ。
その選択をした場合、泥沼にはまった挙げ句、米国債は暴落するだろう。だって、米国債を買い支える最後の砦は、世界中探しても日本の郵貯銀行の資金しかないのだから。最後の資金をアホなことに使えば、世界中からソッポを向かれるだけである。そのアホな米国に官民あわせて300兆円とも言われる資金を貢いでいる日本経済も、当然同時に破綻する。アホな恋人に全てを貢いで、彼が破産して無理心中を強いられるという最悪のシナリオである。
環境
困ったのは「土建国家を環境産業立国に変える」という構造改革を実施するエコロジカル・ニューディール政策ができなくなることだ。財投債で資金を集めてやるしかないのだが・・・・・。自然エネルギー分野なんかリスクが高いと判断されて、資金を集めるのがますます難しいだろう。あとは一般会計の資金しかないが、市場原理主義の小泉党にそんな芸当ができるとは思えない。
郵政公社のままだったらできたのに・・・・。本当に残念だ。北欧やドイツでは、自然エネルギーを普及させるために、政府があの手この手で最大限の支援した。日本では市場原理主義革命によって残念ながらそれはできなくなった。
とにかくジタバタしても始まらない。今はじっと耐えるしかない。
私の生まれ故郷の英雄である真田昌幸と幸村(信繁)親子は、関ヶ原の合戦で西軍が敗れたため、紀州高野山で蟄居生活をしながらじっと耐えた。関ヶ原の折、真田軍は上田城の合戦で徳川軍本隊を撃破した。しかし残念ながら西軍本隊が敗れてしまったのだ。昌幸と幸村はどれだけ悔しかっただろうか。
あのとき、その気になれば上田城に篭って徳川軍に最後の一戦を試み、さんざんに苦しめて玉砕するという選択もできただろう。しかし、再び時が来ることを信じて耐えたのだ。幸村は高野山において、大阪の陣まで15年間も耐え偲んだ。
今は耐えるしかない。あの残虐な今信長め、いまに見ていろ。
私たちに今できることは、市場原理主義革命という社会実験の成り行きを見守ることでしかない。そして、小泉党に投票した人々に対し、「目を逸らさずにしっかり見つめて」と訴えるしかない。
しかし、予想を立てて見守ろう。この壮大な絶望的社会実験が何をもたらすのか、予想を立てて見つめよう。その中からしか、後世のための(もしあればだが)、社会科学的な教訓は生まれないだろうから。
今後4年間で社会はどう変化していくだろうか。
雇用
失業率は、「改革」とは別の要素(例えば国外の需要など)にも大きく左右されるので予想するのが難しい。ただしハッキリと言えるのは、雇用の質は確実に低下する。労働力の「使い捨て」が進行する。一般企業の非正社員の比率は50%をすぐに突破して、ひたすら上昇を続けるだろう。
賃金水準
これは森永卓郎さんなんかが予測するように、年収1億円を超えるようなスーパーリッチ層と、年収300万円程度の一般的世帯、そして150万程度のフリーター層という3層分解が進行するだろう。平均所得はますます減少するだろう。
景気
郵貯の資金が投機的に使われて一時的にミニバブル景気は起こるかも知れない。しかし、実需ではないので、ミニバブルは長続きはしないだろう。
同時に、郵貯資金が投機的に流れた場合、日本国債の買い手がなくなって、国債価格の暴落の可能性が高まってしまう。国債の運命を握るのは、一般家計がどれだけ国債を買い支えられるかにかかってきそうだ。
国債が暴落するようなことがあると、国債を大量に保有している郵貯のみならず日本の民間銀行も一気に破綻する可能性もある。あとはハゲタカ様のお出ましとなる。日本のアルゼンチン化のシナリオである。小泉党の勝利で、残念ながらその可能性は高まった。
もちろん、この最悪のシナリオが実現しないよう、国債を値崩れさせないよう、私たちは最大限、政府に求めていかねばならない。
自殺率
これは残念ながら上昇するだろう。世の中、これだけの低金利なのに借金苦自殺は増える一方である。ゼロ金利なのに、借金苦自殺が増えるという、とてつもなくおかしい事態が15年間進行してきたのだ。
民営化郵貯の資金は、高利の消費者金融などに流れるようになる一方で、中小企業金融公庫や国民生活金融公庫など政府系金融機関の貸し出し機能は打撃を受けるだろう。そうなれば借金苦自殺は増えるとしか予想できない。
ただし、民営化郵貯銀行の経営者の才覚にもよる。彼らが、一般の消費者金融よりも低利で小口の貸し出し業務などを始めることができれば、それは自殺率を減少させることにもつながるかも知れない。しかし、「民業圧迫」との非難がすぐに出るだろう。そうした小口貸し出し業務の方向に、郵貯が使われるとは、残念ながら思えない。
ただし、私たち市民は、民営化された郵貯の資金が、引き続き公共性を配慮しながら運用されるよう、最大限の声をあげて政府に求めていかねばならない。
米国債と戦争
郵貯の資金のある部分は確実に米国債の購入に流れる。郵貯は米国債を10兆円や20兆円は買い支える能力が余裕であるのだから・・・・。米国がそれで強気になって新たな侵略戦争に踏み切る可能性は高まる。侵略対象はイランかベネズエラだろう。
もちろん新たな泥沼戦線を形成するだけである。米国がよほどのバカでない限り、そうした選択はしないと信じたい。しかしそうする可能性があるのがブッシュ政権の恐ろしいところだ。
その選択をした場合、泥沼にはまった挙げ句、米国債は暴落するだろう。だって、米国債を買い支える最後の砦は、世界中探しても日本の郵貯銀行の資金しかないのだから。最後の資金をアホなことに使えば、世界中からソッポを向かれるだけである。そのアホな米国に官民あわせて300兆円とも言われる資金を貢いでいる日本経済も、当然同時に破綻する。アホな恋人に全てを貢いで、彼が破産して無理心中を強いられるという最悪のシナリオである。
環境
困ったのは「土建国家を環境産業立国に変える」という構造改革を実施するエコロジカル・ニューディール政策ができなくなることだ。財投債で資金を集めてやるしかないのだが・・・・・。自然エネルギー分野なんかリスクが高いと判断されて、資金を集めるのがますます難しいだろう。あとは一般会計の資金しかないが、市場原理主義の小泉党にそんな芸当ができるとは思えない。
郵政公社のままだったらできたのに・・・・。本当に残念だ。北欧やドイツでは、自然エネルギーを普及させるために、政府があの手この手で最大限の支援した。日本では市場原理主義革命によって残念ながらそれはできなくなった。
とにかくジタバタしても始まらない。今はじっと耐えるしかない。
私の生まれ故郷の英雄である真田昌幸と幸村(信繁)親子は、関ヶ原の合戦で西軍が敗れたため、紀州高野山で蟄居生活をしながらじっと耐えた。関ヶ原の折、真田軍は上田城の合戦で徳川軍本隊を撃破した。しかし残念ながら西軍本隊が敗れてしまったのだ。昌幸と幸村はどれだけ悔しかっただろうか。
あのとき、その気になれば上田城に篭って徳川軍に最後の一戦を試み、さんざんに苦しめて玉砕するという選択もできただろう。しかし、再び時が来ることを信じて耐えたのだ。幸村は高野山において、大阪の陣まで15年間も耐え偲んだ。
今は耐えるしかない。あの残虐な今信長め、いまに見ていろ。
合理的に考えれば、いわゆる勝ち組になれなければ、ここで語られているような悲惨な未来が自分の身に降りかかってくると思います。しかし、勝ち組になれる人は、確率的にいえば、そうたくさんはいないように思われます。結果的には多くの負け組が出るはずなのに、自分だけは勝ち組に乗れると考えているのでしょうか。
世の中に負け組の恨みや不満がたまってくると、社会は活性化を失い、不安定になってくるのではないかと思います。それが、結果的には勝ち組にも悪影響を生じると考えれば、単純に勝ったからいいと喜べないような気もします。
ネオリベ路線を支持する人たちは、このあたりの思考をどうしているのだろうと思います。多くの人が、ネオリベ路線を一度通らなければ、それを否定することは出来ないと語っています。抽象的な思考だけでは、ネオリベ路線のネガティブな面は実感出来ないのだろうかと思います。ネガティブを主張する人間は、かつてよく言われたように「敗北主義」という消極的なイメージがあるのでしょうか。たとえ危険があっても、積極的に進んでいくことが現状の閉塞感を打破すると受け取られているのかなとも感じられます。このあたりをもっと正確に理解出来たらと思います。
ちょっと左派っぽく見える大学教授のような人々が、「ネオリベ路線を一度通らなければ、それを否定することは出来ないと語って」いるのには、私は、「簡便してよ」と言いたくなってきます。
あなたたちは所詮、勝ち組だから生活実感なんかないんでしょ、と言いたくなってきます。
私は、今回の選挙結果を、偉そうに上段に立って、涼しい顔をして客観的に論評することなどできませんでした。被害が自分の身の回りの家族や親戚、友人たちに降りかかってくるからです。
大学教授は、その辺の感覚はないのではないかと思います。
私は、力石定一氏や牧衷氏とともに、「本当の構造改革」を訴えてきました。田中知事なんかにも提言して、ある程度は政策を実現させてきました。しかし、全体としてはあまりにも微力でした。
本当の構造改革とは、余計の痛みを与えることなく、あるいは痛みを最小限にしつつ、「土建国家」を別の構造(私の考えでは「環境産業立国」)へとシフトさせることなのだと思っています。
それは社民的ケインズ主義の否定ではなく、社民的ケインズ主義の創造的前進なのだと思います。