代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

「八重の桜」最終回に想う

2013年12月15日 | マスコミ問題
 今年の大河ドラマ「八重の桜」、これまでに視聴した大河ドラマの中では最高傑作だった(少なくとも私の中では)。
 八重と西郷頼母の会津での再会でドラマは終わるのかと思ったら、その後にさらに八重と徳富蘇峰の対談のシーンが残されていた。これがじつに意味深だった。西郷頼母の「花は散っても、時がくっとまた花は咲く。何度でも、何度でも」という東北復興に向けたメッセージでドラマは終わったかと思った。現在の切迫した状況から以下のシーンが付加されたのかも知れない。

 八重「徳富さんの『国民新聞』、近頃は政府の機関紙のようですねぇ」
 蘇峰「軍備増強ば煽っとるちゅうことでしょうか」
   「はい」
   「国家のためです。私は国を愛する者です」
   「襄も愛国者でした。でも襄が愛した国というのは、そこに暮らす人間一人一人のことです。
    同志社に来たころは、徳富さんは、自分の目で見た世の中の本当を伝えたいと言っていた」
   「だからこそ新聞も雑誌もこの手でつくった。言論が人を動かす時代がきたとです」
   「その力を何に使うのですか?」
   「え?」
   「人を動かす、その大きな力を何に使うのですか。力は未来を切り開くために使わねばなんねえよ」

 近頃は政府の広報テレビのような現NHK、その上層部に対する、大河スタッフのドラマの場を借りての必死の声だったのだろうか。
 こうした人々がいて、その志が失われない限り、今のNHKの状態が永続することはないと信じたい。

 
 「私はあきらめねぇ」

 八重の最後の言葉を肝に銘じねばならない。
 大震災から治安維持法、そしてマスコミが煽り立てて戦争へと突き進んでいった、あの歴史を繰り返してはなんねぇ。

 
 





 

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