「眠れない時は、眠れるまで起きてる」
…若いときにはあっさり固まったこの覚悟が、年齢とともにどうもぐらついてきます。
先日も、午前1:00頃せっかく無事就眠したのに、2:40頃何の騒音もアクシデントもないのに忽然と覚醒、再び眠りに戻れないまま4:00近くまで輾転反側。
高齢家族が覚醒して否応無し起こされてしまう6:00頃まで、何としても二時間は睡眠を取りたいと思い、高齢でないほうの家族の処方からときどき失敬しているマイナートランキライザーを1錠服用したのが運のツキ。
やっと効いてトロトロッと来た頃に地元小学校運動会の花火で叩き起こされ、昼過ぎまで副作用で頭がズキズキする最悪の結末に終わりました。
人間、切実に身体が睡眠を必要とする状態になったら、クスリのお世話になるまでもなく、立ってても眠れるもんです。眠れないというそのことを気に病んでストレス増幅するのは、「オマエ太ってるから付き合いたくない」と振られたのを苦にヤケ食いしてさらに増量、ぐらい無駄。
月河も、決算棚卸しや、株主総会前の残業中、売り場で棚に手を載せたまま、もしくは電卓のキーに指を置いたまま、何度「起きろ!」とどやされたことか。
いや、「起きろ!」で起きなくて「火事だ!」って叫ばれたことすらあったな。
当時は、眠たい時は寝るなと怒られても眠っちゃうもんだってことが、身体にもアタマにもしみついていたので、逆に、「眠れない時は眠くなるまで起きてりゃいい」と開き直れました。
眠れないときのアルコールは逆に体温・心拍数を上げ寝つきにくくなるので、それこそ『美しい罠』か『愛のソレア』のサントラでもスリープモードで聴きながら、退屈めの本を読むなどして時間を味方につければよかったのに、そこまでドンと構えきれない。
年齢とともに“眠り”にギクシャク神経質になったのは、生理的に睡眠が浅くなってきたせいもあるでしょうが、“眠い時は立ってても眠れる”とか“眠れなければ眠くなるまで起きてる”なんてのは、やっぱり社会的・家庭的に責任がない、自由で幸せな新人くん若手さんの思考だったと思います。
最近は、高齢家族に付き添って行く公立総合病院でも、内科・脳神経科・精神科等のクロスオーバーで“睡眠外来”という看板があります。
こんなところにも、社会全体の高齢化、もしくは非若者化・加齢コンシャスが現われているような気がします。
さて、『愛の迷宮』は、第一部でいちばん昼ドラキャラらしい演技と佇まいだった祐子(吉田羊さん)がまだ行方不明なせいか、もうひとつお話が濃くなってきませんが、本日発売の『TVブロス』2週間番組表によると、11月9日(金)からテレビ東京系のローカルTvhで、96年の東海作品『真夏の薔薇』再放送が始まるようです。
昼帯付近の時間帯がずっぽりノーチェックだった時期の、中島丈博さん脚本作。中島さん、好きだよなぁタイトルに“薔薇”。
11月初旬からのスタートだと、年末年始を跨ぐ、録画しにくい放送スケジュールになりそうですが、まったくの未見作なので楽しみが増えました。