月河の年代だと『刑事コロンボ』の日本初放送時はまだ中学生程度の子供ですから、大体実家で、家族と一緒に視聴しているので、ドラマ自体の印象に当時の家族の反応が乗っかって記憶に残っていることも多い。
7月1日放送(NHKBSプレミアム)の『偶像のレクイエム』は、ストーリーの記憶が、同じハリウッドOG主人公の『忘れられたスター』とかぶっているところもあって、序盤ちょっと戸惑ったのですが、1973年のNHK初放送当時、実家母が「メル・ファーラーが出てる!」とえらい高テンションだったのを思い出し、そこからだんだん芋づる式になってきました。
「オードリー・ヘップバーンの旦那さんだったんだよ」という豆知識もこのとき実家母から。彼女の年代だと、ヘップバーン&メル・ファーラー夫婦共演のハリウッド版『戦争と平和』(1956年)が、独身時代に観た大作恋愛映画の中でも白眉だったらしいんですね。別の或る年代にとっての『ある愛の詩』や『ゴースト』、或いは『タイタニック』ぐらい強烈だったらしい。
月河は未見ですが、あのトルストイのロシア文学重厚長大作をアメリカのハリウッド俳優がロシア語の役名名乗って、英語で芝居する映画なんて、原作冒涜とまでは行かなくても噴飯ものじゃないかと思うんですけど、調べると日本初公開が1956年(昭和31年)ですから、日本のいち地方在住のうら若き未婚女性にはじゅうぶんロマンチックで見ごたえがあったのかもしれません。
メル・ファーラーは1954年に37歳で当時25歳『ローマの休日』『麗しのサブリナ』と当たりに当たるキラキラのオードリー・ヘップバーンと結婚していますが、これが実に4回めの結婚。1回めと2回めの結婚ですでに4児がいて、1回めのお相手と復縁して3回めをやってまたまた離婚したあと。んで、ヘップバーンとの間に1児もうけて1968年に離婚したのち、5回めの結婚もしています。艶福家というか懲りないというか、そういう男性ハリウッドならずともときどきいますけど、オードリー・ヘップバーンというのもよくわからない趣味の人ではあります。日本流に言えば一回り上の年の差婚だし、ほかになんぼでも選択肢あったろうと。
・・さて『偶像のレクイエム』ですが、このメル・ファーラーがハリウッドの手練れゴシップライターに扮し、あらかたかつての栄光の遺産に生きる大女優役アン・バクスターと繰り広げる、ある種の持ちつ持たれつ共依存しつつの腐れ縁駆け引きは、映画界バックステージネタとしても結構興趣深いものでした。初見時は(しつこいけど)子供だったので、このへんの醍醐味がよくわかっていなかったと思います。
そもそもこのエピ、いつもの『コロンボ』流に倒叙方式で冒頭にプレゼンされる殺人はそこそこ派手なんですが、本当の、眼目の犯罪は物語が始まる前に、すでに終わっている構成なんですね。初見の印象がいまいち弱くて記憶に鮮明でなかった理由はそれもある。
『コロンボ』のルーティンである、犯人の犯行手口手順の冒頭のプレゼンが一部省略(車のタイヤをパンクさせるなど)されている点でも、やや他の秀作エピに比べると倒叙ミステリーとしてスマートさを欠くきらいも。
月河はメル・ファーラーより、再放送時に知った、ハリウッド映画衣装界の巨頭イーディス・ヘッド女史のご本人役出演でのけぞりましたね。たぶん80年代後半に集中的に観ていたアルフレッド・ヒッチコック監督の一連の作品のクレジットで知ったビッグネーム。アン・バクスター扮する大女優ノーラが、わざわざコロンボにブラフをかけて圧倒するため、ヘッド女史のオフィスに招び入れるシーンで、女史のデスクに金色に輝くオスカー像が7体。これはこのエピ放送の1973年1月時点で、彼女が実際に獲得していた数です。この1年後、『スティング』で8個めのオスカーがここに並んだはず。
ハリウッド服飾界女ボスのワイドなワーキングデスクとはいえ、オスカー、間隔がちょっと密だ。時節柄心配。
この件も含めて若干、“オールド・シネマファンのためのサービス回”色が濃かったエピですが、狙いがわかって見返すとやっぱり味があります。
かつてのスター女優ノーラ・チャンドラーは大手映画会社の撮影所初代所長アル・カンバーランドの未亡人で、現在もテレビドラマと深夜名画劇場で健在ぶりをアピールしてはいますが、資金難で全盛期の様な大作の企画は立たず、経営再建のため実業家フランク・シモンズに取り入り出資者のご機嫌伺いに忙殺されている。
そんな中、ファーラー扮するベテラン映画ライターのジェリー・パークスがニューヨークから舞い戻ってきた。彼はノーラの、主演作製作費200万ドル横領の証拠をつかみ「シモンズらが知ったら出資話が壊れるだろう、書かないでおく代わりに、取材費と費やした年月分の金額を」と要求する。
しかも彼はノーラの18年来の忠実な秘書ジーン・デイビスを口説いて婚約したという。ノーラはジーンから横領の秘密が漏れたと思い問い詰めるが、パークスに鼻毛を抜かれているジーンは「何も話していない」「パークスさんは立派な記者。ノーラさんを尊敬している」と言い張るのみで埒があかない。思い余ったノーラはパークスの帰宅を待ち伏せ、駐車スペースにガソリンをまき点火、車ごと爆殺してしまう。
しかしこのときパークスの車を運転していたのはジーンだった。ジーンはノーラにお使いを頼まれたために夜会えなくなったとパークスに伝えに行ったが、その話をしている間にジーンの車のタイヤがなぜかパンクして帰れなくなったため、パークスが自分の車をジーンに貸したのだ。ノーラはシモンズらと会食の席で、急遽警察と訪れたパークス自身のクチからジーンの死の知らせを聞き、ショックで昏倒する。
当初パンクは偶発的なアクシデントと見られ、警察はパークスに恨みを持つ者がパークスの車を狙って放火、ジーンは人違いで殺されたと思われた。しかしコロンボは例によって丹念な聞き込みと実地検証で、現場から猛スピードで走り去る小型車が目撃されていること、同型車が撮影所サウンドステージに常時何十台も即発進可能な状態で駐められていること、ジーンの車は点検を済ませたばかり、パンクも釘等のアクシデントや路上ギャングの仕業らしくもなく栓が抜かれてのものだったことを確かめた。人違い殺人と見せかけて、実際はジーンが最初から標的だったのではないか。そして事件の夜、ジーンが用事を頼まれたら、パークスの仕事先に真っ先に駆け付けるであろうことを知っていたのはノーラ一人なのだ。
ノーラは表向き気丈にテレビミステリーの撮影を続けながら動揺していた。実はノーラが何としても隠したい致命的な秘密は、パークスが強請りをかけて来た200万ドル横領の件などではなかったのだ。18年前から彼女の身の回りで働いてきたジーンだけが知っている。
コロンボは撮影所の若い現所長から、ノーラの夫アルのリゾート先での失踪と死亡認定の事情、夫から相続した撮影所敷地内の広壮な邸宅を、資金工面のため売却するよう再三交渉されているにもかかわらずノーラが頑として応じず、庭にすら手を付けさせないことも聴取した。
焦ったノーラは再度、パークスが強請りの件で何者かに狙われていると偽装すべく撮影現場を抜け出して、パークスの帰途を襲い車で当て逃げを試みるが・・・・
・・『コロンボ』諸作の例にもれず、疑惑が迫ると急ごしらえのミスリード策で自分の首を絞めていく犯人ですが、本当のところノーラが慌て出すよりずっと前の時点、ノーラ邸への初訪問時に、豪華な庭園を誉めながら「カミさんに大スターのお宅の記念品を」と一輪の花を摘んだとき、水の出ない大理石の噴水の礎石のプレートを読んで、すでにコロンボは真相への鍵の一端をつかんでいました。ノーラは「若い頃撮った映画のセットの一部だった」と言ったが、コロンボは現所長からノーラの邸と庭への執着を聴取したあと、撮影所の美術資材部で、すべての道具の受注日付を記録してあることを調べ上げた。噴水の日付は、亡夫アルが失踪した翌日のものだった。・・・
・・・全編を通じて、現在は斜陽の色をかくせないものの、ハリウッド映画と当該撮影所最盛期の象徴的存在であるノーラ・チャンドラーに対して、「カミさんも義弟もアナタの大ファンで。お出になった映画はぜんぶ観てます」「アタシにとっては青春のシンボル」と言うコロンボを筆頭に、ほぼすべての登場人物が(若干の皮肉や呆れ、お追従などをそれぞれ含みつつも)リスペクトを失っておらず、衰えぬ演技力やプライドを根本のところで尊重していて、ノーラに“ハッタリだけのダニ”と罵られるパークスでさえも「落ちぶれればいいのに」「陥れてやる、ザマア見ろ」といった素振りは無く、むしろ掴んだネタの出し入れ、ほのめかしを楽しんでいる風さえあるのが、このエピをやや冗漫ながら味わいのあるものにしています。
この点、同じ落日のスター女優を主人公に設定しても、時代から取り残され、脳の病気で心身の機能も崩壊しつつありながら現実を把握できない哀しさ、痛々しさが前面に出た『忘れられたスター』とは対照的。
パークスがノーラもしくは他のスターの不都合なネタを掴んで強請るなり、そのために恨まれるなりしていたのではと睨んだコロンボに遠回しに訊かれて、パークスは「いいですか?有名人はゴシップを嫌がらないものだ、むしろ宣伝になると喜んでる」と言い放ちます。シロウトの読者やファンが喜ぶ罪のないこぼれ話、裏話は本に書いて儲け、スターの社会的生命にかかわるような本当に深刻なネタは“書かないこと”で恩に着せて利得を得る、きわどい綱渡りで映画界の裏オモテを渡り歩いてきた男なりの“プロ”根性がある。
200万ドル横領の件を持ち出す前、パークスはかねてからノーラに「伝記を書かせてくれないか」と提案していました。「その時は自分で書きたいの」と却下されましたが、パークスにとっては“実入りになるネタ元”である以上に、やはり栄光のスター=ノーラは耀いていて美味しく、惹きつけられる存在なのです。コロンボに「落ち目になった女優のことを書いても仕方がない」とうそぶいてはいても、本音は違った。劇中でははっきり示されませんでしたが、彼女の夫に関する致命的な秘密についても、彼なりの嗅覚である程度、ハッタリでなく探り当てて、輪郭ができるまでそれこそ脳内にしまってあり、彼女に「悔しいけどこの人が味方側でよかった」と言わせるまで温めておくつもりだったのかも。
ノーラに当て逃げ未遂されたあとのパークスは「かすり傷だけ」と警官に言及されただけで、顛末は出てきませんでしたが、コロンボに連行される前にノーラは「パークスさんは怪我してないのね?」と呟きます。腐れ縁もとことん腐れると別のものが醸し出されて、それはどこか“友情”に似るのかもしれない。
そう思わせるのは、もうこの時点ではやや薄めのロマンス・グレーになってはいても(放送時55歳)、ヘップバーンを含む5回の結婚歴を誇る(?)メル・ファーラーに、どことなくヨーロッパ伊達男的色気があるからでしょう。
蛇足ですが、実家母からこの放送初見時に聞いたメル・ファーラーエピソードをもう一つ。実家母が二十代独身の頃、実家祖父と地元の薬屋さんが親しかった縁で、当時田舎ではなかなか買えなかったマックス・ファクター(=当時“ハリウッド女優御用達”との触れ込みでステータスが高かった)の白粉を使っていたら、後輩の女の子が「おねえさんのコンパクト素敵、どこの化粧品?」と訊いてきたので、「マックス・ファクターよ」と答えると「ワタシもそれ欲しい、買ってくる」と、速攻薬屋さんに走って行き「メル・ファーラーの化粧品ください!」と言ったそうです。
・・・“ファ”しか合ってませんが。ビートたけしさんがラジオでよくネタにしていたB&B島田洋七さんの「斎藤寝具店」「山田ふとん店」みたいなもんですかね。時代、年代を問わずカタカナに弱い人っているもんです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます