とにかく暑い。連日暑い暑いアヅイ。
「うだるような」なんちゅう昭和的な世界じゃないですな。「生きたまま焼かれてる」に等しい、ユダヤ教原理主義のような(知らないけど)世界になっておる。
当地はおかげさまで高緯度北国につき、とりわけ関東~中部のもんのすごい最高気温報道を媒体だけで聞きながら「今日は30度超えるかな~」「超えるかもね~」「やっぱり超えたって~」「だよねー暑いもんね~」なんて牧歌的な会話を繰り広げているのですが、「7日間で熱中症による死者25人」(24日共同通信報道)なんて聞くと、日本って文明国じゃなかったんかいな?と思ってしまう。
“暑さ”、それも、(ある程度は)暑いのが当たり前の“夏”の暑さという普通の気象現象が原因で人が死ぬ。ある程度は寒いのが当たり前の冬でも、寒いことにかけては全国の上位10%には余裕で入ると思う当地で、寒さが主因、つまり“凍死”が20人も30人も出て媒体ダネになった記憶はここずっとありません。
いや、ホームレス路上生活者が年の暮れや寒中に、通行人の通報で搬送されたら絶命してたとか、生活保護高齢者が灯油の買えないアパートや、除雪もされず玄関も開かなくなった一軒家で孤独死とかの変死事案は毎年あるのでしょうが、厳密には死因は“栄養失調”や、風邪をこじらせての肺炎や、かねてからの心臓や血圧の持病悪化の結果だったりすることが多く、ほどほどの生活環境で起居している健康な人が、山の遭難などでもなく“寒いことのみが原因で死んだ”はまずないと思います。
そうは言っても氷点下の露天に丸腰で放り出されたら、誰だって低体温になって死ぬわけで、“寒さだけでもじゅうぶん人間は死ぬ”ことが身にしみている北国住民は、如何にして寒さを撃退し、暖を確保して生活するかを長年必死に考えて、住宅設計や都市開発、道路建設、電力ガス等のエネルギー開発に取り組んでいますから、たまたま或る年の或る時期に想定外の寒波が来てもそう簡単には人死にを出しません。
要するに、温暖な地域の皆さんは、“暑さだけでは人間、死なない”とナメている部分があるのではないかと思うのです。
『徒然草』に「家のつくりやうは夏をむねとすべし/冬は如何なる処にも住まる/暑き比わろき住居は堪へ難き事なり」とあるように、中世、日本の版図に入っていなかった蝦夷(えみし)の国=東北奥地や北海道を除く、京都中心の文化観、生活観では“冬の寒さよりも夏の暑さのほうが難物、マジで闘い、撃退すべし”という危機意識はあったと思うのですが、その後文化や言論の発信が、山に四囲された盆地の京都より海浜に近くて条件温和な江戸=東京重心に偏り、戦後の家電三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレビ)→3C(カー、クーラー、カラーテレビ)の流れもあって、気がつけばえらく“夏は暑い”ということを甘く見た地合いができてしまった。
なんぼエアコンで密閉した鉄筋ビルやマンションでハイテクにクールに過ごしていても、35、6℃ともなれば、一歩外に出りゃ生きたまま焼かれるわけです。“車内に乳幼児や、要介護高齢者を放置して取り返しつかないことに”なんて報道を見ると、本当に、温暖地域の皆さん、北国住民がガチンコ立ち向かっている“寒さ”に比べて、“暑さ”を軽んじているツケだなと思わざるを得ません。
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