イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

印欄の式場今日

2009-02-11 00:29:21 | 昼ドラマ

『非婚同盟』は少し距離を置くことにしました。大体毎クール月~金帯で同時間録画予約してあるのですが、先日夜帰宅して今日何曜日だっけ?と思い返したとき、録画リプレイするのが全然楽しみではなくなってることに気がついた。こういうときはさくっと訣別です。惰性がいちばんよくない。

5週目の途中ぐらいから、「このドラマを見守るのは自分の任ではない」と思い始めていました。「自分が観なくてもその分、いや自分が観ないからこそ、ほかに観る人が大勢いるだろう」という気がしてきた。役者さんと作品の縁(えにし)、役柄との縁を昨日の記事に書きましたが、枠は昔馴染みでも今回の作品は月河を呼んでいない

面白いか面白くないか、上出来か不出来かで言えば、文句なく面白いほうに属するし、出来もまずまずいいほう。ただ、毎日帰宅して後片付けもそこそこに真っ先に録画再生したくなる類いのドラマではなかった。

たとえば07年『金色の翼』などは、2週目か3週目ぐらいに、修子(国分佐智子さん)が悲恋・難恋もののヒロインではなく、似非セレブとハングリーな人々のミクロコスモスに降臨したファム・ファタールであり、情念の触媒なのだと電光のように閃いた途端、「日本中の誰も観なくても、自分だけはこのドラマを見届けよう」と自然に決心がかたまっていました。出来不出来とは関係なく、“呼ばれる”ドラマとはああいうものだと今でも思います。

『非婚同盟』はどのキャラどの人物が主語でどの人物が記号ということはなく、隅から隅までアリの這い出る隙間もなく中島丈博さん作品。“妻妾同居”“少女たちの奴隷ごっこ”“○カ条を長押に掲げて唱和する娘たち”“誓いのしるしに同じ指輪を嵌め合う娘たち”“感度のいいガテン娘”“男アレルギーのハーフのマグロ”“娼婦が素人娘を商売の邪魔呼ばわり”など、中島さんがかねてからやってみたいと思っていたモチーフ、書いて役者に言わせてみたいと思っていたセリフ・字句を存分に吐き出して、つなげてドラマにしましたという感じ。

特にラブシーンやベッドシーンに詩情がなく身もフタもないのは中島さん作品のメルクマールのようなものだし、昭和62年という時制設定に比べ、性愛用語や、特に女性キャラの語尾が30年ぐらい古い気がすることなど、気にしても仕方がない。中島さんぐらいの実績経歴磐石なベテランさんになると、Pも局も誰も止めないし軌道修正もしないでしょう。

特に紙芝居→懐メロカラオケのお約束化を見るにつけ、06年『偽りの花園』のボルジア家といい07年『麗わしき鬼』の修道女劇といい、この脚本家さんは本当に“劇中劇”“見立て講釈”が好きなんだなあと思います。ドラマだから、フィクションだからということではなく、“人生も社会も大いなる芝居”“人間はすべて役者”というのが彼の世界観なのかもしれない。

今作も波長がどんぴしゃで目が離せなくなっている人は結構いそう。ただその中に自分はいない。それだけのことです。

中島丈博さんには、もう一度ぐらい、沈み行く封建セレブの濃厚な情念ドラマを書いてほしいと思っているのですが、不況どん底のわが国TV界では、局員の生首を斬り給料削ってでも予算を捻り出して製作する気概、エネルギーがもう無いかも。

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