毎年2・5・8・11月中旬と言えば、そうです我らが(誰らがだ)東海テレビ製作昼ドラネクストワン情報のシーズンでありまして、現在絶賛(…………)(←何故固まる)放送中『花衣夢衣』に続く7月クールの作品が先般新聞発表されました。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200805/gt2008051908.html
http://www.tokyo-np.co.jp/tochu/article/entertainment/news/CK2008051902012501.html
『白と黒』。放送は6月30日(月)からとなります。ヒロイン役西原亜希さんは、某柔道元・日本代表選手夫人のタレントさんと非常に近似した芸名をお持ちですが、すでに女優としていくつものメジャー作出演歴のある、頼もしい20歳とのこと。昨年8~9月頃、パンテーンのCMで拝見したときには“非常に微妙にいまっぽくない顔立ち”なんてここで書いてしまいましたがとんだご無礼を。「ゼェッタイィきれいになりたい」と意気込んでいた“やりたかった役”は、1年後のこのヒロインだったんですな。
……ってこともないか。ま、比較的ピークを過ぎめのお年頃の女優さんが来ることの多いこの枠、7年ぶりのハタチのヒロインだそうで、フレッシュさ、演技力、お手並み拝見といきますか。若くて綺麗で元気なだけじゃ、この枠はもたないよ。色気もエロ気も、陰りもないとね。
それより『白と黒』という何とも愛想のないような、逆に、どうとも読める余地ありのようなタイトルに注目ですね。横溝正史さんに同題の中篇がありますが、こちらは横溝作品には珍しい戦後の近代的団地を舞台におなじみ金田一耕助探偵が活躍する謎解きもので、今度のドラマと原作原案関係はまったくないようです。
“白”“黒”という色名に焦点を当てれば、近年のこの枠のドラマタイトルで色名が含まれていたものは、98年『緋の稜線』、01年『レッド』、05年『緋の十字架』、06年『紅の紋章』と“赤”系がかなり水をあけて優勢です。
アカレンジャーにはアオレンジャーが永遠のライバルで相棒で…ってことで言えば04年『女医・優 青空クリニック』。さすがに月河は未見ですが77年に『いつか見た青空』(吉行和子さん主演)てのもあったらしい。さらに遡って71年『蒼ざめた午後』。この頃なら逆に学校の春夏冬休みなど見てた可能性もあるのですがさすがに記憶がない。亀井光代さん、宗方勝己さん。うーん、名前ぐらいは聞いたことがあるのだが。
意外に健闘しているのが“金”で、記憶に新しい昨年の『金色の翼』のほか90年『新金色夜叉 百年の恋』。
赤と青が出たついでに、間をとって72年『むらさき心中』。渡辺美佐子さんと小野寺昭さん。うわー。『真夏の薔薇』『危険な関係』の小野寺殿下幾つだったんだ。調べてるとだんだん観たくなってきてしまうではないか。
“白”が使われた例は月河もリアルタイムで観て思い出せる作品があります。02年『母の告白』。いささかこじつけか。再放送枠ででしたが98年『白衣のふたり』も。網浜直子さんがちょっと怖かった。『鬼平犯科帳』の伊三次・三浦浩一さんはちょっとカッコよかった。
70年『白い旋律』はドラマの記憶はまったくないものの、主演の谷口香さんについて、有名な監督さんだか脚本家さんだかが旦那さんなのよ、と実家母かその同年代主婦のお友達かに教わった記憶だけはあるのですが、いまや確かめるすべもありません。谷口さんも故人となられました。
こうしていろいろ調べると、この枠のタイトルに“白”はそこそこ頻出しても、“黒”は前代未聞じゃないでしょうか。“黒”ってかなり規定力の強い言葉です。イメージとしては松本清張さん、『黒い樹海』『黒の回廊』『黒革の手帖』…社会派の雄ですね。昼のイメージはあまり、と言うか、まったくありません。
投げ出したようなシンプルかつある意味不親切なこのタイトル、意外やこの枠に未曾有の革新作になるやも知れませんよ。これは必見。
ところで『白と黒』と聞いて、ドラマタイトルということを脇に置けば、何が連想されるでしょうか。
まずはゲームのオセロ。白黒が一枚のコマに兼ねそなわっていますね。いつもカド先に取られて負けちゃうんだなぁ。
続いて白と黒の陣取り合戦である囲碁。将棋よりは自分向きではないかと思い、実家から碁盤と碁石ぶんどって来て勉強し始めたこともあったんですが、いまだに五目並べしかできないという。対面式のゲーム、勝負事、どうも向いてないんだな。
勝負事で言えばサッカー、ユニホは多彩ですがボールは白と黒ですね。緑のピッチにいちばん埋もれない色という配慮かな。
勝負事ついでに競馬。色が来るのは枠と勝負服、白黒の服色でいちばん強い印象はバンブー牧場の黒地に白三本輪です。
創業者オーナー“竹田”さんの名字からの命名で、89年安田記念90年スプリンターズSなどの鼻白バンブーメモリー、89年菊花賞バンブービギンなど数々のGⅠ馬を輩出したオーナーブリーダーですが、月河がいちばん印象深いのは03年日経新春杯のバンブーユベントスです。贔屓のマヤノトップガン産駒で初めてクラシックに駒を進めた、父譲り鼻白栗毛の孝行息子。このGⅡ勝ちの後故障で生彩ないまま引退してしまいましたが、父の種牡馬としての評価にはかなり貢献してくれました。お母さんが夏のローカル場所の重賞で活躍したスプリングバンブーで、スプリング=春→ローマ神話の青春の女神“ユベントス”はなかなか技ありな命名でもありました。
そう言えばサッカーのイタリア・セリエAユベントスのユニホも白×黒ですね。こちらはタテ縞ですが。バンブー牧場さんがそこまで考えて名づけたかは不明。
競馬では服を抜きにまともに白vs.黒の争いになったこともありました。94年暮れの朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティS)。噂の大物種牡馬SSことサンデーサイレンスの初年度産駒中でも総領格との呼び声高かった漆黒青鹿毛フジキセキと、マル外のこれまた大物、武豊騎乗の雪白芦毛スキーキャプテン。ともにデビュー2戦2勝、負けなし無傷での対決で、暮れのほの暗い中山競馬場、二番手から王道の抜け出しを見せる黒と、後方から目の覚める追い込み白、照らし出されたゴール板に黒白2つの馬体がクビ差で並んだ瞬間は息が止まるようでした。
当時はマル外=外国で生まれた馬にクラシックレース出走権はなかったため、できれば内国産のフジキセキに無傷で4歳(現・3歳)春をと望んだ競馬ウォッチャーは少なくなかったはず。結果望みは叶いましたが、そのフジキセキもクラシック前哨戦弥生賞後に故障し「出走していれば三冠確実」との声もむなしく本番前に引退。ライバルの白・スキーキャプテンもUSクラシック・ケンタッキーダービーに挑戦して夢破れ、結局白黒2頭ともこの朝日杯が輝きと、観る者が託せた夢のピークだったように思います。
馬が出たついでに動物行きましょう。“白と黒”と言えばゼブラ=シマウマ。そして何と言っても大熊猫・ジャイアントパンダ。上野動物園リンリン亡きあと、胡錦濤主席が年に1億円で貸与と約束してくれましたよ。嬉しいんだか税金もったいないんだか。我らが(だから誰らがだ)東海昼ドラ『白と黒』、実はパンダ問題、ひいては日中関係の将来にまで思いをいたした絶妙のタイムリータイトルだったのです。スケールがでかい(…おい!)。
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