★イチローのこんな記事が流れた。
スゴイなと思う。
こんな調子なら今シーズン中に3000本安打も達成できるかも知れない。
http://news.aol.jp/2016/05/21/ichiro/
つい先日、『あと50本』という記事だった。
先発出場、レギュラー獲得すればまず問題はないのだが・・・・
そんなことで、改めてイチローのWikipedia を読んでみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC
その記録は本当に素晴らしいので、もう一度イチローを理解するために纏めてみた。
この抜粋を作るのに結構時間は掛かったが、日曜日の午後、なかなかいい時間が過ごせた。こういう作業をすると、『物事の理解』が進むものである。
『イチローの偉大さ』改めて再認識した。
年次別の実績の抜粋である。
1973年10月22日生まれ。
愛工大名電高校野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得。2年時に夏の甲子園、3年時に春の甲子園と2度甲子園に出場。
1991年
ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。
オリックス時代
- 1992年
- この年は打率.366でウエスタン・リーグの首位打者を獲得しながらも、土井正三などの1軍首脳陣から振り子打法を否定される。同年のジュニアオールスターでは、MVPと賞金100万円を獲得するが、この賞金全額を神戸市の養護施設に寄付した。2軍選手ではイチローが初。
- 1993年
- この年は打率.371を残したが規定打席に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった。
- 1994年
- 登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。日本人選手として初めてファーストネームでの選手名登録となった。この年からレギュラーとして活躍。1番打者に定着し、5月から8月にかけて日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録した。122試合目には日本プロ野球史上初、130試合制としては史上唯一となるシーズン200本安打の偉業を達成した。
- 最終的に安打数も210本、パシフィック・リーグ新記録となる打率.385を残して首位打者を獲得。
- 1995年
- 阪神淡路大震災によって、本拠地の神戸市が壊滅的な被害を受けた。この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートした。イチローは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」的存在として、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得。
- 1996年
- 最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、また193安打で3年連続となる最多安打・最高出塁率を記録。
- 1997年
- 209打席連続無三振」の日本プロ野球記録を樹立。「216打席連続無三振」を記録した。
- 1998年
- 打率.358、181安打でシーズンを終え、張本勲の4年連続を抜いて日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成、5年連続・通算5回目となる最多安打も記録した。
- 1999
- 日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。首位打者に関しては6年連続とした。
- 2000年
- 10月12日、記者会見でポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦の意向を表明。翌日の神戸での本拠地最終戦で9回に守備固めとして出場した。最終的に、日本プロ野球歴代2位となるシーズン打率.387を記録。
- 11月10日にポスティングシステムによる交渉権をシアトル・マリナーズが獲得。3年総額1400万ドルで正式契約を結び、野手としては日本人初のメジャーリーガーとなった。
実は私は、この試合を神戸の須磨の球場に観に行ったのだが、イチローは守備だけにちょっと出ただけだった。打率387が記録だったから仕方がなかった。イチローを球場で観た最初で最後であった。でもイチローの日本での最後の試合を観たということにはなる。
マリナーズ時代
- 2001年
- オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得。両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。シーズン116勝でのチームの地区優勝に大きく貢献した。
- この年、シーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新するとともに、メジャー史上初となるアメリカンリーグの新人王・MVP・首位打者・盗塁王シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞の同時受賞を達成(現在でも唯一)。
- 2002年
- 最終的にリーグ4位の打率.321を残すと、208安打を打つも最多安打にはあと1本及ばなかった。前年の活躍もあったため、投手から警戒されるようになり、それに伴いリーグ最多の27敬遠を記録した。そのため、四球は前年の30から68に倍増した。11月には日米野球に参加した。
- 2003年
- オールスターのファン投票では新人から3年連続で両リーグ最多得票を獲得。この年から新たに設けられた選手間投票でも最高の評価を受けて選出された。これは、ファン投票の連続最多得票は新人からという注釈を外しても史上2人目の快挙であり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものにした。
- 2004年
- スプリングトレーニングでメジャー移籍後最高となる打率.421を残して開幕を迎える。日米通算2000安打を達成すると共に自身2度目の月間50安打を記録。4年連続のオールスター先発出場を果たした。8月3日には首位打者に浮上した。26日にはメジャー史上初となるデビューから4年連続200安打記録を本塁打で自己最速にて達成。
- 最終的に262安打でシーズン最多安打記録を更新。同時に打率.372を残す。
- 2005年
- 4月は打率.356と好調なスタートを切ったが、自己ワーストの打率.303と206安打に終わり、不本意なシーズンとなった。5度の200安打100得点30盗塁はタイ・カッブ以来89年ぶり、連続記録としては史上初。
- 2006年
- この年に初開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出される。、オリンピックなど国際大会への参加を断り続けていたが、WBCはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加した。アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録。日本の野球選手の顔として、日本チームを牽引。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録すると、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門のベストナインに選ばれた。
- レギュラーシーズンでは、5月にメジャー通算200盗塁を達成。オールスターファン投票では3位でオールスターに選出最終的に2年ぶりのリーグ最多安打となる224安打とリーグ6位の打率.322を記録した。
2007年
最終的にリーグ2位の打率.351と同1位の238安打を記録。メジャー初となる3度目の230安打以上を達成。
- 2008年
- シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了。メジャータイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。
- 2009年
- 3月には第2回WBCに出場。決勝の韓国戦で、6打数4安打、延長10回に林昌勇から決勝の2点適時打を放つ活躍で連覇に貢献。4月から10月まですべての月で月間打率3割以上を記録。昨年の8月から続いていた2試合連続無安打なし記録を9月下旬まで継続。故障者リスト入りしたこともあり一時は200安打の記録更新も危ぶまれたが、終わってみればシーズン225安打を記録。
- 2010年
- 9年連続200安打の記録を伸ばし10年連続200本安打とした。通算での200本安打10回はタイ・カッブを抜き、ピート・ローズと並ぶ大リーグ史上1位タイ記録であるが、10年連続は史上初の記録である。安打数は最終的に214安打とし、自身8回目の210安打を記録。タイ・カッブが持つ通算7回の210安打という記録を86年ぶりに更新した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について10年連続と伸ばした。
- 2011年
- 5月以降は一度も月間打率3割を記録出来ないまま、打率.272、184安打でシーズンを終了。メジャー移籍後10年連続で達成してきた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」が途切れた。
2012年
- 3月28日、メジャー移籍以降初めて日本での公式開幕戦に出場し、5打数4安打の活躍を見せる。6月19日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャー通算2500本安打を達成。
- 7月23日、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
ヤンキース時代
- 2012年
- チームは10月3日のレギュラーシーズン最終戦に地区優勝を決め、イチローにとっては2001年以来の12年ぶりの地区優勝を決めた。ヤンキース移籍以降は67試合で73安打、5本塁打、打点27、打率.322と大幅に改善された。特に本拠地ヤンキー・スタジアムでの成績は打率.359であり、ヤンキース移籍後の本塁打は全てヤンキー・スタジアムでのものであるなど、この年のマリナーズで残した成績の打率.261、ホームセーフコ・フィールドでの打率.214、移籍前の4本塁打中3本はホームではなくロードゲームで打ったのとは対照的な成績となった。
2013年
- 1月5日にはCBSスポーツが「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集。イチローがその一人に選ばれた。8月21日のブルージェイズ戦では日米通算4000本安打に到達。
2014年
- 開幕スタメンを外れたが、4月3日のアストロズ戦で8番・右翼手で先発出場し、4打数2安打の活躍だった。前半戦終了時点では打率がチームトップの2割9分7厘,出塁率は同2位の3割4分7厘という成績だった。オフに、FAとなった。
マーリンズ時代
- 2015年
- 1月27日にマイアミ・マーリンズと年俸200万ドル+出来高の1年契約を結んだことが発表された。背番号はオリックス、マリナーズでも着用していた51。この契約発表の時点でメジャーリーグ球団の40人枠に登録されている最年長の野手となった。入団会見は球団社長やGMが来日して行われた。4月7日、開幕戦に代打で登場した際、ファンがスタンディングオベーションをし、イチローは「僕だって心は動く」と感動した。
2016年
- 4月29日のブルワーズ戦で1番右翼で先発出場し、1回の第1打席で右前安打で出塁。すると2番打者が三振をした際に二盗を決め、史上8人目となるメジャー通算500盗塁と2900安打を決めた。
そして、大リーグ3000本安打まで、あと50本を切ったのである。
目が離せなくなってきた。
先発出場の機会が増えることを祈るばかりである。」