★ 人にはその人にツイている運勢みたいなものがあるのだろうが、
私の90年にもなろうとする人生はホントに「ツイている」と思っている。
モノは考えようで「ツイている」と思うか「不運だ」と思かは紙一重なのだ。
いろんな人生での出来事があったが、
私の場合は「みんなツイていた」と考えて生きてきた。
手相などが当たっているのかどうかはよく解らぬが、
私の「運命線」は非常にはっきりと中指に向かって一直線に伸びている。
だから運がいいのだと信じ切っているのである。
物事は楽観的に「いいように」考える方がいい。
●私の人生など悲観的に考えると全然「ツイていなかった」のかも知れない。
あの大東亜戦争で朝鮮を主力にしていた事業は全部ゼロになって、
一家の全財産を残して一人1000円だけを持って引き揚げてきた。
中学1年生の時だが、それまでの豊かな生活が一変したが、
それから始まった新しい生活が珍しくて結構自分では楽しめた。
●大学4回生の時は不景気で就職も難しかったのだが、
たまたま肺浸潤にもなったので1年卒業を延ばしたら、
翌年は神武景気になってコネで川崎航空機に入社できた。
●入社して最初に目に留まったのが今の家内である。
入社のコネは伯父の友人だった当時の川崎航空機の社長さんだったが、
その方が「医者の娘さんを」と紹介されたのだがお断りして、
家内と結婚した。
★40年間の「会社生活」では、不思議なほど新しいことばかりで「引き継ぎ」をしたことは一度もない。
だから「会社の生活」は全く自由に「自分がやりたいこと」がやれて、
「毎月お金が頂ける」いい会社生活だったと思っていた。
ごく最近のネットの投稿に使った写真だが、
このマシンについてもめちゃ運がよかった。
1993年の鈴鹿8耐でカワサキに初優勝をもたらしたのが
「伊藤ハムレーシング・カワサキ」の「ZXR-7」と、
ライダーのスコット・ラッセルとアーロン・スライトである。
この年も、誰もカワサキが優勝するなどとは思っていなかったのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/eb/c4d79b055af882bf3ec440c5905cc1fe.png)
その証拠にマシンのスポンサーもなかなか付かなくて大変だったのだが、
たまたま「イトーハム」には私の知人もいたので、
「イトーハム」に無理やりお願いしたのである。
「イトーハム」もレースのスポンサーなどするのは初めてで、
カワサキに丸投げだったので、
このカラーリングも含めてみんな勝手に作り上げたのである。
1933年8月25日、あれほど難しかった「鈴鹿8時間耐久」での優勝が実現した。
日本人ペアの最高位も北川・塚本組が取れて、
その夜、イトーハムの方たちと鈴鹿で祝杯を挙げている。
優勝が実現してみるとホントに「あっけない出来事」で、
これも「ツキ」かなと思ったりする。
★ 物事はムツカシイこともあるのだが、
「なんとかなる」と楽観的に考えてやってると「なんとかなる」ものである。
そして、どんどん道が開けてくるから不思議である。
ごくごく最近の話ではNPO 法人The Good Times などはその典型で、
もう理事さんたちも歳をとってしまったし、今期で止めるかと思ったら、
突然、藤本喜子さんから「引き継ぎたい」との申し出があって、
昨日は兵庫大学の松本茂樹先生から、
先生が主宰されている「神戸ベンチャー研究会」で、
「NPO The Good Times の事業承継について」話をすることを頼まれたのである。
何か、どんどん「いい方向」に物事が転がって行くのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e8/78ce591d0d3599c9f98e10fab2e17973.png)
これを契機に「NPO The Good Times」が新次元で活動できるように、
その内容について自分なりに対策を考えてみたいと思っている。
NPO The Good Times をスタートさせたのは2009年6月のことで、
私にとっては定年後の「大事業」だったのだが、
どうやら「消え失せる」ことなく「発展の方向」になる可能性もある。
松本茂樹先生も NPO The Good Timesの理事さんのお一人なので、
今後はより積極的に関わって頂けるものと思っている。
私にとっては NPO The Good Times のシステムは、
会心の出来で現役時代の会社の仕事の集大成だと思っているので、
私なりに、確り考えて新しい仕組みを採り入れたいと思っている。
今後、3か月ほどまた充実した日々が待っていると思っている。
ホントに私の人生、最後までツイているなと思っている。