雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

アメリカ大統領選挙

2016-11-06 07:31:51 | 発想$感想

★ 投票は今月8日だからもう目前に迫ったアメリカ大統領選挙だが、この期に及んで全くわからない状況になっていた。

今11月5日、土曜日9時NHKは『特別番組』組んでいる。

 

それを見ながらこのブログを書いている。

 

★『建前だらけの今の政治はもういらない』というトランプさんの主張は、暴言とも思われる数々を発しながらも、オバマとはまた違った『チェンジ』という主張を熱烈に支持する人たちがいるようである

トランプ現象』と言われる底辺にあるのは、『グローバル化』による『過去のアメリカの衰退』があるように思える。『グローバル化』に取り残されたアメリカの『白人中間層』がかっての『強いアメリカ』にチェンジすることを夢見ているようである。薬物中毒で死亡する『白人中間層』人が際立って多いという。アルコール中毒も多いという。

そんな白人中間層の支持だけではなく、トランプの選挙参謀は綿密な独特の戦略をとっているようである。従来投票に行かなかった層へのアプローチを行い、そんな層の掘り起こしに成功していると指摘している。

 

★このような論調で始まった50分のこの『NHKの特集』はその殆どをトランプ側から見たものになっていた。

まるでトランプの当選を確信しているかのように私には覚えた。

 

 

 

 この特集を担当したのは、かってのNHKの9時台を担当した大越健介さんだった。

 

  

 

8年前オバマの『チェンジ』に期待して、この広場で100万人の群衆が歓喜したが、来年同じこの広場の群衆に向かってスピーチするのは、果たして誰なのだろう。
 

 

これらは放送された番組の一部だが

 

  

  

  

 

  このようにサンダー候補を熱烈に支持した若者たちは同じ民主党のクリントンには冷めた意見を述べている。

 極端に出来た格差、そんな特権階級に目を向けた従来の政治に若者たちは覚めた目でしか見ていないのである。

 

    

 

これは大学を卒業した学生たちのローンの残額で年々このように増え、大学を卒業してもその返済の目途が立たないのが現状だという。

 

 

   

 

   

  

このような従来の政治の対立軸とは違った『格差社会』からの脱皮を求め、特権階級でない人たちに目を向けたトランプの主張は、ある意味サンダースと同じだというのである。

 

    

 

 もう一つが年間35万人にも及ぶ不法移民、不法移民の数は1100万人にもなり、いわゆるアメリカ人がそのうち50%を割ることも容易に推測される。

今はもう『アメリカンドリーム』などはないというのである。

 

 『人種差別』を公に喋ったトランプにより、今まで抑えられていた『白人中間層』がそれまでの不法移民や不法麻薬などに対しての鬱憤を一気に吐き出したような現象のようである。

 

それはアメリカだけでなくヨーロッパの移民問題でアタマを痛めているイタリヤやフランスでも支持されているし

 

    

 

 もしトランプが敗れても『トランプ現象』世界の大きな潮流になっていくだろうというヨーロッパの人たちの意見で番組は終わっているのである。

 

    

 

 

★今年は9月から カリフォルニアの Irvine で1ヶ月を過ごしたが、この特集で言われているような、アメリカの危機感みたいなものは感じなかったが、『白人の少なさ』は間違いなくその通りで、街ゆく人たちの殆どが有色人種なのである。

そこに住む日本人たちも「有色人種」であることに変わりはなくて、その人たちが気分よく過ごせるような背景に、アメリカ人たちに何らかの「しわ寄せ」みたいなものがいってるのかも知れないのである。

ヨーロッパの人が言うように仮に トランプが大統領にならなくとも、トランプが指摘したアメリカの諸問題は、アメリカだけでなく『世界の潮流』になるのかも知れない。

最初に、トランプのスピーチを聞いた時にはびっくりしたが、今では『それも一つの考え方か』と正直思うようになっているのである。

11月8日はもうすぐである。

 

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どうなるのかよく解らないこと 3題

2016-11-05 06:52:18 | 発想$感想

★韓国・アメリカ・日本の話、果たしてどのような結末になるのか?もうひとつよく解らないが、目が離せない話である。

新聞記事やテレビなどいろいろ取り上げるが、ドウももう一つよく解らない。

 

  

 

● まず一つ目は韓国の韓国の朴槿恵(パククネ)大統領の疑惑問題

40年近い友人の女性経営者崔順実(チェスンシル)容疑者による国政介入疑惑だが、なぜこんなことが突如として明るみに出たのか?

どこの国にも政治に関する利権はつきものなのか?

捜査で過ちが明らかになれば、私もすべての責任を負う覚悟ができている」とか言ってるが、大統領が検察の調査を受けるなど前代未聞である。

それでもなお「国政の空白」を防ぐため与野党の協力を求め、当面は自身が政権運営を続ける意思を表明したりしているが、疑惑に対する国民の反発は最高潮に達しており、最新の世論調査で、朴氏の支持率は5%に低下しているというし、辞任要求もなされているのだから、きっぱり辞任でもすればいいと思うが、なかなかそうはいかないのかも知れない。

テレビの各局の番組でも取り上げて解説しているが、聞けば聞くほど解らなくなってしまう。

日本にとっては、どうなることが一番いいのだろうか? 

とてもじゃないが『政府見解』など出せないのだと思うが、ホントのところを聞いてみたい気がする。

 

 

● 11月8日に迫った大統領選挙

クリントン と トランプ さんどちらが大統領になるのだろう?

 

マスコミのニュースではないのだが、詳しい分析をするGIGAZINE がこんな記事を纏めている。

 

 

このように述べて以下にいろいろと解説をしている。

 アメリカ合衆国の第45代大統領を決める選挙で、投票日がいよいよ2016年11月8日に迫ってきました。世論調査では、民主党のヒラリー・クリントン候補が共和党のドナルド・トランプ候補をリードしてきましたが、終盤に入ってトランプ候補の追い上げが報じられています。その一方、SNSではトランプ候補がクリントン候補を圧倒している事実が調査会社によって明かされています。

    

 

 赤い線がトランプさんで、クリントンを常にリードしている。

もっと詳しく知りたい方は、

 http://gigazine.net/news/20161104-donald-trump-facebook/ 

こちらをお読みになればいい。

 

いずれにしても、もう何日か後にははっきりする。

これは同じ『大統領』でも韓国の大統領問題とは違って、日本にも大きな影響を与えそうである。

トランプさんも、防衛問題など日本に厳しいことを言ってるので、日本にとっては大変だとは思うが、クリントンさんは利権や汚職くさくて、もう一つかなと思ったりする。

昨日だったか、NHKのこの問題の特別番組を見ている限りは、トランプ支持者の熱烈さ、純粋さみたいなものを感じたりした。

いずれにしても、どうしようもない。

その結果を待つだけである。


 

 

● もう一つは日本の話。

  

 

 

 小池都知事の政治塾に、橋下徹氏が講師として参加することが分かりました。

 前大阪市長の橋下氏は、来月10日に行われる小池知事の政治塾「希望の塾」の3回目の講義に講師として招かれることになりました。小池知事側からの要請を橋下氏が引き受けたということです。小池知事としては、大阪で改革を進めた橋下氏の参加で、自ら掲げる「東京大改革」を前進させたいとの思いがありそうです。ただ、希望の塾は来年の都議会議員選挙に向けた「新党結成の準備」との見方もあり、新党立ち上げを巡ってもさらに臆測を呼びそうです。

 

こんなニュースが流れている。

これで小池さんと橋下さんは、完全に繋がった

これはどんどん進めばオモシロいと思う。『新党結成』などまだよく解らないが、その可能性は大である。

私自身の推測としては、橋下さんの思惑通りに動き出したと思っている。『日本維新の会』としても渡りに船だと思うし、これからの選択肢が自由であるというのがいい。自民党などの出方を観ながら進めたらいいので、そんなにムツカシイ話ではないと思ったりする。

既に、大阪と東京では自民党とはちょっと違った「新しい政治」の流れはできている。

あとはどのように進めるかだけで、『小池新党』を創って『日本維新の会』と一緒になってもいいし、協力しながら進むのもいいだろう。

自民党というよりも長期政権が確実になろうとしている『安倍政権』の安倍さんとは多分近い関係を保ったままで進むのだろう。

安倍さんの課題の一つ『憲法改正』には大きな力になる。

 

    

 

基本的に、橋下徹さんは自分からは総理など目指したりはしないから、小池さんもやり易いのだと思う。

これはどうなるのかよく解らぬが、目を離せない動きである

 

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カワサキワールド 雑感

2016-11-04 11:18:41 | カワサキワールド

★ Kawasaki 独特の『カワサキワールド』の世界を50年もかけて創り上げてきたのだが・・・

FacebooK にカワサキのOBで今は二輪業界の販売店を引っ張っている吉田純一さんが、今カワサキが展開しようとしている『新しいカワサキの販売網政策』について、こんな感想をアップされている。

 

   

   http://carview.yahoo.co.jp/news/market/20161103-10254560-carview/

 

 元々は、それこそ神戸の今回新装なった『カワサキワールド』の担当者の吉田高広さんがアップしたもので、今回のレセプションを見て「一夜限りか。」という単なる感想を述べているのだが、

吉田純一さんは、『ユーザーを無視した政策は間違いだ・・・・』と厳しく指摘しているのである。

私自身は、『カワサキの販売網』については 1973年の『特約店制度』発足の時点から直接関与しているので、それなりの関心を持ってみているのだが、今回の『新政策』には、『ユーザーへの視点』が全く抜け落ちてしまっているのが問題だと思っている。

『二輪のユーザー』やその周りにいる人たちが解っていないのでは? 

 

   

 

 これにコメントを寄せておられる方は、私も面識のある方たちが多いのだが、『カワサキ親派』の方ばかりなのである。

私も今でもカワサキの関係者とはいろいろと繋がっているので、末端のカワサキファンの方や販売店、さらにはカワサキモータースジャパンの人たちの本件に関するご意見も結構入ってくるのだが、『それらはみんな厳しい』ということを推進をされている方は解っておられるのであろうか?

ひょっとしたら『推進をされている中枢の方』も明確なご自身の意見を言えないような状況にあるのではないだろうか?

かってのカワサキの良さは、反対意見でもなんでも『思うことが自由に言えた』そんな雰囲気が『カワサキ独特のイメージ』に繋がったのだと思うが、何か今は違っているような気がしてならないのである。

 

★現在の消費者の消費行動が昔の店舗中心から全く変わってしまっている現在で、全国100店の店舗にわざわざ行かなければ「ものが買えない」そんな不便さを果たしてユーザーは喜ぶのだろうか?

オートバイ屋に限らず綺麗な店舗など、珍しくもない当たり前の現在、『綺麗な店で買ったから』ユーザーは喜ぶのだろうか?

私の周りにいるカワサキの大型のバイクのユーザーたちは、今の販売店に殆ど関心を示さないのを見てそれはなぜか?

それは『販売店から得られるものがない』と仰るのである。

この辺りはすべての販売店が一度よく『考えてみなくてはいけない』と思うのである。

 

1995年ごろ、もう20年も前の話だが、私がカワサキの国内販売網の再構築を目指してやりかけたのは『機能別ARK』という構想であった。 販売・部品・修理・レース・遊びその他いろいろ販売店に求められる機能はいろいろある。

その機能ごとに販売店はすべからくプロ=専門家であるべきだと思ったし、すべての機能は持っているがそのすべての機能でアマチュアのような販売店では、二輪のユーザーからは魅力がないのだと思う。

現在の二輪関係の色々なお店や、グループなどいろんな形があるのだが、プロとユーザーが認めるところは例え店舗などそんなに立派でなくてもどんどんユーザーは集まっているのである。

これだけネットの世界が発展して、ちょっとしたニュースが翌日にはこんな展開になるのである。

二輪の販売も『ネット販売』は十分考えられるし、『卸禁止=対面販売のみ』などという時代に即さない販売方法は、単なる販売元の上から目線の『自己満足』ではなかろうか?

今後、どのように進められるのかよく解らないが、

カワサキOBで、現在全国の販売店と関係のある吉田純一さんなどとは、ざっくばらんなご相談をされながら、進められることを切に願うものである。

カワサキのことをカワサキが好きな人たちから、このように云われているのを黙って見ているわけにもいかないのである。

 

 

 

 

  

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SPA 直入のこといろいろ

2016-11-04 07:09:24 | 発想$感想

★『カワサキの二輪事業と私』という自分史でSPA 直入のことを書いてきたが、ちょっと違った観点から、SPA 直入を眺めてみたい。

 昨日のブログでこんなリンクを貼ったが、そこをクリックされた方は少ないと思う。

SPA 直入と樋渡平雄さん』http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/4d89c51eeaf7864be64dce448948b2c0 

 

岩崎茂樹が造り樋渡平雄が育てた『SPA直入』と言ってもいいのである。

SPA直入が今でも順調に進んでいるのは、樋渡平雄さんの功績が大きいと思っている。彼がSPA直入に懸けた思いは、スタート以来ここにいた今の林 英治くんに引き継がれている。そんな樋渡さんも岩崎くんも先に逝ってしまったのである。

そこにはこんな風に書いている。

 

 こんなサーキットに仕上げていったのが、樋渡平雄さん と言っていい

彼がスタート以来、このサーキットに注いだ愛情は並大抵なものではない。彼と一緒に、直入で育った人も多い。

長いカワサキでの生活の中で、「一緒に仕事をした仲間」も多いのだが、私にとって「一緒に仕事をした最右翼」の一人に樋渡さんは上げたいのである

 毎年年賀状も、お便りも頂いていたのだが、つい最近 奥様から訃報の知らせを頂いたのである。彼は出身は佐賀なのに、引退してからも直入から離れずにずっと大分で過ごしたのである。若いころの営業時代、沖縄にいたころからのお付き合いである。営業時代と違って、樋渡さんにとっては直入は、天職であったような気がする

直入に来て、本当に生き返ったような樋渡さんを見たのである。

 

★そんな直入は、今 Facebook でも、I Love SPA直入倶楽部    https://www.facebook.com/groups/506183092728388/?fref=ts 

などもできていて、沢山の人たちに可愛がってもらっている。

 

     

 

  

★『SPA 直入』と深く関係のあったのは、一般ユーザーだけでなく、こんな有名人からも、故郷のように懐かしく思われているのである

 

  

 

SPA直入ができて、直入町も一変したといってもいい。

岩城滉一も、翡翠の庄のご主人首藤文彦さんも、、みんなスタートのころの仲間なのである。

1990年代、カワサキは7年間ほど岩城滉一さんと親しくお付き合いをした時期がある、二輪もJ/S も大好きだった岩城さんは、『直入』が大好きだったのである。幾度となく直入を訪れて泊まった旅館が翡翠の庄(かわせみ)だったのである。

直入町には私もホントによく通っていたのだが定宿にしていのが老舗の大丸旅館で首藤文彦さんはそこの次男坊なのである。SPA直入が建設中のころはまだ、翡翠の庄などはまだなくて、その頃首藤文彦さんが自らブルドーザーを運転して土地を開いていたのである。SPA直入が出来て、何年か後翡翠の庄はスタートして大丸旅館の女将さんから『あちらの方に泊まってやってほしい』と頼まれて泊まったそんな時代からのお付き合いなのである。

岩城滉一さんが直入に行った時の定宿で、いろんなことで仲もよかったのである。

 

★ そんな岩城滉一さんから突然電話があったのは、東北大震災のあった年の3月半ばのことだった。

東北の地震で青森で予定していたロケがダメになったので、『SPA直入』でロケをやりたいが頼んで頂けるか? と言う電話だったのである。

その『旅サラダ』が直入を舞台にABCテレビで放送されたのである。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a3fc1753e222ab3429307cf1001a93df

 

 

     

 

岩城滉一 は約束通り、SPA直入のサーキットをKawasakiのバイクで走ってくれた。

 

★この番組、私にとっては最高のものとなった。

故岩崎茂樹君と二人で苦労して造り上げたサーキットが全国番組で画面に流れるのも、多分最初のことだろう。サーキットも、いろいろと画面に映ったし、Kawasaki も KAZE も画面に流れた。

それよりも、林くんが画面に登場してビックリしていたら、米村さんまで現れた。 それに当時のライバルのライダーの方も。みんな『しばらく』と言う挨拶も、交わす会話も、仲間そのもので、入れて欲しかったぐらいである。

 

そのあとが翡翠之庄、首藤文彦さんも髭を生やして現れた。岩城滉一 さんとも、こちらも旧知の中である。この画面には、懐かしい直入のまち、大丸旅館も、川の中の温泉も、さらには大丸旅館の大女将『ミドリさん』の写真なども出て、何か、私のために作ってくれた番組の様な気がして、特別の想いで見ていた30分であった。

 

 

★これはバイクには全然関係ない兵庫県赤穂の春田さんが、旅サラダを見てのブログである。

旅サラダのことなど書かれているので、そのままお借りしてご紹介する。春田さんNPO The Good Times の会員さんなのである。

 

あこうのお店・婦人服ハルタの店長日記

忠臣蔵のふるさと播州赤穂・息継ぎ井戸の前にあるお店で、神戸有名メーカーのお取り扱いしています。

今朝のテレビに俳優の岩城さんが出ていましたね。

今朝の旅サラダのテレビに俳優の岩城晃一さんが出ていましたね。



三木市のお友達であるNPO GOOD TIMES のrfuruyaさんのブログの中によく出てくるkawasakiの事、




SPA直入の事、




長湯温泉の翡翠の庄さんの事が



でるのではないかなと思い、ずっと見ていました。

あ~出た~ってカメラを持ち出し、必死で撮りました。



岩城さんのように、
若い頃からずっとバイクに乗っておられて、夢を追い続けるって事はとってもかっこいいですね。


私はバイクには乗らないのですが、、、
(ホンとは若いときに免許を取るつもりでいたのを周囲に反対されて(>_<)、、
今思えば強引にでも取っておけばよかった)
NPOグッドタイムのメンバーの多くがバイクに乗られる方で、
その方たちのいつもブログを見てはいいなぁ~って思ってる次第です。


rfuruyaさんからは、
『知り合いのお宿でとってもいい宿だから行ってごらんなさい』って
翡翠の庄さんにも行きたくて、ずっとHPは見てるのですが、
なかなかお休みが取れなくて、、まだ行けていません。














ほんとテレビで見ていてもとっても素敵なお宿みたいで、
3日間くらいのお休みがとれれば是非に行ってみたいと思います。


私もNPO GOOD TIMES に参加していますが、NPO GOOD TIMES の事は、
http://www.thegoodtimes.jp/
に詳しく書いていますので、興味のある方はご一緒しませんか?


 

 

★最後に、ご縁があって、今はカワサキの所有となっている『オートポリス』 http://www.autopolis.jp/ このオートポリスと SPA直入は同じ時期にその工事がスタートしたのである。

片やその工事費は500億円とも言われた本格的な4輪も走れるサーキットである。 3億円で造ったSPA 直入とはその規模などは比較の対象にはならないが、カワサキのSPA直入での運営ノウハウがあったから、川崎重工もそれを購入する気になったのだろう。

その購入金額は信じられないほど少額なのである。

今どのような運営になっているのか詳細は知らないが、このオートポリスの運営要綱を創り上げたのは、SPA直入スタート時点から密接に関係のあった渡部達也くんなのである。彼とはいろんなご縁があって、NPO The Good Times の副理事長としてずっと支えて貰ったのである。

こんなサーキット運営の『ノウハウ』や、それを愛すると宣言して集まってくれている二輪愛好家の人たちがいることは、カワサキにとってのだなと思っているのである。

こんなご縁で繋がっていく人たちに感謝して このシリーズを締めることにしたい。

 

 

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カワサキ二輪事業と私 その22 テストコースとSPA直入-2

2016-11-03 06:28:40 | 自分史

★大分県直入町に川崎重工とし小さなサーキットを創るというプロジェクトは、普通では考えられないようなスピードで承認を得てこのプロジェクトを起案してちょうど1年で社内承認も大分県の認可も得て3月末には工事着工の運びとなったのである。

この「プロジェクト」がスタートしたきっかけは、土地の購入条件の中にあった直入町の要求を全うすることが直接の要因ではあったのだが、私自身は、レーサーレプリカ全盛時なのに各メーカーはそれを売るばかりに熱心で、世に『峠族』と非難されているような状況なのに、各社のサーキットは依然として一般ユーザーには開放しない状況は、どうも納得できなかったのである。

どうしても一般のユーザーが走れる日本で初めてのサーキット』を創りたかったのである。

 

なぜ、そんな発想が出たのか? 私はカワサキの初期ファクトリーレースに関係していて、出来たばかりの鈴鹿サーキットにもよく足を運んだのだが、当時の鈴鹿サーキットは、4輪のS600ではあったが『おカネさえ払えば』誰でも1周だけだが走れたのである。そんなことで、私自身が鈴鹿サーキットは何回も自分の運転で走った経験があるので、その経験から一般の人が1周だけサーキットを走るとき、そんなに無茶な走りなどしないのである
そんな『二輪専用のサーキット』が創りたかったのが一番だったのである。

 

これは3月に発想して2ヶ月後の5月に工事を担当してくれる三井不動産に渡した コースの明細の一部で、岩崎茂樹と私とで造ったものである。 三井不動産もサーキットを造った経験などないので、この指示の通りに動いてくれたのである。

私はともかく「岩崎茂樹」はこんな新しい知識を得るためにはほんとに一生懸命勉強するし2ヶ月でこれくらいのレベルには達していたのである。

 

 

   

 

こんな簡単なメモのようなコース計画だったのだが、現実にほぼそのコンセプト通りにサーキットは出来上がっているのである

SPA直入』と画像検索すると、こんな写真が並ぶのである。当初の基本コンセプト通りに運営されているし、Facebookには『I LOVE SPA直入倶楽部https://www.facebook.com/groups/506183092728388/?fref=ts  というグループがあって、健全な二輪のレース活動をやってくれているのは嬉しいことなのである。

 

 

  

 

 

 

 

緑豊かな直入町で現場は全くの山中なのである。

そんな素晴らしい景観を借景に小さくても『日本で一番美しいサーキット』を目指したのだが、それは実現したと秘かに胸を張っているのである。

 

    

 

  

 

 

 

 

★ これが2か月後の5月初旬に纏めた具体的な『基本コンセプト』なので、上記の表は、その一部の仕様なのである。

 

● 全長2キロまでの初心者でも走れる小さなサーキット

 ● 実行予算は3億円を目途とする

 

   

 

この基本コンセプトを工事担当の三井不動さんに渡したのだが、1ヶ月後に三井不動産から受けた見積額は『7億8500万円』と出て、これは次の私の自筆のメモにもあるように『お話にならない』ので再度1ヶ月後に再見積もりをお願いしたのである。

 

   

 

この見積もりで解ったことは、サーキットなど造成するときに、一番金がかかるのは『土を動かす量』なのである。この案は土地が平らになるようにまで土地を削っているので、その『土量』の費用が膨大なのである。動かす土の量が減るように登り斜面をそのまま使う『登りのコース』ににすることで半減できるはずだと申し入れて、約束通り7月に3億円の見積書を貰って9月の川崎重工の経営会議で承認されて、正式GOとなるのである。

 

★『サーキットを造る』という全く経験のないプロジェクトなのに、川崎重工という企業の中で、起案から承認まで6ヶ月というのは信じられない速さだが、これは末端が起案しているのではなくて、少なくとも営業部門のトップである私が起案・行動し、細部は部下のそれぞれの専門家が動いてくれるからできる話で、部下に起案などやらしたのではとてもこうは行かないのである。

私が橋下徹さんや、小池百合子さんを応援するのは、大阪東京基本構想を考え且つ動かしているのは、トップの橋下徹であり、小池百合子さんなのである。一時佐賀県武雄市の樋渡啓祐さんを応援したのも同じような理由からである。

すべからくトップに立つ人は、確りとした『基本コンセプト』と『その基本構想』までは、TOP の責任として示し自らが動かないと大きな仕事はできないのである。このような動きが『時間短縮』に繋がるのである。そして『時間の短縮』が一番のコスト削減なのだが、それを解っていない経営TOPが多すぎる現状なのである。

この半年間、確かに『直入のサーキット』にも傾注しているが、いろいろ資料をめくっていると、これだけをやってたわけではなくて、アメリカのKMCのデーラーミ―テイングにも出張しているし、KMCで掲げた100億円の累損消去がこの年で達成しているのである。

またソウルオリンピックのあった年で9月13日から18日までは世界のジェットスキーのトップライダーたちをを引き連れてその団長として『ソウルオリンピック』での『ジェットスキーのデモンストレーション』などもやっているのである。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/1c9054d9f38219c730c3b108d67e4ba3

ソウルオリンピック』という結構大きなプロジェクトなのだが、これはすべて『鶴谷将俊』くんで充分できると判断していたので100%彼に任せて、私は9月13日からの日程だけ体をあければそれで大丈夫だったのである。『鶴谷将俊』くんは、二輪事業のリーダーとしては最適の人だったと思うが、何故か『本部長』をやる機会がなかったのである。若し彼が本部長をやっていれば、また違った面白いカワサキが見られたと思うのだが・・・

 

★ちょっと脱線したが、私自身は『営業総括部』は2年間で卒業して昭和63年10月(1988)からは国内営業担当としてカワサキオートバイ販売に専務として赴任するのだが、この直入のプロジェクトは『いいお土産』になったのである。

従ってこの年の10月からは新しい職場で『やらねばならぬここと・やりたいこと』がいっぱいで 、『SPA 直入』関係については、大分県への申請などの諸手続きぐらいで、認可申請は89年の2月14日、翌月の3月には高橋事業本部長大分県知事に表敬訪問などもあったのだが、89年3月29日には工事着工出来たので起案以来ちょうど1年で工事がスタートしたのである。

 建設期間はほぼ1年かかって1990年4月3日に正式オープンするのだが、その時点でこの『直入町サーキット』は『SPA直入』という正式名称でオープンするのである。

このネーミングに関して『SPA 直入と樋渡平雄さん』http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/4d89c51eeaf7864be64dce448948b2c0 

と題したかっての私の過去のブログの中にこのように紹介している。

 二輪に関して何事も詳しかった岩崎茂樹SPA直入」の名づけ親で、そのSPAは確かに温泉という意味もあるのだが、ベルギーの有名サーキット、スパ・フランコルシャン とかけてのSPA なのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3

 

 

★4月3日にオープンして社内の種々の行事などもあったのだが、4月15日の日曜日に『SPA直入オープニングフェア』と銘打って、レースライセンスを持ったライダーたちの『スポーツライデイング』と共に、一般ライダーが自分のバイクでサーキットを走る『エンジョイライデイング』を日本で初めて実施したのである。

エンジョイライデイング』とは、サーキットに集まった人たちが自分のクルマでコースを1周するのである。当日集まった何千人のライダーたちをカワサキのライダーたちが先導してコースを1周する光景は誠に壮観だったのである。

日本で一般ライダーがサーキットを自分のバイクで走ったのは、1990年4月15日が初めてなのである。このSPA直入の走行を見て、日本の各地のサーキットが一般ライダーの走行を実施するようになったのである。

レーサーレプリカなどに乗るユーザーたちに『走る場所の提供を』というサーキットを創った『基本コンセプト』はこの日の『エンジョイライデイング』を契機に実現していくことになるのである。

 

 

 

このイベントには、カワサキのライダーたちも日本の錚々たるメンバーが顔を揃えてくれたのである。

宗和・多田・北川・鶴田の現役ライダーに加えてカワサキOB清原明彦・和田将宏とまだ当時はヤマハの契約のあった金谷秀夫も顔を揃えてくれて、サーキット走行をしてくれたのである。

当日は、予想もしないほどの人数の一般ライダーで、SPA直入は埋めつくされて、開会式のごあいさつで岩屋万一直入町長は、『有史以来この直入の地に最大の人たちが集まった』とご挨拶されたのである。 

確かに、直入町に4000人の人たちが集まったのは、この1日だけだったのかも知れないのである。

 

     

 当日の開催報告であるが、いずれも約と書かれているが、とても台数を数える余裕などはなかったのである。

一般のライダーたちが走れる小さなサーキット』という私が描いた夢は、2年の歳月ののち、平成2年4月15日に実現したのである。あのSPA直入のパドックもコース上も二輪車で埋めつくされた壮観さは今でも私の脳裏に焼き付いている最高の1日だったのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

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カワサキ二輪事業と私 その21 テストコースとSPA直入-1

2016-11-02 07:23:42 | 自分史

★会社の中の一つのプロジェクトがどのように進められたのか、その間どんな経緯があったのか?

いろんな事柄が会社の中では進んでいくのだが、それを時系列に正確に纏めていることも少ないし、なかなか実情はよく解らないことのほうが多いのが現実なのである。

今回取り上げる『テストコースとSPA直入』についても、非常に長い期間にまたがっており、一貫して担当した人もいないのでなかなかムツカシイのだが、後半のSPA直入については、これは間違いなく私自身が進めたプロジェクトなので、何回かに亘ってその経緯を書いてみたい。

『SPA直入』については私の現役時代に手掛けた幾つものプロジェクトの中でも『最右翼』の『私と岩崎茂樹のコンビ』にしか出来なかったムツカシかったが懐かしいプロジェクトなのである。

 

この前身の『テストコース』が発想されたのは昭和46年(1971)ごろのことで、SPA直入が完成したのは平成2年(1990)だから実に20年近くの歳月が流れているのである。

そのSPA直入建設について私が直接担当したのが昭和63年3月(1988)なのだが、今回はそれまでの17年間の経緯と、なぜそんな『サーキット構想』が出てきたのか、そのあたりのことを纏めてみたい。

 

★まず『テストコース』が発想された時期は 昭和46年(1971)頃だと思う。

高橋鐵郎さんがカワ販から技術本部長に異動されて、ちょうどZ1などの大型スポーツ車の開発が始まっていた時代である。ホンダもスズキも自社のテストコースを持っていたし、高性能スポーツ車の開発を目指すカワサキとしても自らのテストコースを持ちたいと思ったのは当然だと思う。技術部の堀江部長が担当されて岡山だとかいろいろとテストコースの候補地を探しているという話は聞いていたのである。

 

ずっとのちになって、昭和58年8月(1983)私が企画を担当していた大庭浩本部長時代に『大分テストコース用地取得に係る経緯について』という増田喬さんが纏めて本部長報告した書類が手元にあるのだがその冒頭には

大分県直入町の用地は単車テストコース建設を目的に48年秋以降買収を進め、54年7月所有権移転登記を完了し(754,710 ㎡・買収費約7億円)当社の所有地になったものである。』と書かれてある。

 

この報告書が書かれているのは昭和58年8月(1983)のことで、買収してからも4年を経過し、買収に当たって直入町と交わした契約条件がいろいろあって、直入町からは督促があるし大変な時期が続いていたのである。

  • 当時の二輪事業部は経営的に大変な時代で、『テストコースの建設』などはとても考えられないし、直入町からの諸要求を実行するのもままならず、私の直接下にいた武本一郎部長などは、『事業本部でこれが将来に向けて一番の難題』だと指摘して、その状況についての本部長報告だったのである。
  • テストコースを造ることはとても不可能なので、地元の人を雇うという条件を満たすために直入町という山奥に工場を造って地元の人を雇ったりしていたのである。

 

私自身は昭和50年(1975)にカワ販から単車事業部の企画に戻った時にこの問題とは、一度出会っているのである。前述の報告書にもあるように48年から買収を進め、その時点ではまだ最終の契約には至っていなかった時期である。

テストコースの土地を買うべきかどうか? 社内でも意見は二つに割れていたのである。

土地の購入の判断は『企画』の担当なのだが、企画室長の堀川運平さんは『土地買収反対』でその理由は「開発に必要だというが、Z1などはコースがなくても既に開発出来たではないか」と仰るのである。確かにそれはその通りで自分でテストコースを持たずとも、谷田部のテストコースなどを借用すれば、その目的は果たせるのだが、自ら自由に使えるテストコースを持ちたいという希望は、その時点でも技術部を中心に存在していたのである。

そんな状況ではあったが、『企画のメンバー』はまだその土地の場所も誰も観たこともないというので50年10月5日(1975)に、高橋宏部長と二人で現地を見に行ったのである。足は当時カワサキ九州に一緒に特約店制度をやった古石君がいたので、彼に頼んで博多から大分県直入町を目指したのだが、当時は高速道路もなく黒川温泉を通って阿蘇のほうから直入町に向かったのである。

 

       

 

今は幾らか開けてはいるのだが、当時は全くの山の中で、そんな場所だから広大な土地も見つかったのだとは思うのである。とにかく場所も何となく解ったし直入町長さんからも歓迎を受けたのである。

直入町はもともと温泉町で湯布院からちょっと南に位置している。

 

    

 

★ いろいろと社内でも意見はあったのだが、最終的には川重不動産社長の『買うべし』という判断で、私たちが直入町を訪れた4年後の54年7月(1979)に土地は購入したのである。

土地の価格は川崎重工業にとっては大した額ではなかったのだが、テストコースを造るとすると相当の投資額にはなるであろうし、その当時はオイルショック後の経済情勢やカワサキの場合はアメリカのKMCの赤字問題もあって、とてもサーキットどころではなかったのである。

ただ、現地の直入町と交わした契約条件には、現地の人たちの雇用問題などがあって、テストコースを造らないと雇用は生まれないし、テストコースは作れないので、直入町からはずっと厳しい督促が続いていたのである。

困り果てた末に、直入町に部品工場を造ってそこで何とか雇用を産みだすことでお茶を濁したのだが、そんなことから、この『テストコースの土地関係』は技術部ではなくて、部品製造関係で主として製造部関係の担当直入町と対応するようなことになっていったのである。

直入町は町長さん自らが明石まで何度も来られていろんな要求をされるので、前述したように武本一郎部長などは土地を手放さない限り『事業部の一番の難題』になると指摘したりする状況だったのである。

これは確かに企画室の問題ではあったのだが、元来「ネアカの私」は何とかなるのだろうとあまり気にも掛けなかったのである。

 

★私が企画室を担当したのは海外販社、特にアメリカのKMCの経営再建が一番大きな課題だったのだが、58年(1983)7月に大庭浩本部長が再建屋として着任されて3年で全販社が黒字になり事業本部の経営も再建されて昭和62年1987年)には単車と発動機事業部が統合されて、企画室長は発動機からの柏木茂さんが担当され、私は営業統括本部に異動して、この直入町の土地問題からも解放されることになるのである。

柏木さんは、年次で言えば私より1年上の方だが、私とは至極よく合っていろいろと相談を受けることも多かったのだが、私と違って非常に真面目な方だから、直入町の土地問題も何とかその利用方法がないかと検討をされて、『モトクロス場案』をつくられてそれを私に『どうだろうか?』相談があったのである。

 

 

 

 この図は 10ページにもなる検討資料の最後のページに付けられている表なのだが、5人のメンバーが何ヶ月も検討した結果なのである。

この検討グループには私の知っている人たちも何人もいて、ちょっと申し訳なかったのだが、柏木さんには『これはダメですね』と『ダメ』を出したのである。

理由はいろいろあったが、モトクロス場は簡単に作れるとは思うが、こんな大きなものを創ってしまうと、以降の管理に手間が掛かるし、話題性などから言っても直入町に大してプラスにもならないし、問題の基本的な解決にはならないと『カン』でそう思ったのである。

これは1988年の3月初めの話だったが、ダメを出す以上は『対案』を出さねば単なる反対に終わってしまうのですぐ前田祐作・岩崎茂樹・今城公徳の3人を集めて、本格的なテストコースはムツカシイが、『小さなサーキット』はできないかの検討に入ったのである。

 

★ 私が『小さなサーキット』という構想がアタマに浮んだのは

● もともと「テストコース」のために購入した土地なのだから、それに類するもののほうが直入町が受け入れやすいであろうということが一つ

● 当時はレーサーレプリカ全盛時で、各メーカーはレーサーまがいの高性能市販車を世に出すのだが、ユーザーはそれを走らせる場所がなくて、いろんな峠で暴走するものだから世に『峠族』と言われたりしていたのである。当時は鈴鹿サーキットをはじめ各地にサーキットはあったのだが、一般ユーザーの走行を許可するサーキットは皆無の状況だったのである。「レーサーレプリカ」のような市販車をただ売るだけで、『走る場所』の提供をしないのはメーカーの責任を果たしていないのではないのか? 一般のユーザーが『走ることのできる』小さなサーキットを創りたいと思ったのである。

 

この検討をしたのは3月8日のことだったが、3月11日にはその基本コンセプトを纏めて、高橋事業本部長にこの『サーキット構想案』を提出しそれを具体的に進める許可をとったのである。

私が物事を推進するときのスピードはいつもこんな感じである。

私は基本的に部下が出来ることは100%部下に任して『部下がやれないこと』を自分自身が先頭に立ってやるのが常で、この問題も部下に任したのでは絶対に出来ないようなムツカシイ問題なので、自ら小さなサーキットの現場視察からスタートしたのである。

3月16日には、まず近くの中山サーキットを観に行っていろんなデーターを仕入れた上で、3月28日から3日間 直入町の現地に岩崎茂樹と二人で出掛けて、岩屋万一直入町長に会ってこの構想を話し、直入町に若い客をとにかく呼び寄せる方向で、まちの活性化のお手伝いをすることにしたのである。

二輪だけでなく直入町の現地のすぐ近くにある芹川ダムでのジェットスキーの走行の提案もし、ジェットスキーの寄贈もして初対面ではあったが直入町長岩屋万一さんとは至極いい関係になったのである。

 

    

 

ものごとは単独では何をやっても大したことはないのである。繋げるものはすべて繋いで、明るく楽しくやらないと単独プロジェクトではダメなのである。

SPA直入が完成してから芹川ダムにそんなに大勢のジェットスキーの客が来たわけではないのだが、その当時カワサキと一緒に遊んでいた岩城滉一さんが ジェットスキー二輪も乗れる直入町は大いに気に入って何回直入町を訪れたことか。
この一事だけでも、直入町長は大満足だったし、私とお付き合いした以降は、感謝されても文句など一切聞かなくなったのである。サーキットの大分県への申請にも直入町長が同道してくれて、直入町からの申請のような感じになり、知事さんが直接会って頂いて誠にスムースだったのである。

 

それはさておきSPA直入の現場も岩崎と見たのだが、当時は背の丈もある草ぼうぼうの斜面を歩き回ったが『よく解らなかった』というのが感想なのだが、このプロジェクトは私と岩崎茂樹との二人でその骨子は白紙から創り上げたものである。

私はカワサキの初代のレースマネージメント担当だったが、それを引き継いでくれたのは岩崎茂樹なのである。そして彼は私と違ってバイクに乗れるし、多方面に博学なのである。博学ということは何でも興味のあることはよく調べて勉強するのである。

このプロジェクトが湧き上がったのは3月初旬だが、3月末には私と岩崎の間には、基本コンセプトの確認はお互いに出来たし、サーキットに関する新しい知識みたいなものも結構なレベルで確認し合えるところまでは行ったのである

 

★この直入のサーキットプロジェクトは、川崎重工業の財産物件の土地の上にサーキットを建設するという川崎重工としては未経験のことだし、本社財産課など本社が絡む案件なのである。 当時の社長は大庭浩さんだったので社長の了解には自信があったのだが、本社各関係課を通さないといけないのだが通常ではなかなかムツカシイのである。

それが非常にスムースに行ったのは当時の単車事業本部の経営危機には本社企画・財務部門も応援してくれていたのだが、本件については企画班長の阿二眞三郎さんに調査段階から一緒に行ってもらって近畿や四国の山奥の小さなサーキット視察を私と岩崎・阿二の3人で車で走り回ったのである。

そんなこともあって、本来私がやらねばならない『本社説得』は細かい部分はすべて阿二さんがやってくれたのでスムースだったのである。

 

このプロジェクトで私が担当したのは1988年3月なのだが、

88年3月 事業本部長によるプロジェクト推進承認

88年6月 計画書による三井不動産の見積書提出 

88年9月 川崎重工経営会議承認

89年2月 大分県庁への申請書提出 (前述)

89年3月末 工事着工

90年4月3日  SPA直入オープン

2年でオープンにこぎつけたのだが、この間このプロジェクトを直接担当したのは、私と岩崎茂樹だけでやり切ったと言っていいプロジェクトだったのである。

 

     

 

 その環境から言って『日本で一番美しいサーキット』に仕上がっているSPA 直入については、次回にお話ししたいと思う。

 

 

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植物の生命力

2016-11-01 06:58:21 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★9月から10月にかけて1ヶ月ほどアメリカに遊びに行って家を空けていたのだが、小さな庭だが雑草も生えてるし庭木も枝はを延ばして、何となく鬱陶しい。

昨日は午前中2時間ほど庭をうろついていた。

庭中いっぱい雑草が生えている中でこんな鉢にこんなのが生えていた。

 

 

 

 なすびのようで、なすびでもなさそうだし、Facebook にアップして『コレ 何ですかね?』と聞いてみたら。

イヌホオズキでしょう。http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/sympetalae/solanaceae/inuhoozuki/inuhouzuki.htm

と教えてくれた人がいる。 雑草だそうである。

 

 

 これは多分雑草ではないと思うが、種でも飛んだのかな?

 

 

 こちらは間違いなく 『パクチ』である。初夏に植えて大きくなってこの鉢で沢山種をつけていたので、それが落ちたのだろう。冬でも『パクチ』は大丈夫育つのかな。

兎に角、自然はスゴイ生命力を持っているなと思っている。

 

 

 

草を抜いていたら、これは 万両である。

正月に赤い実をいっぱいつける 万両や千両は庭いっぱいあちこちにある。

園芸店で買ったら結構な値をするのだが、我が家の千両は春の株分け、万両は勝手にどんどん増えたものである。

 

特に万両は、毎年何本かが育ってゆく、

 

 

 

 知らぬ間にこんなに 庭のあちこちに育っている。

 

 朝、2時間かけて草を抜いたつもりだが、殆どの庭の草はまだそのままである。

 不思議なものでやりかけると、午後からも裏の5メートルほどのお隣との垣根、樫や椿、山椒などが植えてあるのだがそこも枝が伸びて鬱陶しかったので剪定し、下草を抜いたらここだけでゴミ袋いっぱいになった。

 

              

 

ついでに、『こちらも』すっきりした。

     

 幾ら刈り込んでおいても、またすぐ鬱蒼としてしまう。

 植物の『生命力の強さ』を感じた。

 でも、やはり生き物である。何故か枯れてしまうものもあるのは仕方がない。

 

   

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