おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

170602 比叡山と日吉大社

2017年06月08日 | 京都


17.06.02 水無月(金曜日) 旧暦5月8日 晴れ

10か月ぶりくらいで比叡山に登ってきました。

行程

阪急桂駅→→地下鉄四条駅→地下鉄国際会館→→タクシー八瀬比叡山口→→ケーブル・ロープウエイ

比叡山山頂駅→→ガーデンミュージアム→→バス横川中堂・恵心院→→バスセンター→→大講堂→→

根本中堂→→ケーブル延暦寺駅→→ケーブル坂本駅→→徒歩、日吉大社→→徒歩、JR坂本駅→→桂川駅


比叡山にはほぼ毎年登っていて、それなりに慣れている。
だから安易に考えていてバスの時刻も調べないままに、四条烏丸のいつもの
バス乗り場に行くと、バスは出た直後。次便は3時間あと。仕方ないので地下鉄国際会館まで行くも、
比叡山口駅までのバス待ち時間が長い。

ともかく比叡山山頂に上がる。このルートは18歳頃に初めて利用して以来、2回ほど使っている。




山頂駅からはそのままガーデンミュージアムに入場できる。
花はそれなりに多く咲いているが植栽されている花の多くが園芸種。
園芸種にはそれほど興味もなく、花の名前もはなから覚えるつもりはない。
よって花の撮影画像は少ないと思ったのだが、カメラからパソコンに取り込んでみると
結構多い。下はガーデンミュージアムでの撮影。








一通り見てからバスで横川中堂まで。
ある団体のオフ会で横川中堂に来て以来で、実に15年ぶりになる。
15年も昔のことになると記憶は定かではなく、忘却の彼方だ。
それでも15歳若い私が確かにここにいたことは事実で、それなりに感慨深い。






恵心僧都の庵の「恵心院」にも行く。
恵心僧都源信(942~1017)は往生要集を著した人である。宇治の朝日山山麓にも恵心院があって、
私はしばしば植物撮影に行く。少宇だが私のお気に入りの場所だ。

当時の日本は仏教国家でもあった。比叡山延暦寺開創者の最澄、そしてその信奉者の教導の
もとに、叡山は多くの優れた仏教者を輩出した。それぞれの指導者が市井の中に入って
教えを広めて、それが鎌倉時代の仏教にとつながっていく。

私自身はいかなる宗教も信じないのだが、彼らのなしてきた業績には敬意を払う。
ただ往生要集は平安中期に脱稿していながら、世に広まったのは鎌倉時代という。
中世の歌人僧に西行法師がいるが、その家集「山家集」の中に「地獄絵」を見てと
詞書のある歌群がある。この「地獄絵」は恵心僧都源信のものではないということが
定説のようである。恵心没と西行生には100年ほどの隔たりがある。それなのに
西行は「往生要集」を見ていないのではなかろうか・・・。

横川からシャトルバスでバスセンターに戻ってから大講堂・根本中堂と行く。
しかし根本中堂は工事中で重機も入っている。拝観はできるのだが、何度も入っている
ことでもあり、パスしてケーブル延暦寺駅まで。






坂本までのケーブルは1年半前にも使っている。昨年、雪の比叡山に上がった時に、
バス便は運行せずケーブルのみしか動いていなかったのである。

この日は16時半近くに日吉大社に着いた。中に入りたかったのだが、
本宮は16時40分で閉門とのことで、やむなく断念して山王鳥居の所で引き返す。
ここも一度は詳しく拝観しているのだが、またの機会を作ることにしたい。

往古、ここの神輿を担いで比叡山に駆け上がり、そして京都側の雲母坂を駆け下りて、
赤山禅院に集結してから都に入って強訴を繰り返した叡山僧たちの話も、
この社を見ると、にわかに現実味を増す。
とまれ、はるかな昔の話だ。

例によって、この日の画像はOnedriveに入れています。
よろしければご覧願います。

170602比叡山と日吉大社