よもすがら嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく
(西行 山家集)
初めの画像は嵐山。08年11月17日撮影。二枚目は大堰川と小倉山。08年12月7日撮影。
この川の岸辺のほうに平安時代は氷が張っていたものと思われます。
現在よりも平安時代の方が寒かったことは、数々の文献で明らかです。
だからこの川が氷結したとしても少しも不思議ではありません。
画像正面の小倉山も山城の歌枕として著名です。画像にある井堰は500年代に
初めて作られて数次にわたって改良されたものといいます。したがって当然に西行も見た井堰です。
この井堰のほんの少し上流に昔の法輪寺橋がありました。現在の渡月橋の前身です。
この大堰川の奥のほうを「千鳥が淵」と呼び、古来からの自殺の名所だったようです。
平家物語に出てくる滝口入道との悲恋で「横笛」が入水したとも言います。
また、下流の桂川では「お半・長右衛門」が入水心中した実話をもとに、
江戸期に「桂川連理柵」という浄瑠璃が作られました。
昭和になってからも入水自殺を報じる新聞記事を何度も見ています。
(西行 山家集)
初めの画像は嵐山。08年11月17日撮影。二枚目は大堰川と小倉山。08年12月7日撮影。
この川の岸辺のほうに平安時代は氷が張っていたものと思われます。
現在よりも平安時代の方が寒かったことは、数々の文献で明らかです。
だからこの川が氷結したとしても少しも不思議ではありません。
画像正面の小倉山も山城の歌枕として著名です。画像にある井堰は500年代に
初めて作られて数次にわたって改良されたものといいます。したがって当然に西行も見た井堰です。
この井堰のほんの少し上流に昔の法輪寺橋がありました。現在の渡月橋の前身です。
この大堰川の奥のほうを「千鳥が淵」と呼び、古来からの自殺の名所だったようです。
平家物語に出てくる滝口入道との悲恋で「横笛」が入水したとも言います。
また、下流の桂川では「お半・長右衛門」が入水心中した実話をもとに、
江戸期に「桂川連理柵」という浄瑠璃が作られました。
昭和になってからも入水自殺を報じる新聞記事を何度も見ています。
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