CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ロックの世界では、やっぱり日英同盟って感じかな

2023年03月07日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

ボーカルのロニー・ジェイムス・ディオがバンドから脱退、遂に三頭政治も崩壊。更にベースとキーボードも脱退し新しい血を入れる事になったレインボー。

新ボーカルにグラハム・ボネット、キーボードにはドン・エイリー、そしてパープル時代の盟友ロジャー・グローバーを迎えて新生レインボーが誕生した。

1979年に新メンバーでレコーディングされた4枚目のアルバムがDown To Earth。従来の路線を継承しつつ、英ロック・バンドにとって鬼門でもあるアメリカでの成功を求めてポップなハード・ロックも取り入れた。アルバムのタイトル、Down To Earth通り堅実な制作方針だったと言える。

(ヨーロッパで発生した虹がアメリカへと向かっている。)

ゾンビーズのロッド・アージェントがゾンビーズ解散後に結成したバンド、アージェントの元ギタリストであるラス・バラードのキャッチーなSince You Been Goneをカバーしシングル・カット、英国ではアルバムもシングルも6位とヒットした。

ただ肝心のアメリカではパンクやディスコの嵐が幾分弱まってきたものの、アルバムもシングルも50から60位台で大成功を収めるにはあと一息だったかな?

英国と同様、日本では多くのリッチー信者のサポートによりオリコン15位と健闘した。

脚のストレッチをしながらストラト弾きまくるリッチー師匠。さすが!


冬の嵐が来襲

2023年01月27日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

寒さが一段と厳しく、風も強くおまけに降雪。

今朝歩道橋を歩いていると、凍結した路面に足を取られて危うくずっこけるところだった。

嵐は嵐でも第三期ディープ・パープルの1974年の第2作、Stormbringerを久々に聴いてみるとこれまた新鮮な感じで中々イイじゃん!

前作のバーンでのハードでファンキーな芸風をさらに推し進めた事から、リッチーの望んでいた方向性とは違うってことでどうも彼はやる気を無くしたみたいな様で。

ただリッチーの看板おろせばこれはこれで上出来のアルバムだと思うのだけれど…

冬の嵐はもう勘弁して欲しいけれど、パープルの嵐は何度聴いてもOK。


パープルの再結成

2023年01月07日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

1984年突如第二期メンバーで再結成されたディープ・パープル。

その彼らの新録アルバム、Perfect Strangersが出た~!

この再結成のため、イアン・ギランはブラック・サバスを抜け、イアン・ペイスはゲイリー・ムーア・バンドから脱退、リッチー師匠とロジャー・グローバーはレインボーから抜けてレインボーは解散、ジョン・ロードはホワイト・スネイクを抜けたことで、旧パープルのメンバーだったデイヴィッド・カヴァディールは金のための再結成だと言ったとか言わなかったとか… それ迄属していたバンドの他のメンバー達は一体何を思ったのか?

まあ聴き手からすれば恨み節より久しぶりのパープル節の方がファンにとっては喜ばしいことですから。

ただ以前より続いていたリッチー師匠とイアン・ギランとの確執もあってこの流れが長く続かなかったのが残念。

バンドメンバーの和やかな風景をとった写真だけれど、やっぱりリッチー師匠とイアン・ギランはお互い絡んでいないですね〜


ギターは引っ込み、キーボードが前面に

2022年11月20日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

1972年に出た第二期パープルの3枚目のアルバム、Machine Headが世界的に大ヒット。

鉄は熱いうちに打てって事で、すぐさま次作のレコーディングをスタート。ちょうどパープルが日本でのライブを行なった1972年8月前後の期間がレコーディングに当てられたそうだ。

完成したのが1973年に発売された、Who Do We Think We Are(邦題は紫の肖像ってなってるけれど、直訳すれば俺たちが何者かって考える? 即ち波間で産まれ漂うバブルのように、そんなに大した者でもないって言ってるのかな?)

(UK盤は黄色がベース)

(USと日本盤はブルー)

当然、前作の大ヒットを受けて方向性としては前作を踏襲するものとなったが、当時リッチー師匠とイアン・ギランの仲が悪かった事から、この作品ではリッチー師匠完全にやる気無くしたみたいで、前作のような永遠に心に刻まれるギター・フレーズが聴かれなくなり、インパクトに欠ける演奏となった感があった。

その負のベクトルを解消するためにも、ジョン・ロードが頑張ってキーボード引きまくる事によって何とかバンド・メンバーを鼓舞したような… ギランのボーカル快調だし。

出来としては、Machine Headが無ければよく出来たハード・ロック・アルバムって感じで、シングル・カットされたWoman From Tokyoは日本に対して感謝の意を込め日本公演後にレコーディングされたものであろう。

ただ歌詞を今一度読むと、これって何となく日本滞在中に招聘サイドから連れて行かれたナイト・クラブかなんかで美形のホステスさん相手に会話した印象を曲にしたって気もするが...

つまり北島サブちゃんが歌う函館の様な、ご当地ソングって感じですかね。

まあサブちゃんの場合、函館だけでなく尾道、薩摩、伊予、その他諸々と大勢いらっしゃいますが、二期パープルはTokyoだけだから律儀って言えば結構律儀なんですね。


忘れ去られたパープル

2022年10月09日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

そう言えばこのアルバム長いこと聴いてなかったね。

取り出しましたるはディープ・パープルの1975年、第4期のライン・アップで登場したCome Taste The Band。

リッチー師匠が脱退したので、元ジェームス・ギャングでギターを弾いていたトミー・ボーリンをリクルート。

私のトミーのイメージとしては、1973年にでた手数の多いフュージョン系ドラマー、ビリー・コブハムのリーダー・アルバム、Spectrumでジェフ・ベックばりにフージョン・ギターを早弾きする凄腕ギタリストですかね。

Come Taste The Bandは、第3期に加入したデビッド・カヴァディールらの影響でよりファンキーなサウンドで新境地を目指した良い出来のアルバムで、トミーも結構頑張って弾いていた印象。

ただパープルの場合、師匠の存在が大き過ぎて、代わりのギタリストが来て特にライブ同じ様に弾けって言われちゃうのでトミーとしてはやりにくかったかも。

開き直ってディープ・パープル名義ではなく、別のバンド名でアルバムを出しそしてライブではパープルの曲ガンガンやればよかったのでは?

師匠なんかパープルの曲もレインボーでやってたし、Burnからシングル・カットされたMight Just Take Your LifeのB面の曲、Coronarias RedigなんてレインボーのCatch The Rainbowくりそっだからね。


若き日のパープル

2022年10月08日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

当時ヒットしていたバニラ・ファッジとかクリームのサイケデリック路線を意識して結成されたのじゃないかと思えるディープ・パープル。

レコード・デビューはアメリカの方が早かったようで、マイナー・レーベルのテトラグラトマン・レコードと契約をかわし、デビュー・アルバムからシングル・カットされたHushがヒットし、続編の制作が行われた。

それが1968年の10月にアメリカで発売されたのが彼らの第二弾のアルバム、The Book Of Taliesyn。

ファースト・アルバムよりもプログレ度高く、サウンドも引き締まった感じ。第2期時代のライブでお馴染みのインスト・ナンバー、Wring That Neckが収録され、アメリカ・マーケットを意識したのか、ニール・ダイアモンドのKentucky Womanとフィル・スペクターのRiver Deep, Mountain Highなどをカバーしている。

さらにサイケデリック・バンドにとってはうまく料理しやすいのか、前作でのHelpと同様、今回もお約束かの如くビートルズの作品、We Can Work It Outをカバー。因みにバニラ・ファッジのデビュー・アルバムにはTicket To RideとEleanor Rigbyがカバーされている。

第1期パープルの芸風がアメリカン・サイケデリック・バンドのそれと違った味わいを感じさせるのは、リッチー師匠の華麗なるギター・ワークだけでなく、ジョン・ロードのクラシックの香りが時折漂うキーボード・プレイも一役かっていると思うのだが…

時計回りで、下からジョン・ロード、ニック・シンバー(ベース)、リッチー師匠、ロッド・エバンス(ボーカル)とイアン・ペイス

みなさんお若い。


モヤモヤはライブでぶっ飛ばせ~! その2

2022年09月10日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

助手:ストーンズ初期のライブ盤じゃ積もり積もったモヤモヤを一気に吹き飛ばすのには少々力不足でしたね。

博士:ライブ盤と謳っておきながらのオーバー・ダブの嵐じゃモヤモヤは吹き飛ばすことは出来ぬ。

助手:それじゃこれならどうです?

1972年BBC制作で小ぶりの会場を使ってそのDeep Purpleのライブの模様をラジオでオン・エヤーした音源、Deep Purple In Concert。

特徴はオーバー・ダブ無しどころか、BBCが起用した司会者が曲と曲の合間に登場し演奏曲を紹介し、更にバンド・メンバーのとの掛け合いなんかも収録された正真正銘の実況録音盤です。

(Deep Purple In Concert 72、オリジナル盤の曲数を増やし、また曲順もコンサートと同じに変更しリミックスし2012年に再発された)

(Deep Purple In Concert、このオリジナル盤の音源はBBCの企画で録音された1970年と1972年のライブ・パフォーマンスがそれぞれ収録された。)

博士:5ヶ月後のライブ・アルバム、Made In Japanとの演奏中のアドリブ違いなども結構楽しめ、リッチーもいつもの様にギンギンにギターをかき鳴らしている。更に特筆すべきは第二期のギランのボーカルは声量も豊かで高音も伸びがあって無敵じゃ!って事。

助手:これでようやくモヤモヤも吹っ飛びますね。

博士:いや! 曲の合間に何度も登場するお邪魔虫的な司会者の語りはライブの盛り上がりを断ち切るようで返ってモヤモヤしてしまうのう〜


ハード・ロックの三頭政治

2022年01月26日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

本日はレインボーの1976年の2作目、RIGINGでも。

過去記事見たらかなり昔にこのアルバムについて何やら書いてるけれど、まあ久々なので再登場は良しとする。

前作からベース、キーボードそしてドラムスのメンバーを入れ替えた。特にドラムスにジェフ・ベック・グループからコージー・パウエルを引き抜いた事から彼の手数の多い怒涛のドラミングでサウンドが重くなり引き締まった感が…

当時リッチー師匠、ボーカルのロニーそしてコージーによるハード・ロックの三頭政治なんて呼ばれていたね。

(横並びした御三方が三頭政治の主役)

そういえば三頭政治って共和政ローマ末期のシーザーがいた頃って確か中学校か高校の世界史で習った筈なのにその辺りの記憶は既にぶっ飛んでいて忘却の彼方へ。

調べてみると、役職が定まった三頭政治はシーザーが暗殺されたのち発足したオクタヴィヌス、アントニウスとレビドゥスらによる第二期からだったとか…

三頭政治って安定している様に見えて御三方の力関係がいつも同じレベルでないと安定しない。三人の内二人が手を組めば一人は失脚する運命に。そして最後は残った二人による頂上決戦に至る事になり、その勝者による独裁政権が始まり共和制ローマは帝政ローマへと。

歴史は繰り返すは金言で、レインボーの三頭政治もいつしか崩壊しリッチーによる帝政レインボーへの道を辿る事になる。

なるほど勉強になりました。

そう言えば、80年代ジャイアンツが監督、助監督とヘッドコーチの三人が主となって采配を振るうトロイカ体制なんてものあったね。

オイラとしてはトロとイカの方が好ましいんだけれど…

オォ〜 三頭政治の逆トライアングルが見える


右か左か?

2021年10月14日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

細かい事が気になるのは右京さんだけではなく、この私もたま~にではあるけれど気になる細かい事がある。

ディープ・パープルの名盤に1972年に出たLive In Japanなるアルバムがあるが、日本公演で前列に控えるメンバーは舞台に向かって左からジョン、ベースのロジャー・グローバー、ボーカルのイアン・ギラン、そして右端にポジションを取るのが我らが師匠のリッチーである。

(日本ではLive In Japan、リッチーのギターは左から)

(海外ではMade In Japan、リッチーのギターは左から)

1993年には3枚組CDがアンコール曲を含んだ完全版として再発された。

日本で3回行われたコンサートが日付ごと(CD1が1972年10月15日大阪、CD2が10月16日大阪、そしてCD3には最終日10月17日のブドーカン)に各CDにそれぞれ収録されている。

数曲収録漏れとはなっているが、実際のコンサートと同じ演奏シークエンスに従って収録されていて、まあほぼ完全版と言っても差し支えないと思う。

ただこのバージョンではリッチーさんのギターは右から聞こえるミックスとなっている。

そしてその5年後の1998年、25周年記念として2枚組のCD、リマスター盤が発売された。

CD1にはオリジナル・ミックスに従って同じ全7曲が収録され、CD2はコンサートに使われたアンコール3曲が収録。ただCD1ではリッチーさんのギターは左から、CD2のアンコール曲は右から聞こえる。

さらに2014年に出たボックス・セットは、1993年完全版と同じように日付で分けられた収録で、リッチーさんのギターは右のスピーカーから唸りを上げる。

ただ、特典のダウン・ロード音源はオリジナルと同じ左からギターが。

 

事の起こりはオリジナル・ミックスが実際のステージとは異なる左右反対の定位だったから、このようなややこしい事になった。

楽器位のポジションを変える事によって安定したミックスになると当時考えたのかな? 

いろいろ調べてみたけれど、よくわからない。

おぉ~! そういう事か。

日本盤のジャケの写真を見るとライブ演奏しているバンドを後ろから撮影している。

この並びなら確かにリッチーさんは左側!てな事でオリジナル・ミックスが作られた。

んな訳ないか。

細かい事が気になる秋の夜長でした。


かっ、かっ、火事だあ〜!

2021年01月02日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

Led Zeppelinが初日に登場すれば次はこの方々しかない。

そうDeep Purple!

その彼らのシングル盤、Smoke On The Water。

1972年の来日公演の音源とアルバム、Machine Headに収録されたスタジオ録音のカップリング。

両者ともシングル盤にフイットする様に音源を短縮して編集されている。

ところでSmoke On The Waterって一体何のこと? 空気と水の寒暖差によって水面上に発生する霧のこと?

いえいえ、そんな神秘的な風景ではありません。

当時彼らはスイスのモントルーのホテル内のカジノで次のアルバムのレコーディングを予定していた。

その直前に同じカジノのステージでフランク・ザッパがライブ公演を行っていた際、観客の一人がフレア・ガン(信号弾)を打ち上げたそうな。

それが天井の木材に引火しカジノを含むホテルが全焼し、パープルのレコーディングは別の場所で取り行う羽目に。

即ちSmoke On The Waterとは火災によって発生した煙がレマン湖の湖面に漂う光景を目撃しそこで一句って事じゃないかと...

レコード(CDでもオーケー)でイアン・ギランとスモ〜ク・オン・ザ・ワァ〜ラ〜♪と合唱する時は、是非かっ、かっ、火事だあ〜!って情景思い出していただければ...

 


Last Concert In Japanと銘打ったにしては、その後も結構日本公演ありましたけど…

2020年07月11日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

普通のロック・バンドならギリ及第点のライブかな。

本日は1975年東京のBUDO-KANで録音されたパープルのライブ・アルバム、Last Concert In Japan。物故されたトミー・ボーリン先生を追悼ってことで1977年に日本だけで発売。

しかし、これがパープルとなるとそうはいかない。なぜなら、そのわずか3年前の1973年に歴史的な名盤Live In Japan(もしくはMade In Japan)を残しているから比較されるとどうしても分が悪い。

リッチー師匠の代わりに加入したトミー先生、東京公演時、腕の不調でまともにギターが弾けない状態だったとか。また薬をやっていたてな話も聞こえてきたけど

結局第4期パープルは約2年活動後解散し、その後直ぐに薬のやり過ぎでトミー先生は冥界に旅立たれた。

私にとって、トミー先生といえば以前このブログでもアップしたフュージョン・サウンドが炸裂したビリー・コブハムのアルバム、Spectrumでの客演で大活躍された印象が非常に強く残っていて、このアルバムを聴いた時同じ人がギターを弾いているとは思えなかった。

ただ、ギターが不調ならその穴埋めはキーボードで、またボーカルもドモ・アリガートの連発で日本公演を盛り上げようとするなど、このライブはバンドとしての一体感は感じられた。

その後のパープルの日本公演でボーカルに返り咲いたイアン・ギラン氏、かってのように高音でのスクリーミング出来なくなってしまっているしね...

今改めて聴き返せば、もうこれはこれで良しとなるのではないかと。

 

 


リッチーもお手上げ

2020年01月20日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

もちろん長期に渡って活動を続けていたからではあるが、このバンドほどメンバーの出入りが激しいバンドも無いのではないかと。 

1980年8月ドラムのコージー・パウエルが脱退し新ドラマーとしてボブ・ロンディネリが加入し、コペンハーゲンでニュー・アルバムの録音を開始した時期がレインボーの第六期にあたる編成だった。しかし、ボーカルのグラハム・ボネットが親しかったコージーの脱退でやる気をなくし、新しいボーカリスト、ジョー・リン・ターナーをリクルートし2人体制のボーカルの構想を持ち出すとグラハムはさらにやる気をなくしてバンドから脱退。 

そして11月からジョーを正式ボーカリストに起用しグラハム抜きで録音を開始したのがこのバンドの第七期の編成にあたる。そして翌年にようやく完成したアルバムがDifficult To Cure。

 

(誰しも手術前にこの医者団の姿をみれば恐怖を覚えるのは間違いなし!)

ラス・バラードのポップなハード・ロック、I Surrenderをシングル・カットし大ヒットさせ、アルバムもゴールド・ディスクを獲得し成功を収めた。 その秘訣は今までよりシンプルな曲作りでポップ路線に舵を切ったからである。

 

(恐怖を高める小道具の数々)

これによって今までのファンはなんじゃこりゃ〜!となったが、同時に特にアメリカのマーケット新しいファンがその親しみやすいサウンドに飛びついた。

スタジオ盤はラジオ・フレンドリーにポップに仕上げ、リッチーのハードなギター・プレーを所望のお方は是非ライブにお越しやす!って2面作戦をとったわけである。 

残念ながら、このメンバーでの編成も長く続かず、1981年の秋にはまたまたメンバーが入れ替わることに。 

本当にメンバーを固定できない症状はDifficult To Cureで、これじゃリッチーもI Surrenderとお手上げ。


毎朝食べると幸せになれるって?

2019年06月12日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 

生まれも育ちも紳士の国エゲレスから海を渡って数ヶ月、今が熟れ頃丁度食べ頃、欧州バナナはいかがっすか〜 

一皮むけばお肌は真っ白! そこのお嬢さん一房いかがっすか〜 

栄養満点! 消化も良くて病み上がりに最適! 

今ならレインボーのドン・エイリーがもれなく付いてくる! 

さあ、聴いた、聴いた。 

と急に始まる叩き売り。

ご存知2003年に出たスタジオ・アルバム、Bananas。前作Abandonから数えて実に5年ぶりのスタジオ・アルバム。

(これがパープルの最新のスタジオ・アルバムのジャケ? 違和感あって当時はびっくりしたね)

(悪名高きEMIのコピー・コントロールドCD) 

(ベトナムの都市部での使用が禁止されたから、今じゃほとんど見かけなくなったシクロ)

リッチーやジョンが抜けたパープルなんてもうパープルじゃないってば! 

まあお客さん、そんなこと言わずにまあ御一聴を。 

確かにかってのパープルじゃないのかもしれないけれど、パープルの残り香がそこかしこに、そしてギランさんもお歳にもかかわらず声を張り上げ頑張ってるし。 

アルバムのタイトルのBananasってBananaの単なる複数形と思っていたが、形容詞的用法で熱狂したとか発狂したという意味にもなる。 

そう新生パープルが新たな熱狂の世界に導くアルバム、Bananasいかがっすか〜       

(新生パープル)


反応鈍いね〜

ええぃ〜 実はLast Concert In Japanではなかった、パープルのマーク4期のLast Concert In Japanこの際つけちゃおう。

(これが日本での最後のコンサートって本当?)

 

(亡くなったトミー・ボーリンに捧ぐって書いてあるね)

なんだったら、フィリピン産の朝の幸せバナナもね。

 

(毎朝食べると幸せになれるって? そんなバナナ!) 

全部持っていけ〜!


日曜の朝からパープル三昧

2019年06月10日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

1975年4月、ディープ・パープル、マークIII期の最後の勇姿を収録したライブ・アルバム、Made In Europeがリッチー脱退後の翌年に出た。 

リッチーがバンドを脱退する直前のツアー、4月3日のオーストリア公演、5日のドイツ公演そして7日のパリ公演から5曲を収録されているとのこと。 

しかしどの曲がどの公演のものと言う記載が一切に無く、一説ではほとんどがドイツ公演からの収録らしい…?  

今回は、Made In Europeの紫色のカラー・レコードが再発されたので聴いてみた。

(見開きジャケの内側) 

ムム〜、アビーロード・スタジオでのオリジナル・テープからマスターされたとスティッカーには書いてあるが、個人的に少しばかり篭ったような音に感じアビーロード・リマスター すげ〜って感じにはならなかった…

まあ、私の耳が悪いのか、はたまた所有する再生装置がオンボロなのか? 今まで聴いてきたCDと比べるとLPの音圧は低いので単にそのような印象を持ってしまうのかもしれないのだが… 

余談ではあるが、現在1990年に出た輸入盤CD(CDP-7-93796-2)を所有しているが、これも後のリマスターCDと比べれば音圧が少々低いような。

(CDのジャケ裏) 

マークII期の編成でのライブ盤、Made In Japanと比べると既出曲を収録しない制作方針からなのかLP1枚分に編集されたのを考慮するとライブ盤としては少しばかり物足りない感じ。 

ただそこはディープ・パープル、それを差し引いてもその辺の凡庸なハードロック・バンドと比べるまでもなく、一定のクオリティーは確保されている。 

これもパープル・マニアに言わせると完全版では無いらしいが、パリ公演の音源を聴きたければ、2012年に出たLive In Paris 1975なんてのもある。このCDは1990年に出た輸入盤CDと比べると音圧が高く設定されているし、最新デジタル技術を駆使して聴き易いようになっているのかな?

 

単にライブ収録された場所が日本というだけなのだが、個人的にはMade In JapanがMade In Europeに優っていると言うことがなんとなく誇らしく思える。 

ところでリッチーさん、Lady Double Dealerでのギター・ソロって一体どこに行っちゃったでしょうか? 代わりにキーボード・ソロが…. 

立地〜・ブラックユーモア:決してサボってた訳じゃ無いんだけどね〜 急に次の就職先決まっちゃって仕事の引き継ぎってことで… 

当時のライブの色々な音源引っ張り出してきてパープル・カラーのレコードと何度も聴き比べ、ついに頭もショートしてバーン!

漫画の東大一直線の如くパープリンとなる日曜朝からのパープル尽くしは如何?


パープルでも、哀しみのダウンロード・カード

2019年04月11日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

3年ほど前に再発されたディープ・パープルのIn Rock、180グラム重量盤を聴いてみる。

 

オリジナルは1970年で、ここから第二期パープルが誕生し、ここからパープルのハードロック界での快進撃が始まる。

収録曲に添えられた曲のイメージを示す彼らの軽〜いコメントが目を引く。

 

Speed King

少し根っこを植え替えた

Bloodsucker

特に卑劣な種類の野郎、俺たちのほとんどだけど

Child In Time

負け犬の話、アンタだったかもね 

Flight Of The Rat

言っとくけど、ひっくり返す他のやり方があるってば 

Into The fire

フライパンの外 

Living Wreck

サポートにも色々あるぜ、アンタの地元のグルーピーとか 

Hard Lovin’ Man

Martin Birchに捧げる、俺たちを爆発させる触媒 


今再発盤の音圧のレベルはCDに比べると絞られては入るが、割と聴きやすいミックスとなっていてキンキンとこない。

レコードは英Harvest盤の再発なので、Speed King冒頭にキーボードのソロを含むバンドの即行演奏が1分半程度収められているのが珍しい。

 

オリジナルの日本盤は米ワーナーの編集でそのパートはカットされている。

 

ところで、このレコード買ってから今まで開封していなかった。開封するとMP3音源のダウンロード・カードがヒラリ。そういえばレコードのシュリンク・パッケージにダウンロードが出来ると記載されたスティカー貼ってあったよね。

で、早速PCにダウンロードしようと、指定のサイトをオープンするとなんとそのサイト(www.thisisvinylcollector.com)最近閉鎖されたみたいで、ことを成し得ず 。 

ゲロゲロゲロ。

もしハイレゾ音源のダウンロードだったら泣いたかもしれない。 

みなさん〜! ダウンロードはお早めに。